第4話 こんな形で百合百合したくなかったよ、しかも半裸の女と
表情に抑揚が無く、つまり殆ど無表情。そこから感情は伺えない。だが…その顔つきは少女らしく、かわいらしい。
黒く長い髪に日本人らしい真っ黒な眼。
その美しい髪は風になびかれ踊っている。
しかしその立ち姿は、精悍そのもの。
そんな少女は、また月を見ている。
いつも同じ窓からそれを除く。そしてそのたびに、少女はひとり思う。
いつか月だけが突然、消えてはしまわないだろうか?
誰かが持っていってしまうではないだろうか?
かぐや姫が月に連れていかれた様に、突然に。
そんな時、自分はどうするのかなと考えるのだ。
…そして、月は雲に隠れた。
青く、そして黒を足したような雲だった。
***
「上半身裸の……不審者ですか?」
「せや。しかもな、それ。女の人らしいんよ」
小音と与太話を交わす。この教室に人気はない。ベスは森さんと話があるからと、先に帰路についた。ゆえにここは私と小音だけ。
放課後。
私は日直だったので居残りしていて、小音は暇だから、と言って、一緒に残ってくれた。私たち以外誰もいない教室で、小音が会話の花に水をやる。
私はいつもどおりに、会話の受け側。
小音は察しがいい。表情の変化が異様に少ないと良く言われる、私の気持ちをうまく汲み取ってくれる。
私の数少ない友人のひとりだ。
私の出来る限り、大切にしたいと思う。
「初耳です」
「先生の話聞いてなかったん?ホームルームで言っとったで。性別までは言ってなかったけど。ウワサじゃ、おんぼろスカートに薄手のコート一枚、だそうな」
「冬も深いのに、元気ですねえ」
たった今この教室でさえ、ペンを持つ手が震えるくらいなものなのに。その不審者の温度感覚は死んでいるのだろうか?
「上裸で街に出る不審者……一体何を考えてるんでしょうね」
「さあ?けどひとつだけ言えるわ、そんな街に上裸で出る人間の気持ちなんか知りたくもないってことは」
「同感です」
会話の途切れ途切れに、私は日誌にそれらしいことを書き連ねる。
帰宅部の私が放課後の学校にやること、といってもそれは一般の学生に比べ限りなく少ない。せいぜいごくたまに小音と図書館に寄るくらいなもの。そして今日、そのたまにがあった。
学校の図書館は、ほかに比べて広い。
「この学校、ほんと蔵書が多くて助かるわあ。特に小説」
「小音、ライトノベル好きですもんね。最近何読んでるんです?」
「えーとな、名前は長すぎて覚えてへんけど。ポップで書いてあったんやけど、超人気作らしくてな。魔王マイケル(女の子)って奇妙奇天烈敵キャラクターが出てきて……」
確か…それはベスが読んでいた漫画。
こんな偶然があるのかと、私はつい関心した。
「原作、小説だったんですねそれ」
「……漫画があるん?」
「ありますよ?ベスがそれを読んでましたから」
「え!?あの、主人公がひたすら素数を数えるあのシーンをどーやって漫画に落とし込んだん!?四人全員八百長麻雀対決は!?命懸けの缶蹴りストリート編は!?負ければ失恋決定サッカー秘密大会は!?」
「やっぱどんな小説なんですかそれ!」
…これまでで一番に私は、作者の顔が見てみたいと…そう思った。
「……ってことは、その漫画って綾ちゃん家にあるんよね?」
小音は司書から、その例のライトノベルを借りた。その表紙を、音読するには息継ぎが必要なくらいの長いタイトルが占領している。そこは私が見た漫画版のものと変わらない。表紙を飾るイラストレーターは異なるようだが。
「ありますよ。ベスが拾ってきたんです」
それを聞いた小音は一瞬だけ考えるそぶりをして、それから私に或る質問を投げかけてきた。
「なあ綾ちゃん。今日ってこれから……特に夜とか、予定あるん?」
「――?家で、いつも通りに過ごすつもりですけど」
小音は一呼吸くらいの間をおいて、丁度ええわ。と答え、
「なら今日都合が良ければ、綾ちゃん家に泊めさせてくれへん?」
彼女はそう言った。
***
「ねえ――
「あ……ああ……そうなのネ………………」
金髪を揺らす、少女の姿をしたその吸血鬼。エリザベス・ルチア・クラーク。あだ名はベス。訳あって雀荘『雀猫』で、命を救ってもらった恩返しという名目で働くことになった、始祖なる伝説の吸血鬼である。どう見ても、小学生くらいの身長。その身体を持ち上げることは容易いだろう。
そして、ベスに対し話しかけているその女性。
日本人女性の平均以上は、ゆうに越していると目視で確認できるほどの高身長の背丈がある。肌は白く、その眼は美しい緑色。そして赤っぽく、しかし金色であるその長い髪は短く纏められていた。
その顔はほどに美しく、何ひとつの欠点が感じられない。
故に不気味。
妙に耳に残るゆったりとした口調で、その上に透き通るような声をしていてる、その女性は――
「私――この世に転生するために、頑張りました。だから――ひとつだけのワガママを、聞いていただけますか?」
半裸、であった。
***
「ありがとねえ、綾ちゃん」
柔かな口調でそう小音は言う。図書館を出て、歩きで帰り道をゆく。小音にとっては初めての道であるから、いつもよりかは歩調を緩めてゆっくりと歩く。
「急でごめんな〜」
「構いませんよ。けれどどうして……私の家に?」
「綾のうち、行ったことあらへんかったし、ちょーどええと思ったんよ。というか今日しかチャンスがないとゆーかな……」
「チャンス?」
「……ああ!こっちの話やから気にせんとってええよ」
「そうですか……と、そう言えば」
信号を渡った後のすぐ隣、そこの電柱に不審者注意と書かれたポスターが貼られていた。事細かく情報が載せられていたそれを見る私を見て察したのだろうか、小音が返す。
