第2話
魔法というものがある。らしい。
俺は昨日までそんなものを見たことがなかった。氷とか火とかで魔王にダメージを与えるのが俺のイメージする魔法だった。
俺のイメージとは少々異なるが、俺が出会った二人組は魔法を使っていた。
出会った次の日、起きて俺を見に来たばかりの二人に、まずは魔法について教えてほしいと頼んだ。二人は快く受け入れてくれた。
魔法を教わるため、俺はシヴァドの上着のポケットに入れられて家を出た。どういうわけかポケットの外の様子が見えたが、勿論知らない場所だった。森の中の木々の隙間を縫って続いている獣道をしばらく歩くと、小さな滝が流れ込む泉にやってきた。泉の前には二脚の椅子とテーブルが置いてある。頻繁に座られているのか、椅子の座面は綺麗に整えられていた。片方にシヴァドが座り、テーブルに俺が置かれる。
老人が落ちていた木の枝を手に取り、角度を変えて眺めていた。
「魔法は昔から使われはしていたが、詳細な理論を組み立てられはしなかったのだ。建てられ方を知らない家に住み続けるようなものだ。私たちは理論を組み立てて魔法を解釈した」
木の枝が俺の隣に置かれる。老人は椅子から立ち上がり、泉の水を手のひらで掬いあげた。
「あらゆる物は、目に見えないくらい小さな魔法粒子という粒子からできていると考えられる。この水も、小枝も、その机も、私もだ。魔法粒子を動かしたり、その内部の魔力を操る方法を、私たちは魔法と呼ぶ」
水が塊を成して、老人の手から浮き上がる。
「魔法粒子それ自体は一つしかないが、様々な状態をとって世界を構成している」
水の塊は四つに分裂して、三角錐、円柱、立方体、球とそれぞれにぐにゃぐにゃと変形した。
「魔法粒子は魔力というエネルギーを持っていて、状態によって粒子が保有できるエネルギーが異なるのだ」
球が激しく表面を震わせ、三角錐も表面を波立たせるが、残り二つは止まったままで呑気に浮いている。
「魔法といっても、魔法陣を描くこともあれば杖を使うこともある。どのような仕組みで人が魔法を使えるのかはまだこれから調べることになるだろう」
四つの立体は形を崩して、また泉と一つになった。
「まあ…魔法についてはこれくらいか。これ以上説明すると長くなりすぎる」
説明を終えて、老人は席についた。
「神って全知全能だと思ってたけど、知らないこともあるんだ」
「待ってくれ、そもそもなんで俺が神の石なんだ」
好奇心を優先させて肝心なことを聞きそびれてしまっていたが、シヴァドの言葉で自分が変な呼ばれ方をしていたのを思い出した。
シヴァドは当たり前のような顔で俺に説明し始めた。
「この世界には五千年に一度、『神の石』が出現するという言い伝えがある。前回神の石が出現したのは丁度五千年前だ。そしてその神の石はおそらく全て、君と同じ姿をとっている」
こっちに関しては聞いても気持ちが追い付かない。
ゴミ袋に他の愚かなプラスチックと詰め込まれていた俺が、なぜか山奥の小屋にいて神の石と呼ばれている。
「しかしこれは別の物語、いつかまた、別の時に話すとしよう」
どこかの小説に書いてあった文言がふと閃いた。
その小説の主人公は学校を逃げ出して、本屋で盗んだ本を隠れて読んでいたが、あるタイミングで実際にその本の中に入り込んでしまうのだ。
『そういうこと』なのではないだろうか。
ここは元々俺がいた世界ではない。話が飛躍しすぎかもしれないが、そうでもなきゃこの状況を説明できない。
「シヴァドは俺以外の、神の石?を直接見たことはないのか?」
そう聞くと、背の高い少年はバツが悪そうに肩をすくめた。
「随分前に歴史書で絵を見たことはあったけど、それきりだよ。歴史は苦手で…神の石のことも、昨日先生に言われて思い出したんだ」
「そっか…他の石があるなら見てみたいもんだな」
俺の言葉に、老人が反応した。
「ちょうどよかった。明日は年に一度の研究発表会があるから、王宮まで向かうことになっているんだ。そこに、五千年前に現れた神の石がある。手続きを踏めば、その日のうちに見学くらいはさせてもらえるはずだ」
俺は本当にタイミングよくここに来たらしい。安堵していると、シヴァドが老人のほうへ身を乗り出した。
「僕も一緒に連れていってもらえるんですよね?」
