第36話 その魂を捧げよ
服部さんの魔法陣から出現した、体高五メートルになんなんとする巨大な人型。
最上級悪魔、デーモンロード……と、鑑定結果にはある。
正直、そんな魔物は聞いたことがない。
レッドデーモンの上位種に、アークデーモンという、きわめて強力な魔物がいる。
神戸ハーバーランドダンジョン、神戸三宮ダンジョンなどでの目撃報告があり、ただ一体で上級探索者のパーティーを壊滅に追い込んだ事例が複数残っている。
一応、一種探索者による討伐例も過去にいくつか報告されているが、樫本所属の二種探索者による討伐例は、かの第一探索部所属の上級探索者パーティー四名のみ。
それも二十年以上も昔の話であり、近年の討伐報告はゼロである。
名称や種族名からして、デーモンロードというのは、そのアークデーモンよりさらに上位の存在なのだろう。
うちの本社の資料にもデータがないということは、あるいはこれが初の目撃例、という可能性もある。
そもそも、本来、ダンジョンに棲息している魔物ではないのかもしれない。
服部さんの文字通り命がけの召喚術に応じて、どこか別の世界から来た脅威……そんな可能性すらあった。
ただ、俺の「魔物鑑定LV1」が反応し、情報を提示している以上、まったく未知の生命体というわけではなく、魔物のカテゴリーには入っているようだ。
魔法陣のかたわらでは、服部さん、桂木さん、連城さん……俺を殺しに来たはずの三人が、突如として青い炎に全身焼きつくされ、真っ黒に炭化して、もうその面影すらとどめていない。
あまりに唐突なことで、まだよく状況を把握しきれないが、これは……デーモンロード召喚の生け贄、ということだろうか?
デーモンロードが直接手を下したのか、あるいは召喚魔法のほうに、そういう生命を贄として消費する仕組みでもあるのか。
魔法について知識のない俺には、そのあたり、よくわからない。
はっきりしているのは、あの三人が無残な死を遂げ、かわって、途方もない魔物が俺の前に立ちはだかっている――という事実。
その魔物、デーモンロード。
青肌の四肢、隆々の巨体、黄金燦爛たる衣冠をまとい、腰には、これも金に輝く大剣を佩いている。
赤い髪は炎の燃えるごとく逆立ち、赤い両眼は爛々と光って、静かに俺を睥睨していた。
『足りぬ――』
その口もとが、かすかに動いたと見えるや、声が洩れ出た。
日本語ではない。まるで聞いたこともない、言語というより信号音に近いような、しかし清澄かつ神秘的な
それでいて、意味ははっきりと伝わってくる。理解できる。あのデーモンロードが、俺に語りかけてきた、ということも。
何がどうなってるんだ。
『予はこれ、人魂を贄に捧げんとの声に応じたのみ』
……どういうことだろう。
デーモンロードは、服部さんの願いがトリガーとなって召喚されてきたが、そのデーモンロード自身は、とくに召喚者の願い事などに興味はない様子。
服部さんは、心底俺を殺したいと願っていたようだ。最後に俺を睨み付けた、憎悪の込もったあの目は、当分記憶に焼きついて消えないだろう。
人間は、それほどまでに他者を憎むことができるのか。俺には正直、まだ理解できない。
執念を通り越して、怨念というべき願いが、とんでもない存在を呼び喚せた。
『足りぬ。贄が。こんなものでは足りぬ』
贄とは、あの三人のことだろう。
三人を焼き殺した青い炎は、やはりデーモンロード自身の力だろうか。
悪魔というのは、人間の魂を狩り集める存在だと、どこかで聞いたことがある。
より多く、より上質な魂を取り込むことで、上位の悪魔へと進化し、さらに強大な魔力を得られるのだとか。
デーモンロードも、そういう魂を狩る悪魔の一体なのだろう。
『汝も、捧げよ。その魂を捧げよ』
絢爛たる衣を揺らして、デーモンロードが、右腕を俺へと差し向ける。
そのとき、俺は理性によらず、ほとんど本能的に、大きく後ろへ飛び
同時に、それまで俺が立っていた場所に、青い炎の柱が生じて、燃え上がった。
――こいつ、俺の魂も狩るつもりだ。
