第3話 吸血鬼様のあだ名は意外と地味
表情に抑揚が無く、つまり殆ど無表情。そこから感情は伺えない。だが…その顔つきは少女らしく、かわいらしい。
黒く長い髪に日本人らしい真っ黒な眼。
その美しい髪は風になびかれ踊っている。
しかしその立ち姿は、精悍そのもの。
そんな少女は、だらだらと眠っている。
少女のずぼらさのお陰で、一週間洗濯されていない敷物が引かれたベッドの上で。疲れた身体をぐっすりと休ませていた彼女は、その瞼をゆっくりと開く。そして少女は、自分に学校から課せられた其れが残っていたことに気づく。つまるところ宿題である。
寝転がったまま手をわきわきと動かしていた少女は----
日曜の夜のこと。
また怒られちゃうな。
少女はそう思って…また瞼を閉じた。
***
土曜のドタバタズンタカで日曜日はほぼ寝ていた私。
しかしそれでも月曜日はやってくる。
朝、それも月曜日の朝というのは時間が倍くらい早く進んでいるのではなかろうか。
「お……は……よ……ござます…」
時刻は午前七時三十分。
歯を磨き顔を洗い、ついでに保湿やらなにやらを済ませて洗面所から立ち去った。
時計の秒針は無慈悲にも進んでいる。
私は、戸を開けて食卓につく。朝ごはんだ。
「相も変わらず朝に弱いわね〜」
朝食作りを終えて、ちゃぶ台で待つ森さんがいる。
彼女は心なしか、いくばくか元気に見えた。
太陽の光を浴びても問題ない身体に変化したからなのだろうか、朝にしては彼女は快活だ。
「…………………………」
「吸血鬼よりも朝に弱いなんてねえ……寝癖も直ってないし」
「だいじょーぶです…………これはパーマ……ですから……」
「なわけあるかい、直してきなさい」
「はーい………………」
しぶしぶ私は洗面所に向かう。
時刻は七時五十分。
寝癖頑固パーマを直し、学校の鞄を持つ。
「相も変わらず鞄が重いわねえ……まじめに学校生活送るのよ〜」
「それなら私、少なくとも忘れ物はしませんよ」
「…………そりゃー教科書全部鞄に突っ込んでたら忘れないわよ」
……ご尤も。
「お前……案外ずぼらなのじゃなあ。あとお早う」
会話を聞いていた、寝起きのきゅうけつきさんが言った。
「それで、かくふにしかうまのうまうまで、吸血鬼の始祖がきりきりで…………」
「へー?すごっ、やべー、ぬめぬねのはらはらなんやろ?」
朝、ホームルーム五分前。
なんとか駆け足(法的速度ギリギリのスピード)で学校へ向かったために、私の遅刻の切符9枚目は切られなかった。
9枚目で反省文を書かねばならないが、そろそろ私の反省文用のネタも尽きている。
もうと早く起きりゃええやない。
今私と喋っている彼女から、耳にたこができるほど聞いた台詞だ。
彼女は、私の友人の家令小音(かれい このん)。
「それでね、その時きゅうけつきさんが…………」
「へー……まじ草やねっ⭐︎」
この通り語彙がギャル、あと関西弁。話していて楽しくなる子だ。小音の、茶色が混じる黒の髪、そして大きい碧眼がぱちくりとよく動く。
「で、きゅうけつきさんはウチに住むことになったんです」
「へー……きゅうけつきさんって言うんや、長いね?」
「本当の名前じゃないんだけどね。きゅうけつきさんの名前……か。聞きそびれました。いつの間にかあのひと、きゅうけつきさんって名前になってたようなきがします」
「長い!思い切ってQさまとかにしたら?」
「それじゃらせん階段クイズ番組になっちゃいますよ」
しかし、あだ名……か。
鐘が鳴り、担任の先生がガララとドアを引く音がした。
「はーい静かにね――ホームルームですよお〜」
先生が教壇で生徒を纏めている。
私達は小声で会話を続けた。
「それでそれで、綾。そのきゅうけつきさんってのはどんな人なん?……あ、人じゃないんだっけ」
「そうそう。金色の髪でね、それもシルクみたいなやつです」
「ふんふん」
「真っ赤な目で」
「ふんふん……?」
「小学生並みの低身長なんです。」
「なるほど、先生の隣の子みたいなお人なんや?」
「そうそう、あういう綺麗な………………あれ?」
そこに――
「……綺麗って言ってくれたことは嬉しいが、低身長は訂正しろ!この国の人間みんな身長低低めじゃろ!わしはこの国じゃ平均なの!」
「綾より低いんなら平均ないで?」
「だまらっしゃあ………………」
「てんこーせーちゃん〜、仲良しなのはいいけどほどほどに〜。おいたはほどほど愛らしい位に。がこの国のモットーなのです〜」
「………………すまぬ…………」
と、とぼとぼ先生の横に帰って行く後ろ姿は、間違いなくきゅうけつきさんのものであった。
いやけど、うーん?
