2輪目 愛の証明

 風が吹くたびに、傘から滴り落ちる雨が制服に斑点を作る。

 轟轟と水音を立て自動車が走り去ると、跳ね上げられた水が靴下を濡らす。

思わず憂鬱になってしまうような豪雨の中の下校。

 

 けれど、暖かい時間。

 だって、隣には大好きな人がいるのだから。

 隣を向けば、ほら、静かに歩を進めている彼女が目に入る。

 

 黒檀の如き長い黒髪に、彫像のようにすらりとした体、色気ある切れ目。

 学校の紺の制服の袖からは、ほっそりとした綺麗な白い腕が伸びて傘を支えている。

 何処を取っても神秘的な彼女の名前は天竺てんじく灯火とうか、私、薺奈なずなななは彼女の事が堪らなく好きなのだ。

 

 そんな彼女との久しぶりの下校なのだ、嬉しくないわけがない。

 以前はいつもこうだったのだけれど、半年前に灯火ちゃんに恋人が出来てからはめっきり減ってしまった。

 だからこそこの貴重な機会に限界まで堪能しておこうと灯火ちゃんを眺めていたら、そのゾッとするほど綺麗な瞳が私を指す。


「なに、その笑顔。私の顔はそんなに面白いかしら」


 私はいつの間にか笑ってしまっていたのだろうか? 不思議に思って、充電切れのスマホに顔を反射させると自分でもびっくりするくらいの笑顔だった。

 沸き上がる幸せを少しも溢さぬように心にしまっていたつもりだったのだけど、どうやらしまいきれて無かったみたいだ。

 

 でも、それも仕方が無い事だと言いたい。久しぶりの一緒の下校というだけでなく、今回は初めて灯火ちゃんから誘って来たのだ。

 そう、あれは下校前に当番として黒板を消していた時の事。


『奈菜、今日は一緒に帰っても良いわよ』


 一言だけ伝えて来た彼女、いつもと変わらぬ、けれど少し寂しそうな瞳で。

 勿論、私は二つ返事で了承して、今に至るというわけだ。

 とはいえ、特別何かを話したりするわけではない。


 だって、私は灯火ちゃんの横に居られるだけで幸せなのだ。

 以前からこうだった。言葉を交わすことなく、ただ一緒に歩く。

 おそらく世界で一番幸せな静寂だろう。

 帰り道にある歩道橋を登りきると、珍しく灯火ちゃんが口を開いた。


「ねえ奈々、あなたは私のこと好き?」


 突然の質問、びっくりして足を滑らせそうになる。


「う、うん。大好きだよ? 前に告白したじゃん。見事に玉砕したけど......」


 私は彼女のすべてが好きだ、ミステリアスな雰囲気に、絶世という枕詞が似合う横顔。

 魅力は語り切れないが、とにかく私は彼女に惚れてしまっていた。

 同性同士ではあるが好きになってしまったのだから仕方がない。

 だから私は彼女に告白した、でも玉砕して終わってしまった。

 けれど、驚くほど関係性は変わらなかった。


「そう」

「灯火ちゃんは変わってるよね、普通同性から告白されたら引いちゃうのに、灯火ちゃんは変わらず友達でいてくれてる」


 そう、灯火ちゃんは変わっているのだ。

 私は二度と相手してもらえない覚悟で告白して、断られた。

 でも彼女の態度は全く変わらなかった。承認しなければ拒絶もしなかったのだ。


「そうかしら。よほど貴方達の方が変わってるわよ。不変の愛なんて約束できないのに、愛を囁くあなた達の方がよほど狂ってるわ」


 侮蔑するように呟いた彼女の瞳は、私を誘った時と同じだった。

 もしかしたら、彼女は――――

 考えてしまった悲しい可能性に心配になった私は、居てもたってもいられず、聞いた。


「灯火ちゃん、もしかしてフられちゃった?」


 返事は直ぐには無い、その代わりと言わんばかりに凍るような視線が私を刺す。

 しばらく私を睨み付けあとに、灯火ちゃんは溜息をついて、


「半年、半年間よ。それだけ付き合って気づいたんだって」


 やはり私の予想は当たっていた、突然一緒に帰ってくれたのはそういうことなのだろう。

 失恋の痛みを、軽々しく愛を口にした彼への怒りを、そして一抹の寂しさを誰かにぶつけたかったのだ。

 

