第39話 汝に勝利の褒賞を与えん


 透き通った白い肌、白銀のロングドレス、輝く銀髪。

 ミラ子の容姿は、いかにも「ミラーリング」のイメージに似つかわしい、神秘的な風情を漂わせている。


 くるくる大きな黒い瞳、ぽつんと小さな紅唇に、優しげな笑みをたたえて、俺を見つめていた。


『ますたー。機能拡張によって、わたくしミラ子の仮想インターフェース構築、完了しましたっ。どうですか?』


 そう楽しそうに笑って、くるりとその場で回って見せるミラ子。

 ロングドレスの背中には大きな白いリボンが付いており、まるで天使の羽でもあるように、ひらひらと舞っている。


 物理法則も何もないこの空間で、髪までふわりと広がりなびくのは、どんな理屈なのだろうか……そういう物理演算処理を、このアバターにのみ適用しているということか。

 大幅な機能拡張によって、アバターの動作に割くリソースによほど余裕ができたということだろう……。


 そんな推測は置いておくとして。


「可愛いと思うよ」


 と、俺はごく素朴な感想を述べた。

 さすがに、少々幼すぎる気はするけど。


 とんでもなく可愛らしい容姿であることは間違いない。さながら小さな女神のようにすら見える。

 もとより、このアバターは、俺との意思疎通を円滑に進めるため、後付けで構築したインターフェースにすぎないはず。


 だが、アバターを作ったのはミラ子自身であり、ほかの誰の容喙でもない。

 現時点では、これがミラ子自身がそう望んだ、ミラ子の正味の姿と考えていいのだろう。


『ほんとですかっ? わたくし、カワイイですかっ?』


 ぐぐっと、俺へ迫ってくるミラ子。


「うん、カワイイ」


 きっぱり、うなずいてみせる俺。


『えへへ、ますたーに褒められたー! うれしー!』


 しばし、心底嬉しそうに、くるくると回り続けるミラ子。


 人格までアバターの容姿に合わせたか。本物の幼子みたいな反応をしている……。

 と見ていると。


 ひた、と回るのやめ、ミラ子はあらためて俺に向き合った。


『えっと……しつれーしました』


 ようやく、自分の役割を思い出したらしい。


『ますたー。ミラーリングがレベル21になりましたっ。機能拡張により、様々な機能が更新、強化、及び追加されています』

「ヘルプを読むんだな?」

『はいっ。がんばって読んでください!』


 にっこり笑うミラ子。そして姿見にシュバッ! と表示される長大なテキスト。膨大な更新項目。

 ……それから、更新部分を全て把握するまで、結局、体感で一時間以上かかってしまった。


 以前と大きく異なる点として、これまでミラーリングの発動タイミングでしか入ることのできなかった、このデジタル仮想空間に、いつでも任意に入れるようになった、というのがある。

 これは相当デカい変更点だ。


 ミラーリングのレベル自体は、俺が死んだときしか上がらない。そこは従来通り。

 しかし、この仮想空間にはいつでも任意で入り込むことができる。この空間内では、俺はいまと同様、一時的に実体の無い幽霊と化す。


 空間内の機能はすべて、スキル発動時と同じように利用可能。

 出るときは従来通り、その時点のバックアップデータからロードを実行し、再実体化することになる。


 ただ、任意でこの仮想空間に入った場合、ミラーリングのレベルは上がらないため、再実体化時のボーナス類は無い。

 これを利用すれば、実質どこからでも、一瞬で自室に転移できるため、使い方によってはかなり便利になりそう。


 それに、この空間にはミラ子がいるわけで、今後は死ななくてもミラ子に会いに行ける、話ができる、ということでもある。

 また、この空間にいるときは、実質、現実での時間は停止している。


 悩み事や考え事があるとき、時間に追われているときなど、ここに逃げ込むのもアリかもしれない……。

 バックアップの保持データ数も増えた。


 現時点では一秒前、十秒前、一分前、五分前、十分前、三十分前、一時間前、一日前、一週間前、一ヶ月前、の合計十点。

 さすがに一ヶ月前にロールバックなんて事態はちょっと想像つかないが……世の中、何が起こるかわからない。備えはあったほうがいい、ということか。


 それ以外の変更点は、いずれも細かい調整ばかりで、そう重要なものではない。今後の更なるアップデートに期待、かな。

 ついでに、いま俺自身が保持している後天技能についても、再点検しておく。


 数が多すぎて、まだ把握しきれていない。

 一応、自己鑑定ステータスオープンを使って、ひとつひとつチェックしてみたが、ほとんどの技能は、さほど役に立つとも思えないものばかりだった。


 そんな中でも、物品鑑定や四次元収納アンリミテッド・ポケット自己鑑定ステータスオープンなどは、今後も重宝しそうだ。魔物鑑定は、あとでもう一度、デーモンロードに使って試してみよう……。