「露出狂の話?」
「です。これだけ情報が集まって、目撃情報もあるのに捕まってないとはどういう事情なんでしょうね」
・女性
・頻繁に出没
・薄手の黒のコートに黒のスカート
その他にもざっと10項目くらいは書かれており、人と遭遇してどう声をかけたか、何をしたのかの一部から始終。挙句には出没場所の具体的な情報まで載せられていた。そしてその締めに、電話番号がいくつか書かれていた。
「さあなあ、魔法でも使って逃げとるんちゃう?」
「まっさかあ。魔法使いなんてそうそういませんよ」
「けど、あんだけ出没しとるんに、……その不審者の写真だけはまだ一枚だってないんよ、SNSとかにも。これは変やって私のカンが言うとるで、ビビビと来とるよ。魔法は冗談やけど、なあんか普通の露出狂とはどっかしら違う思うわ、ほんと」
そう、小音は言う。
私はそれを聞いて、少し考えてから会話を返した。
「写真が無い……?」
スマホを使えばいつだって写真、動画を撮影できるこの時代。さらにはそれをいついかなる時も共有できるSNSもある。どころか、防犯カメラだって至る所にある。
男ならばまだしも、女で、その上に何度も頻繁に出没しているとされている露出狂である。
確かに、写真一枚無いのは不自然と定義することもできなくはない。が。
「偶然じゃないんですか?ごく普通に、出会した人が撮り忘れをしただとか」
「まあ、私のカンやしな。……けど、私のは当たる
「そんな勘当たっても、どうしようもないですけどね私たち」
「ま、せやな。遭遇した時のためにスマホ、構えとく?」
「面倒だからいいです」
「その人な、スタイルめちゃいいらしいんよ、綾ちゃん金欠やろ?」
「それがどうしたんです」
「裸の写真とか売り捌いたら、金になるかもしれんで?」
「――――」
「おもむろにスマホ取り出さへんの、こーら」
「利益は半々でどうです?」
「その金汚れてへん?けっこーや」
くだらない冗談を交わしながら、しかし、小音の『ただの露出狂ではない』という言葉が、不思議と脳裏に残った。
小音と会話を交わす。
…少しだけ歩いて、やっぱりもう一度その露出狂について聞いてみることにした。
「小音。その露出狂の特徴……って何なんでしたっけ」
「……?綾ちゃんが他人に興味を示すなんて……!」
小音は驚いたような仕草を、大袈裟にした。
「失礼な、私だって他人に興味を持つことはありますよ」
「露出狂レベルじゃなきゃ関心がひかれないってのは、人間としてどーなんよ?」
「……………………………………」
「ははは。綾ちゃんの好き好きやけどなあ」
「その言葉じゃ私、露出狂に惹かれた変態みたいになりません?」
「綾の場合は変態というより偏愛者なんやろうけど」
「……仮に私が偏愛者だとして、それを私が誰に向けるって言うんですか」
「ベスちゃんとか?」
「……そんなもの向けません!」
小音の発言は、冗談なのか本気なのか。
小音の性格というのは、かなりに真っ直ぐとしていて社会的に見ても良い性格と表される性癖だろう。しかしどうも、察しが悪い私を大分にからかっているのではないだろうか?と思う時がある。
ちらと後ろ右を見れば、小音はいつもの調子でにこやかな笑みを浮かべている。
「露出狂の話から脱線しとるな、そういえば」
「あ……そうですよ。それで、目撃情報があるんでしょう?私も……確かに少し気になりまして」
出くわさないのが一番のような気配はする。のだが、小音の言う通り何か引っかかる。
「まあ……情報の限りやと。先ず、金髪」
「はい」
「ヨーロッパ系の女性らしいな。日本人じゃないのは確からしいのよ」
「ふんふん」
「それで緑色の眼をしていて――――美人」
「…………美人?」
「いやね?目撃者はみんな口を揃えて言う、らしいのよ」
「美人、と?……美の価値観なんてそれぞれでしょう、それにそんな露出狂に……目撃者はなぜ美人という言葉選びを?」
「だからこそそこも、おかしな点なひとつ。なんやよ」
そんなことを話しながら歩いていれば雀荘、雀猫のビルの前まで着いていた。学校から徒歩で15分程度の距離。私が本気を出したら三分くらいで走りきれる距離だが、存外に小音との会話が弾んだからなのか、小音のためにペースを落としていたからなのか、学校を出た時よりも時計の針は25分程度も進んでいる。
「到着です。ここが私の家ですよ」
「はえ〜……流石に雀荘は初めてや……」
「漫画は入ったら向かいの本棚にありますよ。……あれ?」
「どうしたん?」
鍵が開いていない。森さんが外出しているのだろうか?
「大丈夫です」
そう返事を小音にしておいて、鍵を取り出しシリンダーに差し込む。鍵を回すと、いつも通りのカチリという心地の良い音が耳に届いた。
錆びたそのドアを開ける。
そして私は、そこに立ち尽くした。
「ベス……………………」
「綾……………………!?」
「お盛んですね、私は3階にいきますから…………」
「違いあああああああああああぅ――ッ!!!!誤解じゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――ッ!!!」
ベスは手をこちらに伸ばすが、むなしくその細腕はがしりと掴まれる。
そこには、ふたり。
薄く、赤色のキャミソールドレス1枚きりのベスが床に。
そして、ベスに被さっているそれは、半裸の女だった。
「誤解じゃ……ありませんよ♪」
その女は、そう、いやに官能的な声でそう言った。
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