第五話 現実


「ようやく出たわね!!」


 待ちに待った魔物にレベッカが吠える中、俺は視界に収めている薄みがかった黄緑色のウサギの魔物に既視感を抱いていた。


 その見た目は色こそは違えども、【えちダン2】のダンジョン低階層で何度も見たホーンラビットという魔物にそっくりだったのだ。


 既視感の正体に気付くと多少なりとも口角が上がってしまう。


 こうして実際にゲームで見た魔物と類似した魔物に遭遇すると、ここがえちダン2の世界なんだと思わずにはいられない。

 色こそは違えどもモニター画面で見たモンスターが今まさにリアルで眼前にいるのだ。



 そうしてウサギの魔物を注視していると、どうしてか、俺たちをあまり警戒おらず、何かから逃げてきたかのように焦っているように感じた。


「私の獲物よ!手を出したら許さないから!」

「まっ…」


 待って、そう言いかけるも時すでに遅かった。


 レベッカは腕を前にかざし、手のひらをひらけた。

 淡い光が彼女の手先に集まっていく―。


「『火華ひばな!』」


 レベッカが勢いよくスキルの名称を発した。


 直後、彼女の手のひらから野球ボールくらいの大きさの火の玉が放出された。


 中々の速さで魔物に向かって飛んでいく――が。


「ちっ!」


 ホーンラビット(仮)はレベッカのスキルに臆することなく、素早く跳躍して回避してみせた。


 身のこなしはかなりのもののようだ。


 放たれた『火華』は地面に着弾すると、一筋の火の粉が舞い、辺りを焦がして消滅していった。


 レベッカが放ったスキル『火華』は【えちダン2】における火魔法に分類される初級スキルである。


 ゲーム画面上では火のエフェクトが花のように表現されていた。

 それを知っているとたしかに、着弾時に一筋の火が辺りに飛び散っているのが花のようにも見えるのだ。


 よく再現されているなと感嘆する。



 スキルとは主に武器術と魔法の大きく分けて二つに分類されている。


 中でも魔法に分類されるものは多種多様だ。


 火や水や雷といったあらゆる属性攻撃。

 また、属性を持たない固有の特殊スキルといったものが魔法に分類された。


 片方の武器術スキルは、属性を武器に付与して攻撃を行うものや、自らの限界を超えた技を放つものがこちらに分類される。


 以前バリーが放った『修羅一刀しゅらいっとう』や『速斬クイックスラッシュ』なんかが武器術スキルにあたる。


 これらの2種類のスキルには初級・中級・上級といくつかの等級で分かれているものがあり、強ければ強い者ほど等級が上のスキルを習得していたりするわけだ。


 レベッカが放った『火華』は初級スキル。

 いくら彼女のレベルが高くとも、子供の中ではというだけだ。


 ホーンラビットとの距離は十五メートルほど離れていたため、初級スキルでは当たらないのも無理もないことだろう。



 跳躍したホーンラビットはそのまま俺たちに目もくれず、そのまま垂直に曲がり駆け出して行ってしまう。


 え……?