 なにげに背面衝撃耐性がレベル28にまで到達している。


 だが……これでも、新堂センパイが全力で背中を叩いてきたら、おそらく、まだかなり痛い。

 あの人の後天技能のひとつ「豪腕」は、本気を出せばビンタ一発で鉄筋コンクリートの電柱をへし折るからな……。あの人に比べたら、俺はまだまだ力不足もいいところだ。


 ……ともあれ、再戦に向けた準備は、こんなものだろうか。

 手早く設定に入る。まずは死亡一秒前を指定。続いて再実体化の座標指定。


 今回、この座標指定が重要になる。勝利の鍵がそこにあるというも過言じゃない。

 このとき俺は、ある一策を脳内に描いていた。


 狙い通りに事が運ぶか、それはやってみなければわからないが、無策で挑むよりは、よほど勝ち目があるはずだ。

 ――設定完了。


『ますたー。データロードを実行しますか?』


 ミラ子が、ぴょこっと俺の横に立って、訊いてきた。そんな何気の無い仕草も、いちいち可愛らしい。本当によくできたアバターだ。


「ああ。やってくれ」

『りょーかいしましたっ! データロードを実行します!』


 元気よく実行作業に移るミラ子。

 視界がぼやけはじめる直前、ミラ子は俺に、にこっ、と笑ってみせた。


『がんばって、ますたー!』


 響く、かわいい激励。それはもう、頑張りますとも。


『全能力値にボーナスポイントが永続加算されました』

『全所持技能のLVが1上がりました』

『技能・整理整頓LV1を取得しました』

『シュピーゲル・サークレットを装備しました』


 ミラ子のガイダンス……って、なんで整理整頓。サークレットはわかるけど。

 アイテムはともかく、追加技能のほうは、どうも微妙なものが多い。


 とかツッコミ入れる間もなく。

 一瞬、視界が漂白され――。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 視界が戻る。

 例によって、デーモンロードはまだ剣を振り下ろした直後の格好。もう何回見たっけなこれ。


 だが今度で最後だ。次は無い。


『……気配が変わったな』


 ゆるりと大剣を横たえ、巨躯の肩を揺すって、デーモンロードは、再び俺と向き合った。

 俺の内心……ここで決めるという意思を、相手のほうでも感じ取ったようだ。


 今回は、彼我十メートルほど距離がある。

 交戦再開の前に、魔物鑑定を試しておこう。


 現在、この技能はレベル19まで上がっている。より詳しい情報が見られるかもしれない。



  「エギュン」

  階級:デーモンロード

  種族:最上級悪魔(序列7位)

  状態:召喚中

  脅威度:8(最大10)

