第1話 出会いはいつも、空気締まらない感じで
表情に抑揚が無く、つまり殆ど無表情。そこから感情は伺えない。だが…顔つきは少女らしく、かわいらしい。
黒く長い髪に日本人らしい真っ黒な眼。
その美しい髪は風になびかれ踊っている。
しかしその立ち姿は、精悍そのもの。
そんな少女は、今日は窓から月を見ていた。
彼女は別段月を見るのが好きなわけではない。しかし、つい見てしまう。夜空を見上げていれば、月のその存在感とは他の星とは一線を画すもの。
彼女の大きな眼は、月だけを見ていた。
***
私の名前は、秋葉原綾。
普通の女子高生……いや普通ではないか。
吸血鬼殺しというのをやっている。
吸血鬼同士の抗争などを主に取り締まったりする組織に所属している。ついでにあと親がいない。
……これを除けば、私は普通の女子高生となる。
それで昨夜、私はとある吸血鬼に出会った。
名前は聞きそびれてしまったが、金色の髪、あの深く赤い目、可愛らしい仕草が印象に残り、はっきりと覚えている。
そう――例えば――あそこで――
「……ねえ、お嬢ちゃん。パパかママを待っているのかい?……おじさんに教えてくれないかな」
「だーかーらー!わしはとっくに成人じゃ、ほっとけと言っとるだろ!ほら!このカードが目に入らんのかーつ!」
――あそこで、職質を受けている少女。
「………………!?」
思わず足を止めた。この明らかに家出少女にしか見えないこの少女、それこそ――
――昨日、私が血を分け与えた吸血鬼であったのだから。
「…………お嬢ちゃん……身分証明のカードを勝手に改造するのはね、犯罪……なんだよ」
「だーかーらー正式に取ったやつじゃよ!写真張り替えとかしてないわーっ!ほら見ろわしは本人じゃて!」
さて。どうしよう。
私の中の天使と悪魔が、助ける助けないの選択肢を天秤にのせる。
……自分の気持ちに素直になるのです……ほら……貴女はあのきゅうけつきさんを助けたいのでしょう……?
……時間ってのは有限……だぜ?…………あんな吸血鬼助けて何になるんだよ?……ほら、あの吸血鬼を甘やかしすぎるのは良くねーことだろう……?
私はその現場から反対方向へと進む。
よし。逃げよう。
針は後者を選ぶ。人に情けをかけすぎるのも良くないと言うし。何か面倒くさそうだし――
「…………………………!」
と、したら。
視線が向けられていることに気づいた。
あ、気づかれた。
「――――――――――」
「――――――――――」
沈黙。
「…………お姉さん、知り合い?」
の一言で、その刹那広がった静寂が断たれる。
「…………えーっと………………」
一秒。吸血鬼さんの顔がわかりやすく歓喜に満ちる。
二秒。吸血鬼さんは何か手振りをはじめる。
そして三秒。吸血鬼さんの顔に不安が滲みはじめ――
……ああだめだ、逃げられない!
「――――そのコは、私の親戚で――!」
……私は、観念することにした。
###
「また助けられてしまったな、感謝するぞ」
にっこりと笑顔で、ぐーと指を出す彼女。
なんとか遊びに来た小学生の親戚が、目を離したスキに――ということで誤魔化した。彼女は些か不満の態度ではあったが。
「…………きゅうけつきさん……色々と質問したいんですが……」
…………まさか昼間に吸血鬼が日の下で、職質を受けてピンチになる姿、私はいっさい想像していなかった。
吸血鬼は、基本日の光を浴びると灰になる。
紫外線ではない、特別な太陽の光に吸血鬼は弱い。
それは人間による縛りらしい。
吸血鬼と人間が遠い昔、とある戦争をした。
そこで吸血鬼は敗北。
常人百人が束になろうと力及ばないその吸血鬼の強大な力を恐れ、人間たちは或る縛りを設けた。
それが――太陽の光のもとへ出られないという縛りである。
単純なれど強力な縛り。
世界の均衡を変化させ、吸血鬼という種に、その特性を人間は付与した。
その縛りは吸血鬼の、悠久の時でさえ耐えうる肉体をもののひと時で朽ち腐らせる。吸血鬼でさえ抵抗できない、まさに神の力に等しい魔法の力――それを、人間からの吸血鬼への縛りとしたのだ。
「どーした、今日はわしは機嫌が良い。陽気な気分になるな、やはり日本の冬のおてんと様の下ではさ。夏は地獄だが、やはり冬は丁度が良い気候だからな。なんでも答えるぞお?」
のだが――あれえ?