「もちろんだとも。初めての遠出は思い出に残るようなものでなくてはな」
「やった…!」
シヴァドが両手を天に突き上げる。「これで僕も十六歳だ…!」太陽の光がテーブルを鮮やかに照らし出した。
後ろに体重がかかりすぎた椅子が傾いて、シヴァドの体は勢いのままに地面に投げ出された。
「そうだな、十六歳だな」
老人が呆れたように微笑み、シヴァドも起き上がりながら苦笑いを浮かべた。
「さてと、私は家で発表のまとめを片付けてくる。昼飯の準備をしてくれるかな」
「分かりました…はは…」
シヴァドの背中の土ぼこりを払い、老人は家への道を戻ってゆく。
「さてと…果物を採ってこなきゃ」
俺を再びポケットにしまって伸びあがる十六歳からも教わりたいことだらけだ。別の森まで歩きながら、俺は相手がうんざりする量の質問を投げかけた。
それでもシヴァドは答え続けた。
例えば、シヴァド本人について。
彼は物心つく前に老人の家の前に捨てられていた子で、ずっと老人に育てられて生きてきた。魔法の訓練を積み学問を学び、野山を駆け回って生活してきたそうだ。
老人の名前はファーゼンといい、神話学の研究において有名な人物だという。
ファーゼンは神話学を研究するうちに、神話の内容が魔法に結びついているということに気づいたらしく、神話を学びながら魔法理論の研究も続けているということだ。世界各地を回るので留守にすることも多く、シヴァドはいつも留守番を任されたらしい。
「でも今回はいよいよ、連れていってもらえる…連れていってもらえるんだ」
目は輝きと空想に満ちていた。
気持ちはわからんでもない。俺も最初自販機から取り出された時、世界の広さやあまりにも鮮やかな外の光景に驚愕したものだ。俺を取り出し口から持ち上げた青年のなんでもない表情が、その背後の日差しを遮る様子を思い出す。
シヴァドはリンゴの木に辿り着いて、低い位置の赤い果実を自分の手で四つほど摘み取った。
「魔法とか使わないんだ…」
「先生の教えだよ。命に向き合うときはまず自分の手で触れろって」
腰に下げていた麻袋にリンゴを入れて、俺たちは家に戻った。
ファーゼンはドアが開いたのを見て、ストーブの上面で鍋に入れたスープを温めはじめた。食べ物や飲み物のいらない俺にとっては、食事の時間というのは退屈な時間だった。
「とうとうまとまったぞ、シヴァド。あとは発表の時を待つだけだ」
「あの、本当に僕が発表するんですか?」
「そうとも、不満かね?」
「楽しみにしてるに決まってるじゃないですか!これが受け入れられてもそうでなくても、きっと一つの大きな分岐点になるはずです」
「ならよかった。君無しではこの理論は完成しえなかったからな」
食事を待つ二人は楽しそうだった。そうか、こういう風景もあるのかとなんとなく思った。
昼飯はリンゴ二つずつとスープだ。スープから湯気が昇り始めたあたりでファーゼンが鍋を取り上げ、木の器にその中身を分ける。シヴァドに食卓を整えられて、食前の祈りが終わると食事が始まった。
「そういえばふと気になったんだが」
机に置かれた俺に、二人が視線を向ける。
「この世の全部が魔法粒子からできてるなんてどうやって分かったんだ?全部の物質を調べられないだろう?」
ファーゼンがリンゴの欠片を飲み込んで答える。
「まだ分かったわけではない。さきほど言ったことは世界の一つの解釈でしかないので、確定した事実とはまだ呼び難いが、この仮定を用いると説明できることが沢山あるので都合がいいんだ」
「それってみんな知ってることなのか?」
「現在この理論を提唱しているのは私とシヴァドだけだ。しかし、私たちの論に他に誰も辿り着いていないというのも考えにくい。それを確かめることも、今回の研究発表の目的の一つだ」
答え終えて、ファーゼンは最後のリンゴの欠片を頬張った。
「滞在予定は大体五日くらいですよね」
「そうだな、それくらいになるだろう。幸いにも今は温暖な王の季節だ。長く滞在するのに向いている」
「王の季節?」
「一年は五つの季節に分けられる。神の季節、王の季節、光の季節、闇の季節、命の季節の五つだ。…まあ、こういうものにはのんびり慣れればいい。何度も聞くことだろうしな」
シヴァドもリンゴを食べ終わり、スープを飲み干した。
「まとめた資料はどこへ?」
「書斎だよ。読んでくるといい」
