ミルフィーユを食みながら

 クリスマスを彩るイルミネーションの眩さに目を細めながら、「ああ、もう一年が終わってしまうのか」としみじみとした感慨に耽る。もうかれこれ十年近く前から、この時期が訪れる度に繰り返される光景ではあるのだけど、ここ数年その感想が実に穏やかなものに変化してきた気がする。

 これまで二十代、三十代と年を重ねるごとに、「ああ、アレが出来なかった」「コレがしたかったのに」などと完遂出来なかったことを指折り数えては反省して、そのうえで「来年はアレを完遂させよう」「コレをここくらいまでは仕上げて〜」などと来年の目標を設定して自分を奮い立たせていた。

 なのに、それが一昨年辺りから、「アレをここまで進められた」「コレをここまで達成出来たぞ」と、回顧の内容がネガティブ寄りからポジティブ寄りなものへと自ずと変化するようになった。また反省内容や目標設定も、以前は高めに設定していたものが、去年今年と随分を穏やかなものになっていた。

 意識したつもりはないのに、いつの間にか自分を甘やかしている自分がいる。数年前までなら、ここいらで「気合入れろオラッ! 気合だ気合だ気合だー」と某アニマル氏ばりの雄叫びを上げながら自分を律していたのだが、そんな気すら起きない。感情を波立てるよりも、常に穏やかな心地を求める自分がいる。ああ、これが加齢というヤツなのか。寄る年波には勝てないというヤツなのだろうか。

 そういえば、先日購入して出勤途中に読んでいるオードリーの若林さんのエッセイに、『悩むって、体力なんだな』『ネガティブは、有り余る体力だ』などと記されていて、電車の中で大きく頷いてしまった(もちろん心の中で)。言われてみれば確かに、この頃面倒事に出くわしても真正面から受け止めようとせず、多少受け止めた上で一旦横に置くか、あるいは外へ受け流すようになった気がする。良く言えば、エネルギーの使い方が上手くなったのだろう。ガスバーナーから高く噴き上げ続けていた赤く脆い炎が、空気を含める事で青く低い安定した炎に変化させるように

 とはいえ、まだ人生折り返しにも差し掛かっていない(であろう)段階から、こんな丸くなってしまっていいのだろうか。正しいのか否か、私にはわからない。ただわかるのは、これもまた一つ大人になったという事だけ。

 ひとまず、今年は無事健康に、且つ家族含めて平穏に一年を過ごせた。来年も引き続き平穏に過ごせる事を第一に、もう少し執筆活動にも本腰を入れていきたいものです。

 ……願わくば、リワードを受け取れるくらいには、頑張ってみようかな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る