軽い身震いをおぼえた、
連城さんたちを焼いたように、デーモンロードは、俺をも焼き殺そうとしている。
詠唱などはしていないように見えた。魔法か、それとも何か別種の能力なのか。
理屈はわからないが、人体を瞬時に消し炭にするような攻撃をノータイムで繰り出してくるなど、危険きわまりない。
ただ、絶対に回避できないというわけでもない。実際、どうにか今の初手は躱すことができた。
この青い炎は、標的を直接狙うのではく、任意の場所に「出現させる」タイプの攻撃と見た。
霊体系の魔物のなかに、そういう攻撃を得意とする者がいる。
突然、空中に鬼火を出現させたり、床から骸骨の手を生えさせ、足を引っ張ろうとしてきたり、いくつかバリエーションはあるが。
手の内を把握してさえいれば、対処法はある。ようは可能な限り動き回って、相手に的を絞らせないこと。
俺は、急いで魔法陣の周囲を駆け巡りはじめた。
『逃がさぬ』
デーモンロードの声が響く。
俺の左右、次から次へと、青い炎の柱が床に噴き上がっては消える。ジグザグに駆け回ることで、それらを紙一重に躱しながら、俺は攻撃の機を狙った。
デーモンロードの能力が、まだ把握できていない。この「魂を狩る」青い炎の他に、いかなる攻撃方法を擁しているのか。
腰に下げている、きらびやかな大剣も気になる。下手に接近すれば、斬り合いになりそうだ。
そうなったとして、勝ち目はあるだろうか?
『……よもや汝、予を凌駕せんと欲するか?』
ふと、デーモンロードが、右手をおろし、語りかけてきた。
そのやけに整った顔に、薄い笑みが浮かんでいる。
もしや、俺の内心が読まれている?
俺は足を止め、デーモンロードと、やや距離を置いて対峙した。
しばし睨みあい。
デーモンロードの赤い両眼は、むしろ興味深げに俺を観察しているようだった。
『なるほど。そういうことであるか』
なんか、納得したらしい。
……ひょっとして、鑑定スキルの類でも使われたか? それで俺の能力を把握したとか?
もっとも、俺のほうでも魔物鑑定LV1を使っているし、そこはお互い様ということになるか。
『よかろう。汝の権能、何を、どこまで、やれるものか。予に見せてみよ』
権能?
何のことだ?
と見ていると、デーモンロードは、再び右手を差し上げた。
すわまた例の青い炎か、と身構えたところ。
奇妙な甲高い声音が、デーモンロードの口から流れ出た。
この独特の信号音は、聴き覚えがある――さきほどレッドデーモンどもが用いていた、攻撃魔法の詠唱に近い。
デーモンロードがかざす手の先に、俺の身長ほどもある特大の魔法陣が、縦に浮かび上がった。
次の瞬間。
おびただしい火炎の束が魔法陣から噴き出し、猛然、俺めがけて伸びてきた。
やはり、攻撃魔法。威力もレッドデーモンどもとは段違いだ。
だが回避は難しくない。俺は横ざまにステップを踏んで、身を躱しかけたが――。
炎は、俺を追ってきた。右へ動けば右へ。左へ踏み込めば左へ。的確に軌道を修正して追尾してくる。
このまま直撃すれば、一瞬で全身黒焦げとなること確実。
(躱せない? それなら)
面倒――とばかり、俺は右手にシュピーゲル・ブレードを振りかざすと、飛来する炎の束を――。
斬った。
俺の剣先は一瞬、音速を超えて、その衝撃波で炎を切り裂き、消し飛ばした。
『ほう』
と、少し感心したように、デーモンロードは魔法陣を消滅させ、右手をおろした。
『まだ、そんなものではあるまい。汝の権能、その威力。とくと予に見せてみよ』
余裕たっぷりに告げるや、今度は腰の大剣を抜き放つ。
デーモンロードの剣は、鞘と柄ばかりか刃まで、眩い黄金の輝きを帯びていた。
……権能とはなんだ?
詳しく訊きたいところだが、今はそうもいっておれない。
次は接近戦をご所望のようだ。
正直、まるで勝てる気がしないが――相手がそう望むなら、応えるしかあるまい。
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