シヴァドは目を輝かせながら立ち上がり、ドアに駆けていった。ファーゼンはその背を見届けてからスープに口をつけた。
「そういえば、あんたはなんで神話を調べ始めたんだ?」
「私はこの国の農家で生まれた。農家には根深い自然への信仰が存在していたが、なぜ神を信じることにつながるのか分からなかった。だから、自分は何を信じていたのか気になり、神話を学び始めた」
「じゃあなんで魔法の研究を?」
自分の記憶を頭の中で一つずつ取り出しているように、老人は目を閉じた。
「十五歳のころから神話を学ぶために隣の国、アセタル帝国に一人で住み始めた。しかし、残された神話は断片的なものだった。序章の数節と切れ切れになった断片が、世界各地の遺跡に石板や抽象画などの様々な形で残っているくらいしかその痕跡は残っていなかったのだ。神話を探すべく世界を旅することにしたのだ。特に、神話が自然信仰と結びつく点を探していた。残念ながらそれはいまだに見つかっていないが、代わりに魔法と神話のつながりを見つけた。魔法を研究するようになったのはそこからだ」
「魔法と神話につながりがあるのか?」
「私個人の仮説でしかないが、あると思う。魔法というより、魔力に関してのものと思われる記述が非常に多い。ということは、魔力を扱う魔法も関わってくるはずだ」
答えて、ファーゼンはスープの残りを飲み干した。
「そういえばさっき、本人から聞いたんだが…シヴァドって拾った子なんだってな」
器が机の上に静かに置かれる。ファーゼンは深い青を奥に秘めた穏やかな瞳で俺を見ていた。
「あ…いや、都合が悪かったら答えなくてもいいんだけど」
「別に隠すようなことではない。その通りだよ」
老人の視線は遠くを向いた。もしかするとシヴァドが向かった部屋の方を見ていたのかもしれないが、俺にはその内心を推し量ることができない。
「彼は人として学者として、全てにおいて私を越えている。彼があんなにも立派に育ってくれるなんて思わなかったよ。きっとこれからはいろいろな人を見て、もっと――歴史に名を残すほどに成長するだろう。私に似て頑固なことだけが欠点だが」
開け放たれた窓から、カーテンを翻して暖かい風が吹き込んだ。
自分の育てた少年のことを話しているファーゼンは、今までよりも穏やかだった。今までと言えるほどの時間を過ごしていたわけではないが、なんとなく、これ以上穏やかな表情は見ることがないような気がしていた。
「先生、呼びましたか?」
何枚もの紙を持ったシヴァドがドアを開けた。
「いや、神の石に君のことを話していたんだ。ところで、資料はどうだね?」
弟子は師匠の問いかけに満面の笑みを浮かべた。
「最高の出来栄えです」
「ならよかった。準備を始めようか」
ファーゼンは立ち上がり、スープの入っていた器を流し台に持っていった。それから、外套掛けにかかっているローブの状態を確認している。シヴァドはもうすでに荷物をまとめていた。
「もう出るのか?」
「うん。研究発表会は明日だから、今から出て王宮に向かうんだよ」
ファーゼンは既に身なりを整え、威厳のある老人の出で立ちに様変わりしていた。長年魔法や神話の研究を続けてきた人だと言われたら、初めてその姿を見ても信じるだろう。
「神の石を持っていてくれるか」
「毎回神の石神の石って呼びにくくないか?」
俺が会話を遮ると、書類を鞄にしまうシヴァドの手が止まった。
「それに、神の石を持ってることを大勢に知られちゃまずいだろ。何かこう、名前みたいなので呼んだ方がいいと思うんだが」
「名前か…呼んでほしい名前とかある?」
「そうだな…キュプラって呼んでくれるか?」
キュプラという単語を選んだ特別な理由があるわけではなく、何となく思いついたから言っただけだったが、それが他の人間にとっては重大な意味を持つ単語になるという自覚が足りていなかった。
「分かったよ、キュプラ」
シヴァドは俺を腰のポーチにしまい、書類鞄を持った。
「荷物は僕が持ちますよ、先生」
「任せるよ」
ファーゼンが自分の背丈より少し低いくらいの杖を持ってドアを開ける。凪が流れて、俺たちは再び外の光と空気に身を投じた。
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