第44話 弥生ちゃんでお願いします
午前九時過ぎ。
臨時会議が解散した後。
広い会議室に、樫本社長、三田副社長、波佐間専務の三人だけが居残り、なお大卓の席に向き合っていた。
「今日、彼は来ているかね?」
樫本社長が訊ねた。
「ああ。先ほど、受付から報告があったよ。いまは坂井くんのところにいるはずだ」
応えたのは、三田副社長。
坂井とは、整備班長、坂井啓次郎のことである。
――本社所属の探索者用の各種装備の調達、整備、修復、また本社内の各種設備、移動用車両の整備なども担当する、本社整備班。
そこでは現在、上級探索者となった里山忠志のために、班長の坂井自ら、専用装備の選定を行っている最中だという。
上級探索者の専用装備は、基本的に「関東寺院」に保管されている数多くの
当人に最適と思われるものを整備班が調達、調整し、社長らの承認を受けたうえで、正式に支給される手順となっていた。
波佐間専務がぽそりと呟く。
「専用装備ねえ。そんなもの、必要だとも思えんがね」
「先日も、そんなことを言っていたな。それほど強くなっているのか。彼は」
三田が問う。
「強いなんてものじゃない、あれは」
波佐間は、肩をすくめて、慨嘆した。
「もともと、初めて鑑定した時点でも、能力はかなり高かった。それからほんの一日だ。ホワイティを制覇して帰ってきたってんで、もういっぺん鑑定してみたら、この世のものとは思えん状態になっていた。正直、おれは震えたよ……怖ろしくてな」
波佐間の「人物鑑定」は、対象者の保持技能とその状態、体調、持病の有無などに加え、各種身体能力を独自基準で数値化して閲覧可能という天授技能である。
誰であれ波佐間の前では、こと身体の状態に限り、すべてが見通され、丸裸にされる。隠し事はできない。
その波佐間が見た、里山忠志のステータスとは。
「どの能力も軒並み、桁がひとつ増えていやがった。筋力、基礎体力、動体視力、反応速度、精神耐性、物理耐性、非物理耐性……すべてが十倍近く跳ね上がっていた。技能のレベルも大幅に上がっててな……人間ってのは、これほど強くなれるもんなのかと、もう開いた口が塞がらなかったよ。あんだけ強けりゃ、魔王だろうがなんだろうが倒せるだろう。実はあいつ自身が魔王でした、といわれても驚かんぞ、おれは」
そう述べつつ、波佐間は口元を引きつらせ、苦々しい笑みを浮かべた。
「そこまでいくか……いったい彼には、どんな秘密があるのだろうな」
樫本もまた、なんとも微妙な面持ちで、二人の股肱を眺め渡した。
「もはや逡巡している場合ではない。彼は『再開発計画』に必ず引き入れねばならん。いまの話を聞けば、なおさらだ」
「強い手駒が必要なのはわかる。だが強すぎるぞ、あれは。制御できるのか?」
「言っただろう。彼には鈴を付けると。さいわい、彼も、すっかり我々を信用してくれているようだし」
「具体的には、なにを?」
「もう呼んである。ここに来るように言っておいたのだが……」
ややあって、樫本の議長席に据えられているインターホンのスピーカーから、呼びかける声が響いた。
「弥生です。入っても?」
「おお、来たか。入りたまえ」
樫本が応じると、何者かが、そろそろと会議室のドアを開いて、入室してきた。
年若い女性。
長い黒髪をストレートに伸ばして、前髪は額に垂らして切りそろえ、黒い双眸、眉目秀でて、眼光きりりと鋭い。
女性としては長身で、明るい紺のビジネススーツの上下を油断なく着こなし、首筋には細いチェーンのチョーカー。
身だしなみにも、身ごなしにも、寸分の隙もなく、コツコツとヒールの踵を鳴らして、樫本らの議長席へと歩み寄ってきた。
「よく来てくれた、
「その呼び方はやめてください……いつも通り、
一切表情を変えず、女性はそう応えた。
「そうか。こちらの二人は、眼鏡のほうが三田副社長。こっちのゴツいのが波佐間専務だ」
樫本は、常にも似げぬ、砕けた物言いで、左右の股肱を紹介してみせた。
女性は、議長席の前で緩やかに一礼し、あらためて自己紹介を行った。
「式賀弥生と申します。高知支社所属の探索者でしたが、本日付けで、こちらに転属となりました」
「弥生ちゃんは、私の姪でね」
樫本が補足を入れる。
「兄の子なんだが、わけあって他家に預けられ、今はそちらの姓を名乗っている。こう見えて実力は確かだよ。むろん配属は、新設間近の第一探索部――彼女には、里山くんとコンビを組んでもらう。もともと彼女は、こっちに配属を希望していたのでね。ちょうどいい機会だと判断して、来てもらったわけだ」
「叔父様がたのご期待に添えるかどうかは、わかりませんけど」
式賀弥生は、眉ひとつ動かさず、応えた。
「まずは、里山さん、でしたか。その方と直接会って、話をしてみたいですね。どんな御方なのか、楽しみです」
いっこう楽しくもなさそうな顔つきで述べる、弥生ちゃんこと式賀弥生――当年二十一歳。
樫本マテリアル高知支社所属の三名の上級探索者のひとりにして、四国全域のダンジョンを踏破し、数々の探索実績を樹立した女性である。
その若き猛者が。
冷然たる双眸に、いかなる思惑を秘めて、本社へと乗り込んできたものか――まだ余人には到底、測り知るべくもなかった。
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