第37話 マスターは無敵なんです!
身長五メートルにもなる巨体のデーモンロード。
それだけに、佩剣も並外れて大きい。
いかなる由来のある剣か、黄金眩い大剣、刃渡りは俺の身長の倍ぐらいはある。人間が扱えるサイズじゃない。
あんなもので斬られたら、もう原型も留めぬほど無残なことになるだろう……。
デーモンロードの足元に光っていた魔法陣は、すでに跡形もなく消滅している。
服部さんが死に、供給されていた魔力も切れたようだ。
こうなると、デーモンロードに「お帰りいただく」には、もと来た魔法陣とは別の帰還ルートが必要になる。
デーモンロード自身が自発的に転移の魔法を用いるか。
あるいは、ここで俺が討伐するか。
いずれにせよ、逃走という選択は俺にはない。逃げられる相手だとも思えない。
たとえ力及ばず、戦い敗れて死んでも、俺にはミラーリングという力がある。
勝てるまで、戦い続ければいい。
……と、そのときは、そう思っていた。
『では、試してやろう』
デーモンロードが、おもむろに一歩を踏む。
来る、と身構えたとき。
もう俺は死んでいた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『メインデータが破損しています。バックアップを使用しますか?』
だいぶ見慣れた、真っ白い空間。聴き慣れた定型句。
例によって、下位次元の謎仮想空間。
今日これ何度目だっけ?
俺の眼前に浮かぶ姿見には、それはもう凄いことになっている俺自身の惨状が映し出されていた。
赤い霧のような血煙の下、床には真っ赤なミンチが散乱している。
まさか本当に跡形もなく潰されるとは……。
何があったのか、思い返してみる。
頭上、落ちかかる黄金の光。
死の間際に見たものといえば、それきりだ。
それがデーモンロードの斬撃であることは明らか。
速い、なんてものじゃない。
俺の反応速度では、受けるどころか、指一本、動かすこともできなかった。
格が。
あまりにも、格が違いすぎる。
力及ばず、どころじゃない。戦いにすらなっていない。
これは、勝てない――。
そう頭を抱える俺のもとへ、金色の光が、音もなく浮き漂ってきた。
『マスター。おかえりなさい!』
ミラ子のアバターだ。前回よりさらに大きく、さらに四肢がはっきりと分かれて、より人型に近い姿になっている。身長は俺の半分くらいか。
さながらぼんやり発光する大きめのヌイグルミ。現状のミラ子は、そんな風情に見える。
しかし声のほうは、前回よりさらに幼く、舌っ足らず。かしこく快濶な小さな女の子、という雰囲気。
アバターの外見が人型に近付くにつれ、むしろ幼児っぽさが強調されてきている。誰の趣味だこれは。
『マスター、元気を出してください。マスターには、わたくしが付いていますよ』
と、俺を気遣う台詞まで。どんどん進化してるな、このOS。
そんなミラ子の声を聞いてたら、本当に少しだけ元気になれた。
『ミラーリングがレベル5になりました。ヘルプが更新されています。すぐに参照しますか?』
「ああ、見せてくれ」
うなずくと、姿見に、これももう見慣れたヘルプの文字列がずらりと表示された。
変更点は、さほど多くない。
再実体化にあたり、全能力値の一割を底上げ。 新たな後天技能の習得。新たなアイテムの追加。
このあたりは前回までと同じ。
今回の新要素として、習得済みの全ての後天技能が、再実体化と同時にレベルアップするらしい。
せっかく覚えた二種の鑑定スキルも、レベルが低く、あまり使い物になっていなかったから、これはちょっと有り難いかもしれない。
ただ……。
従来の強化要素に、これらの追加要素があっても。
正直、根本的解決には遠い気がする。
デーモンロードは強すぎる。
これから一割二割、俺の能力が上がったところで、到底まともに渡り合える相手じゃない。力の差がありすぎる。
『マスター。あのですね』
ミラ子が、ふわふわと風に流れるように、俺の目の前で、右へ左へ漂いながら、脳内へ囁いてきた。
『ミラーリングのレベルには、上限がありません。マスターへ付与される能力と技能にも、限度は設定されていません』