私はちょっと考えて――
「――人違いかな?」
「綾がそれを私に聞くん?」
ご尤もです。
「は〜い、みんなさん気になってると思うからね〜まずはさ〜てんこーせーしょーかいです〜。」
教室の空気がざわざわと。
すこしだけ、いつもと違うホームルームが始まった。
「……良くきけい!わしの名はきゅうけつき!」
ひらがなで『きゅうけつき(本名でない)』と黒板に書いて、きゅうけつきさんはその名を名乗る。ペチンと黒板を叩いて。
「彼女はイギリスからの転校生なの〜だから日本の文化に拙い所があるかもしれないけど〜。仲良くね〜」
本名じゃないんですか―?
目が赤い、それはコンタクトなの―?
なんて質問が飛ぶ。
わしの名を記すには黒板の余白がちと狭過ぎる。
これは全く自前だぞ、吸血鬼じゃからな。
ときゅうけつきさんが返し、ホームルームが進行する。
さて、なんできゅうけつきさんが学校に来ているのだろう。のじゃじゃのじゃ。といった、のんきな雰囲気で先生の横に立つきゅうけつきさんの目は明るい。
その上興奮して、いまにも跳ねそうな顔をしている。
「あの人、伝説の吸血鬼なん?」
「……そーだよ。頭に残念がつくけど」
「そーなん?……けど伝説っていうのは、たしかにマジっぽい感じはするなあ、なんとなくやけど」
こちらから目線を移し小音は、きゅうけつきさんの方を向く。
「じゃあ〜きゅうけつきさんにはその〜。秋葉さんの隣に座ってもらおうか〜」
「承知した!しかし学校というのはぶへ――――」
「きゅうけつきさん!?」
きゅうけつきさんは教壇との段差ですっ転んだ。
「…………確かに、頭に残念がつくお人やなあ」
小音が……そう言った。
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「…ですから最近、子供に声をかける系の不審者がうろうろ〜してるので、気をつけて帰るよおに〜。はい、HRおわり〜」
先生が教壇から去り、教室に数刻前のような喧騒が戻る。
「何千年も封印されたわしだが、その暇つぶしの支えとなったのは勉学じゃった……」
何故学校に来ているのかを尋ねてみると、そう答えた。
きゅうけつきさんはサイズの合わない大きめの学生服を着ている。さっきまで袖を捲っては落ち、袖を捲っては落ち、そうして彼女は面倒になったのか、袖がだらんと落ちていた。萌え袖という奴だ、小音に聞いた。
無論似合っていないわけでは無く、よりその愛らしさがきわ立っている。本人に言えば怒られるだろうが。
「勉強好きなん?」
「そーじゃ!……封印中暇で暇で暇で暇で!本当にやることが無くてなあ……その中でも封印の魔法は一番難しい魔法じゃった。というか今でも完全に解け切れたわけではないのよなあ……」
「大変やったんやね〜」
小音が相槌をうつ。
ちなみに入学手続きだとかは、森さんがしてくれたのだときゅうけつきさんから聞いた。
この学校と森さんは付き合いが深いから、入学手続きには別に苦労はなかったとも。
森さん、ハイスペックな女だ。
……ただ、数年間一緒に彼女と暮らしている私からすれば…いらない不敏属性もセットな気が……………
「そういえば今更ですけど、小音。なんでそういう……魔法とかの話を信じるんです?」
私と小音が初めて出会った時、それは確か入学式。
その時からたまに私の仕事の話をしているが、普通に人間としてこの世に生きているのならば知らないはずの魔法云々をしれりと彼女は聞いていたと……思う。
「うちのね、お姉ちゃんが魔法使いだからやね」
「初耳です」
「まだ言ってへんからな」
さらりと言う。
魔法使い、私もまあ一応はそうなる。同業者は相当に珍しい。日本に数千人いるかどうか、だから。
「逆になんで聞かへんのか不思議やったんやけど」
「他人に興味が無くてえ……です」
「正直やな、草はえるで」
小音はそう朗らかに言う。
確かに自分でもそう思う。……けど……直した方がいいのかなと思ってはいるが、性分だからか中々治らない。
「草ってなんじゃ?」
きゅうけつきさんが質問する。
「笑いって意味や」
「そうなんですか?」
「なんで綾が知ってへんのよ」
突っ込まれた。
「……なるほど、こう言う時が草なんじゃな」
「…………笑わないで下さい」
「あははははは!……合ってる、合ってるで、吸血鬼はん」