 それを見て俺はやはり不思議に思った。

 これだけ逃げ出す魔物が果たしているのだろうかと。


 確かに普通の動物であれば、逃げるという選択はごく当然だともいえる。

 しかし、相手は今まで人間を脅かし続けてきた魔物なのだ。断じて普通の動物とは訳が違う。


 ゲームでは逃げ出す魔物はいなかったし、こちらの世界の書物や文献でも魔物は凶悪という印象が強かった。

 けれどウサギの魔物は襲ってくるどころか逃げ出す一方なのだ。

 どうしても違和感を感じるざるを得ない。


 そもそもヤツは何をそんなに焦って―。


「なにぼけっとしてんだ!追うぞ!!」

「え、…あ、あぁ」


 ソルドの怒声で思考が断ち切られる。


 気付けば、レベッカはホーンラビットのあとを追いかけていた。


「俺は先に行くぞ。レベッカちゃんのために、あの魔物を足止めしねぇといけねえからな。『影移動シャドウムーブ!』」


 そう言うとソルドは地面に吸い込まれるように消えてしまった。

 地面を見ると、まるで水面に石を投げ入れたかのように円状に波紋が波打っている。


 呆気に取られ、数秒もの間それを見つめていたが、こうしちゃいられないと、慌ててレベッカたちを追いかける。

 意外と離されてしまった。


 ちょっと急ぐか。


 脚に力を込め、地を勢いよく蹴る。

 イメージするのは先ほどのホーンラビットの跳躍だ。


「よし」


 するとホーンラビットの跳躍よりも高く、より速く跳躍できた。


 およそ七十メートルほども離されていた距離がどんどん埋まっていく。

 全力で漕ぐ自転車よりも全然速いと思えるくらいには結構なスピードである。


「追いついた」


 些か時間がかかってしまったが、追いついてみると未だレベッカはホーンラビットを仕留めきれていなかった。


 ずっと魔法スキルを撃ちながらの追いかけっこを繰り広げていたようだ。


 それにしてもソルドの姿が見当たらない。

 自分より早く行ったはずだが、一体どこへ行ったんだろうか。


「ちょこまかとッッ! 鬱陶しいウサギね! 早く倒されなさいよ!!」


 レベッカが吼えるも、ホーンラビットが止まることはない。


 さっさと捕まえてしまおう。そう思い、脚に踏ん張りを入れる前に、ホーンラビットの前方に何かが姿を現した。


「よう、そんなに急いでどこ行くんだよ」


"キュキュ?!!"


 ホーンラビットの眼前には灰色の髪をした少年が立ち塞がっていた。


 先ほど姿が見当たらなかったソルドである。


 ソルドのいきなりの出現にホーンラビットの動きが一瞬止まる。


「でかしたわ!『火華!!』」


 何度も彼女にスキルを放たれていたので、体が反射的に動いたのだろう。

 ホーンラビットはレベッカの声を聞いた途端すぐさま跳躍した。


「おっと逃がさねぇぞ、『影縛りシャドウバインド!』」


 ソルドがスキル名を叫ぶと、地面から真っ黒い縄の様なものが複数飛び出し、それらが一斉にホーンラビットに纏わりついたかと思うとすぐさま地面に叩きつけた。


 あれは魔法スキルでも属性を持たない固有の特殊スキルに分類される珍しいスキルだろう。


 しかし、あんなスキルはゲームで見たことがないな。



 そのまま地面に縫いつけられたホーンラビットになす術はなく、『火華』が勢いよく着弾し、重厚な音が辺りに響いた。


 散々追いかけさせられたレベッカの怒りも多分に含まれているだろうスキルは、ホーンラビットを一撃で屠るに十分な威力だったのであろう。

 焦げたホーンラビットがぐったりと横たわっていた。


「中々すばしっこいやつだったな」

「ふんっ」


 一人では仕留めきれなかったレベッカがヘソを曲げているのはスルーするとして、俺はさっきから気になっていたことを吐露した。


「…それにしてもコイツ、なんであんなに逃げてたんだろうな」

「そんなの俺とレベッカちゃんが怖かったからに決まってんだろ〜俺ら二人いれば余裕で討伐できたわけだし。お前は何もしてないもんな」

「う、そこを突かれると耳が痛い話なんだが……でもコイツは俺たちに会う前から焦っていたように思うんだ。俺たちを無視して逃げてたのもそれが原因だっ―」


 ボフン!


 俺の言葉に被せる様にホーンラビットの死体が突然音を立てて白いモヤを出した。


 薄くなっていくモヤの先にはホーンラビットはすでにおらず、代わりに一本の角と兎の耳が落ちていた。

 おそらくこれが魔物を倒した時に出る素材だろう。


 初めての討伐、初めての素材という訳だ。


「こんな風に素材が手に入るんだな〜! よっしゃ、早く他の魔物もどんどん狩っていこうぜ!」

「おい、まだ話が」


 ソルドが息巻く中、どうしても俺は嫌な予感が拭いきれていなかった。




 そんな時、急に視界を何かが横切った。


 「「「!!?」」」


 何処から飛んできたのか、そのナニカは凄いスピードで地面に叩きつけられ、反動でゴロゴロと転がっていく。


 咄嗟の出来事に混乱しつつも、素早く警戒体制に入る。


 な、なんだあれは……。


 緊張が張り詰める中、俺たち三人はそのナニカの方へ慎重に歩み寄っていく。


 しかし、近づくにつれて猛烈な異臭と血の匂いが鼻を刺激した。


 え、、これ……。



「…人間ヒト……?」



 誰が発した言葉だったろう。


 無意識下の自分だったかも知れないし、レベッカとソルドのどちらかだったかもしれない。


 そう錯覚せざるを得ないほど目の前のモノを受け入れたくなかった。

 しかし、さっきの言葉で脳がこれは現実なのだと突きつけてくる。


 そう理解すると、一気に悪寒と吐き気が押し寄せてきた。


 三人共、自分の中の直感がここに居てはいけないと警報を酷く鳴らしているのに、足が縛りつけれたかの如く、その両眼は惨たらしいソレに注がれ、嫌な汗だけが頬から流れ落ちていく。


