ペットボトルのキャップ、異世界で神の石と呼ばれる

龍龍龍(ろうたつりゅう)

第1話

ペットボトルのキャップ。それが俺だ。


初めて目を覚ましたのは自動販売機の中だった。外から聞こえてくる大学生とかいう連中の話を聞きながら、自分が誰かを察することはできた。しかしいつまで待っても将来を教えてくれる奴は現れないままだったので、そろそろ募る苛立ちは限界まで達しようとしていた。

他のペットボトルのキャップ――最初は同胞と呼んでいた――とも知的な会話を交わそうとしたが、全く口を開かない。最初は俺だけが意志を持っているらしいと優越感に浸り、他のペットボトルのキャップ――その時は愚民と呼んでいた――を内心あざ笑ったりもしたが、俺も他のやつらと同じで、音を発しているわけではないという不必要な気づきのせいでイライラし始めた。ただ考えがぐるぐる巡るだけで景色に変化はなく、薄暗いラックの中で待っているだけの日々。


それがある日、突然終わった。俺が蓋をしていたペットボトル飲料は買われて中身を飲まれ、捨てられた。

ゴミ袋に詰め込まれた他の雑多なプラスチックは、ただ茫然として諦めているようだった。洗われていないみたらし団子のパックからこぼれるたれでドロドロになりながらも、俺はここから抜け出すにはどうすればいいかを模索していた。同じプラスチックごみ用の袋の中の愚か者どもとは違って、俺は意思を持った偉大な存在であり、こんなところでリサイクルされて意識を失うわけにはいかない。だからと言ってできることが多いわけではない。

新しいごみ袋が上からのしかかってきた。

やけに重そうな袋だったが、そのためか俺の入っている袋が地面と強く擦れてごくわずかに裂けた。

これは光明だ。俺が裂け目に一番近い。さっきの重い袋のせいで隣のボトルから中に残っていたみりんが吹き出して全部俺にかかったが、文句を言っていられる立場ではない。

やがて、ゴミ収集車がゴミステーションにやってきた。車が止まった時の重い振動が伝わってくる。作業着の男性が降りてきて、次々に他の袋を積み込んでいく。俺の入った袋が持ち上げられて、地面が遠ざかってゆく。

裂け目の大きさが若干小さいかと不安になったが、他のプラスチックごみの重さで簡単に限界を超えた。


俺は袋から落ち、排水溝に吸い込まれた。


排水溝は深くて真っ暗だった。あまりにも暗くて底が見えない。想像していたより長い時間をかけて落ちているが、そんなに深い場所に落ちたか?

見下ろすと、水面もなければ、乾いたコンクリートの隙間から生えているはずの雑草もなかった。


「なんだこれ…?」


こんなことで困惑しなければならないのが口惜しいが、体は落ちていくばかりだ。視覚と聴覚を最大限利用しようとするが、何も見えないし聞こえない。もっと頑張れ俺、ポリエチレンテレフタラートの誇りを忘れるな俺と集中力を研ぎ澄ませる。


「神はその昔、海を作り出し息絶えた。」


声だ。

声が聞こえ始めた。

老人の声が何かぼそぼそと呟いている。


「海は陸を作り風を作り、陸からはおのずと植物が芽生えた」

祝詞のような言葉だ。それとも呪詛か?いずれにせよもっと音を取り入れなければ…。

「先生。準備終わりました」

若い男性の声だ。光が徐々に蘇る。

「ありがとう、シヴァド」

老人は長い白髪を後ろに流して、擦り切れた濃い緑のローブを身にまとっていた。笑顔で皺がより深くなっている。男性は思いのほか若く、少年と呼んでいい年齢に見えた。背は高く、人並みに筋肉もついているようだった。濃紺の前髪の隙間から少し大きい目が俺を見ている。

「あの、それはなんですか?机の上のそれ」

老人はこちらを振り向いて、信じられないというように俺をまじまじと見つめた。「これは…!」

震える右手で俺を持ち上げる。


「神の石だ…!」

そんなわけないだろう。

「本当ですか先生!?」

そんなわけないだろう。

何を言っているんだ。新興宗教か何かなのかお前らは?

にしてもペットボトルのキャップを崇める宗教とは世も末だ。確かに俺は他の無様で不細工なプラスチックどもよりは遥かに整った見た目をしているが、流石に神ではない。

「神になりたいと思ったことはあるが…」

老人と少年はぽかんとした表情で俺を見た。


いや、一番驚いているのは俺だ。


こんなことは今までなかった。


「まさか…天啓か…?」

老人が俺を手に取り、指先に慎重に力を籠める。

「天啓ではないと思うぞ。俺はその、お前らが神の石と呼んでいるそれだ。喋ることができるというのは俺も今初めて知った」

少年は目を輝かせてこちらを見ていた。あまり俺のことを奇異な目で見ないでほしいのだが、それは叶わない願いだということらしい。なぜこんなことになっているのかははっきりしないが、まだ異常者の巣窟に俺は囚われている。

「意思疎通ができるんですか」

「うん。話しづらいからあんまり畏まらないで、魂みたいなもんだと思って話しかけてほしいんだけど」

敵意はないらしいのが救いだ。まあ善意が翻って不都合になることもあるかもしれないが、敵対してるよりはまだいい。俺も俺を失うわけにはいかないのだ。

「このタイミングでこんなことが起きるとはな…神は常に人を弄ぶ」

まあそれには同意する。

多分これは瞬間移動か何かだ。外から野鳥の鳴き声や木々の擦れる音が聞こえるので、場所はどこかの山奥だろう。ただ、室内にはランプが灯り、床には本や紙が散らかっている。俺が置いてある文机は年代物で、壁には壁紙が貼られている様子はなく木の板が整列して打ち付けられている。こんな内装の家屋は、日本国内で見たことがない。

「とりあえず今日は寝ようか、シヴァド。この出来事はまだほかの誰も知らないはずだ。時間がないわけではないだろう」

「はい、先生。あなたもそれでいい?」

「いいぞ。俺もちょっと冷静になる時間がいるからな」

シヴァド少年の提言を、俺は肯定した。それを聞き取って、老人には先に寝るようにと杖を差し出した。その杖を突くわけでもなくただ持って、老人は「おやすみ」と言って部屋を出た。

「さてと、片付けるか…」

シヴァドは散らかった部屋を眺めた。

「汚いけど片付くのか?」

「すぐです…すぐだよ」ぎこちない馴れ馴れしさを言葉に滲ませながら、シヴァドは手をかざした。何が起きるのだろうとぼんやりと眺めていた。


眺めていたのだが、凝視することになった。


本も紙も次々に浮き上がり、意志を持つように整頓されて並び始めている。

色も大きさも揃った本が、大きな幾何模様の描かれた丸められた紙が、部屋の真ん中に集まりながら自分自身をコンパクトに纏めなおしていた。

全部が片付くまであっという間だった。法則性をもって積まれた本の塔の底辺に沿って、巻かれた紙がいくつか綺麗に寝転がっていた。

「魔法を使えばすぐでしょ?」

俺に口があればあんぐりと開けっ放しになっていただろう。

少年は穏やかに俺に微笑みかけた。

「おやすみなさい」

シヴァドはランプを消して部屋のドアを閉めた。冷静になろうとしていた俺は、かえって冷静さを失いつつあった。

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