小音に凄く笑われた。泣くくらいに……うん。
ギャル語を勉強しよう、私はそう心に決めた。
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午後五時、放課後。
……振り返れば今日は色々ある一日だった。
学生生活を夢見るきゅうけつきさんがやってきた、ホームルームから……いつもよりも少しだけ、違う一日であったのだ。
私の横で、きゅうけつきさんは授業をしっかりと聞いていた。
勉強好きだというのはホントらしく、それは一日でノート一冊を全て埋めるほどだった。……ただし授業中の内容、会話まで全てを記録していたので、まるで裁判の記録みたくなっていた。
……手がマシンガンのようになっていたし、字はひらがなばかりだった。しかも汚い。
ちなみに本人曰く、授業内容の意味のほぼ全て理解できなかったらしい。本人曰く特に国語。
…………果たしてそのノートに意味はあるのだろうか……?
そして授業の内容丸々を記したと聞いて小音は大笑い。
はや笑い泣きしそうになっていた。
「会話まで写さなくてええんよ?」
「嘘じゃろう!?じゃあ皆はノートに何を書いてるんじゃ!?」
「私はこれを書いてますよ。」
「これはマンガ……?」
「……綾のは参考にしたらあかんで。」
という会話は昼休みのことだったか。その後小音に怒られた。
きゅうけつきさんは購買で菓子パンいくつかを買って、うましうましと食べていた。
「吸血鬼なのに……パン食べるんや」
「わしは食べるな、まあ血を吸うた方がエネルギー効率やらが良いし、そも存在を維持するための魔力を補給するのにはどっちにしろ血は吸わないとならないのだがな。」
「きゅうけつきさんは……私を食べてますよね」
「――――――――!?」
「そうじゃな。ありがたく頂いておるぞ」
「絶対………………なんか言葉選び間違うとるで…………」
「?」
「???」
そこで……確か、昼休みの終わりのベルが鳴った。
放課後は歩いて帰る。私の家……雀猫まではそこまで遠くない。徒歩で数十分程度。
「今日は色々ある一日やったわあ」
「案内感謝するぞ、ありがとうな二人とも。あとは帰るだけじゃよな」
ふふふん。
「ど……どうした……?そんなかつてない笑顔をして……」
「きゅうけつきさん、まだですよ。まだ、一日は終わっていないのですよ」
「…………………………?」
「買い食いです。知ってますか?きゅうけつきさん。学校から解放された後の……食べ物もうまいことうまいことは……ほかにないのです」
「買い食い?漫画で見たことがあるような気がするが……」
「綾、ほんとに買い食い好きやねえ。今日はどこ行くん?」
どうしようか。今日は
「喫茶江戸川にしましょう!あそこのコーヒーは美味いですよ」
「喫茶……漫画のヒロインの家になりがちなアレのことか?」
「もっと他に覚え方なかったん?」
何気のない会話を交わしながら歩道を進む。喫茶店巡りは私の数少ない趣味だ。お金が翼を生やして飛んでゆくが、宵越しの銭は持たぬ主義なので私には関係ない。
「それはずぼらなだけやん」
「お前さん、やっぱり思ったよりずぼらよな……」
こう言うと、二人にそう言われた。
「3名様ですね、こちらの席にどうぞ」
鈴の鳴る木のドアを開けて中に入る。天井を見てもまぶしくないくらいの、丁度よく落ち着く照明が気に入っている。適当なファッション雑誌を取り席についた。
きゅうけつきさんが隣、小音は向かいに座る。
雑誌を開けるときゅうけつきさんが覗いてきたので、テーブルに広げると彼女、興味深深といった具合に真剣にモデルさんを見つめている。メイド服を一から作ったりするあたり、洋服が好きなのだろう。
注文をお伺いします、という声をかけて店員がやってきた。
私はブレンドコーヒーとモンブラン、きゅうけつきさんは私と一緒のものにして、小音は紅茶とコーヒーゼリー。
……チョイスが理解できない。
「一緒に二種類食べれてお得やん」
聞けば、と小音はいつも言うのだが。
小音は割とお喋りな方だと思う。私から話をかけることは少ないけれど、小音の話を聞くのはいつも楽しい。
「そーいえば、きゅうけつきさんのあだな、決めてへんかったな」
小音は、そんなことを言いだした。
「あだ名……きゅうけつきさん、というのもあだ名のようなものだがな」
