第2話 吸血鬼様の恩返し、メイド服は自前です


表情に抑揚が無く、つまり殆ど無表情。そこから感情は伺えない。だが…その顔つきは少女らしく、かわいらしい。


黒く長い髪に日本人らしい真っ黒な眼。


その美しい髪は風になびかれ踊っている。

しかしその立ち姿は、精悍そのもの。


そんな少女は、今日はベッドの上で漫画を読んでいる。


何度も何度も見返したその漫画をただ何をするでもなく、ただ読んでいる。正直なところ彼女はそれに飽きていたのだが、ページを捲り、たまにふと、小さな発見をする。


其れは小さな発見だ。文中の誤字であれば、彼女がいつのまにか読み逃していたコマを発見した時だってある。


気づけた時、自分が何かを知った時。


その度に少女は、ほんの少しだけ笑う。

金曜の夜のことだった。


***


日本、首都東京都。土曜日朝。

その街の歓楽街、『雀猫』という雀荘が存在した。


「……よし!」


白の肌の少女のその正体は――始祖なる吸血鬼。

その金の髪を揺らし――驚くほどに端麗なその姿を包む、黒の装い。

それは――


「なんでメイド服なんて着ている……んですか?」


メイド服であった。

それも、大分本格派な。


***



「そりゃあ、これからここで働くのだ。それに見合う服装は必要じゃろ?」


なんでもないことのように、きゅうけつきさんは語る。

彼女が着ているのはメイド服。


「……………………えぇ……」


白いレースの髪飾り、黒のワンピースにはっきりと対となる白色をした汚れのないエプロン。金ぶちの眼鏡をかけており、彼女の紅い目がきらりと光る。

きゅうけつきさんはスカートの真ん中を持ち上げ――


「どうだ?」


と言う。


「……可愛いですけど」

「ふふん、用意したかいがあった。」


「……なぜ、メイド服なんです?」

「え?ああ。この河川敷で拾ったこの漫画にな、奉仕するならばメイド服が定番だと書いておったのだ。それにメイド服は、わしの時代には無かった文化なのだ。ふりふりが可愛らしい、素晴らしい装いだと思ってな」


「漫画が参考なんですか……」

「読むか?」


きゅうけつきさんは、漫画の単行本らしきものを差し出してくれた。

河川敷に落ちていたくらいなので、表紙はシミだらけである。全部音読することすら面倒になりそうな長いタイトルで、いわゆる萌えキャラといった女の子が飾られた表紙の漫画である。


「ある日突然猫耳が生えてしまい、常人の1150倍のパワーを持つ様になってしまった女子高生が主人公でな。なんでも勢いで破壊してしまうのだが、周りの助けを借りながら生活し、主人公は幼馴染のタケシ(女)に恋をするのだ。そして突如としてこの世の王として君臨した魔王、グランドマイケルを倒すという物語でな。」

「待って下さい突如現れた魔王マイケルってなんなんですか、突如が突如すぎませんか」


「突如起こることは、突如起こるんだから仕方ないじゃろ」

「……す……すごい漫画だ…色々………」


全く物語の方向性が掴めない荒らすじである。

そんな漫画があるのか……世界は広い…………



「あ、このピンク色の漫画も読むか?わしには内容が良く分からなかったやつじゃ。透明で不気味な体液を身体中から嫌ってくらい垂らして、女ふたりが恍惚な表情をして動物のように遮二無二絡み合っているんじゃが……って、うわっ!」