 ヒトだったであろう肉の塊ソレはぐちゃぐちゃに抉り出されており、噛みちぎられた内臓や腸などといった臓物が剥き出しになりながらも人間の形をほんの僅かに保っていた。


 この死体、見覚えが――。


 辛うじて残っている衣服と、スキンヘッドの頭。


 朝すれ違ったスキンヘッドの――。


「おぇぇえええぇぇえ」


 俺は、襲いかかる吐き気に耐えきれず吐瀉物を嘔吐した。


 な……、なんで………。

 朝はあんなに元気だったじゃないか。

 どうして。

 なんで。


 そんな返ってこない問いが頭の中をぐるぐると駆け巡る。



 ああ、そうか。


 俺はまだこの世界をちゃんと理解できていなかったのだ。


 鍛錬や喧嘩で怪我をすることはあった。

 しかしそれは殺意のない相手だったからであり、決して魔物相手でもなければ盗賊のような蛮族でもない。

 だから、この世界の現実が未だに分かっていなかった。

 これはゲームと同じ世界でも、ゲームではない。


 現実だ。


 目の前の死体のように魔物に惨たらしく殺されることも、この世界にとっては普通のことなのだ。


 フェリスさんの言葉が、今になってやっとしっかりと理解できた。


 何を勘違いしていたんだ俺は。

 俺ツエー? 剣と魔法のファンタジー世界?


 馬鹿馬鹿しい。


 自分がああなるかも知れないのに、お気楽なもんだと今なら鼻で笑い飛ばせる話だ。


 人をあんなふうに殺すことができる化け物に、勇気を持って戦える人間が前の世界でどれくらいいるだろうか。


 「は、はは」


 乾いた笑いが自然と漏れた。


 しかし、そんな常に死と隣り合わせな世界でも化け物と戦う者たちがこの世界にはいるのだ。


 今では、レベル0でも多少は力がついてきたと浮かれていた。


 心のどこかで、もしかしたらこのままいけば俺ツエーも夢ではないのではと考えていた。


 そんな浮わついた幻想は、戦ってきた戦士たちに対する侮辱だ。


 敵を舐め、戦うことを舐め、世界を舐めていたんだ、俺は。


 俺はそのようの様な戦士になれるだろうか…。


 今はまだわからない。


 けれど、これだけは己に、はっきりと誓える


 決意を胸に。



 俺はもうこの世界を舐めたりなんかしない。



 ……なれば急いでここから逃げなければならない。

 こんなところで誰一人死なせてはいけないのだ。


 今、俺たちがこんな状況なのは、俺がレベッカを止められなかったからに他ならない。


 あのとき強引にでも止めておけばこんな事態にはならなかったかもしれない。

 前世で生きている分、俺がしっかりとしなければいけなかったのだ。


 だからこそ、この二人の命だけはなんとかしないといけないという想いがあった。



 しかし、そんな想いを嘲笑うかのようにそれは起こった―。


「なっ」


 揺れる大地。


 強烈な寒気とプレッシャー。


 たちまち、地が割れ、地中から這い出てくるモノ。

 其は、正に異形と呼べる存在であった。


 樹の外殻。

 刺々しい枝分かれをしながらも、人と同じく手を模したなり

 腹から脚にかけて朱色の大きなコアらしきものが外殻に守られながらも、隙間から妖しく辺りを照らし蠢く。


 とうはまるで鍬形くわがたの様に左右に分かれており、その中心には瞳が宙に浮かび、あかく光る角膜、猫の様に細く黒い瞳孔がこちらに向けられていた。


 しかし俺の目が最も注がれていたのは胸の部分。


 そこには、薄くだが外殻に紋章が浮き上がっており、微弱だがコアと同じく光を浴びていた。


 その紋章を俺はよく知っていた。


 胸の動悸が激しくなっていく中、其の樹の放つ崩壊の音は歌声のようだった。



 ゲームでこの紋章をつけている魔物は以下に該当される。



 特別魔物ユニークモンスターと―。

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