第41話 おまえも探索者になれ
あれは、もう五年も前になるか――。
高校に入学して、数日。
そこは私鉄
ただ、俺がこの学校を選んだのは、いわゆる学区内の公立高校のうち、実家に比較的近く、自転車でさッと通えるという理由だった。
ほかの生徒らと違って、一流大学への進学などは、当時とくに考えていなかった。家もあまり裕福ではなかったし。
なんとなく漠然と、いずれ高卒で働くことになりそうだ、ぐらいに思っていた。
「おい。そこの、ちょっとふくよかなやつ」
放課後。
校舎内の廊下で上級生に絡まれた。
当時の俺は、ちょい太めの体型だった。
しかし面と向かって、ふくよか、なんて表現を使われたのは初めてのことだ。
その上級生は、いきなり廊下を走ってきて、俺とかち合ったところで足を止め、声をかけてきた。
俺よりずっと小柄な女生徒だった。
ただ制服の胸バッジが、三年生を示す三本線になっており、上級生であることは間違いない。
ベリーショートというか、ほとんど坊主頭に近い短髪にも驚かされた。
さながら小生意気な小学生男子がセーラー服を着ているような印象すらあった。
「おまえ、ここから飛び降りられるか?」
と、その小さい上級生は、いきなり窓を指差して訊いてきた。
「え……」
俺は、目をしばたたいた。ここは二階の廊下。窓は開いており、下は校舎の裏庭である。
さほど高くもないし、飛び降りる程度なら問題ない。
だが理由がわからない。質問の意図が不明。
そう問い返そうとすると。
「アタシをおぶって、飛び降りるんだよ。ここから」
「は?」
条件を上乗せされた。ますます意図がわからない。
「どうなんだ、できるのか?」
ぐぐっと顔を寄せ、返答を迫ってくる女生徒。うお。近い。
「はい。できます」
と、やむなく応えると。
「よーし、いますぐやってくれ! アタシを背負うんだよ! ほれっ、早く!」
女生徒は、俺の背後に回りこんで、ばしばし俺の背中を叩いてきた。痛い痛い! なにこの人、めちゃくちゃチカラ強い!
ふと、廊下の先から、ばたばたと複数の足音が響いてきた。
「やっべ、来やがった。おい、早くしろ!」
女生徒は、いよいよ焦り気味に急かしてきた。
「どうぞ」
背を向け、腰を落として促すと、女生徒は、背後から俺の首元に、がしっとしがみついてきた。
羽のように軽い……のはいいが腕力が凄まじい。これ首折れる、首が!
「乗ったぞ! いけ!」
耳元で怒鳴らないでください。
よくわからないが、どうも女生徒は追われているらしい。
俺は、ぐっと窓に両手をかけて身を乗り出すや、まず窓枠に飛び乗り、迷わず外へ飛び降りた。
女生徒を背負ったまま落下。
ドスッと鈍い音を響かせ、わずかに土煙をあげつつ、しっかと両足を踏ん張って、見事に着地成功。
それに気を良くする暇もなく――。
「走れ!」
女生徒は、俺の背にしがみついたまま、彼方の校門を指差した。
いわれるまま、俺は土を蹴って駆け出した。
「お、速っ――」
一散に走りはじめた俺の肩に、女生徒が、ぽそりと感嘆の息を洩らした。
俺は足は速いほうだ。百メートルを五秒フラットで走ることができる。
だが中学の頃には、俺より速い「俊足」だの「韋駄天」だのいう天授持ちが周囲に何人も居た。
持って生まれた才能の差というものを、当時はしばしば痛感させられたものだ。
まっすぐ校門を駆け抜け、道路を出たところで、俺は肩越しに女生徒へたずねた。
「あの、どこまで走れば?」
「駅まで!」
即答だった。俺はタクシーか。
ともあれ言われるまま駅前まで駆けた。
道中、行き交う人々から、奇異なものでも見るような視線を向けられつつ、どうにか無事に、駅前商店街のアーケードへとさしかかる。
「おい、止まれ。降りる」
といわれたので、路上、急停止。
女生徒は、ひょいっと俺の背から飛び降りた。
「ご苦労さん。おかげで助かった」
満面の笑みで、俺の背中をばしばし叩いてきた。だから痛いってー!