  備考:魔界の東西南北を統治する四大魔王の一柱。北の魔王。



 ……なんか、想像以上に大物だった。やけに偉そうだと思ったら、魔王って。

 個体名はエギュンで、デーモンロードってのは悪魔の階位のことらしい。


 脅威度というのは、基準を知らないのでよくわからない。

 だが、これより強い魔物も、どこかにいるんだろうか? 想像つかないが……。


『準備はよいか? ゆくぞ』


 デーモンロード……エギュンが、再び黄金の大剣を手に、鋭く踏み込んできた。

 前回までとは、見え方が、まったく違う。


 その振り上げる両腕も、落ちかかる剣先も、俺の動体視力は、はっきりと捕捉していた。これなら十分に反応できる。

 躱すことも容易だが、ここはあえて――。


 シュピーゲル・ブレードの刃を真横にかざし、振り下ろされる大剣を、真正面から受ける。

 激突する大小の刃。けたたましい金属音とともに、激しい火花が散る。


 相当重い斬撃のはずだが、俺はむしろ軽々と受け止めていた。ミラーリングの永続ボーナスにより、俺の身体能力は、あらゆる面で底上げされている。

 動体視力、反射神経、そして膂力も。すべて、前とは比較にならないレベルに達している。


 この一合をもって、俺はそれをあらためて実感した。


『おう、ついに……予と拮抗するだけの力を、身につけたか』


 魔王エギュンが、感嘆の息を洩らした。

 なんで妙に嬉しそうなんだよ、コイツは。悪魔の感性はよくわからん。


『だが……まだまだ、予も本腰ではない』


 エギュンは、ひとたび後ろへ飛びすさるや、黄金の大剣に、なにやら気合を込めた。

 たちまち、刃が青白い炎を帯びて輝きはじめた。なんらかの強化バフを、剣に施したようだ。


『これを受けられるか!』


 ごおうっ、と、音にも等しい速度で振り下ろされる、炎の刃。

 だが、見えている。いくら威力が増そうと――。


 シュピーゲル・ブレードを左手に握りなおし、刃を斜めにかざして。

 俺はその場に片膝付いて、素早くしゃがみ込みつつ「片手で」エギュンの一閃を、がっきと受け止めた。


 同時に、右手を、つと足元へと伸ばす。

 そこには。


 先ほど、連城さんの手を離れ、そのまま放置されていた――聖遺物アーティファクト、剛剣デュランダルが、落ち転がっている。

 今回、再実体化の座標を、わざわざデュランダルのそばに指定していた。


 まさにこのとき、この瞬間のために。

 デュランダルの柄を、右手で掴む。


 さすが特大の両刃剣、重量はかなりのもの。だがそれでも、今の俺の腕力ならば問題ない。

 いまや大剣を打ち込んだ姿勢のまま、完全にガラ空きとなっているエギュンの胸元めがけ。


 右腕一本、風を呼び、デュランダルの刃先を向けて――力の限り、ぶん投げる!

 剛剣は、さながら光の矢のごとく飛んで、まっすぐエギュンの胸板を貫いた。


『お……おっ?』


 一瞬、我が身に何事が起きたか把握できなかったのだろう。

 かすかに戸惑いの表情を見せるエギュン。


 深々と刃が突き立った自身の胸を眺めて、ようやく状況を悟ったようだ。

 たちまち胸もとから、口から、真っ黒い体液が、ゴボリと溢れはじめた。


『この、剣は……!』


 エギュンは、整った顔つきを、わずかに強張らせて、口の端を吊り上げた。


『なるほど、汝の勝ちだ……見事、といってやろう』


 剣が刺さった箇所からは、体液とともに、白い蒸気のようなものが噴き出ている。

 あれこそ、対魔印の効果。


 シュピーゲル・ブレードは、物理において無双の切れ味を誇る業刀。だが、魔物への効果となると、デュランダルのほうが上だろうと、俺は推測していた。

 デュランダルは本社整備部において、非常に強力な対魔印を施されている。


 デーモンロードという上位の魔物には、シュピーゲル・ブレードよりデュランダルのほうが効果的にトドメを刺せるはず。

 ゆえに、床に転がったままのデュランダルを活用すべく、あらかじめ策を思い描いて、この戦いにのぞみ――。


 ほぼ成功を収めた。

 完勝、といっていいはずだ。


 俺が立ち上がると、エギュンはそっと床に片膝をつき、俺と目線を合わせた。


『この肉体は、じきに消滅する。この場の勝利は、汝に譲ってやろう。予の本体は魔界にある。もし今後、魔界に来る機会でもあれば、予の城を訪ねてくるがよい』


 召喚されて出てきたのはコピーみたいなもので、本体は無傷と。やけに余裕綽々だった理由がそれか。

 俺との戦いも、所詮、一時の戯れでしかなかったのかもしれない。悪魔の思考など、俺には理解できない。


 あと、魔界に行く機会なんて、たぶん一生無いと思うけどな……。魔王の城がどんなところか、興味がなくもないが。


『さらばだ、権能使い。北の魔王エギュンの名において、汝に勝利の褒賞を与えん――』


 そう囁くように呟いた直後から、エギュンの全身が、じわじわと半透明に薄れてゆき、ほどなく、消えた。


(だから、権能ってなんなんだよ!)


 とか思う間に、エギュンを貫いていたデュランダルが、再び床に落ち転がる。

 同時に、俺の頭に、なにやら小さな物体が、コツン! と落っこちてきて、俺は少々慌てた。


 落ちてきたのは、金の指輪だった。表面にはビッシリと謎の模様のようなものが彫りこまれ、きわめて小さな透明な石が象嵌されている。

 エギュンがいうところの、勝利の褒賞、ということか?


 ともあれ物品鑑定の技能を発動してみると――。



  「ソロモン王の指輪」

  種別:古代遺物

  状態:最良

  耐久:不明

  備考:かつてイスラエル王ソロモンが神より授かったとされる神具。装着すれば、あらゆる獣の声を聞き分け、その意図を理解することができる。魔物にも効果がある。装着者は中級以下の悪魔を無条件に従えることができる。



 ……とんでもない品だった。

 どうしろっていうんだ、こんな貴重品。

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