社畜ハンター

木内東亜

第1話

 平日の17時過ぎ、よくある一般的なオフィスの廊下を抱えきれないぐらいの大量な荷物を抱えた中年男性がよろよろと歩いている。彼の名は向田一郎。世間的に知名度が高い株式会社シャーチクの総務部課長だ。


 総務部内ではあと1時間で就業時間が終わることもあり、業務後に向けてまったりとした空気が漂っていた。


「ねえ、ねえ、榊君。このあとみんなで飲みに行くんだけど、君も一緒に行かない?」


 声をかけてきたのは僕の指導担当の楠まどか先輩だ。1か月前に新人として配属されてから仕事面の研修だけでなく、総務部内に溶け込めるように色々と配慮してくれる頼れる先輩だ。


 しかし、今日の僕にはやらなければならないいけないことがある。それは、魔王オリベリアンを倒して世界を救うことだ!!(ゲームの世界だけど……)


「楠さん、すみません。今日は予定が入っているので・・・」


「あ、そうなんだ。残念!!じゃあ、また今度誘うね」


 誘いを断ったのにさらっと受け入れてくれるこの距離感が助かる。先輩、いつも気にかけてくれてありがとうございます。


「大変だ―!!」


 大きな声を上げて慌てて走りながら一人の男が廊下から入ってきた。彼の名前は川村大貴。僕の一つ上の先輩で部内のムードメーカー的な存在である。


「課長が大量の資料を抱えて持ってきています」


「なにー!!」


 部内に動揺が走った。課長が資料を抱えているということは、これから対応が必要な仕事があること意味している。最悪な展開だ。17時から仕事が増えたら必ず残業になってしまう。


「落ち着け。こういうときは状況の整理が必要だ」


 メンバーの動揺を落ち着かせようとしているのは、部内ナンバー2で主任の猪狩誠さんだ。彼は学生時代に運動部で活躍したらしく、身体も大きく、腕回りも太く安定感を感じさせる人だ。総務部メンバーは猪狩さんを中心に団結していると言っても過言ではない。


「17時から仕事を振られたとして、Sサイズならば18時までに終われる。Mサイズならば19時だろう。この時間なら余裕で飲みに行ける。しかし、Lサイズだと20時を回ってしまうので厳しいな」


「Lサイズの場合は明日に持ち越せないのかを課長と交渉する必要がありますね」


「よく言った、楠。その場合の交渉は俺に任せておけ。まずは状況を見極めるんだ」


 しばらくすると、課長の向田一郎が今にも落とすのではと思われるぐらいに抱えた荷物である書類を持って室内に入ってきた。


 それを見た猪狩が驚きの表情を見せる。

「なんてこった、あれは10年に1度しか来ないと言われている伝説の3Lサイズではないか」


「猪狩さん、あれが3Lサイズなんですか?」


「俺も実際は見たことないが、俺の教育担当だった先輩が見たことあると言っていた」


 向田が抱えてきた荷物のあまりの量の多さに総務部メンバー一同が驚愕している。一部のメンバーはその状況により足が震えだしている者もいる。


 そんな部下の状態などお構いなしに向田が「えーと、新たな仕事が来ました。これを本日中に対応してください」と告げた。


 即座に猪狩と楠が向田のもとに行って話し合いをしようとするが、向田は「部長の命令だ」の一点張りで会話にならない。二人は5分ほど粘ってはみたが、最後には「これは業務命令だ!!」とかんしゃくを起こしたような向田の怒鳴り声により退却を余儀なくされた。


 楠が席に戻ってくるとあまりの状況に顔面蒼白になっている。


「このままでは終電にも間に合わないかもしれない」

「大丈夫だ、まどか。全員で頑張ってこの危機を乗り越えよう」


 弱気になっている楠先輩を猪狩先輩が声をかけて励ましている。部内の士気はものすごく下がっている。


 僕も早く家に帰って魔王オリベリアンを倒して世界を救いたかったのに、こんなことになるなんて。自分の身体の内側からイヤイヤが溜まってきているのが分かる。


 向田が持ってきた書類をメンバーで分配したが、一人の持ち分で既に山の様になっている。本当にこれを本日中に終わらせることができるのか。


 遅くなったら夕飯はまともに取れないな。

 終電に乗れなかったらタクシー代は会社は出してくれるのだろうか。

 会社に泊まるなんてことになったらどうしよう。

 お風呂にも入れないし、歯も磨けない。

 もし、いびきやオナラをして誰かに聞かれたら嫌だな。


 榊の身体の中で溜まっていたイヤイヤが臨界点を突破する。その瞬間、榊は机に身体を突っ伏して動かなくなった。


「榊君!!どうしたの?大丈夫」


 楠や猪狩が驚いて榊のもとに近寄り声をかけるが直ぐには反応がない。心配しながら二人が見ていると、榊は急に起き上がって立ち上がった。


「この時間から大量の仕事を振るという蛮行。許せん!!俺に任せろ」


 そう言うと榊は右手で書類を記入しながら、左手でPCに入力、同時に電話で問い合わせをして、ものすごい速さで書類を処理していく。


連続コピー取り!!

指先が見えない高速タイピング!!

大量メール送信!!

Excel関数の連続生成!!


「なんてこった、あっという間に書類を片付けていく。もっと、榊に書類を回せ」


 鬼神の様な榊の仕事により大量の書類が瞬く間に減っていく。そして、18時の業務終了のチャイムが鳴ったときに、最後の書類の対応が終了した。


 榊は席から立ち上がり、帰りの支度を整えて「業務終了したのでお疲れさまでした」とだけ言って席を後にした。


 楠は榊の変貌に思わず「榊君、君は何者なの?」と尋ねると、「俺の名は社畜ハンター。世の中の社畜を倒すやつさ」とだけ残してオフィスを去って行った。


 「社畜ハンター。なんて素敵な響きなの」


 沈んでいく夕日があたることで初めてまだ飲みに行ける時間であることに気がついた楠であった。

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