第29話 大合唱
ホワイティ梅田、泉の広場。
大噴水の前に佇む俺めがけて、靴音けたたましく駆け迫る人影。
上半身は赤い着衣、下半身はロングスカートにブーツ。
黒髪黒目の女性の姿……顔はボカシでもかかっているかのようにハッキリとは見えず、ただ黒い両眼のみが、やたら大きく、ぎらぎらと異様な輝きを帯びている。
赤い衣の怨霊――昔はもっとシンプルに、赤い女、と呼ばれていたらしい。
右手にナイフを握り締め、いかにも血相すさまじき有様。
その姿からは、猛烈な憎悪と怨恨の念が伝わってくる。
さきほど魔人アークが用いていたと思しき威圧スキル。それとほぼ同様の感覚が、俺の肌をざわつかせていた。
ただ、この圧が、スキルによるものなのか、あるいはさらに根深い正真正銘の感情の所産であるのか、そこは判別しがたい。
(コロス! コロスぅ!)
おぞましき声は、怨霊自体ではなく、さながら床下から涌き出て、広場全体に響いているように聴こえる。
常人なら、もうこの時点で失神しかねないほど、強烈なおどろおどろしさだ。
だがこの手のホラーにいちいち怯えていては、探索者など務まらない。
赤い女が俺のもとへ飛び込み、両腕をのばすや、俺の首へ掴みかかってきた。なんとも有無を言わさぬ迫力。
俺はサイドを踏んで、左側へ身を躱した。
肩透かしを食った怨霊は、カカカカッ――と靴音響かせ、俺の脇を駆け過ぎてから、慌てて振り向いた。
怨霊は、怒りもあらわに目を輝かせ、こちらへ向き直ろうとしている。
まったく無防備で隙だらけ。
そこへ俺のサバイバルナイフが風を切る。
刃鳴一閃、容赦なく、怨霊の肩口から腹まで、一気に斜めに斬り裂いた。
(いやあああああああ)
たちまち凄絶な悲鳴が広場全体に轟く。
赤い衣の怨霊は、実体を持たない悪霊でありながら、こちらの肉体には物理的に干渉し、ダメージを与えてくるという、反則みたいな魔物である。
霊体ゆえに普通の刃物では有効打は与えられない。
だが俺のサバイバルナイフの刀身には対魔印が封じられており、これが霊体相手に絶大な効力を発揮する。お安い支給品とは思えない性能だ。
(コロ……ス)
いまの一撃で、赤い女にも一定のダメージは通った。
とはいえ、この程度で成仏するような魔物なら、到底、ホワイティ最強などとは呼ばれまい。
本格的に怖いのは、むしろここからだ。
霊体でありながら、ダメージを負うと、なぜか顔が血まみれになり、長い黒髪がザワザワと逆巻き、全身が青い燐光に包まれる。
おどろおどろしい姿は、まさに怨霊の名にふさわしい。本社の資料によれば、これこそ赤い衣の怨霊、その第二形態。
なお、あともう一段階、変化が残っている。
(コロス)
怨霊が、右手を、ヒュンッ、と、俺のほうへ差し伸べる。
次の瞬間――目に見えざる衝撃波が、俺めがけ襲いかかってきた。
間一髪、右へサイドステップを踏み、不可視の一撃を回避する。
赤い衣の怨霊は、この第二形態になると、超音速の物理攻撃を繰り出してくるようになる。
いまのは、その余波で生じたソニック・ブーム。
続けざまに、怨霊が両腕を振り回す。
二発目、三発目――見えはしないが、かろうじて方向を予測し、回避することはできる。
ただ躱すばかりでは倒せない。それはわかっているものの、間断なく遠隔攻撃を浴びせてくるため、なかなか近付く隙が見出せない。
(コロスコロス)
このままでは埒があかないと判断したか。
ふと、怨霊が、より大きなモーションで両腕を振りきった。
たちまち、衝撃波が束になって押し寄せてくる。
俺の動体視力をもってしても、さすがに見切れるものではない。これを確実に躱すには――。
俺は咄嗟に、右足で強く床を蹴り、高々と宙を舞った。
空中いる間に攻撃されると、躱しようがないからだ。
ゆえに、これはギャンブル。この奇襲によって、赤い怨霊が反応するより速く飛び込み、一撃を食らわせることができれば――。
(コ、コロ――)
いささか驚いたように、赤い女が両腕を斜めに振り上げようとする。
だがその前に、俺は怨霊の頭上から、まっすぐサバイバルナイフの刃を振り抜いていた。
(ス)
飛び込みからの大斬り一閃。
俺の刃は、まさに縦一文字に、怨霊の頭から胴まで斬り裂いた。
(おああああああああああ)
絶叫が、広場全体を揺るがさんばかりに響きわたる。
俺は着地と同時に、大急ぎでバックステップを踏み、再度距離を取った。
斬ったといっても、手ごたえは無い……なにせ相手は霊体なので。
だが十分なダメージは与えたようだ。もはや攻撃はやみ、硬直している。
これで終わりならよかったのだが……遺憾ながら、そんな甘い魔物ではない。
樫本の資料によれば。
この悪霊は、第二形態から、さらに追い詰められると。
――大分裂する。
(コココココロロロロロススススススス)
突如、広場に響き交わされる大合唱。
振り向けば、広場の床を埋め尽くさんばかり、無数の人影が、まるで地面から生えてきたかのように、新たに涌き出て、佇んでいた。
そのすべてが、まったく同じ姿。
どれも赤い衣を着て、ぼんやりとした燐光に包まれ、血まみれの顔に形相すさまじく、怒髪を逆立て、一斉に俺を睨みつけている。
この絶望的なまでに名状し難い、見るもおぞましき光景。
これこそ、赤い衣の怨霊、最終形態。
――
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