第38話 四次元収納
ここはホワイティ梅田最深部、泉の広場。
俺は再び、デーモンロードと対峙していた。
一撃であっさり斬り殺されてから、ほんの一ミリ秒足らず。
ほぼ間を置かず、再実体化を果たしている。
俺の身体は、死亡から一時間前の、万全な状態に巻き戻っていた。
少々ややこしいのだが、一時間前といえば、俺が泉の広場に踏み込んだ直後ぐらいで、桂木さんに射殺されるよりずっと前のタイミングになる。
本来その時点では、まだ俺はシュピーゲル・ブレードは所持していないし、身体能力へのボーナスなども得られていない。
ではそれらは今回、消えてなくなるのかといえば、そうではない。
ヘルプによれば、この場合――再実体化と同時に失われる前回分のボーナス類は、すべて自動的に再取得できるそうだ。当然シュピーゲル・ブレードも装備した状態となる。
そこに、今回分の永続ボーナスも加算される。身体能力の底上げ、所持技能のレベルアップ、そして新装備の追加。
今回はシュピーゲル・ブーツ……靴が、新たに装備されている。これまで履いてた会社支給品の革製ブーツは、いつの間にかバックパックに納まっているようだ。
また新規に、
わざわざ「ステータスオープン!」とか叫ばなくても、念じるだけで自分自身の能力を参照できるようだ。
といっても、今はそれらを詳しく検証している暇もないのだが。
デーモンロードは、まだ剣を振り下ろしたままの格好で、一瞬、怪訝そうな顔つきを浮かべた。
俺に関連する状態がすべてロールバックされているため、漂っていた血煙も、床に散らばっていた無残な血まみれの肉塊も、きれいに消え去っている。
『……ほう。たいしたもの』
はや状況を把握したか、デーモンロードの口から、感嘆したような声音が洩れた。
相変わらず言語としては理解不能の奇妙な信号音なのだが、意味は伝わってくる。不思議な感覚だ。
『それが汝の権能か。興味深いな』
なぜか、感心しきりの様子。
「……権能とは?」
と、俺はあえて質問をぶつけてみた。
権能って、おそらくミラーリングのことだろうが、なぜわざわざ、そう呼ぶのか。
言葉が通じるかどうかすら不明な相手だが、つい、訊いてみたくなった。
『予が告げてやってもよいが』
デーモンロードは、ゆったりと剣を横たえつつ、応えた。俺の言葉は普通に通じるらしい。
『じきに、
そんな意図の信号音が耳に伝わってきたとき。
デーモンロードの巨体が、ざわっと動いて――。
もう俺の頭上に、黄金の光が降りかかっていた。
……そして漂白される視界と意識。
『メインデータが破損しています。バックアップを使用しますか?』
相変わらずの真っ白い空間、眼前に浮かぶ姿見。
その表面右下に、小さなスライドタッチ式のソフトウェア・スイッチみたいなものが表示されていた。
簡略モード・ON/OFF……と書いてある。
ぽちっ、と押してみると。
『簡略モード、オン。以降、各種システムメッセージを省略します』
ミラ子の声が脳内に響く。
ただ、例の光るアバターは、どこにも見えていない。そこも簡略化されたってことか。このモードは、同じボタンで解除できるそうな。
すでに俺の前には、七枚の長鏡が並んでいる。
ヘルプの更新通知やシステムによる確認の呼びかけなどは、すべて省略されるということなので、俺は手早く設定を済ませた。
死亡十秒前のデータを適用し、再出現ポイントをデーモンロードの正面五メートルに設定。
姿見に、またタッチ式のスイッチが浮かび上がる。
データロードを実行しますか? Y/N……という表示。
Yをぽちっと押す。
同時に、視界がぼやけてきて――。
『全能力値にボーナスポイントが永続加算されました』
『全所持技能のLVが1上がりました』
『技能・
『シュピーゲル・マフラーを装備しました』
ミラ子のガイダンスが……って、四次元収納?