「あそこで一服しようか。アタシが奢ってやる」
ぴっ、と女生徒が指差したのは、アーケードの中にある、ちょいとオシャレな、たこ焼き屋だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺と女生徒は、テーブル席に向き合い、たこ焼きとコーラを注文した。
それらを待つ間に。
「アタシは、新堂恭子。おまえは?」
「里山忠志です」
と、自己紹介を交わしあった。
学年については、わざわざ言わずとも、お互いの胸バッジを見れば一目瞭然。
一年生の俺は一本線、新堂という女生徒のバッジには三年生を示す三本線が入っている。
「ふぅん。タダシか。んじゃ、そう呼ぶぞ。アタシのことは好きに呼べ」
「はあ。……では、新堂センパイで」
「おう、それでいい」
女生徒……新堂センパイは、楽しげに、うなずいてみせた。
「それで、何に追われてたんですか?」
まず事情を訊いてみると。
新堂センパイは、小さく息をついた。
「うちの学校にゃ、アタシを嫌ってる集団があってな。そいつらが色々理由をつけて、アタシに勝負を仕掛けてくるんだ」
「勝負?」
「あいつら、スポーツとか、将棋とかオセロとか、なんでもいいから自分らの得意分野でアタシを負かそうと、躍起になってやがるんだよ」
「ははあ……」
うなずいたものの、どういう状況やら、いまひとつ要領を得ない。
「よくわからんって顔してんな。ようするに」
新堂センパイは、やや表情をあらためて、こう告げてきた。
「アタシはユニーク持ちなんだ。天授はあっても、使い方がわからんってやつ」
「……!」
「それなのに、お勉強でも腕力でも、大概、誰もアタシにゃかなわない。で、それが気に食わないって奴らが、徒党を組んで、アタシを追い回してるわけだ」
少し、状況を理解できた。
世の中の大抵の人々は、シンプルかつ特定分野に偏った、わかりやすく強力な天授技能を生まれつき持っている。「俊足」なんて、その代表格だろう。
だがもし、そんな「俊足」技能の持ち主より、さらに足が速い人間が、いきなり身近に現れたとすれば。
しかもそれが、足の速さとまるで無関係な……いわゆるユニーク天授持ちであったとしたら。
それは、凡人が天才を凌駕し、打ち負かしてしまうということになる。
新堂センパイは、よりによって、それを幅広い分野でやってのけてしまった。まさに世はさかしまである。
それゆえ、恨まれるというほどではないが、校内では、やっかみの対象となっているらしい。
大体、そんな理解でいいのだろう。
ちょうど熱々のたこ焼き二人前、冷えたコーラ二杯がテーブルへ運ばれてきた。
「ま、食えよ」
「いただきます」
新堂センパイに促され、タコ焼きに楊枝を刺して、フーフーしながら口に運んだ。
熱い。旨い。熱い。
「最初は、これもいい修行になると思って付き合ってたが……だんだん追い回されるのに嫌気がさしてきてな。最近は、勝負を挑まれる前に逃げるようにしてるんだ」
新堂センパイは、しみじみ語った。
「それで……さっき、たまたま居合わせた俺に、逃亡の手伝いをさせたと」
「ああ、それで合ってる。でもな」
うなずきつつ、新堂センパイは、テーブルごしに、じっと俺の目を見つめてきた。
「……タダシ。おまえ、凄いやつだな」
「え?」
「普通な。二階から飛び降りろつって、できます、なんて言うヤツ、なかなかいねえぞ。しかも、それでホントにアタシを乗せて飛び降りるし。どこの文芸小説の主人公だよオマエは」
「いやでも、それは新堂センパイが」
「最初は、無茶振りのつもりだったんだよ。できなきゃできないで、べつに構わなかったんだ。でも、できるっていうから、じゃあやってみろ、ってな」
新堂センパイは、ここでコーラをぐいっと飲みほした。