私はその本を彼女から奪ってから、一呼吸置いた。


「ダメ!!!です!!!!!」

「何がっ!?」



きゅうけつきさんは困惑している。



「……あ……いや……ごめんなさい」

「い……いいが。……そんなにヤバめ濃いめの図書だったのか?」


「まあ……そんなとこ……です」


……とりあえず、鞄にしまっておいた。


「……それでその服、いくらしたんです?随分と本格的ですけれど」

「…………あ、ああ!こんなこともあろうかと、昨日の夜に魔力で縫っておいたのじゃ。だから、ぷらいすれす、と言うやつだな」




「……私の魔力…………(限りなく小さな声で)」



やっぱり、どこかきゅうけつきさんはズレている。


「何か言ったか?」

「いや……何でもないです」


「……ならいい。じゃ、とりあえず仕事場へれっつらごーじゃ!」



きゅうけつきさんは元気よく、4階の生活スペースから雀荘である二階に降りて行ったのだった。



一分。

「――――――――」


三〇分。


「――――――――」


一時間。


「――――――――」


三時間。


「――――――――」


八時間。


「――――おい」


きゅうけつきさんは、ロビーで漫画を読んでいた私を呼ぶ。


「どうしました?」


読んでいた漫画を本棚に戻して、厨房に向かう。


きゅうけつきさんは厨房で待機していた。

暇を持て余していたらしく、その時間でもう一着メイド服を作っていた。自分よりもすこし背が高い椅子に、きゅうけつきさんは、 足をぶらぶらさせて座っている。


隣に森香登――森さんが眠っていた。しかも立ったまま、文字通り人間技ではない、人間じゃないけど。

厨房で?という突っ込みが入りそうだが、いつもの光景である。


「客が――殆ど来ないではないか!閑古鳥が鳴いとるわ!」

「ええ。まあ――いつもこんな感じですよ。」


彼女の隣でやんややんやと言っているきゅうけつきさんは、期待外れだという表情。


「やけに、食材の量が少ないと思ったわ……」


時計の針はもう、閉店時間のよる十二時を指す。

開店準備を張り切っていたきゅうけつきさんには悪いのだが、いつもこの雀荘、『雀猫』はこんな感じ。


常連の数人が来店するだけで、それ以外の来客は殆どいない。


「さ――閉店準備ですよ。張り切りましよー」

「へ――い…じゃ……………」


半日前とは違い、全く元気のないきゅうけつきさん。


「まあ、きゅうけつきさん。――本当の仕事はこれからなんですよ?」

「――――――」


それを察したのか、些か元気をきゅうけつきさんは取り戻した。


そして。


「あ………………あさ……あ?」

「もー夜ですよ」


隣で森さんが呑気な声で目を覚まし、それに私はお決まりの返しをした。




「今日の夜のお仕事はね〜……うん」


森さんが、吸血鬼からの通報等々が無いかをチェック。

抗争等の事件がないかをチェックしているのだ。


「…………うーん、なしね!」

「無しい!?」


きゅうけつきさんは期待外れと、がくりと肩を落とす。


「ま――今日この頃、吸血鬼の抗争なんてのはまれなのよ。血の気の多い吸血鬼が大半だけれど、吸血鬼殺しに殺されたくはないだろうし。楽でいいわね〜」

「……?わしは吸血鬼に襲われたぞ?あれは珍しい事なのか?」


「そうね。40年くらい前まではそれも大分激しかったんだけど。吸血鬼の悪行を取り締まる組織が設立されてからはがっくり減ったわね。ま――それでも、血の気の多い馬鹿は今でもたくさんいるわ。」


