第9話 提案したいことがある


 現在、社長室の時計は、二十一時半を指している。

 俺たち探索者は、会社勤めといっても、勤務時間など、あってないようなものだ。タイムカードなんてのもない。


 ただ、本社受付カウンターの営業時間は決まっており、ダンジョンへ入るための手続き、査定や退勤などの手続きなどは、受付でやってもらわなければならない。

 受付カウンターの営業時間は平日七時から十九時まで。


 ただし、未帰還の探索者がいる場合、二十一時までは受付時間が延長される。日曜祝日はお休みである。

 ……ようするに、すでに受付の営業時間も終わり、本社内に残っているのは、ごく一部の事務方と警備班ぐらい。


 いつもなら、会社のお偉いさんがたも、とうに帰っている時間のはずだ。

 だが。


「なるほど、ヴォーパル・ラビットは、牙ではなく、武器を持って襲ってくるのか」

「記録では、エメラルディア・スネークの眼光には、麻痺の効果があるというが」

「キキーモラが? 噂には聞いてたが、本当にいたのか。交戦したのかね?」


 大阪駅前第三ダンジョン第二層において遭遇した、様々な危機。

 その報告に、お偉いがた三人、なぜか大興奮。まだ帰ろうとする気配すらない。


「いえ。こちらがうっかり近づくと、箒を振り回して怒ってる様子でしたが、急いで離れたら、追ってはきませんでした」


 ほおう、と、三人が同時に感嘆の息をつく。


「見ためは、どんなだったね?」


 樫本社長が、身を乗り出して訊いて来た。なんでこんなにノリノリなのか。


「咄嗟のことで、顔とか、よくわかりませんでしたが……」


 俺は応えた。


「ぱっと見、白いエプロンドレスの、小さな女の子みたいな格好でしたね。それで、大きな箒を持ってて、熱心に床を掃いてるところに、たまたま通りかかりまして」


 キキーモラというのは、魔物というより、ダンジョンを管理する妖精みたいな存在といわれている。

 大阪駅前第三ダンジョンのほか、堂島ダンジョンの最深部での目撃例もあるとか。


 一応、魔物の一種とされてはいるが、実のところ正体は不明。

 キキーモラという名称も、昔の探索者らが勝手に付けた仮称でしかない。


 いつもダンジョンの掃除をしており、魔物の死骸などをきれいに片付けているという。必ずしも探索者に敵対することはない。

 ただし、掃除の邪魔をすると、怒って襲いかかってくることもある。


 これまでキキーモラの目撃例はあっても、討伐例はない。なにせ本気で敵対すると、一種探索者でも瞬時に叩きのめされるほど強いのだとか……。

 お偉いさんがたに説明したように、俺は先ほど、大阪駅前第三ダンジョン第二層にて、キキーモラらしき存在と遭遇したものの、どうにか逃げおおせていた。


 もしあそこでキキーモラとやりあう選択をした場合、魔物のネストにさしかかる前に死んでいたかもしれない。


「いや、随分と興味深い話を聞けた。本当に、よく無事に帰ってこられたものだな、きみは」


 波佐間専務が、感心しきりという顔で述べた。本当は無事どころか死んでるが、そこはあえて秘匿ということで……。

 聞けば、このお偉いさん三人、若い頃は探索者を志していたものの、国家試験に落ち続けて挫折し、管理側に回ったという、共通の経歴があるんだとか。


 ……実は二種資格も、一種ほどではないにせよ、なかなか難関だったりする。

 俺は運よく一発で通ったが、十回以上落ちて、受験上限年齢の三十歳を過ぎてしまった例も、世間では珍しくないんだとか。


 そんな経歴のゆえか、三人とも探索者ではないが、ダンジョンや魔物について、そこらの管理会社の事務方より、よほど深い知識と興味をお持ちのようで……。


「さて。それで、今後のことだが」


 話が一段落ついたところで、樫本社長が、あらためて、こう切り出してきた。


「我が社としては、きみをポータルに突き飛ばしたという、第二探索部所属の三名について、とくに処分などは行わない。物証もないし、なにより、ダンジョン内では日本の法律も社内規定も適用されない。そういう慣例であるからな」