「だって長いやん。もっと短いのにした方が呼びやすいで」
「キューちゃんとかはどうです?」
「良いな、それで…………」
「野菜みたいやな」
「却下じゃ」
思わず小音が口に出した。
「あ、悪意はないんよ?」
「……………………」
まあ……確かに野菜みたいになってしまう。
「そもそもきゅうけつきさんの本名ってなんなんです?長い、って情報くらいしか知らないんですけど」
「もしかして、何か言いたくない理由でもあるん?」
「それは………………ないのだが………………」
「――――――――?」
「長すぎて後半を忘れたのじゃ…………」
「なるほどですね、私も良く自分の苗字を忘れます、良くあることですよ」
「………きゅうけつきさんはどうなのか知らんけど…綾ちゃんは三文字やで?」
小音が言った。
「…………思いつかないですね……あだ名って意外と………………」
「こだわるなあ、綾ちゃん…………」
きゅうけつきさんと小音が会話している裏で、ずうっとあだ名を考えているが、やっぱり思いつかない。
時計は六時を指している。
未だ良いあだ名は浮かんでこなかった。そも、ネーミングセンスに欠ける私には、あだ名を考えることはやっぱり難しい。
「……お前、珈琲のおかわり何杯目?」
「10杯……ですかね?」
「…………そんな珈琲好きなの?」
「……そこそこ、です」
何分ぶりかにきゅうけつきさんと会話をした。
きゅうちゃん、きゅうさん、きゅうすけ、きゅうベ……
「そ、そんなに気を使う必要もないのだぞ?あだ名ひとつに……」
「いや……絶対に良い感じのあだ名を考え……るんです……!」
「ムキになっとらんかお前!?」
コーヒーが苦くて飲めなかったきゅうけつきさん。
ティラミスを小音に分けてあげたきゅうけつきさん。
きゅうけつきさんは、優しい。
森さんに太陽の光を見せてあげられるようにしたきゅうけつきさん。
森さんに気をつかって、自分は野宿生活を続けるつもりだったきゅうけつきさん。
彼女は、優しい。
けれどそれゆえに、自分以外の誰かを優先する。
「綾ちゃん……」
彼女は学生生活を楽しみにしている。あだ名を持つなんて、学生生活で定番中の定番だろう。
だから……あだ名に立派とか……おかしいかもしれないけれど……それくらいは、やってあげたい。
………………と思う。のだ。
「ちょっと…………お手洗いに行ってきますね」
「行ってらっしゃい〜」
「………………………………」
私が席を立ち始めたてから手洗いのドアを開けるまで、何故だか、きゅうけつきさんは黙っていた。
***
「なあ、きゅうけつきはん」
「何……じゃ?」
小音は、あることをきゅうけつきさん(仮称)に聞く。
とある東京の喫茶店。綾の一番のお気に入りの、柔らかな木のテーブルでの話である。
ひとり綾は席を離れていて、そこにはふたりだけが座っている。
冬も深く、外の日はもう沈みきり、月が登っていた。夜を照らす街の光が窓から入って来る。
老若男女の人々はまだ、その照らされた街道を歩いている。
「嘘ついとるやろ?」
「…………!!??」
きゅうけつきさん(仮称)は不意をつかれた鳩のように驚いた。
「…………な、何のことじゃ……?」
「名前のことや。しかもホントはあだ名が、あるんやろ?」
「……その通り、だが何故………………分かる………………?」
名前を隠していることならまだしも、自分に……あだ名があった。と、当てられたきゅうけつきさん(仮称)、は目に見えて動揺した。
何故分かったのか、何故当てられたのか。
「勘や」
小音はそう、あっさりと語る。
「…………………………まア……ご名答じゃ。……隠している訳にも……いかないか…………」
「ああ!…私はそれを隠してる理由を追求したいんやないんよ。ただ」
「……ただ?」
「…………綾ちゃんは、いい子や。やから、抱え込む。しかもタチの悪いこと悪いこと、綾ちゃんはそれを自覚してへん」
「………………………………」
「……やから、こんなこと言われても、うっとうしいだけかもしれへんけど」
「教えてやれ…………と。わしの名前と、あだ名…」
「……せや。勿論強制もせん。けど綾ちゃんは真剣に悩んどる。…綾ちゃん、ズレてはいるけど。優しいんよ。だからこそ…」
「………………………………」
きゅうけつきさん(仮称)は、何か。