河川敷。きゅうけつきさんは太陽の下で、溶けるどころかのんびりとーー羽根を休めていた。
「貴女、日光に当たっても平気なんですか?」
「わしは、吸血鬼の始祖なんじゃぞ?そりゃあ縛りなんてもんは効かぬよ」
「――本当に……始祖――なんですねえ、おどろきです。」
心のままに私はそう言う。本当に驚いた。
「まあ、この身体は転生体でな。訳あって本体は――封印中なんじゃ。」
「転生体――?」
「わしは……何千年か前、封印された。精神ごと肉体も、じゃ。それでな、なんとか精神の封印は解いたんじゃがな――」
「肉体の封印が解けてないんですよね、だから、新しい身体を――」
「そう、だから新しい身体を作成し、精神を移したのじゃ。身体が何処に出現するかはギヤンブルではあつたがな。極東の――日本。夏は暑さが地獄の国じゃった……イギリスはもっとすっきりする夏じゃて……」
彼女なりのホームシックなのかどうなのかは良く分からないが、これで一つ腑に落ちた。
「成る程!だからこんなに弱いんですね」
「ストレイトじゃなあ!オブラアトに包まぬか!………………使える魔法魔術のたぐいも殆どしょぼくれているし――
私はきゅうけつきさんの身体を眺めた。
「改めて見ても……うん、野球で言えば4対7くらいしか無いですね」
「……4点はどっから出てきたのよ?」
「四分の三は私の慈悲です!」
「…………満塁ホームランなら逆転の範囲内じゃし……」
「ポジティヴですね」
私はそう答えた。
「…………ふう」
きゅうけつきさんは土手のダンボール箱の上に腰を下ろす。
…こんな寒空の下で、少女(部分的にそう)がこんな河川敷で暮らしているのは、少々気にかかる。いくら吸血鬼だからと言っても、先日のような不埒者が現れないとも限らないし。きゅうけつきさんは、このままで…大丈夫なのだろうか?
――と、考えていれば、彼女の身体について、あることに気づいた。
「…………………………」
「どうした?黙り込んで」
「――あれ、また魔力不足……ですか?」
その姿を見れば一目瞭然。
肌が荒れているし、髪も艶が無い。
そしてその紅い目が濁りを見せていたこと。
「分かるのか?それが顕在化するなど、それなりに微細なる変化じゃぞ」
「………………いや?分かりますよ。それに貴女、見ていて飽きないほどに端麗ですし」
「…………………………」
「……顔を赤くして、もしかして照れてます?」
「…………うっさいぞ。」
「照れてます?」
「……ああ、もー!何度も言うなっ!」
……怒られてしまった。
「わしの身体は、思った以上に燃費が悪くてなあ、今までエネルギーを節約しとったんじゃが……お前に魔力をぜーんぶ回復してもらったんで、調子に乗ったらすぐ切れてしもうた……すまん」
「…………やれやれ、です」
「………………いやあ、すまんが……また血を分けてはくれんか……?」
「………………えー……………………」
きゅうけつきさんは、ねだる。
私はぶっちゃけ困っている。…あんまり血と魔力を分けたくは無い。精神的にも肉体的にも。
「……………………………………」
「……やめてください、うるうるとした目で私を見るのを辞めて下さい……」
「……うるうる……してたか?」
「はい。」
そりゃーもう。
「……………………」
「……全く、手間のかかるお人ですね」
けれど、まあ。この人にならいいかなと、何故か私は心でそう割り切れていた。
不思議だった、それは自分でも。
「………………あ、今は……学校帰り……」
「…………?どうした?」
「血を分けるためのナイフを持ってないんです。消毒液もないかあ……そうですね、私の家に来て下さい」
「へーえ?……どんなところなんじゃ?」
「吸血鬼殺し本部です」
一瞬、怪訝そうな顔をして、きゅうけつきさんは言う。
「…………吸血鬼を招くのか……?」
「構いませんよ、うちのボスも吸血鬼ですから」
「あ、そーなの」
とりあえず、家に帰ることにした。
きゅうけつきさんと、ふたりで。
***
「貴女が綾の言ってた……吸血鬼の――始祖さん?」