森さんは事務イスから話す。


「力が欲しい――!完全なる不死身の肉体を手に入れる――!太陽を克服する――!……なんて、まあ。目指す吸血鬼は今でもいるのよねえ」

「……香登は違うのじゃ?」

「私?興味ないわ。――まあ、日の下に出られないのは不便だとは思うけど」


カラリと彼女は言う。


「そうか――ふむ……」

「どうしたの?」

「いや、なんでもない。……ちと外に出てくる」

「危ないわよ?襲われたばっかりなんだし、ここでじっとしておきなさいな。いくら最近落ち着いてるとはいえ――始祖の能力を狙ってる吸血鬼なんて――山ほどにいるわよ」


森さんはきゅうけつきさんの髪をうりうり――と、乱す。


「ま――こんな可愛い娘が、吸血鬼の始祖だなんて。だれも思わないと思うけどね」

「だまらっしゃい!ただ……まあ、お前に心配をかけてしまうのなら……やめることにするか……」


そして手を払い、


「あーと!子供扱いはやめいと言うとるだろ!!確かに転生したばっかりでべぼ身体能力じゃが……いつか力を取り戻してみせるに決まっておーる!」


「精神も大分……子供っぽくないですか?」

「だあらあそう言うのをやめいゆーとるのじゃ!」

「ああ、気にしてるんですか」

「追い討ちをかけるな――っ!!」



何か、地雷を踏んだらしい。そっとしておこう。



「あ――けど、じゃあね。」


と――森さんがきゅうけつきさんに対して、ある提案をした。



「……悪いな。気を使わせてしまっての」

「森さんに感謝して下さい」


確かに仕事はない。が、治安を守るためという名目で、私に森さんから『パトロール』の命令が下された。無論きゅうけつきさんは助手として。


まあ要するにきゅうけつきさんの護衛である。

昼はともかくとして、この街の夜は確かに……危険だから。


「あの人は気がきく人なんです」

「だろうな。居候させてもらっている恩もある。――だから香登にちいと、礼をしたくなったのよ」


「礼?」

「まあ――それは、さぷらいずというやつじゃ」

「もったいぶらないで、私には教えて下さいよ」

「だから、さぷらいずと言っとるじゃーろ♪」



機嫌が良い……?のだろうか。

メイド服で、きゅうけつきさんは夜道を跳ねる。


街灯が彼女を照らしている。


ネットで調べれば、この日本人として見慣れたメイド服は、ヴィクトリアンという種類のものらしい。


ちょっと着てみたい気もする。



「わしはな、香登という吸血鬼を始祖として誇りに思うぞ。あのような優しさを、そして機転の良さを持つ吸血鬼を、わしはついぞ見たことがなかった」

「人間から許可取って血を吸う吸血鬼が何言ってるんです」


「…………ま、そーじゃな……」

「………………?」


跳ねるように進んでいた彼女は、急に態度が落ち込む。

……私、何か気に触ることでも言ったのだろうか?


「ああ、いやまあ。本当に香登は気持ちの良いやつなのじゃよ。まず匂いで分かる」

「……それは――はい、分かります。」



森さんは、いい人なのだ。いや人ではないけど。


私の保護者代わりとしての彼女とは、長い付き合いになる。吸血鬼ゆえの苦労もある筈だが、それでも私に対して気を使ってくれていることくらい、察しの悪い私でも分かるのだ。


「私も――誇りです。彼女が」

「それに――チョロそうじゃし」


「え?何ですて?」

「すまんすまん冗談じゃから!その銃を降ろせ!」

「はーい」


平和的関係を築きましょうね。



###



錆びた、『雀猫』と書かれたドアをきゅうけつきさんが開ける。

彼女は少し、小走りで先行していた。


機嫌が良いのがよく分かる。


「ただいま帰ったぞー!」

「お帰りなさい、大丈夫だった?」

「もーまん、たい。じゃ」


「その手に持ってるビニール袋は、何なの?」


森さんがきゅうけつきさんに聞く。


「これは、わしの魔法を使うのに必要な道具なのじゃ。まあ見ていよ」

「……魔道具?そうなんですか?」


そのビニール袋に入っているもの。

――それは……


「じゃじゃん!」


森さんにきゅうけつきさんは、彼女がその手に持つ――


「ええと……ナイフ?ナイフで何をするの?」


ナイフ。ナイフと言っても食器用ナイフである、それを手に入れようと彼女は外に出たらしい。日を跨いでいるくらいには深夜であるが、コンビニが開いていて良かった。しかし彼女、なんのためにわざわざナイフを欲しがったのだろうか。


「……わしは転生してから、魔力がへぼだったんでな、大半の魔法を使うことが出来なくなっていたのじゃ。しかあし!綾のおかげでひとつだけ魔法を使えるくらいには力を取り戻したのだ!それが……これじゃ――つ!」


そう言うと――彼女は自分の胸にナイフの先を当てた。



刃が触れて――とは言っても、食器用ナイフなので何も断てはしないだろうが。


「な、何を――?」

「いいから見ておけ。あと香登、少しちこうよれ」

「――?分かったわ」


森さんが彼女の近くに歩み寄ったその瞬間に――少なくとも私は人生の中で一度でさえ見たこともない優しい光が、ふたりを包んだ。紅く、しかし穏やかな光である。


音も無く現れて、そして音も無く消えた。


「――これで、良いかな」

「魔法……ですか?これは」


魔法。科学にとうの昔に敗北した力。

故に現代、日常では少なくとも見ることは無い神秘の一つだ。


ただしいくつか例外がある。

ひとつ、私のように何故だか魔力を異常に宿している人間。

そして人間の姿をした化け物、吸血鬼。


これらは――失われたはずの魔法を使うことができるのだ。



「いかにも。そしてこれは、魔法。この魔法は不思議なことに、使えるのは、吸血鬼の中だと――始祖であるわしだけらしいのだよな。そして今――始祖の特性のほんの一部だけを、香登に分け与えたのじゃ。」

