4輪目 死ねない少女に手向けの花を

 少女は、息を吐く。

 肘を膝に当て、余分な力を抜き、スコープ越しに目標の体を捉える。

 そして指を曲げた。


 黒鉄の銃身が跳ね、特殊な金属によって形成された磁界を発生させる弾丸が飛翔し、十五メートル先の目標の脚部に命中。

 体から棘のように無数の鉱物が生えた人型の怪物は聞くに堪えない悲鳴をあげ、錆びついた機械のようなぎこちない動作で地面に倒れ伏した。

 市街戦用のグレーの戦闘服に身を包んだ少女であるシラー・エルトルズは構えていたライフルを投げ捨てると、美しい白髪を靡かせ背後の黒髪の少女の元へ走り寄る。


「大丈夫ですか、ストック先輩!」


 壊れたビルの残骸に寄りかかってぐったりとしている黒髪の少女、ホワイト・ストックは顔立ちからしてエルトルズよりも僅かに年上だろうか。

 彼女の腹部から流れ出している赤色は、黒色のアスファルトに流れ出でて毒々しい池を形成している。

 ストックは表情を歪め痛みに呻きながら姿勢を変えて、小さく笑った。


「うん、大丈夫。ちょっと死に瀕してるだけだよ」

「冗談言ってる場合ですか先輩!」


 エルトルズはストックの腕を掴み動脈に治療用アンプルを打ち込むと、肩を貸す形で彼女の懐に潜り込む。


「ほんとに先輩は私がいないとダメなんですから……一緒に回収地点まで行きますよ、肩を貸してあげますから」


 力強くアスファルトをブーツで踏みつけ、ストックを支えて立ち上がろうとする。

 しかし右肩にのしかかった体重はいやに重く、エルトルズは出鼻をくじかれ慌てて前足を踏み出した。


「先輩……?」


 エルトルズはゆっくりと横を向いてストックを表情を伺う。その動作は優しく語り掛けるようでもあり、恐ろしいものを見るようでもあった。


 そしてエルトルズの瞳に映ったのは、普段と変わらない飄々とした表情。命に関わる大怪我を負った人間とは思えない平静さだった。

 ストックは静かに笑うと、諭すような口調で、


「わかってるでしょう?」

「……」


 言葉の代わりにブーツが擦れる音だけが返ってくる。


「じゃああたしのモニターを読み上げようか?」


 ストックは自らの右腕に備え付けられたヒビの入ったモニターを顔の傍へと寄せ、そこに記載されている文字を読み上げようとする。

 しかし横から伸びてきたエルトルズの手がその腕を掴み、モニターを乱暴に取り外した。

 彼女は顔を伏せたままモニターのタッチパネルを操作し、記録されている情報に一通り目を通すと、それをポケットにしまった。


「……結晶浸食率ストガレアは十パーセントでした、まだ助かります」


 無理やり作ったような笑顔に、絞り出して掠れた声。

 口よりも事実を語ってしまっているその顔に、ストックは頭を預けて寄りかかる。


「戦場での虚偽の報告は重罪だよ。本当は三十五パーセントってところじゃない?」

「っ……確かに、臓器は幾らか結晶化してるかもしれないですけど、移植手術をすれば助かりますよ。私の血でも、臓器でも、なんでもあげますから……」

「なるほど、じゃあ三五パーセントじゃないね、五十パーセントだ」


 やり場のない感情をため息として吐き出したエルトルズは、ストックに貸した肩を引っ込め彼女にもたれ掛かった。


「規則はわかってるよね? 結晶臨界ゾーンに瀕している人間は――――」

「人道的配慮を行ったのち、可及的速やかに終了されなければならない。わかってますよ!」


 ストックの言葉を奪い取り規則を諳んじた彼女は、ひび割れたアスファルトに拳を打ち付ける。


「私は嫌です……だってだって先輩と一緒に色んな事したかったんです。一緒に銃のデカールを描きたかった、新しい料理カートリッジを試したかった、もっともっと訓練したかった……それで戦いが終わったら、一緒に老いて死にたかったんです。なんで、こんな」


 エルトルズの戦闘服の胸元のに黒い斑点が幾つも生まれた、それが数を増やす度、割れた唇から願いが零れていく。

 そのどれもが粗末な夢だったが、壊れかけた世界では精いっぱいの欲張りだった。

 彼女が十個目の願いを口にした辺りで、ストックの体が小さく揺れる。

 

 思わず体を離したエルトルズが右を向くと、まるで連鎖するようにストックも慌てて右を向いた。

 しかし体が小刻みに揺れているのはまるで隠せておらず、しまいには少々不自然なくらいに愉快そうな笑い声が聞こえてきた。


「なんで笑うんですか」

 