その女からは、派手な赤色の服が目立つ女――という、第一印象を受けた。
女の髪は上手く精巧に編まれている、解けば長い髪が表れるであろう。
どこか青いその髪の、その前髪の隙間から除く目は緑の色をしている。
つい緑の目を見て、わしはとある知り合いを思い出した。
「いかにも。わしは全ての吸血鬼の始めとなる存在。始祖なるもの。名前はいやに長いから――もう、きゅうけつきさんでよい。」
「私も吸血鬼なんですけどねぇ……」
雀猫。すずめねこ、と呼ぶらしいその看板の下の、錆だらけのドアを開けばそこにいたのは吸血鬼。
紅いカーペットが敷かれた床の上に、妙な形をした机がある。綾曰く、麻雀という遊びをするためのものらしい。それが複数個この部屋に並んでいた。
隣に視線を移せば本棚がそこにあった。小さ目の本がいくつも仕舞われている。綾曰く、それは全てが漫画本であり、汚さず、必ず返却するという条件を受け入れるのならば、これは自由に読んでも良いのだとか。
日本の小説などは漢字等々がわしには難読だが、漫画は言葉の意味が理解に易く、わしの好みに合う。この様なわしの全く知らぬ文化に触れるのは心底楽しい。
「帰り道で私が考えました。呼び名は必要でしょう?」
「チープねぇ……見たところ、ものほんの始祖の吸血鬼よ。と――言うか、私が吸血鬼だから…それがなんとなく良く分かるのよねえ」
「ふふふ、グランドマザーと呼ぶが良いぞ」
「おばあちゃんになっちゃいますけど、それ」
女の歯、ふたつの尖った特徴的な歯は、間違いなく女が吸血鬼であることの証明をしていた。
それを女は魔力で隠している様だが、魔力がない人間は騙せても、始祖であるわしには通じない。まあ、吸血鬼なんて皆、わしにとっては息子娘のようなものであるし。
「まあ、それでわしは良いし、構わない。――かわいくて、割と気に入ったしな。して、そこなる女吸血鬼よ。名をなんと言う?」
「私は――――」
そう言って、女は姿勢を正した。
「私は、――森
「じゃ。かかと、というのか。かかと、よろしくじゃ。」
森香登。
それが女の名前だった。
###
――その腕から、血が落ちる。
傷口から血が落ちる。血を全て舐めてしまおう、地面に血が落ちてしまう前に。一滴さえも無駄にはしたくない、細部まで――私のものだ。
と、そんなことを、吸血の最中に思ってしまった。
「――――――」
綾がこちらを見ている。
その顔は――なんだか恥ずかしそうだ。
…………いや、今は――やめておこう。
これ以上は、考えないでおこう。
「――すまんな、ありがとう。……」
綾は傷口に絆創膏を貼り付けて、ブラウスの袖を下ろした。
「ま、いいですよ。それで、きゅうけつきさん。」
それで、と綾が言うので、わしは謝礼のことかと考えた。
わしは綾に何も返せていない、情けをかけまくられている。
まあほんとに、情けない。始祖たるものがなんたる様だろう。
「……あー……昨日も、今日もすまんな、礼もできなくて……」
「いいや、そのことじゃないです」
「――?」
綾はそれを否定する。
なんの用件であろうか?
「……まさか、わし、其方らにとって何か、無礼を働いていたか――――?」
「いいや、違います。」
綾ははっきりと、そう否定する。
「そんなに怯えないで、きゅうけつきさん?――と、言うか、そんな人に綾は血を分けないわよ」
そうやってはっきりと、香登が言う。
「そうです。ですです。」
「なら、良いのだが……」
そして、その用件とは、わしが全く予想しなかったことだったのだ。
「きゅうけつきさんって、やっぱり定住しているところ――とどのつまり、家がないんですよね?」
「そーじゃな、最近はもっぱら河川敷の下で雨風を凌いどるよ。」
「吸血させてくれる人間の目処は立ってるんですか?」
「……まあ、綾と――わしが昨日言ったひとり、だけじゃな」
「じゃあ――」
綾は切り出した。
「――きゅうけつきさん、一緒にここで住みませんか?」
「な――――――」
――わしの聞き間違い……だろうか?