そういえば、少しは気になっていた。
ミラーリングは、死んでも復活できるスキル。
だがこの世の中、そんな旨い話があるとも思われない。
回数制限みたいなものがあるんじゃないか。
あるいは一定の回数を越えると、なんらかのデメリットが現れてくるんじゃないか。
意識の隅に、そういう危惧を少しは抱いていた。
『心配ご無用です、マスター』
そんな俺の内心を読み取って、ミラ子が力説をはじめた。
『ミラーリングに、マスターの不利益となるようなデメリットは一切ありません。それに、いまいったように、発動回数も、それによって付与される各種能力にも、上限なんてありません。マスターの成長に、限界はありません。ですから……』
ぴたっ、と空中で静止するミラ子。
ふと、姿勢をあらため、正面から俺とまっすぐ向き合う。
『マスターは無敵なんです!』
元気よく言い切るミラ子。いまだ金色の光が人型を取ったような姿で、顔の表情も何もわからないが……なんとなく、その輝きの向こうに。
俺を励まそうとする、小さな子の、笑顔が見えた……気がした。
こうまで言われて、いつまでヘコんでいるわけにもいかないだろう。
……今ならば、デーモンロードを放置して逃げるという選択も、実は可能になっている。
簡単なことだ。次の再実体化ポイントを自室に設定すればいいだけ。
それで俺は安全確実にホワイティを脱出できる。
だがその後、放置されたデーモンロードが、おとなしく元の世界に帰ってくれるだろうか?
デーモンロードは、もともとダンジョンに棲んでいた魔物ではない。
ゆえにダンジョンに留まってくれる保証も、どこにもない。
あれほどの脅威が、もしダンジョンから地上へ出てきたら、どんな災厄を振りまくことになるか。
我が社の探索者が総出でかかっても、あれを止めるのは難しいだろう。
討伐までに、どれほどの犠牲者が出ることやら、想像もつかない。
それよりは――ミラ子のいう、上限なき俺自身の成長力に賭けるほうが、よほど勝算を見込める。
当然ながら……それはもう想像するのも嫌になるほど、何度も何度も、死んで蘇生というのを繰り返す羽目になるだろう。
だが、それによって、被害を最小限に抑えることができるなら。
なにより俺自身が、デーモンロードを超えるだけの強さを、この手にすることができるなら。
どんな苦行であろうと、やってみる価値はある。
「ミラ子。これからしばらく、泥仕合だ。何度も戻ってくることになるぞ」
『はい、承知しました! なるべく素早いデータロード実行のために、次回以降、簡略化モードへの切り替えができるようにしておきます!』
え、そんなことできるの? なんて有能なOSなんだ。
『わたくしミラ子は、マスターにご奉仕するサポートシステムです。それくらい、できて当然です!』
えっへん、と胸を張って見せるミラ子のアバター。といっても表情も何もわからないんだが。かろうじて、そういうポーズを取っていることはわかる。
なんとも頼もしいサポートだ。ミラ子と一緒ならば、不可能なことなど何もない――不思議と、そんな気持ちにさせてくれる。
「よし。それじゃ設定するぞ」
ひゅんっ、と俺の前に飛んでくる、七つの長鏡。今回は、死亡一時間前のバックアップデータを選択する。
再実体化のポイントは、泉の広場、前回死亡した座標から三メートルほど南側に設定。
ちょうどデーモンロードが立っている座標の真正面、やや距離を取って仕切りなおしといこう。
……またすぐ斬られることになるとは思うが。
『はい、設定を完了しました。すぐに実行しますか?』
ミラ子の最終確認。
「イエスだ」
俺はうなずいた。
『了解。データロードを実行します!』
力強く宣告するミラ子。
急速に視界がぼやけてゆく。
『全能力値にボーナスポイントが永続加算されました』
『全所持技能のLVが1上がりました』
『技能・
『シュピーゲル・ブーツを装備しました』
ミラ子のガイダンスが脳内に響いた――。
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