第42話 すげえ出世したんだってな?


 深い夢のなかにあった意識が、泡のように、急速に表層へと浮きあがってゆく。

 目覚まし時計のベルが鳴っている。


 ゆっくり身を起こし、時計を止めた。もうすっかり目は覚めている。

 相変わらず、シンプル一辺倒のワンルーム。


 ひとつ、以前と異なる点があるとすれば。


『おはようございます、ますたー!』


 サイドデスク上の専用クレイドルに立てかけた、最新モデルのスマートブレス。

 そこから響く、なんとも可愛らしい声。


 姿こそ見えないが、「ミラーリング」のOSたるミラ子は、今や、いつでも俺のそばにいる。


「おはよう。何か変わったことは?」


 と訊くと。


『ますたーの体調は完璧です。バックアップも順調に更新されていますよ。あ、睡眠中、ちょっとだけ発汗が見られましたね』


 ミラ子というか、「ミラーリング」は常時、俺の状態をモニタリングし、リアルタイムでバックアップを取り続けている。

 それが俺の持って生まれた能力らしいが……技能、といっていいのかどうかは、正直あまり自信がない。


 どうも違う気がするし、ミラ子もそこにはちらと言及していた。

 ただしミラ子は、そのへんの詳細を語る権限が自分にはない、とも言っているため、この能力の正体については、いまだ不明である。


 北の魔王エギュンは、俺のことを「権能使い」と呼んでいた。

 権能とは、一般的な意味でいえば、法律で認められ、行使しうる権利を指す。


 だがそれだと、「ミラーリング」はいかなる法により認められた権能なのか。

 エギュンが言うそれは、おそらく、そういう世俗的な意味合いではないのだろう。


 今は手持ちの情報もないので、考えても仕方がない。

 手札として使えるものは使う。その程度に認識しておくべきだろう。


 ミラ子のいう睡眠中の発汗ってのは、たぶんさっき見た夢のせいだろうな……。新堂センパイ、初対面からぶっとび過ぎだ。いま思い出しても変な汗が滲んでくる。

 あの人と、ああいう出会いをしなければ、今、俺はこうなっていないだろう。それほど強烈な影響を俺に及ぼしている。


 今でもそうだ。

 あの人の背中を、俺はいまも追い続けているのだから。


 例の表彰式から、二日が経っている。

 式の直後と翌日は、ほぼ強制的に休暇をとらされた。


 まだ第一探索部のオフィスが設営中であることと、整備班のほうからも、俺の専用装備の選定に時間が欲しい、という声が出たそうだ。

 それらの事情から、樫本社長直々に「身体を休めておくように」と厳命されてしまった。


 第一探索部の運営態勢が整うまで、邪魔だから会社に出てくるな、というのが本音だろう。

 ただし、装備類のなかでも、連絡用端末である高級スマートブレスだけは、いち早く整備班から手渡された。


 貸与ではなく支給品であり、私物として好きに使って良い、ということだった。

 さっそく手持ちの古いスマブレの各種データを移行したところ、ミラ子の声もそっちから出るようになった。


 なにか俺の知らないアプリが、いつの間にか勝手にインストールされていた。

 ミラ子の顔をアニメ調にデフォルメしたような可愛らしいアイコンが、現在もメイン画面の隅に、常時表示されている。


 ……ミラ子が何を考えているのかは、よくわからない。どうもミラーリングの影響力が、仮想空間から現実へとリンクしつつあるようにも感じる。

 それが良いことか悪いことかは、まだ、今の俺にはどうともいえない。


 などと考えている間に……そろそろ出勤の時間だ。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 昨日来、俺は樫本の上級探索者という身分になっている。

 いつでも社用車を好きに呼んで、乗り回せる。それも運転手付きのを。


 通勤も、電話一本で、車が迎えに来てくれる……らしいが、俺はあえて、車は使わない。

 従来どおり、マンションを出て、徒歩で最寄り駅へと移動。


 駅舎に入り、改札をくぐると……。


「よっ! おはよう」


 ホームに続く階段の下、溌剌たる声が、横合いから俺を呼び止めた。


「おはようございます」


 顔を向けて会釈を返す。もちろん相手は、新堂センパイだ。今朝はタイトスカートがピシリと決まったベージュのスーツ姿。

 ……社用車で通勤となると、こうして駅でこの人に会う機会が失われてしまう。


 ゆえに、今後も朝は電車通勤。これはもう絶対的なルールだ。

 しかも毎朝必ず出会うわけではなく、こうばったり行き会わせるのは、月に三、四度くらいの頻度しかない。なおさら貴重な機会を逃すわけにはいかない。


 ……もともと俺は、新堂センパイと同じ吉竹興行に入社を希望していた。

 高校三年の夏、二種探索者の国家資格を取得し、これで新堂センパイの同僚後輩として、また活動をともにできる、と思っていた。


 だが希望はかなわなかった。それも当然のことで……吉竹興行は、男子禁制であり、女性探索者しか採用しない。

 女性のみでダンジョン探索を行うという管理会社だった。


 それを知ったのは高校三年の冬のこと。

 俺は慌てて吉竹興行になるべく近い管理会社を探した。


 その条件に唯一合致したのが、よりによって、関西随一の大手ダンジョン管理会社、すなわち樫本マテリアルだった……。

 結局、俺は樫本に入社し、現在に至るという。


「聞いたぞ、タダシ。すげえ出世したんだってな?」


 新堂センパイは、からかい気味に、顔をぐいっと寄せてきた。近い、近いですってセンパイ。

 いえ近くてもいいです全然。


「もうそんな噂になってますか? 辞令を受けてから、まだ三日も経ってませんよ」

「そりゃおまえ、天下の樫本が大々的に公表してんだ。うちの会社にも、すぐ伝わってきたぞ。若き英雄、二十歳の上級探索者、里山忠志とは何者か? ってな具合よ。アタシの所属部署なんて、もうその噂でもちきりだぞ」

「そ、そんなに?」


 吉竹興行は、いわゆる女の園。若い未婚女性探索者が大勢いる、というのは前々から聞かされていた。うちの男性社員とも、しばしば合コンをやったりするらしい。

 俺はこれまで、社内でのそういう話題には、あえて関わらないようにしていた。


「顔写真とかも出回ってるからな。今後は、うちの連中には気をつけな。ガンガン逆ナンしかけてくるぞ、あいつら」

「それは、困りますね……」


 いや、本当に心底、そういうのは困る。

 なにせ新堂センパイ以外の女性に、俺はまるで興味がないから……。

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