そんな疑問を思う間もなく、俺の肉体は再び実体化された。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そこから先――。
再実体化からほどなく、頭上高く振り下ろされる黄金の刃。
死亡。
簡略化されたインターフェースの操作。
再実体化。
また死亡。
再実体化。
死亡。
……と、繰り返すうち。
少しずつ、デーモンロードの剣先が見えるようになってきた。
ミラーリング、レベル13あたりから、おぼろげに、その攻撃が俺の動体視力で捕捉できるようになった。
まだ回避するには及ばない。指一本くらいは、どうにか動かせるようになった。
この間、デーモンロードも、毎回毎回、それはもう丁寧に潰してくれている。モグラ叩きみたいに。
こう何度も同じことが続くと、そのうち嫌気がさしてもおかしくないだろうに、毎度やけに根気よく付き合ってくれてるというか。
復活ごとに追加される後天技能も、もう何が何やら、内容を把握しきれてない。
装備についても、もとより入手済みのシュピーゲル・ブレードに、ブーツ、マント、グローブ、プレートアーマー、アンダーウェア、ソックス、はてはトランクスまで、すべてシュピーゲルの冠名を持つ装備に勝手に入れ替わった。
シュピーゲル・ヘルムという立派な冑も装備されたが、いくら冑が頑丈でも、あの大剣で脳天を叩かれれば、中身が衝撃に耐えられず結局死ぬ。というか死んだ。
視界も悪くなるので、結局ヘルムは使わないことにした。
さらに時折、シュピーゲル・ペティナイフだの、シュピーゲル・ナイフシャープナーだの、もはや深夜の通販番組みたいなアイテムまで入り混じりはじめた……。
確かに独身暮らしには、あれば便利な道具類ではある。
それらは、さっき習得した後天技能・
変なアイテム類にも興味はそそられるが、この
一応、これに近い天授技能は世間に存在している。
たとえば「ポーター」という天授を持つ中級探索者が複数、社内に在籍しており、彼らは膨大なアイテム、武具類などを、その特殊技能によって小さなバックパックに収納し、軽々と運べるそうな。
ただ制限も多く、有機物……食料や人間、魔物の部位などは収納できないし、運べる重量にも限りがあるらしい。
一方、俺の
おかげで、今後どれほどアイテムが追加されても問題はない。
それはそれとして。
『シュピーゲル・ネックレスを装備しました』
『シュピーゲル・リングを装備しました』
『シュピーゲル・アンクレットを装備しました』
ミラーリングがレベル15を越えたあたりから、今度は復活のたびに、宝飾品のたぐいが次々と体の各部位に勝手に装着されはじめた。
まだ詳細を調べる余裕はないが、一応、どれも特殊な加護とか強化効果とかがあるらしい。一体何種類あるんだ、このシュピーゲル・シリーズって。
そのようにして、ミラーリングがとうとうレベル20に達し……。
再実体化。
『受けてみよ!』
響く一喝。
ぶうんっ、と落ちかかる黄金の大剣。
その軌跡が、はじめて、残像をともないつつも、どうにか捕捉できた。
身体が、動く。
反応できる。
――躱せるか?
惜しい、あとほんの少し、反応速度が足りない。
またもグシャリと潰され、死んだ。
しかし、完全に手ごたえは掴んだ。
次こそは、確実に回避できる。
――再びミラーリングが発動し、真っ白い仮想空間へ。
俺は、眼前に浮かぶ長鏡を眺めやり、その表面右下に浮かぶ簡略モードのスイッチを押して、オフに切り替えた。
今度は、いける。次で、必ずデーモンロードを仕留める。
そう確信を得たがゆえに。もはや次以降の簡略モードは不要、と判断した。
簡略モードは、処理が早いのはいいが、ヘルプの更新通知が出ないので、機能拡張があっても随時確認できないという短所がある。
それにミラ子が姿を現さないので、やはり少し味気ない。
そのミラ子のアバターも、あれからのレベルアップで、かなり外見は変化しているはずだが……。
『ますたー。おかえりなさい!』
簡略化を切った途端。
なんとも元気な子供の声が、脳内に響いた。
……子供? と、背後を見やると。
真っ白い空間の只中。
銀に輝く清楚なドレス姿、銀髪黒目、愛くるしい顔立ちの……見ため五、六歳くらいな童女が。
にっこり笑って、佇んでいた。
……ミラ子、なのか?
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