第4話
王宮に到着したのはおそらく夜明け前だった。大急ぎだったらしく、マルべは御者に普通より多額の報酬を約束していた。
城門を通り、いかめしい建物の前で俺たちは馬車を降りた。
看板には『軍部本営』とある。
「マルべさんか、思ったより早かったな」
小柄な老人がドアを開けて迎え入れた。
「ええ。重要な話ですから」
マルべがネクタイを整える。
「聞いているよ。その子は?」
「今回の事件の証人です。他にもいろいろと」
老人は品定めするように潰れていない右目でシヴァドを見た。感情の読めない顔で踵を返す。
「入ろうか」促されるままについていく。閉じられた窓が並ぶ堅牢なレンガの壁が、二十五座席の整列するあまり広くない空間を取り囲む。一歩踏み出すたびに木の床が軋み、格子に支えられた屋根の裏側の空間に響いた。
「お疲れさまです」
『議長席』という札が置いてある奥の席に座っていた男性が書類を置いて立ち上がり、マルベに一礼した。先ほどの老人は『戦略議長』の席に座っている。それ以外にもちらほら座っている人が見受けられる。他の人の座席にも、ちらほら役職を示すような札がある。
「質問の優先順位が変わりましたね」
議長はあまり嬉しくなさそうな顔でマルべに歩み寄る。それからシヴァドに視線を移した。
「ああ、この少年は証人です」
「事件の現場にいたという…?」
マルべの補足を受けて、議長は少し心配そうにシヴァドを見て尋ねた。
「まだ気持ちの整理がついてないんじゃないか?」
「起きたことを喋る分には問題ありません」
シヴァドの真っ直ぐな視線に驚いたような表情を見せたが、すぐに力強く頷いた。
「分かりました。現在の貴族院は、書類だけでの事実確認では事件性を認めないという暗黙の了解があるので、あなたのような証人が必要なのです」
「え?それって書類の意味がなくなるんじゃ…というか、いちいち証人を呼ばなきゃいけないなんて、証人がいなかったらどうするつもりなんですか?」
シヴァドの質問に、議長は苦笑いを浮かべた。
「まあ、そういう人たちがいる場所に向かうと考えていただきたい」
シヴァドは色々なことに対して覚悟を決めたようだ。毒のある葉っぱを舌先に乗せたような顔をしている。
「そうだ議長、貴族院会議の後に軍部を招集してくれませんか?国境の件みたいに急を要する話というより、慎重さが必要な話でして」
「分かりました、集まるよう伝えます」
恐らく俺のことを話すつもりなのだろう。俺はシヴァドが不利にならなければどうなろうが知ったことではないが、正直なところシヴァドと離れるのは嫌だ。
マルべのところにいた書記の女性が、黒いスーツに着替えて軍部に入り、『書記官』の席に座るのが見えた。見たところ、軍部の人間は神の石である俺が相手でも、意志疎通できるとなれば滅茶苦茶な理屈では納得しないはずだ。最低限理に適ったことを言わないと容易に引き離されかねない。シヴァドは立場を選べる状況にないので、ある程度の権威を恐らく持っているであろう俺の意見は重要になってくるだろう。
シヴァドはマルべに椅子を勧められて、副議長席の隣に座っていた。
「なあ、そういや論文って結局どんな出来になったんだ?」
「え?読めるの?」
「流石にこのままだと読めないけど、お前が読んでたら俺も読めると思う」
「羨ましい能力だね…」
鞄を開け、丁寧に綴じられた紙の束を手に取る。たまにマルべが書類の内容を確認する以外は誰も話しかけてこない。座席はすぐに埋まり、俺は論文の最初にある内容のまとめくらいしか読めなかった。
「お集まりいただけたようですので、最終調整を行います」
議長が口を開き、座席は静かになった。
「まずはつい昨日の事件についてある程度の詳細が判明したので、マルべ副議長から報告をお願いします」
「はい。国境付近にて、このリアド王国在住の一般人の魔法使いファーゼン氏が襲撃され、交戦しました。火柱はその際、ファーゼン氏が放ったものと考えられます。現場に居合わせたのはその弟子のシヴァド君です。彼に今回の貴族院会議で証言をしてほしいと頼んだところ、了承を得ました」
