5輪目 タイムカプセル
「えいーやっ!」
少女は少々間の抜けた掛け声と共にスコップをざくりと地面に刺して、土を巻き上げる。
青い髪をボブカットにした少女、
幾らか土を掘り返した彼女はスコップをざくりと地面に突き立てて、それに片腕を乗せた姿勢で額に浮かんだ汗をジャージの裾で拭った。
「ふぅ、けっこう掘れたでしょ」
汗をぬぐった少女は懐中電灯と期待のまなざしを地面に向ける、彼女の期待通り地面には十分な段差が出来ていた。
彼女の柔らかな雰囲気に違わず、その腕は細く折れそうなものだったが、どうやら見た目にそぐわぬ腕力を秘めているようだ。
薄雪がスポーツドリンクを傾けて休憩していると、木々の間隙を満たす暗闇から溶け出したように黒髪黒服のバッグを持った少女が現れた、
彼女は穴を品定めするように穴の傍でしゃがみ込むと、青のインナーカラーが入ったセミロングの黒髪を揺らしてニヤニヤとした表情を浮かべた。
「深夜の山奥で少女が一人穴を掘っていた……事件の匂い」
「もう、
彼女の名前は
「や、三日ぶりだねゆあ。見て、喪服をイメージして今日は真っ黒コーデにしてみた」
朱梨はニンマリとチェシャ猫のように笑うと、自分の格好を見せつけるように立ち上がり腕を広げた。
「パジャマが黒いだけでしょ、もう……あんなことがあった後だから、どんな顔で会えばいいんだろうって悩んでたのに。心配してたのがばかみたいじゃん」
無邪気に振る舞う朱莉に、疲れたようにため息をついた薄雪はアンニュイに微笑んだ。表情に潜む感情の割合としては疲労感が六割、喜びが四割と言ったところだろうか。
薄雪は地面に寝かせておいたもう一本のスコップを手に取ると、不安げな質問と共に差し出した。
「……ところで大丈夫だった? ちゃんと抜け出せた?」
「だいじょーぶ、お父さんとお母さんはいまごろ私が病院のベッドで余命を数えて泣きはらしてると思ってる。あの時の私は舞台女優だったよ」
朱莉は悪戯っぽく舌を出してスコップを受け取ったが、そんなファニーな態度に対して言葉は不穏なものだった。
彼女はその小さな体に大きな病魔を抱えていた。
それは現在進行形で着実に彼女を蝕んでおり、命の灯はあとわずかだった。
とはいえ本人も薄雪もありもしない解決策を模索したり、全てに対して無意味に絶望したりするような時期はとっくに通過しており、だからこそ彼女は死神が傍らに控えていようともあっけらかんとしていた。
「騙すのはよくないよ……? けど、そうだよね。お父さん、二度と会わせないって言ってたもんね……」
朱莉たっての希望で二人は三日前に朱莉の両親に関係性を明かしていた、命の灯が消えてしまう前に自分が一番大事にしている物を知ってほしかったのだろう。
果たして結果は惨敗、朱莉の両親は取り乱し逢瀬を禁止されてしまった。
「どころか墓参りすらさせないって言うくらいだからね。私が弱ってるところに付け込んだんだって、結愛の事をまるで魔女みたいに言ってさ。同性の恋愛くらい今じゃ普通なのにね、大人は頭が固いよ」
ガリリと不協和音を奏でて薄雪のスコップのリズムが乱れる。
薄雪のスコップは空を切るばかりで、見やればその表情は餌を取られた子犬のようにしょんぼりとしている。
「ごめんね……私がもっとしっかりしてれば説得できたかもしれないのに」
慌ててスコップを投げ捨てた朱莉は、薄雪の細く折れてしまいそうな体を抱きしめて頭を撫でた。
「こら、ゆあは悪くないって何度もメッセージ送ったでしょ。それに、だからこうやって穴を掘ってるんじゃん。中々イカした案を考えたんだから、もっと胸を張りなさい」
「ありがとう……ごめんね……」
朱莉に慰められて元気を取り戻した薄雪は、目元を手で拭ってから顔をあげて背後の朱莉に尋ねる。
「ちゃんと埋める物はもってきた?」
「もちろん、選ぶの大変だったよ。あんまり入らなかったから」
彼女はポケットから小さな銀色の容器を取り出す。
側面にはタイムカプセルである旨が書かれており、彼女たちが穴を掘っていた理由は恐らくこれらしかった。
「お墓に行けないなら代わりに二人の物を埋めようだなんて、ロマンチックな事を思いつくね」
「……ちっちゃい頃タイムカプセルの絵本を読んでから、ちょっとあこがれてて」
褒められた事か、はたまた幼い憧憬を語った故か、照れくさそうにぼそぼそと言葉を紡いだ薄雪は話題を逸らすようにタイムカプセルに触れる。
「何を入れたの?」
「ゆあから送られてきたバイトの愚痴大全集」
「もう!」
ぷりぷりと怒る薄雪にけらけらと笑った朱莉は、タイムカプセルを緩く振った。
カラカラと何かが転がる音に想い出を想起した朱莉は微笑みを浮かべて、薄雪の真っ白になった小さな手にそれを握らせる。