「はい」


 俺はうなずいた。

 この点は、あらかじめ、わかっていたことだ。


 探索者たるもの、ダンジョン内ではすべてが自己責任。

 たとえ探索者どうしで殺しあうような事態になっても、国家も会社も、いちいち関知などしない。ダンジョンとは、そういうものだ。


「そのうえで、特例として、ひとつ、きみに提案したいことがある」

「提案、ですか? 辞令ではなく?」


 社長の言葉に、俺は首をかしげた。


「きみは今日、多大な功績をあげ、我が社にも大きな利益をもたらした。当然、色々と褒賞を考えているが」


 と、三田副社長が、言を引き継いだ。


「褒賞だけでなく、初級探索者から上級探索者への飛び級、第二探索部への異動も、もう内定している」


 このへんも想定内。ただ、第二探索部となると、例の三人組と同じ部署ということになる。

 社内最高のエリート部署とはいえ、これは少々、しんどいことになるのでは……。


「うん、わかる。わかるぞ。もう顔に出ているな。第二は勘弁してくれ、と」


 波佐間専務が、いきなり俺の内心を言い当てた。さすがにお見通しか。


「それでだ」


 再び三田副社長が続ける。


「きみは、第一探索部を知っているかね?」

「……ええ。もちろんです。ただ、ずいぶん昔に廃止されたと」


 第一探索部というのは、かつて大阪本社に存在した部署である。樫本の社員で、その名を知らぬ者はいないだろう。

 わずか四人の上級探索者と、彼らを支える十八人のサポートスタッフで編成され、規模こそ小さいが、短期間で巨大な功績を次々と樹立し、伝説的存在となった。


 具体的には、ホワイティ梅田、阪急三番ダンジョン、神戸三宮ダンジョンの完全攻略、神戸ハーバーランドダンジョンの発見と攻略、難波ダンジョンの開拓など。

 それらダンジョンからもたらされた貴重品マテリアルは膨大で、当時傾きかけていた樫本の財政を立て直すに余りあった、といわれる。


 その活躍は、いまなお樫本の社史に刻まれ、栄光の記録となっている。

 しかし二十年前。


 第一探索部の四人は、パーティーを組んで大阪駅前第三ダンジョンの攻略に乗り出し、第二層への確定ルートまでのマッピングを行ったものの――。

 その第二層へ踏み込んだ後、消息を絶ち、還ってこなかった。


 社内最高といわれた四人の上級探索者を一度に喪失し、彼らに代わるほどの人材も見あたらず、ほどなく第一探索部は廃止、解散。

 以後、第一探索部の名称は、いわゆる欠番扱いとなり、かわって第二探索部が上級探索者の受け皿となって、現在に至る。


「今日、わが社で初めて、駅前第三第二層から帰還してきた探索者が現れた。もちろん、きみのことだ。かつての第一探索部でも成し得なかった偉業。二十年越しの快挙。そう言っていいだろう」


 三田副社長が、神経質そうな視線を、眼鏡越しに向けてくる。口では大いに褒めてくれているのだが、目がまったく笑ってない。正直ちょっと怖い。


「これを機に……いま我々は、第一探索部を再び立ち上げたい、と考えている。きみを軸としてね」

「その目的は、当然――」


 波佐間専務が、横から告げてくる。


「かつて行程半ばで中断した、駅前第三の開拓、ということになる。この二十年、誰も手をつけられなかった大仕事を、きみに引き継いでもらいたいんだよ。もちろん、予算、装備、編成、あらゆる面で全社を挙げて、可能な限りの支援をするつもりだ」


 波佐間専務も眼つきが非常に厳しい。有無を言わさぬ圧を感じる。

 樫本社長も、これまた眼光鋭く俺を真正面から見据えている。


 この三人、下手な魔物より威圧感が凄い気がする……。

 樫本社長が告げた。


「きみならやれる、と私は見ているが……だが、里山くん。もしきみが、二度と駅前第三には近づきたくない、というなら、また別の待遇も考えよう」


 なるほど、それで「提案」なわけだ。一応、無理強いはしない、という体裁。

 ただ、そうは言っても、この流れで、一平社員の俺が「できません」とは普通いえんよな。


「少し猶予を設けよう。今日はもう帰っていい。明日、出社後、直接ここに来るように。返事はその際に聞かせてもらおう」

「……はい。わかりました」


 ようやく話が終わった。これで解放してもらえる――。


「失礼します」


 俺は立ち上がって一礼するや、そそくさと社長室より退出した。

 出て行く際にも、お偉いがた三人は何かいいたげな鋭い眼を俺の背に向けていた。


 これは、ちょっと断れないだろうな……。

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