第40話 ホワイティ梅田編エピローグ


 翌日。

 俺は朝から本社内の大講堂へ呼ばれ、その控室にいた。


 成人式以来のフォーマルスーツ姿で、少々緊張気味に、鏡など覗き込んでいる。

 鏡に映る俺自身の姿は、どこにでもいる若造が、着慣れぬ格好で固まっているようにしか見えない。


 実際、これほど大掛かりな、晴れがましい場に出るなど、人生で初めてのことだ。

 樫本の全社を挙げた表彰式。今日俺は、その主役として、壇に立たねばならない。


 すでに講堂内には、ごく一部の警備要員と事務方を除く、ほぼ全社員が列席して、壇上には会社の幹部連が居並んでいる。

 俺もそろそろ出ようか――と思ったところで、ちょうど、誰かが控室のドアをノックした。


「里山さん。入って大丈夫ですか? お伝えしたいことが」


 受付係のお姉さんこと、北浜さんだ。何の用だろう?


「どうぞ」


 と応えると、北浜さんが扉を開き、そっと部屋へ歩み入ってきた。

 いつもの受付の制服ではなく、自前の紺のスーツ姿。ちょっと新鮮かも。


「こちらの石なのですが」


 と、小さな透明ガラスのケースに丁寧に収められた、真っ赤な宝石を差し示した。


「今朝、正式に『クリムゾン・クォーツ』の完成品という鑑定結果が、会社側に認定されました。規定により、会社のほうで買い取りをさせていただきます」


 原石ではなく完成品のクリムゾン・クォーツは、「赤い衣の怨霊」からの固定ドロップ品であり、レア度はきわめて高い。

 それだけに、通常の貴重品マテリアルと異なり、「上級鑑定」を持つ受付班全員による、厳密な鑑定が実施される。


 その鑑定結果が上層部へ受理され、ようやく本物との認定を受けることができる。

 北浜さんは、まさにその報告をもたらすため、わざわざ来てくれたわけだ。


 つまりこれをもって、俺のホワイティ梅田ダンジョン単独完全踏破が、会社によって正式に認定された、ということである。


「おめでとうございます。まさか本当にお一人でやりきられるなんて。また快挙を達成されましたね!」


 北浜さんは、まるで我がことのように、嬉しそうに告げてきた。

 樫本の社史において、ホワイティ単独踏破は三人目の記録。初級探索者という身分での達成は史上初だそうで、確かにそれは快挙といえそうだ。


 ……昨日、魔王エギュンとの戦いを終えた後。

 ホワイティ梅田から会社へ帰還するにあたり、俺はシュピーゲル・シリーズとソロモン王の指輪を「四次元収納アンリミテッド・ポケット」に放り込んだ。


 これらはダンジョン産貴重品マテリアルではなく、いわゆるダンジョン探索の成果物には含まれない私物である。

 特にソロモン王の指輪は、エギュンが、なんらかの意図をもって俺に預けたのではないか、と推測している。それほどとんでもない聖遺物アーティファクトだ。エギュンの意図が明確になるまで、現時点でそうそう表沙汰にすべきではない。