「……分け与えた?」


森さんが首を傾げている。


「――つまり……お前さん、太陽の下に出られるようになったと言うことじゃ!」

「…………マジで?」


森さんは事務イスから立ち上がった。




「サプライズせーこうじゃな!」

「……え?本当に?マジ?」

「ふ……驚け慄けそして喜べ!ついでに讃えていますぐに!」


「よかったですね、森さん」

「いやいやほんと!?ほんとなのねえ!?なんで……!?」


「そりゃー……恩返しじゃ。お前には良くしてもらったからの。それに、魔法が健在なのか試したかったしな」

「やったー!!!これで太陽の下で……アレとかソレとかができるッ……!!!」


予想外な程に森さんは喜んでいる。


「ありがとうきゅうけつきさん!!ほーんとありがとう!」

「ははは、これでふぇあー、というやつなのじゃろ?」


きゅうけつきさんは胸を張る、その対で森さんは感動に胸を震わせていた。こんな森さん見たことない。


森さん、この縛りについて何も気にしていないように私からは見えたのだ。…しかし。


「…………………………あの」

「どしたの?綾。」

「いや………………森さんのことを……気遣えていなかった、と言うか。縛りのことを……気にしていたのに。森さんは……」

「……いいのよ綾。どうしようも無いことでしょう、綾には。私、綾の鈍感さを責めるよりも、縛りが解けたってことを喜びをわかちあいたい。」


……森さんは、そう言う人だ。そして今もそう、それは変わらない。そんなことは、私には分かる筈だった。


変わらないで、いてくれる。



「ありがとうございます」



笑うのは苦手だ。だけれど。私は、できる限り微笑んで。そうやって、私は返した。



---しかし、その時きゅうけつきさんが一瞬だけ暗い顔をしたのは私の気のせいか。


今、のは。



ほんの気のせいかもしれない。

けれど、考えてしまう。


だとしたら、それは何故だろうと。



「しかし、魔法……」

「どうした?綾。」

「いや、そんな……結構複雑そうな魔法式だから、ハイスペックな魔術管でやらないと、不具合とか起きないのかなあ……と思いまして」


魔法式とは、魔法を発動させるために必要な式。

魔力にただ、日本語で命じただけでは、魔力はいぜん形のない魔力のままだ。


魔法式を組み、魔力に命令し、漸く魔法が使える。


「……わしは始祖なんじゃぞ?この始祖なる身体の超高性能スーパーでデラックスな魔術管が備わっていれば……」

「……今は……転生体なんじゃなかったでした?きゅうけつきさんは」

「………………………………じゃ?……」


そして、そこには物理的に凍りついた森さんがいた。


「す……………………」


〇.一秒、きゅうけつきさん青ざめる。

〇.五秒、きゅうけつきさん口を大きくひらく。


よおし耳栓だ。

きゅうけつきさんと出会って3日、少しだけ、この人のことが分かってきた。


この人はただのポンコツではない、むしろどころか仙人的なかっこ良さも持ち合わせている。


しかし、一つ致命的な点がある。それは――――――


「すまあああああああああああ――――――――んんんん!!!!!香登――――――っ!!!!!!」



いつも……あとひとつの所でやらかす人だってこと――――!




ちなみにこの後、なんとか私がきゅうけつきさんに追加で魔力を与えて(私がきゅうけつきさんに血をあげて)なんとか魔力式のバグを見つけ出し、森さんを助け出したとさ。


バグさがし。

もう二度とやりたくないです。



***



「しかし……お前はやはり……優しいな」

「だから……貴女に……言われたくありません…………」


きゅうけつきさんと呼ばれる吸血鬼と、秋葉原綾が、疲れた口調で言葉を交わしている。


そして氷が溶けたように、香登はそこに横たわっていた。


日曜日朝。

徹夜明けのふたりは、お互いを少しだけ知った。

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