 けれども、それは幸せなことだった。

 どんな形であれ、私を必要としてくれるのあれば私は嬉しいのだ。


「でも彼のお陰で気づけたことがあるわ。恋人だとかそうやって特別な名前をつけて感情を固定しようなんて考えが嫌いなんだってこと」

 

 怒りを露にして吐き捨てるように言葉を紡ぐ灯火ちゃん、堰を切ったように思いの丈を口にする。


「流行りのバンドの流行が過ぎたら飽きてしまうように、小さいの頃の好物が大人になってそうではなくなるように、幾らでも人の好きなんて移り変わってしまうのに。なのに人は変わりうる一時の感情で誰かと特別な関係を結ぼうとする。それが受け付けないの、気持ち悪い」


 灯火ちゃんは傘を放って、濡れた欄干に手を落とす、冷たさのせいかその手は震えていた。


「……でも私は灯火ちゃんのことを一生愛せる自信があるよ?」


 彼女の傍に立ち、震える手に自分の手を重ねる、想いが良く伝わるように。


「彼も同じことを言ったわ、私の手を握りながらね。もう信用出来ない、そんな言葉。一時の感情を死ぬまで維持出来るわけないもの」

 

 けれども灯火ちゃんの表情は晴れない、どころか唾棄するように怒りを叩きつける。

 その彼女の言葉に、私は珍しく反感を覚える。

 私の気持ちを軽視されてしまったみたいで、納得いかなかったのだ。


「そうかなあ、少なくとも私はずっと灯火ちゃんが好きだよ? 灯火ちゃんが望むなら、幾らでも証明してみせるよ?」

「……みんな、同じことを言うのね。じゃあ、証明して貰おうかしら」


 殊更冷たい声、こっちを見るゾッとするような表情。

 雨を切り裂いて彼女の腕が迫ってくる、私は反応する間もなく首を掴まれた。

 手を離れ空を舞う傘、背中に押し付けられたのは欄干の冷たい感覚。


 灯火ちゃんの手の力はさらに増し、いつしか私は欄干から身を乗り出す形になっていた。

 雨が私の顔を叩く、灯火ちゃんの濡れそぼった髪から覗くのは凍てつくような視線。


「ねえ、本当に私が好きだって言うならさ、抵抗しないで。死ぬまで愛せるんだよね?」


 言われて気づく、なぜ私は歩道橋から落ちてないのだろう。

 答えは手元にあった、私は驚きのあまり無意識に欄干を掴んでしまっていたらしい。


「ごめん、ごめんね」


 無意識とは厄介なものだ、私の愛の証明を邪魔するなんて。

 私は、躊躇う事も無く欄干から手を離した。

 

 そうかからずに訪れる衝撃、硬い物が砕ける感覚と音がする。

 けれど、不思議な暖かさもあった、雨が降っているのに体も心も温かい。

 でも、この思わず眠ってしまいそうな程に暖かい時間はそう続かないだろう、轟轟と水音を立て自動車が迫ってきている。

 だから、ふわふわする意識の中で、紡げる限りの声で伝える。


「大好きだよ、灯火ちゃん」


 なんて幸せなんだろう、大好きな人に愛を証明できるのって。




 高校生程の女の子が、山道を歩いている。

 とても大きなバックを重そうにしながら運んでいる。

 彼女の視線の先には墓地、大小さまざまな墓石が立ち並んでいる。

 

 女の子はその中の一つの元に向かう。

 墓前で線香をあげ、献花し、愛おしそうに話しかけた。


「またダメだったわ、奈々。なかなか貴女みたいに素敵な人は居ないみたい。最後まで好きって言ってって伝えたのに、みんな最後は『助けて』『ごめんなさい』 『人殺し』なんて言葉ばっかり。でも、私は頑張るわ、死ぬまで愛してくれる人がいるんだってあなたから教わったから」


 彼女は立ち上がり、重そうなバックを両手で持つ。

 そのまま、彼女は墓地の奥にある山道へと向かった、終わった恋に区切りをつけるために。

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