決意のような。不安のような。そんな感情を、抱いていた。
***
「――――?どうしたんですか、きゅうけつきさん?」
手洗いから戻ると、そこでは……まるで通夜のような雰囲気が漂っていた。なぜか、小音は空のティーカップを覗いていて、きゅうけつきさんは俯いている。
……先程まで、小音と楽しそうに話していたのにも関わらず、彼女は静かに下を向いている。
しかしそんな彼女は、急に口を開いた。
「………………わしの名前」
「…………?」
彼女は、いつもとは違い、静かに語り出した。
「わしの名前は……エリザベス・ルチア・クラーク…………本当はもうちと長いがの。……ベス。と呼ばれておった。………わしのあだ名だ」
「……………………………」
彼女はそう名乗った。
名前を、忘れていたと、彼女は言っていた。
「……………………ベス。ですか……」
「…………………………………………」
きゅうけつきさん…………ではない。
ベス。彼女は、ベス。
「……………………………………」
「……………………………………」
「………………………………犬の、名前みたいですね」
そう言うと、小音が吹き出した。ぶふっ。と。
「……おい――――――――――っ!!!!!なんじゃその言い草は――――――――っ!!!!」
キレた。きゅうけつきさんはキレた。
「うちの国じゃごく普通の愛称なの!……今がどうかは知らないが、お前がずっとわしのあだ名考えてたから気を使ったのにさあ――――それを犬の名前――って――――!!!」
「…いや。犬の名前みたいで、響きが可愛らしいな、と。思ったんです……」
……と言うと………………ベス。
は、黙って俯いた。
「綾ちゃん、いっつも伝え方が悪いんやで。あと言葉選び。とくに今のは」
小音が笑いながら言う。
「もーお、本当……不器用やねえ。綾ちゃんコミュニケーション。」
「……………………反省して、みます…………」
「………………………………」
「………………………………」
その訪れた一瞬の静寂が、やけに長く、感じる。時計の針の音が妙にはっきり聞こえるのが、私にこたえた。
「…………全く…………お前は。わしの方が日本語が上手いというのは……どうなんじゃ」
「……………………はい……」
きゅうけつきさん……いや、違う。
ベス。
彼女は先程と違い、柔かに言う。
「よろしくな、秋葉原綾。改めて、よろしく願う」
ベス。彼女は手を出してきた。
――私は、コミュニケーションが下手。
自分でもそれは痛いくらいに分かる。
言葉選びも下手だし、気遣いも不器用で伝わらないと、よく小音に言われる。表情が変わらないから、私の喜怒哀楽が伝わらないのは森さんとの日常茶飯事のこと。
気質とか性格とか、そういうものもあるだろう。きっと。
けれど、それは私が、他人に。
興味を持たなかったから――なのかもしれない。
私は人を知らない。
知ろうとしなかった。
「……こちらこそです。ベス」
私は握手を返す。
いつぶりだろう。もう少し。人を、知ろうと思った。
そう、思ったのは。
***
「お会計、10780円です♪」
……古風なレジだ。電子決済の機械が横に置いてある。その電子の表示板に、……3人の女子高生が来店したと、それならば、あり得ないほどの合計金額が表示されていた。
……レシートを見る。
「ティラミス2つ、コーヒーゼリー1つ………………コーヒー…………15杯…………」
きゅうけつきさ…………いや、ベスの分のコーヒーを引いて、私は14杯コーヒーを飲んだことになる。
「綾ちゃん、よくそんな入るなあ。私紅茶1杯で満足やで?」
「わしも」
ベスが同意する。
……そうだった、私が考えなしにおかわりを繰り返したから……………
私の一か月の小遣いは…………大体4000円
「コーヒー1杯580エン。580かける14やから……えーっとな、合計8120エンやな。綾ちゃんの分」
「割り勘で」
「できると思って?」
当然それには足りなかったので、小音に2000円借金をして乗り切った。
その日の夜、当然私はカフェインの取りすぎで全然寝付けなかった上、なんなら腹も下した。
家のトイレに向かう私を見る、ベスと森さんの目はなんとなく優しかった………………
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