第30話 ホワイティ完全踏破


 なぜウメチカで。

 なぜバーゲン。


 誰か言い出したのか。

 それはわからないが、さながら百体もの「赤い女」が一斉にバーゲン会場へ押し寄せてきたかのような混沌。


 いま、泉の広場は、まさにそんな状況である。


(ココココココ)

(ロロロロロロ)

(スススススス)


 耳を聾する大音響。この空間を満たす声は、地獄への誘い。

 見る者聴く者の魂すら縮こませる、おぞましいというも愚かしき情景だった。


 こうなることは事前に調べていたため、驚きはしない。

 とはいえ実際目の当たりにすると、想像以上にキツい状況だと、肌で感じる。


 なにせあの一体一体が、いままで戦っていた「赤い衣の怨霊」の完全な分身体であり、すべて同等の力を備えているという。

 タイマン勝負で相手を倒したら、いきなり同じヤツが百人出てきた、という状態である。


 無論、いつまで怯んではいられない。もとより、こうなると知ったうえで挑んでいるのだから。

 知ってはいたが、とくに対策などは考えていなかった。


 小ざかしい細工が通じる相手ではない。

 赤い女は、いわゆる解呪ディスペルなどの対霊体用特殊技能に高い耐性があり、七割程度の確率で無効化されるらしい。


 ゆえに、そのあたりの技能は決定打とはなりえない。俺は解呪ディスペル使えないし。

 会社支給品のサバイバルナイフに埋め込まれている対魔印は有効で、それが俺にとって唯一の攻撃手段となる。


 であれば、やることはひとつ。

 ただただ、斬るのみ。


 俺はサバイバルナイフをかざすや、ござんなれ――とばかり、赤い女どものバーゲン会場めがけて突進した。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 そこから先は、泥仕合にひとしい。

 飛び交う衝撃波、「コロス!」「コロス!」と吼えあう怒号のちまた


 その広場内を、俺はせわしなく駈けずり回り、手当たり次第に刃を振るう。斬って斬って斬りまくる。

 当然、相手の反撃も熾烈をきわめた。手に手にナイフをかざし、それを超音速で振るってくる。


 八方から飛んでくる不可視のソニックブーム。到底かわしきれるものではない。

 したたかに背を打たれ、胸を叩かれ、幾度も床に転がされながら。


 なお立ち上がり、駆け回り、斬りかかる。

 ほとんどの衝撃はベストが吸収してくれるため、散発的な攻撃であれば、致命傷とはならない。


 だがダメージは、じわじわと俺の身体に蓄積されてゆく。ベストもあちこち損傷しはじめていた。

 二、三発程度の衝撃波なら、同時に食らってもまだ耐えられるが、完全に包囲されてしまうと厳しい。


 全方向から何十発も叩き込まれれば、多分ひとたまりもなく死ぬ。

 死んでもミラーリングで復活できる……一応、それも勘定に入れたうえでの挑戦ではある。


 俺はもはや、死を恐れる必要がない――その認識があるゆえに、少々の無茶などいちいち気にせず、いまも遮二無二、突き進んでいる。


「コロッスぅぅ!」

「コロースー!」


 怒声とともに飛んで来る打撃を、ほとんど勘だけで回避しながら、突っかけ、突き刺し、一体ずつ始末してゆく。


「コロ……ス」


 百体分裂した後の個体は、しっかり刃を通しさえすれば、対魔印の効力で消滅させることができる。

 すべて消し去ることができれば、俺の勝ちだ。


 とはいえ腕を振るだけで超音速の衝撃波を連発してくる相手、百体。

 こちらは刃物一本、身体ひとつで、それに挑むのだから、傍目には正気の沙汰ではあるまい。俺だって、他人事ならそう思うだろうが――。


 かわす。踏み込む。

 斬る。足をさばく。


 のけぞる。腕を振る。斬る。

 背を叩かれる。腹を打たれる。


 床に転がり、また起き上がる。

 斬る。跳ぶ。斬る。


 なかば無我夢中で戦い続け、気付けばもう半数以上も数を減らしていた。

 こちらもダメージはあるが、まだまだ致命傷にはほど遠い。体力の消耗度合いも、思ったほどではない。


 ……やってみれば、案外できるものだ。

 そう奇妙な感慨にとらわれながら、なおも俺は刃を振るい続けた。


 防護ベストのダメージが限度を超えて、次第にあちこち裂けてくる。

 何度か、顔面に正面から攻撃を食らいかけ、慌てて足をからませ転倒、などという無様をも晒しながら。


 それでも、勝つ。

 ここを越えて、ホワイティを完全踏破する。


 その一念で、広場を駆けた。

 残すところ、あと二体。


 ふと、俺が足を止め、ひと息入れたタイミングで――。


「コロス!」

「コロ……スぅ」


 前後から、それぞれナイフを振りかざし、同時に飛びかかってくる怨霊ども。

 音速の斬撃。もし直撃すれば、腕の一本や二本、すっぱり持っていかれかねない。


 俺はわざと床を転がって、前後からの挟撃をかろうじて回避した。

 素早く態勢を立て直し、床を蹴って突進。


 二体の間へ割って入るごとく、横ざまに強襲を仕掛けた。

 サバイバルナイフの刃を右へ左へ、続けて閃かせ、二体の怨霊をほぼ同時に斬る。


「コ、コ」

「ロス?」


 対魔印の効果により、二体ともに、じわじわと姿が薄れ――やがて、空間に溶けるように、消え去った。

 もはや、広場に怨霊の姿は残っていない。


 ……これにて。

 俺は、たったいま、すべての「赤い衣の怨霊」を、この手で消滅させることに成功した。


 これで、ホワイティの単独踏破が――。

 と、安堵する俺の耳に。


 カツン! と、広場の隅のほうで、何かが落ち転がるような音が響いた。

 見れば、封鎖階段へと続く通路の手前。


 さきほど最初に「赤い衣の怨霊」が襲い掛かってきたあたりの床に、何か光るものが見えている。

 樫本の資料によれば、あれはクリムゾン・クォーツ。


 燃えるように真っ赤な宝石で、「赤い衣の怨霊」の討伐報酬としてドロップする、最高等級の貴重品マテリアルである。

 鉱石の方は駅前第三ダンジョンでも拾うことができるのだが、こっちのドロップ品はカッティング済みの宝石そのもので、原石よりさらに価値が高いという。


 なんでも、あれ一個で、都心の新築分譲タワーマンション一戸ぶんぐらいの買い取り値は下らないんだとか……。

 そうした価値はともかく、ホワイティ梅田完全踏破を達成した証、そのトロフィーともいえるもの。


 あれは、必ず取って、持ち帰らねばならない。

 俺は、もう疲労の極みに達した全身を鞭打ち、歩きはじめた。


 息を整え、よろける足を叱咤しながら、よたよたと噴水の脇を抜け、通路前へと辿り着く。

 このとき、もう少し周囲に気を配っていれば、察知できたかもしれない――遠くから、じっと俺を観察していた、悪意ある気配に。


 俺は気付いていなかった。

 床に光るクリムゾン・クォーツを拾おうと、意識がそちらへ向いて、背後を警戒する余裕など無かった。


 その背の彼方から。

 唐突に、銃声が響いた。


 俺の無防備な後ろ頭を、一発の銃弾が撃ち抜く。

 意識が途切れる寸前。


「はしゃぎ過ぎだ。無能ブランク


 そんな声が、聴こえたような気がした。

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