 エルトルズが涙でぐちゃぐちゃになった顔でむっと頬を膨らませると、ストックは振り向かずに答えた。


「悪いね、ちっちゃい夢だなと思ってさ」

「なっ……」


 ストックは右腕で髪をかき上げながら振り返ると、どこか遠くを見つめるような表情で、壊れ物を扱うように静かに口を開いた。


「あたしはね、一緒にスイゾクカンに行きたいな」


 その聞きなれない響きに聞き返すエルトルズ。先ほどまでのむくれた表情は消え失せ、再び泣き出してしまいそうな声色だった。


「スイゾクカン……外国の言葉ですか?」

「ううん、あたしたちの言葉だよ。二十年前のだけどね……そこには大きな水槽があって、本当に色とりどりの魚がいるらしいんだ」


 エルトルズは自らの戦闘服の胸元にピンで止められていた白黒ボーダーの魚のストラップを手に取り、呟く。


「魚……」


 ストックは瞳を細めると、失ってしまったものを懐かしむように切なそうに笑う。


「あげた時と同じ反応をするんだね、君は。そういう姿の生物がその色の豊かさを競うように大きな水槽で踊ってるんだよ。きっと綺麗だったろうね」


 喉を鳴らしてしゃくりあげたエルトルズ、涙のせいでぼやけてしまう声を歯を食いしばって辛うじて意味あるものにする。


「……行きましょうよ、生きて、行くんです」

「あたしもそのつもりだった、生き延びて、いつか再建されたスイゾクカンに君と行く。なんだったらあたしたちで作るのだって悪くない」


 そこで唐突に言葉が切れた。

 本能的に嫌な予感を感じ取ったエルトルズは、涙を振り切って顔をあげた。

 そこには穏やかな、本当に穏やかな表情で見つめるストックが居た。


「そこで虹色に煌めく水槽を見つめる君の横顔に――――好きだよって、告白する」

「っ……」


 それはエルトルズが望んでいた言葉だった、何よりも待ち望んでいた。

 愛する人が頬を染めながら、想いの籠った真っすぐな瞳で見つめて、その言葉を伝えてくれる時を夢に見るほど待ち望んでいた。


 しかし目の前の愛する人の頬は血の気を失って白く、瞳は最奥まで諦観の色を灯し、響く声色の感情は羞恥ではなく回顧だ。

 それらが持つ意味は、結ばれるとは程遠く、決別をはっきりと示していた。


「お別れ、しなきゃなんですね……」


 エルトルズは澎湃と溢れだす涙を噛み殺して、静かに答える。

 彼女はただの夢見る乙女ではない、酷薄な世界に生れ落ちて七歳の頃より銃と共に生きてきた。いつだって終わりは傍にあった。


 例え十四の頃に手にしたぬくもりが今にも失われようとしていても、彼女を構成する十七年が彼女を律していた。


「規則では君に介錯してもらわなきゃだけど、私は自分で死ねるから心配しないで。君にそんな事はさせられない、きっと癒えない傷になる」


 最愛の人にして人生の目標である女性は、終わりを悟っても泣き言も言わなければ、それどころか相手の事を気づかえる人間だ。

 ならばエルトルズもそうするしかなかった、せめて最愛の人にカーテンを引いてあげたい気持ちを抑えて、粛々と頷いた。


「……わかりました」


 けれどせめて許された場所までは尽くそうと、瓦礫の下に転がるストックのイニシャルが刻まれた拳銃を拾って彼女に差し出した。


「ありがとう、ここからは自分でやるよ。最後まで君に頼りっぱなしじゃ先輩としてアレだしね」


 ストックは手を伸ばして拳銃に指をかける、一本一本指を掛けてやがてグリップを握る。


「愛してくれて嬉しかった、世話してくれてありがとう、想い出をくれてありがとう、全部全部ありがとう」


 まるで繋がりを失ってしまうのが惜しむかのようにゆっくりと掴んだ拳銃を、ストックの手から受け取った。


 そしてチャンバーチェックで残弾があることを確認すると、飄々とした微笑みを浮かべた。

 いつも以上ではなく、いつも以下ではない、普段通りの微笑みだった。


「さよなら、君はもう行きなよ。愛する人の記憶に残る最後は笑顔がいいからさ」




 ビルの屋上に続くドアを開けた途端、強風が吹き抜ける。

 灰燼と血の匂いを含んだ、思わず倦んでしまうよう寂寥感に満ちた風。

 エルトルズは荒れ狂う自らの髪の毛を跳ね除けると、右腕に備え付けられた端末を操作する。


 そしてGPSを起動し自らの場所が回収地点であることを確認し、長い息を吐く。

 それは安堵の溜息であったが、それにしては悲しみの色を含み過ぎている。

 彼女は暫く空を見上げてヘリの到着を待っていたが、端末に入った通知で到着が遅れることを知ると我慢できずにビルの縁へと身を乗り出した。


 そして懐から取り出した双眼鏡を構えると、そのスコープを三十分ほど前まで自らが居た場所へと向けた。

 そこには変わらず瓦礫によりかかるストックの姿があった、ここからの角度では後ろ姿しか見えず生きているかどうかもわからない。


 エルトルズは顔をしかめて葛藤したのち、意を決して双眼鏡に装備された指向性収音マイクをONにした。

 最初は雑音があった、化け物の咆哮や銃声だった。

 そしてそれらの雑音をかき分け、小さな独白がスピーカーから響いた。


「嫌だ……怖いよ、死にたくない……」


 その弱々しい声色は、間違いなくストックの物だった。

 飄々とした先輩はそこには居らず、ただただ少女が助けを求める声だけが在った。


「助けて、シラー」


 エルトルズは無言で背中のライフルに手を伸ばす。

 それから、絞り出すように息を吐く。

 震える肘を膝に当て、余分な力を抜こうと努力して、揺れるスコープ越しで愛する人を見つめる。


「先輩は……私がいないと、本当にダメなんですから」


 頬を伝った一筋の涙に、爆光が輝いた。

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