第43話 個人的証言にすぎませんが
同時刻。
(株)樫本マテリアル大阪本社、第一会議室。
広い室内、その中央に据えられた大卓。
左右に居並ぶ、本社内の主要幹部。
奥の議長席から、一同を眺め渡すのは、現社長、樫本甲造。
列席するのは、副社長の三田、専務取締役の波佐間ら重役連に加え、社内各部署の責任者たち。
樫本の枢要部というべき錚々たる面子が、粛々と席を連ね、この早朝の会議に臨んでいた。
「これで全員揃ったな」
議長席の樫本甲造が、まず重々しく口を開いた。
樫本甲造は、樫本マテリアルの前身、樫本不動産の創業者一族の次男である。
若年の頃は探索者を志していたが、兄たる長男が早逝し、相次いで父母をも喪い、やむなく志望を諦めて、家業を継いだ……と、社史には記されている。
実像はだいぶ異なる。若い頃に探索者を志望したのは事実だが、一度国家試験に落ちると、早々に探索者の道に見切りをつけた。
その後は大学、大学院へと進み、とくに院生時代は各地ダンジョンと魔物の研究に没頭していた。
卒業後、ダンジョン専門の国立研究所への就職を希望したが、長男が不祥事を引き起こして海外へ逃亡したため、両親の懇願を受けて家業を継ぐ羽目になった……という経緯の持ち主である。
辣腕の経営者として知られる一方、ダンジョンと魔物への造詣も深い。
そのような人物ゆえに――突如として頭角を現した、里山忠志なる若い探索者の動向は、大いに樫本甲造の興味を引いた。
もともと若手のなかでは群を抜いて有能な探索者とは聞き及んでいた。
それにしても、ここ数日の活躍ぶりは、樫本甲造の目をもってしても、常軌を逸するものに見えた。
自社に莫大な利益をもたらしたばかりでなく、探索者界隈にとってきわめて重要な――未踏地からの生還を成し遂げ、新たな発見と、それによる様々な可能性、将来への展望までも、一気に切り拓いてみせた。
彗星のごとく現れた、若き俊傑。
新たな英雄というも差し支えない。
ただ、そう無邪気に賞賛してばかりはいられない点もあった。
里山忠志のもたらした報告のなかには、どうにも判断の難しい案件がいくつか含まれている。
この早朝の会議は、そうした案件のひとつについて、告知と調整を行うためのものだった。
「近頃、我々としても無視できない重要な報告が寄せられている。報告者は、あの里山忠志くんだ。……副社長」
樫本社長は、述べつつ、傍らに座す三田副社長を、ちらとかえりみた。
促されて、三田副社長は、資料を手に立ち上がり、一同へ告げた。
「その里山忠志の報告によれば……近々、堂島ダンジョンにて、時期外れのスタンピードが発生する可能性が高い、とのことです」
途端、会議室に、ざわめきが生じた。
もともと、堂島ダンジョンは毎年二月初旬から中旬にかけて、各種の魔物が大量発生する。
これがスタンピードと呼ばれる現象で、放置しておけば、ダンジョンの外にまで魔物が溢れ、地上の一般人にまで危険が及ぶ。
平常、堂島ダンジョンは(株)吉竹興行の管理ダンジョンだが、この時期だけは所属に関わらず、国家資格を持つすべての探索者に堂島ダンジョンが開放される。
そうして例年、関西の探索者界隈が総力を挙げて、堂島のスタンピードを抑え込んできた。
しかし、現在は九月。時期外れにもほどがある。
「あの、よろしいですか」
列席者の一人が挙手し、副社長へ質問を投げかけてきた。
社内において探索者研修、解呪請負、魔法治療などを主業務とする「関東寺院」の責任者、伊藤麻美。
当年三十八歳、本社内に三人いる女性の部長職のうちの一人である。
「……いささか信じがたい話ですが、仮に事実だとして、里山氏は、それをどこで、どうやって知ったのでしょうか?」
もっともな疑問だった。
先日来、里山忠志が実際に探索し、功績を挙げたとされるダンジョンは、大阪駅前第三ダンジョンとホワイティ梅田。
ひとくちにウメチカといっても、それら二つのダンジョンと堂島とでは、場所が離れており、とくに関連性も見られない。