「聞き間違いかの?わしも歳を重ねたのう……」
「貴女……身体は実質的には少女みたいなものでしょう。」
突っ込まれ、わしはたしかにそうだと相槌をつい打った。
「……いやしかし、香登は良いのか?」
視線を香登へと移す。香登は特に動揺もしていなかった。
「私は構わないわよ〜?むしろ、賑やかになるし歓迎するわ」
「ね、森さんがこう言うんですし、一緒に住みましょう、きゅうけつきさん。ここなら東京で一番安全ですし、私が血を定期的に分けられますから」
綾はこう、誘ってくれている。が、しかし。
わしは綾に施しを受けるばかりで、なんの返礼もできていない。これ以上迷惑をかけることも――あまりしたくはない。
「…………いや、わしは大丈夫じゃ。これ以上迷惑をかけるのも――」
「あ、ゴキブリ」
「――――――!?どこじゃどこじゃ!?」
「……あ、すいません。ただの黒っぽい紙切れでした…あとしがみつくのはやめて下さい、驚くから」
「おーどーかーすーなー!!!」
「虫、駄目なんじゃない。今は冬だけれど――夏は虫地獄でしょ?河川敷なんて」
「森さんの言う通りじゃないですか。室内だとそんな心配は――少ないですよね?」
「ぐ――っ!!」
た、確かに、そうだ。
香登の全くもって否定できない言葉に一歩後退する。
……わしは虫がまるきり駄目なのだ。
その点で、屋内に住めるというのは…
「し、しかしじゃ!そんなのはわしの都合で――!!」
と、言ったら。綾の呆れるような表情がわしに降り注いだ。
「――頑固ですね、本当に頑固…最終手段です」
「な……なんだ。」
思わず……その気迫にたじろいでしまった。
「――私が貴女を助けた分、働いて下さい!そう、ここで!そして勿論住み込みで!」
「Gu………………!!!」
そう言われると――何もわしは返せない。
何度も助けた恩を働いて返せと言われたのだ、もう何だって反論のしようがない。
「……しかし…だな……………………」
しかし、大分気を…使われてはいないか。
「きゅうけつきさんは恩も返せないぐずぐず吸血鬼なんですか?其れともただのわがままロリっこなんですか?」
「…………………………………」
「………………………どうなんです」
綾はこちらをじっと見つめる。
変わった、人間だ。こんな吸血鬼ひとりに、馬鹿節介なほど情けをかけるとは。
――負けた。私の、完全な敗北だ。
「分かった…ならばこそ、始祖の名誉にかけてお前に…一生分の恩を返してやる。覚悟しておけ、馬鹿節介女。あとロリっこは余計だ!」
それを聞けば綾はゆっくりと、その仏頂面からの笑顔の表情で口を開く。
この女…綾とは出会って間もない。
しかし、人よりも感情表情がへたくそだということだけは分かる。あまりに…あまりに笑わないこの女の、にこやかな顔を見るのはこれでも数えるほど。
しかも、それは綾がわしに対して何か、役に立つことをしてやることができた時、だけ。
その時だけ、この女は笑顔を浮かべるのだ。
「良かった。よろしくお願いしますね、これから。……そして馬鹿は余計です、きゅうけつきさん」
だから、もっと、自分で笑えるような人間にしてやろう。
あなた、笑えないの?
この耳にいまだ残っているその声を、そのいつかの記憶を、私は思い出していた。
「うふふ。新しいお布団用意しなくちゃね」
香登が、そう言った。
***
「ねえ綾、どうしたの?普段ならこんな――そうね、人助けなんかしないでしょう。特に血を、吸血鬼に分けるなんて。私にもしてくれないのにさ、焼けちゃうわ〜」
森香登、秋葉原綾。
きゅうけつきさんと呼ばれる吸血鬼が、河川敷に隠しておいた荷物を取りに行った時の話。
ふたりきりになった、雀荘『雀猫』の玄関口で、言葉を交わしていた。
冗談を言う香登に対して、綾は真剣な面持ちで答える。
「……分かりません。私も――面倒だとは思って――いた、んですけど。……あの人は、なんだろう……世話が……焼けるというか」
「そう」
香登は一瞬、微笑んだ。
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