第21話 赤い熊


 ホワイティ梅田・左ルートの攻略は、順調に進んでいる。

 第四の玄室に待ち受けていたのは、ブロッブという魔物。


 半透明のゲル状物体が凝集して、ぷるぷる震えながら動き回るという不定形生物――いわゆる、スライム。これが四体。

 紫、青、オレンジ、灰色、と、やけに色とりどりな組み合わせだった。


 サイズは四体いずれも、俺の背丈の半分くらい。

 普段はでっかい丸餅みたいな形状だが、ゲル状不定形生物ゆえに、どんな形にでもなる。


 獲物を見かけると、ざばっ! と大きく広がって、獲物の全身を高粘度のゲルで包み込み、一気に丸呑みしようとしてくる習性がある。

 いったん捕食されてしまうと、もはや熟練の探索者でも脱出不可能。


 あとは装備ごとじっくり溶かされ、消化されるばかり。

 そういう凶悪な魔物である。


 まともに戦えば、刃物も鈍器も銃弾も、ゲル状の身体に一切ダメージを与えることができない。やむなく接近すれば、問答無用で丸呑みである。

 純粋な戦闘面だけでいえば、侍魂サムライスピリットやガーリッくんをも上回る強敵というも過言ではなかった。


 ただし、低温には極度に弱い。わずかでも体表温度が下がれば、あっさり活動を停止する。

 そういう系統の――たとえば物を冷やす、凍らせる、といった技能や魔法を持つ探索者ならば、この弱点を突くことで、対応は容易だった。


 さらには、そんな技能などなくとも……。

 俺は、バックパックから、白い袋を取り出し、ひとつずつ、ブロッブどもへ向けて放り投げた。


 ゲルの表面が、するりと袋を受け入れ、溶かしはじめる。

 袋が破れた途端、たちまち色が濁り、四体のブロッブは急激に縮んでゆく。


 あっという間に、もとの半分ほどのサイズまで縮み、もはや白濁した汚物の塊へと変わり果ててしまった。

 当然、もうピクリとも動かない。


 俺が放り投げた袋の中身は、超吸水性樹脂……吸水ポリマーの粉末。保冷剤の中身に使われてるやつの強化版と考えて間違いない。

 これは水を吸うとゲル状に凝固する性質がある。もともとゲル状物質であるブロッブに飲ませると……こうなる、というわけだ。


 ようはナメクジに塩をかけるようなもの。細かい理屈は異なるが。

 ホワイティ梅田に限らず、ブロッブはウメチカのどのダンジョンにも出てくる。


 その対策として、吸水ポリマー粉末は携帯必須。

 社内の売店でも売られているし、なんなら整備班に行けば、タダで大量に支給して貰える。


 ブロッブは、対策さえわかっていれば、このように、まったく労せず倒せる相手。

 しかし事前の知識と準備がなければ、高確率で死ぬことになる。これもある意味、初見殺しといえよう。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 第五の玄室では、熊に襲われた。

 もちろん、ただの熊ではない。熊の姿形の魔物、というのが正しい。


 レッドベアと呼ばれる、大型の獣型の魔物……魔獣である。

 北海道のヒグマとほぼ同サイズで、全身燃えるような赤い体毛に覆われている。


 ホワイティの玄室は、天井わずか三メートル。それに合わせたものか、それほど大型の魔物は出現しない。レッドベアはそのなかでは最大級のサイズである。

 普段は四足でゆったり歩き、興奮すると直立し、前肢を振り回して突進してくる。


 その身体能力も、野生のヒグマあたりの比ではない。

 筋骨隆々たる両前肢から繰り出される爪の一撃は、ベテランの探索者でも、油断していると一瞬で叩き潰され、石床のシミと化すほどの速さと威力がある。


 ――俺も少し危なかった。

 玄室への転移直後、狙ったようにレッドベアの不意打ちを食らっている。


 慌ててサバイバルナイフで初撃を受け止めたものの、二度目の攻撃で、武器を弾き飛ばされてしまった。

 拾いに行く余裕はない。


 やむなく、ぐっと腰を落とし、姿勢を低くしてレッドベアの攻撃をかいくぐりつつ、一気に前へ踏み込む。

 懐に入るとみせかけ、するりと背後に回りこんで、真っ赤な巨熊の首もとへ、後ろから飛びついた。


 そのまま組み付き、がっちりと両腕でレッドベアの首筋をホールドし、全力で締め上げる――。

 ゴギン、と鈍い音がして、頚骨がへし折れる感触が伝わってきた。


 苦しげな呻き声をひとつあげて、レッドベアは絶命し、その場に倒れ込んだ。

 ……これは運が良かった。単独だから、どうにか倒せたものの、もし複数で出てこられたら対処は難しかっただろう。


 俺は、レッドベアの骸を、右足でぐっと蹴り転がし、仰向けにひっくり返した。

 さらに、床に転がっていたサバイバルナイフを拾い上げると、レッドベアの腹へ刃を突きたて、ざくっと、縦に切りおろして、腹を開いた。


 長い腸を掴んで、ずるずると引っ張り出し、不要な臓器をどんどん切り取っては、脇へ捨ててゆく。

 両手を血まみれにしながら、巨大熊の腑分けを続けることしばし――。


「……おお。あった」


 複数の臓器にまぎれ込むように、俺の握り拳ぐらいの、真っ赤な塊のような物体がのぞいている。

 レッドベアの体内に生成される結石で「クレムリン・クォーツ」と呼ばれている。


 名称の由来は不明。なにか大昔の故事になぞらえたものらしい。赤い熊とクレムリン。どんな関係が……?

 具体的な組成はよく知らないが、基本的には微量の電磁気を帯びたコランダムの晶石……ルビーにきわめて近いものだとか。


 ゆえに宝石としての価値が高く、ダンジョン産貴重品マテリアルのなかでも高級品の部類。

 俺は、まだ体温の残る臓器のなかから、クレムリン・クォーツを無造作に掴み取り、しっかり血を拭い取って、バックパックに放り込んだ。


 なにせこれ一個で、新車の高級セダン一台分ぐらいの買い取り値が付くので、さすがに無視はできない。これでまた、実家への仕送りも増やせるというものだ。

 次の玄室への正解ルートは、左側の扉。


 ただ、マップの記載情報によれば、第六の玄室へ続くポータルの前には、高確率で、なんらかの魔物が待ち構えているという。

 昨日は、そこでウィル・オー・ウィスプという空中を飛び回る火の玉の大群に出くわしている。


 さほど害のない、ただチカチカ明るいだけの魔物なので、結局、まともに戦うこともなく、すんなり通過できた。

 今日はどうなることか――俺は左の扉をくぐり、油断なく、通路を進んでいった。


 短い辻を折れたところで、案の定、ポータルの手前に、なにやら複数の魔物が蠢いている様子。


「けぇー」

「ごぉぉ」

「きゅぅん、きゅぅん」


 と、それぞれ吼え声とか鳴き声を発しつつ、こちらへ向かってくる。

 いずれも人型の魔物……ゴブリン、オーク、それから犬の頭部に人型の身体を持つ獣人コボルド、の計三体。


 最後の、やけにかわいらしい鳴き声は、コボルドのものだ。

 犬は犬でも、小型の愛玩犬みたいな声で鳴くんだよな、コボルドって。


 しかし声や見ためがどうだろうと、立ちはだかる敵。

 邪魔をするなら、問答無用で叩っ斬るのみだ。

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