「ゆあとの想い出全部だよ、初めて一緒に行った動物園のチケットと、そこで買ったキリンのストラップ。ゆあから貰ったキャラメルの包み紙。初めてデートした日の日記も入れちゃった……それとね、これが一番思い出深いものかな。一緒に買ったペアリング」
薄雪は空を見上げ、樹冠の間隙から顔を覗かせる三日月を見て、その美しさにため息をついた。
「私が太陽で、沙華ちゃんが月だったね」
「そうそう、宝物だよ。……懐かしいね、最初はペアペンダントにしようと思ってたのに、ペンダントは一つしか買えなくて、それで私のかわいい彼女は『私の分はいいよ、そんなに大人っぽいの私みたいなちんちくりんには似合わないし』って言ってたよね。ゆあの方が欲しがってたくらいなのに」
「だって沙華ちゃんも欲しがってたから貰うわけにはいかなかったし……それにいいの、だってペアリングもとってもお気に入りだし」
朱莉は腕の中の薄雪を覗き込むように尋ねた。
「ところで、ゆあは何を入れたの?」
「私はね――――」
是非とも聞いて欲しかったとばかりにぱあっと笑顔を浮かべた薄雪は、足元の鞄からカプセルを拾うと嬉々として中身を語り始めた。
二人はカプセルの内に込めた想い出を体が冷え込むまで語り、それからやっとそれらを穴の中にセットした。
「ちゃんと埋められた、これでよし。なんかこういうのってワクワクするね」
疲れを感じさせない様子でカプセルを埋める薄雪に、沙華はおでこに浮かんだ玉のような汗を拭いながら尋ねた。
「ゆあ、出来たなら埋め戻しちゃうよ?」
「あ、待って待って! もう一つ埋めなくちゃいけないのがあるの」
朱莉がこの世を去ってから五度目の春。薄雪は再びこの場所を訪れていた。
あの時と変わらぬジャージ姿で、同じスコップを持って。
五年という月日を反映するかのように薄雪の青い髪はロングヘアになっていて、耳にピアスの穴が開き、表情もいくらか大人びていた。
「三か月ぶりだね、沙華ちゃん」
ここを掘り起こすのは五年ぶりだが、薄雪はあれからここを定期的に訪れては沙華に想いを馳せていた。
墓前のように添えられた花を退かして、卒塔婆のように突き立った木簡を取り除き、大きく息を吸って地面にスコップを突き立てた。
時間が立ち植物が根を張ってしまった土を掘り返すのは中々に骨の折れる作業のはずなのだが、五年たった今でもその腕力は健在のようで薄雪はあっという間に掘り返してしまった。
目的の物をすべて掘り出した彼女は、土まみれのカプセルを手に取ると、専用の工具をあてがった。
中から出てきた品々は若干の時間の経過を感じさせるものの、セピアには程遠い新鮮な過去を届けてくれた。
そこに宿っていたものはため息であり、微笑みであり、嗚咽であり、郷愁であった。
彼女がもちうる感情を一通り発露させた薄雪結愛は、朱莉が埋めたカプセルの中に明らかに見覚えのない物が入っている事に気づく。
それは小さな箱と、朱莉沙華の名が刻まれた一通の手紙だった。
『や、五年ぶりだね。ゆあ』
洒落の利いた気さくな挨拶から始まった文章は、たった一通の手紙にも関わらず薄雪を五度は泣かせただろう。
かつてしていたような世間話から始まり、五年後の世界はどうなっているのかという妄想に代わり、その世界のゆあの隣に自分が居ないことを心配して、次にもし未だに失った事に苦しんでいるのなら今日を最後にそれをやめるべきだと書いてあった。
そして最後にまだ見ぬ五年後のゆあの姿に想いを馳せ、『きっと髪はロングにしてる』だとか『ピアスをつけてるかもしれない』等の推測を書いていた。
失ってしまった恋人に現在の自らの特徴を当てられて再び嗚咽を漏らしたのもつかの間、結びに書かれていた文章を読んだ彼女は居ても立っても居られず、はじかれたように同封された箱を開いた。
『なんてかいたけど、ゆあがどんな姿になっているかはわからないや。けど、どんな姿でもきっとこれが似合う素敵な大人になってると思うから、私の宝物をあげるね。一番大事な人から譲ってもらった、命より大事な宝物』
箱に入っていたのは皆既日食を模したレリーフが刻まれた銀色のペンダントであり。
それはかつてペアにするはずだったペンダントでもあり。
とても欲しかったが朱莉に譲ったペンダントであった。
薄雪は涙と声を山奥に響かせながら崩れ落ちるしかなかった。
彼女はまるで今まさに恋人を失ったように涙を零しながら、穴を作った時に最後に薄雪が埋めた物を抱きしめ、声にならない声をなんとか形にした。
「ありがとう……沙華ちゃん……一生、一生、ずっと一緒にいようね」
ぼろぼろと涙を零す彼女の胸に抱かれているのは、最後に埋めた物――――正確にはその一部。
土のついたしゃれこうべだった。
三千文字の花束を @hosizoranotabibito
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