直後、盛大にむせながら、なお話を続けた。
「あと、足も速いよな、おまえ。まだアタシほどじゃないけど」
「そうですか?」
「そうなんだよ。で……おまえの天授って、なんだ?」
「俺も、新堂センパイと同じですよ。ユニーク持ちってやつです」
そう即答すると、新堂センパイは、きょとんと目を見開いた。
「おう……マジで?」
「マジです」
「そうか……」
新堂センパイは、思慮深げな目で俺を眺めつつ、なにやら考え込んでいる様子。
その間に、俺はまた、たこ焼きをひとつ。
ふーふー。熱っ。旨っ。熱っ。
「よし。タダシ」
ぐっと身を乗り出す、新堂センパイ。
「おまえ、今後、アタシの修行に付き合え。どうせ部活とか、やってねえんだろ?」
「修行?」
確かに、俺はまだ部活を決めてない。一応、いくつかの運動部から勧誘されてはいるが、どうも乗り気になれなかった。
「なんの修行ですか」
と、たずねると。
「そりゃおまえ、決まってんだろ。アタシはな、探索者を目指してるんだ。そのための修行だ!」
力強く、真剣な面持ちで、新堂センパイはそう言い切った。
探索者とは、また随分な無茶振りを。
あれこそ、専門分野に強い、シンプルな天授技能が求められる仕事だ。ユニーク持ちが目指す職業としては、相当厳しい選択といわざるをえない。
……しかし、この人は、あえてそれに挑まんとしている。
少数派、かつ凡人たるユニーク持ちが、多数の天才たちの領域に、切り込もうとしている。下克上だ。
おもしろい、と思った。
それにどのみち、断れない雰囲気である。この人、もう俺を逃がさないつもりだ。
なら、やるしかない。
「わかりました。手伝います」
俺は、熱いたこ焼きを、また口に放り込みながら、うなずいた。熱っ。旨っ。
「おう、やろうぜ。今日からな」
「えっ、今日から?」
その後、二人で電車に乗り、六甲山にのぼって、猪を狩った。素手で。
――この日以降、俺は新堂センパイと、あちこち修行に出かけた。
あるときは、生駒の山裾で野生のツキノワグマと戦い、あるときは奈良公園で鹿の大群に囲まれた。
あるときは箕面の滝あたりで、観光客らの弁当をめぐって、野生の猿どもと熾烈な奪い合いを演じた。
校内でも、二人して、色々と問題を起こした。
とくに、チャイムが鳴る時間をいじくって校内を大混乱に陥れた「あの鐘を鳴らすのはおまえ」事件など、後々まで語り草になったものだ。よく退学にならなかったな俺ら……。
……出会って半年後、新堂センパイは無事に二種探索者の国家資格を取得。中堅ダンジョン管理会社、(株)吉竹興行への就職内定をも勝ち取った。
この時期から、なぜか新堂センパイが「勝負」に追われることもなくなった。
それでもなお、俺たちの修行の日々は続き……。
新堂センパイの高校卒業式の直後。
六甲山系最強といわれるツキノワグマの個体「オソマツ」を、二人がかりで打ち倒した。素手で。
「これで、アタシの修行は終わり。明日からは、本物の探索者ってわけだ」
山頂。
新堂センパイは、充実そのものという顔して、俺を振り仰いだ。
出会った頃より、幾分髪は伸びているが、相変わらずベリーショート。
でも顔つきは、少しだけ、以前より大人びて見えた。
「なんだ、タダシ。辛気くさい顔すんな。アタシが卒業しても修行は続けろよ!」
ばばんっ! と背中を叩かれた。痛い! 痛いですってそれ!
「そんでな、おまえも探索者になれ」
紫に染まる、日暮れ近い空の下で。
「アタシはひと足先に行って、待ってるからな」
新堂センパイは、そう告げて、満面の笑顔を向けてきた。
この笑顔だ。
この笑顔を、また見たくて。
俺は、探索者になったんだ。
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