第11話 寝ぼけてんのか?
翌朝。
俺はいつも通り、六時に起床すると、いつものスーツ姿で部屋を出た。
快晴。
「おお、今日も早いねえ」
エレベーターを降りて、一階の通路にさしかかると、ちょうど大家の菊森さんが、箒で床を掃いているところだった。
菊森さんは一見、そこそこ年のいった、どこにでもいそうなおばさんだが、六棟ものマンションを所有し、個人経営している、凄い地主さんである。
「おはようございます。いつもお一人で全部のマンションを掃除なんて、大変じゃないんですか?」
「なに、アタシにとって、掃除は仕事というより、趣味みたいなもんだからね。最近じゃ、娘もアタシの真似して、そこらじゅう掃き散らしとるよ」
菊森さんは、なんとも人の良さそうな笑顔を向けてきた。娘さんがいるのは初耳だが、なんとなく、その姿は想像できる。
箒でそこらを掃き散らす女の子……。
なんか、つい最近、どこかで見たような気もするが。
「あんただって、好きでいまの仕事をやってるんだろ? 長続きするよう、頑張るんだよ」
「はい。それじゃ、行ってきます」
菊森さんに励まされ、俺は駅へ向かった。
最寄りは国鉄野田駅。実家はもう少し北の豊中管区内だが、樫本への就職後、通勤に便利な野田駅に近いマンションを借りて、一人暮らしをしている。
「よ、おはよう」
駅中の雑踏を歩き、自動改札を抜けたところで、横からスーツ姿の女性が声をかけてきた。
「おはようございます、センパイ」
軽く会釈を返す。
新堂恭子、二十二歳。俺より二歳年上で、高校時代の先輩。現在は樫本マテリアルの同業他社である(株)吉竹興行に所属する二種探索者である。
つまりは、ライバル会社のご同業。
同年代の女性と比べると、体格は小柄なほうで、胸はなく寸胴体型という、あまり見栄えのしない容姿である。
とはいえ、学生の頃から、男のような言葉遣いと豪快な性格で周囲を引っ張るリーダー気質だった。
頭の回転が速く、機知に富み、抜群の行動力で、校内でも一目置かれていた女傑である。
ただ、彼女の天授技能「
当然、俺の「ミラーリング」と同様の、いわゆるユニーク天授に分類される。
俺もそうだが、いまの世の中、ユニーク天授持ちは様々な点でハンデを負っている。とくに探索者界隈では差別対象にすらなっていた。
それでもなお、探索者を目指すこと、また探索者であり続けること。
ハンデや差別を跳ね返すだけの実力を、世に示さんという気概。
ダンジョンという厳しい戦場で、成功を掴み取らんという野心。
たとえ天授技能が役立たずでも、ダンジョンでもどこでも、やっていける――それを世間へ証明するために、自分は探索者になるのだと――。
学生の頃、新堂センパイは、たびたび、二年後輩の俺に、そんな話をしていた。同じユニーク持ちとして、彼女は俺にシンパシーを感じていたのかもしれない。
在学中に国家資格を取得。卒業後、二種探索者として吉竹に入社、現在に至る。
同業者で、最寄り駅も同じだが、通勤先が逆方向なので、最近は顔を合わせることも少ない。
こうして稀に出会っても、ちょっと会釈を交わす程度。
いまは、それくらいの間柄でしかなかった。
ただ、彼女は、俺が探索者を目指すキッカケとなった先駆者であり、いまなお、その背中には追いついていない、と感じている。
「なあ、タダシ?」
その彼女……新堂センパイが、今日は珍しくも、会釈だけで済ませず、俺の肩に、スッと並びかけてきた。
そのまま、俺の右腕へもたれかかり――。
背中を、ばんっ! と、叩かれた。
「うお、センパイ……?」
「なんてツラしてんだ。寝ぼけてんのか?」
これ、高校時代に、よくやられたやつだ。
俺がなんとなく落ち込んでるとき、ちょっと暗い顔をしてるとき。
彼女は、そうやって俺の背中をばしばし叩いてくれた。手加減なしで。
ずいぶん久しぶりにやられた気がする。実はけっこう痛い。
でも俺、いまそんな落ち込み顔してたかな……?
「なに悩んでんのか知らねーが、しゃんとしろよ。そんなツラでダンジョン行ったら、死ぬぞ?」
そう言って、新堂センパイは、気遣わしげな目を、じっと俺に向けてきた。
悩み……。
そうか。
昨夜来、俺はずっと悩んでいたんだ。
会社のお偉いさんがたから「提案」された、第一探索部の立ち上げという話。
それ自体はいいとして、第一探索部の業務目標は、大阪駅前第三ダンジョンの攻略、開拓だという。
つい昨日、俺はその駅前第三で、死んでいる。
また、あそこに行かなきゃならないのか? あの途方もなく凶悪な上位モンスターどもの巣窟へ?
上からの「提案」である。断るわけにはいかないが、正直、やっていける自信などなかった。
いくら「ミラーリング」があるとはいえ、そう何度も死にたくはない。今後のことを考えると、どうにも気が滅入って仕方なかった……。
――だが、いま新堂センパイに、久々に背中を叩かれて。
一気に、目がさめた心地がした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ようやくヒロイン登場。現時点では主人公より強い豪腕の女傑、新堂センパイです。今回はちょっと顔見せ程度ですが。
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