シヴァドは立ち上がって一礼し、またすぐに座った。
「これだけでも大きな事件ですが、シヴァド君の報告と現場の状況から、帝国かそれに関わるものがファーゼン氏を殺害したという可能性が浮上しました。現在帝国はその内情を非常に把握しづらい国です。150年前に五つの王国をまとめてアセタル帝国ができ、50年前に連邦-公国世界戦争が、32年前に再統一戦争が勃発しました。再統一戦争以降、帝国は国外に出るものにも国内に入るものにも厳しい条件を要求してきました。我々軍部の目的は、外国との交渉による国内の安定化ですが、昨今は帝国との交渉自体が難しいものになりつつあり、その上で今回のような件を引き起こしたとなればこの国に対して武力による攻撃を行ったとも考えられます。今回の事件と帝国との関係を確認するために、帝国に使者を送るように貴族院会議で要請することを考えております」
随分帝国を警戒しているようだ。まあ確かに情報が出てこないというのは不気味ではあるが、にしてもここまで大事にするのか…。
「私からの報告は以上です。まずはこの件以上に優先すべき事案がある場合は挙手で発表をお願いします」
手は上がらなかった。シヴァドもだんだん事の重大さが身に染みて分かってきたらしい。俺はまだピンと来ていない。
「ではこの件に関する質問のある方は挙手してください」
議長が告げると、何人かが挙手した。
「帝国が関わっていると考えるに至った根拠を教えてください」
「当事者の証言から得た襲撃者の服装は、帝国の軍部のものと一致する特徴を持っていました。また現場からは、リアド王国では流通していない毒矢が発見されました。この毒は他の国でも確認されていませんが、珍しく帝国から来た商人がかつて仕入れていたものと同じです。大きな根拠はこの二点です」
「関与していない可能性もありますが、その点についてはどうお考えですか」
「関与がないと帝国が言うのであれば、国家としては構いません。ただし民間の事件としては調査を続けることになりますし、その際は当然帝国側にも犯人の捜索などの面で協力を求めます。現段階で操作を打ち切ることは考えていませんし、打ち切っても国家として利があるとは思えません。何より、国がどうこう以前に無辜の命が奪われたことを決して許すわけにはいきません」
「使者には誰を選びますか」
「私、マルべが向かいます。兵を派遣するより余程平和的で安全だと思います」
「回答そのものを拒否される可能性もありますが、その場合どうしますか」
「受け入れるまで回答を求めます。根拠が希薄な回答であっても同様です」
この事件に関する話はまとまり、貴族院会議で使者を出すよう要請することが結論となった。他にもいくつかの要請があったが、それらは中、長期的な目標に関するものだった。
天窓から陽の光が床を照らす時刻になってようやく、軍部は宮殿に向かった。
真っ黒い列が日差しの中を歩き、周囲の光景とは異なる重々しさを醸し出している。
前から二列目の副議長の隣をシヴァドは歩いていた。
「おや、軍部の皆さまですか」
脇道から合流してきた、別の列の先頭に立つ紺色の上着を羽織った、妙齢の女性が話しかけた。
「ここで会うとは珍しいですね、教育部議長」
軍部議長は口許に微笑を浮かべて答えた。二つの列は並んで進み始めた。
「今回こそは明確に返事をもらわなくては」
「軍部としても同じ気持ちです。ただ、意味合いは普段とは変わってきますが」
教育部議長はシヴァドにちらりと視線を向けてから質問した。
「あの少年は証人ですか」
「ええ。久々に帝国の話をすることになりそうです」
「…本当に久々ですね。不吉なことにならねばいいのですが」
軍部議長は穏やかに微笑んだ。
「そうならないようにするのが我々軍部の仕事です。互いに本分を尽くしましょう」
王宮の門が見え始めてきた。その奥には継ぎ足した跡が目に見えるような巨大な宮殿があり、来るものを睨みつけ続けているような威圧感があった。
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