そもそも堂島ダンジョンは他社の管轄である。
とすれば、里山忠志の報告のもととなった情報源とは何か。それは信頼に値するものなのか。
当然、これらの疑念は生じてくる。
「先日、里山忠志は、三人の上級探索者が殺害された現場に居合わせている」
応えたのは、波佐間専務。
「場所はホワイティ梅田の最深部、泉の広場。犠牲者は第二探索部所属の連城宏太郎、桂木行馬、服部伝次の三名。彼らを殺害したのは、魔王エギュンと名乗る大型の魔物だそうだ。もとは服部伝次の召喚魔法に応じて出現したらしいが、エギュンは、その服部を含む上級探索者三名を殺害し、なお活動を続けていたという。里山忠志は、やむなくエギュンと交戦し、かろうじて退けることに成功した、と報告してきている」
室内が、大きくざわめいた。
会議室に参集した人々の大半にとって、まったく初耳の情報だった。
連城ら上級パーティーが全滅したらしい、という噂だけは、すでに社内でも囁かれていた。
上層部は、いまだその事実や詳細を公表していなかったのである。
魔王エギュンとは何か?
ほとんどの者は、その名さえ知らなかったが、「関東寺院」を預かる伊藤麻美や、整備班長の坂井啓次郎ら、ごく一部の人々には、関連知識があった。
樫本甲造もエギュンの名を知っていた。
魔界の八王子の一人、悪魔アリトンの同一存在といわれる、有力な大悪魔。
また、オリエンス、パイモン、アマイモンとともに、魔界の東西南北を領する四大魔王の一柱であり、エギュンは北の方角を司る魔王であるとされる……。
「その魔王エギュンが、去り際、里山忠志へ告げたのだそうだ。十日後、堂島ダンジョンで魔物の大発生が起きる、と。彼が、我々のもとにその報告を寄せたのは、三日前のことだが……」
ここは微妙に事実とは異なる。
実際に堂島のスタンピードの可能性を里山忠志に告げたのは赤目の魔人アーク。
そのアークらと交わした「約束」を守るため、里山忠志は、事実の一部をあえて曲げることにした。
結果、エギュンに押し付ける形で、堂島ダンジョンに迫る危機的状況を上層部へ報告していた、というのが真相である――。
会議室の空気が凍りついた。
里山忠志の報告が事実とすれば、わずか一週間後に、堂島にスタンピードが発生することになる。
例年であれば、あらかじめ関係各社が協力体制を整えたうえで、比較的余裕をもって、スタンピードの発生を迎え撃つことができた。
しかし現状はどうか?
「管理会社たる吉竹興行には、こちらから情報を提供しているが、まだ具体的な動きを見せていない」
波佐間専務は、かすかな苛立ちを滲ませつつ説明した。
吉竹側は、樫本から提供した情報に懐疑的で、対応が遅れているという。
この際、一刻も早く吉竹側と連携し、ダンジョン開放手続き等、受け入れ態勢をととのえてもらう必要がある。
さらに他の管理会社にも通達を行い、可能な限りの人員をかき集めねばならないだろう。
「彼の報告に、物的な証拠といえるものはありません。あくまで、里山忠志の口頭による報告、個人的証言にすぎませんが」
三田副社長は、眼鏡の奥に鋭い光を映して、一同を眺め渡した。
「我々は、彼の報告を信用する方針を固めております。事実かどうかを議論する段階ではありません。堂島のスタンピードは確実に起こる……この想定のうえで、皆様には、その具体的対応についてのご意見を伺いたい。そのために集まっていただいたのです」
淡々と告げて、三田副社長は着席した。
その後、会議は、まず各部署の現状説明に費やされた。
続いて各種スケジュールの繰り越しと摺り合わせ、必要資材の調達分配の手順。
吉竹側を説得するための具体的方策、社内における正式告知のタイミングなどが議論され――。
喧々諤々のすえ、ようやく各部署の方針が定まり、会議が解散したのは、およそ三時間後のことだった。
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