 その一方で、「泉の広場」からクリムゾン・クォーツ、黄金銃、デュランダルを回収し、それらは会社に持ち帰った。

 黄金銃とデュランダルは、いうまでもなく桂木さんと連城さんの遺品である。残念ながら、服部さんの遺品となるようなものは、何ひとつ残っていなかった。


 帰還後、受付にそれらの品を引き渡すと、またも社内は大騒ぎとなった。

 すぐさま館内放送で社長室へ呼び出され、樫本社長らとご対面。


 俺は、探索中に出会った魔人の兄妹と「ミラーリング」に関わる部分は丁寧に伏せつつ、前後の事情を詳しく語った。

 幹部三人のなかでも、波佐間専務は、俺の姿を見るなり奇声をあげ、顔を引きつらせていた。


 ……社内での開示情報によれば、波佐間専務は「人物鑑定」の天授持ちだという。それで俺の現在のステータスが見えてしまい、驚かせてしまった、ということか。

 いったい何がどれだけ見えたのか、それは俺にもわからないが……。


 もっとも、その後、波佐間専務が俺の能力云々について言及することはなく、ほかの二人も、相変わらず俺の経緯説明を興味深げに聞いていた。

 馬鹿正直に、探索中の出来事を詳しく報告する義務など、実は無いのだが……。


 人命に関わる事であるため、連城さん、桂木さん、服部さんの死亡経緯については、正しく証言しておくべきと俺は判断した。

 証拠となるような音声や映像の記録はない。俺の証言を信じるも信じないも、幹部らの判断に委ねるしかない。


 ――上級三人組は、俺との戦闘で揃って重傷を負ったものの、その時点ではまだ息があった。

 だが、服部さんが召喚したデーモンロードが、三人を一瞬のうちに焼き殺し、遺体も残らなかった……。


 俺はそのデーモンロードこと魔王エギュンと戦い、かろうじて退けたものの、召喚されてきたのは分体のようなもので、本体は魔界とやらに健在だという。

 このへん一連の説明を語り終えると。


「北の魔王エギュン……。本当に、そう名乗ったのかね」


 樫本社長が、やや眉をひそめて訊いてきた。この表情にいかなる感情が篭もっているものか、正直俺には想像もつかないが、何かしら驚いている様子ではある。


「はい」


 と、俺はただ、うなずいてみせた。


「エギュンというのは、四大魔王の一柱とされる大悪魔だ」


 樫本社長は、その名を知っているようだった。


「あれは本来、人間がどうこうできる存在ではないはずだが……」


 言いつつ、樫本社長は、波佐間専務のほうへ顔を向けた。

 その波佐間専務、しばし、少々難しい顔をしていたが……。


「いや。できるでしょうな。彼なら」


 と、樫本社長へうなずいてみせた。


「そうか」


 とだけ、樫本社長は応えて、俺のほうへ向き直った。どういうやりとりなんだ、これは。


「連城、桂木、服部の三名については、こちらで死亡認定を公表し、探索者葬の手続きを進めておく。きみに面倒が及ぶことはないから、そこは安心したまえ」


 これは三田副社長のお言葉。

 実際、どのみち、ダンジョン内の出来事は、すべて自己責任。


 たとえ俺が連城さんたちを直接殺害したとしても、それがダンジョン内であれば、罪に問われることもない。そんな殺伐きわまる界隈である。

 ただ、法律上はそうでも、人の感情は、それで割り切れるものでもない。


 おそらく社内では、俺が連城さんたちを殺した、という見方をする人々が出てくるだろう。真相は異なるにせよ、状況からいって、そう見られても仕方がない。

 今以上に白眼視されたり、恨みすら買うかもしれない。いちいち構ってなどいられないが。


 少なくとも、社長ら上層部は、俺の証言を信用してくれてるようだし、今はそれで十分としておこう。後日のことは、また後日に考えればいい。


「明日は予定通り、きみの表彰式を執り行う。例の辞令の交付も、その場でやるつもりだ。誰にも異論は挟ませない。きみは、胸を張って、それらを受け取ればいい。それだけの功績が、きみにはあるのだからな」


 俺の内心を知ってか知らずか……樫本社長は、そういう言い方で、俺の味方たることを自ら宣してくれた。

 優渥なるお言葉の割に、まったく目が笑ってなかった。


 ――事情説明を終えて解放されると、俺はただちに退勤の手続きを行い、ようやく野田のマンションの自室へ戻った。

 買い置きのカップラーメンで手早く食事を済ませ、入浴し、倒れ込むようにして眠りについた。


 夢の中で、ミラ子と会話したような気がした。


『ますたー。ちゃんとゴハン食べてください。身体に悪いですよ』


 って、なんか怒られた。

 あくまで夢のなかでの話だ。ミラ子がそんなことを実際に言うとは思えないし。


 翌朝、起き抜け。

 目覚まし時計を止めると同時に、サイドデスクに立て掛けてあるスマートブレスから、声が聴こえた。


『ますたー。おはようございます。よく眠れましたか?』


 ……夢じゃなかったらしい。

 どんな理屈か知らないが、あの仮想空間から、ミラ子の声だけ、スマブレに伝送してきてるようだ。これも機能拡張の結果だろうか?


 ともあれ、ミラ子といつでも話せるようになったのは喜ばしい。

 ……このときの俺は、その程度に、ごく軽く見ていた。


 俺の天授「ミラーリング」が、仮想空間から現実へ。

 じわじわと侵食を開始している。


 これが、その端緒であったことに、まだ俺は気付いてもいなかった。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 ……その後、電車で出勤。

 現在に至る。


「里山さん、そろそろ始まりますよ。急いで行きましょう!」


 北浜さんと一緒に控室を出て、大講堂の舞台袖へ移動。

 今日、北浜さんは、この式典の司会役を仰せつかっているそうで。


 そのまま一足先に壇上へ出るや、落ち着き払った様子で、マイクを手に来賓紹介。

 カンペもなしに、こうも人前ですらすらと語れるとは、さすが大企業の受付係だけのことはある。


 続いて、今日の式典の具体的な内容と、その意義について、樫本社長じきじきのスピーチ。

 社史において初となる、大阪駅前第三ダンジョン第二層からの生還を果たし、なおかつ膨大な量の最高等級貴重品マテリアルを会社にもたらした探索者、里山忠志――。


 その功績を表彰するとともに、上級探索者への昇進決定。

 また、かつて存在した第一探索部の再結成、里山忠志をその第一探索部に配属し、班長に据える人事を既に決定済みであること……それらの事柄を、樫本社長は、ここで一気に公表した。


 第一探索部の復活は、いわゆるサプライズであり、多くの社員にとってまったく初耳であった。

 大講堂はたちまち騒然となりかけたが、ここで畳み掛けるように、北浜さんが再びマイクを執った。


「さあ、今日の主役にご登壇いただきます! 里山忠志さん! どうぞ!」


 ついに出番だ。呼ばれて、袖から壇上へと出た。

 わっと歓声が沸き、嵐のような拍手が俺のもとへ押し寄せてくる。


 居並ぶ幹部重役連は、いかにもなつくり笑いを浮かべて、俺を迎えた。

 全員というわけではないが、あまり俺をよく思ってない重役もいるようだ。仕方ないことではある。


 講堂内に列席する社員らの中からも、ちらほらと、鋭い針のような敵意ある視線が感じられる。

 どうやら、俺を取り巻く環境は、なお一筋縄ではいかないようだ。


 それでも。

 俺がやること、目指すものは、今後も変わらない。


 強くなる。もっと強くなって、あの人の背中に追いつき、いつか並び立つ。

 そのために、障害があれば排除する。降りかかる火の粉は払う。


 他人にどう思われようが、些事でしかない。


 ――まだまだ、これからだ。


 表彰を受けるべく、光と歓声溢れる壇上に、俺は力強く一歩を踏む。

 その光の彼方に。


 ふと。

 あの人の背中が、かすかに見えたような気がした。



   【第一部・ホワイティ梅田編 完】

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