吸血鬼様は百合れない!

猫村有栖

プロローグ 黒髪ロングの女子高生に施された。


表情に抑揚が無く、つまり殆ど無表情。そこから感情は伺えない。だが…顔つきは少女らしく、かわいらしい。


黒く長い髪に日本人らしい真っ黒な眼。


その美しい髪は風になびかれ踊っている。

しかしその立ち姿は、精悍そのもの。


そんな少女が、深夜一時の東京を歩いていた。


彼女は月を見ていた。

足を運びながら月を、その満月を見ていた。


***


「私は高校1年生で、私は吸血鬼殺しだ。」


「嬢ちゃん、何て?」

「私は、高一の吸血鬼殺しと言ったんです」


繰り返されたその言葉に、目の前の長髪で背の低い男は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。


「ええっとね、嬢ちゃん。言っている意味が良く分からない。き、吸血鬼殺し?」

「そうです。」


「……コウモリでも殺すのかい?」

「いや、私が正真正銘、殺すのは人喰いの鬼、バンパイアです」


この路地裏には、男と私ふたりのみが立っている。

もう夜は深く、人気は無く、昼間は人で溢れていたこの街の路地裏には、街の街灯の光すら届かない。


午前2時。


「雀猫」という、看板のネオンだけが、この路地裏の地面を照らしている。街は寝静まり--まるで世界に、建物だけが残されたような。


夜の東京はいつだって、そんなことを私に思わせる。


「ええっとね、じゃあ、ぼくに何の要件?」

「それはあなたが一番よくわかっている筈です」


男は一呼吸おいて、それから言葉を発した。

その少年らしい声で。


「…………うそお、実在したんだ」

「貴方を今から尋問します。場合によっては殺します」


私はコートの下に隠しておいた、サイレンサー付きの拳銃を取り出す。


手によく馴染むその拳銃の弾は、銀の弾丸。

男にそれを向ける。


「悪いことした覚えはないんだけどなあ」

「みんな始めはそう言います、特に、私が尋問した悪人は全員口を揃えたようにそう言ってます」

「……うっそお、もう悪人扱い?」

「ウチの事件簿の一件目になれるといいですね。ほんとに悪いことをしてない吸血鬼のリストの。まだほっとんど白紙なんですよ」

「ふーん。で。その悪人のリストに空きはある?」


男はニタリと笑う。


「ええ。たっぷりと」


その言葉は宣戦の布告。

そして、戦いの火蓋は切って落とされた。


***



青白い雲に覆われた、夜空を見上げる。

命の終わりとは、こんなにもあっけない。

看取るものなど当然側にはいない。


どころか、処刑人がそこにいる。


「――あんたが、吸血鬼の始祖?」


少年の声をしたその吸血鬼の顔は、こちらを見下し笑っている。


「ふん、もう、好きにしろ」


投げやりに言う。


「そんな顔しないでよ。いやね、信じられなくってさ。こんなに弱いの?始祖って、ぼくのご先祖みたいなものじゃない」

「…………………………」


「ま、嘘だろうが真だろうが。ぼくにはどうでもいいんだけどね。どっちにしても殺す、し。」

「好きにせよ、と下したぞ?わしは」


言葉に一瞬だけ、相手はひるむ。


「その気迫、そしてその赤の目……始祖……」

「……何千じゃろなあ?封印されて、それが解けたと思えば、極東の……日本とかいう島国にいたという……」


「ふ……ふふふ…あ…ははは!」


その吸血鬼は、右手に儂の血が付着したナイフを構えた。

文明が発展すれば、魔法も進化するのは確たる摂理。


それについていけない生物は、例え伝説と呼ばれていた、始祖なる吸血鬼でも、無様に死ぬしかない。


「現代の魔法をやけに使ってこないと思ったよ!運命はぼくに味方してくれてるみたいだ!」


「血を吸うつもりじゃな、貴様」

「気に食わなそうな顔だねえ!けどさ現代じゃ、老人はさっさと死んで、若いものに後を託すのが良しとされてるんだよ。だから……」


はあ。なんだってこんなカスで、小物の吸血鬼に血を吸われなきゃならないのか。


「……死ねっ!死ね死ね!」


奴は儂に向けてナイフを振り下ろし――

ゆっくりと、ゴミだめの中で、儂は目を閉じた。


一秒。

二秒。


……おかしい。

血が流れる感触が無い。


三秒目、目を開けると、そこにやつは居なかった。


***



そこにいたのはひとりの少女。

雲で隠れていたはずの月が、その少女をうしろから照らしている。


金のシルクのような長い髪に、長いスカート。

その姿は、ついぞ見たことのない、美しい立ち姿だった。


一瞬、我を忘れて見惚れていたくらい、儚く、美しい。



成る程。私はあの吸血鬼の行動に腑が落ちた。


「やれやれです、あの吸血鬼、ロリコンでしたか」


そう言うことなのだろう。

全くひどい吸血鬼だ。こんなにかわいい少女を傷だらけにするなんて。


「……ロリータ?……わしのこと……かあ?」

「………………?貴女以外に誰かいます?私は――」


少女は、その傷だらけの身体が嘘のように素早く立ち上がり――


「だぁーれがロリータじゃっ!儂あとっくの昔にはたちなど超えとるわい!」


そう言った。


「じゃあ、その姿で酒買えます?」

「……昨日コンビニで買おうとしたけど、不良家出少女に思われた」


「試したんだ」


少女――?は明らかにむすりとした顔でこちらを見る。


「そも、儂あ吸血鬼じゃぞ?分からんかオマエさん……」


吸血鬼?

と、私が首を傾げると、あちらはそれを察したらしい。


「ふふん。聞いて驚け見てお届け。儂あ全ての吸血鬼の始祖、名を――」

「……慄けの間違いでは?」


そう私が言えば、自称吸血鬼始祖は固まった。

普通一番格好良く決めれるのは、登場シーンでは?

そこの台詞を噛んで絶妙に、空間に間が抜けている。


あっ、この娘はぽんこつだなと、私は察した。


「うるせーっぽんこつ言うなーっ!日本語難しいんじゃー!!なんじゃ漢字だのひらがなだのカタカナだの、大文字か小文字でいいじゃろー!!!」

「日本の言語文化全否定してる……」


そもそも。噛んだことに日本語の習得の難しさを説くのは色々違うのでは?


私はそう思ったが、言うと絶対に面倒くさそうなので、その思考を奥にしまったのだった。


「……わしはな、すごい吸血鬼なんじゃぞ?ほんとじゃぞ、名を言えば皆慄くこと間違いなしなんじゃぞ?」

「さあ――人間の私には、違いが分かりませんよ」


その吸血鬼は半泣きである。

1000年生きたと自分で語るが、うん。全く信じられない。


手でその金髪を掻き分けて彼女の目を見てみる。


「な……やめ……やめろ……お……」


なんか言っているが無視しよう。



……その目は赤かった。

碧眼だとか緑色だとかの目でなく、真っ赤な赤だった。


「ちょ…………やめ……やめてください……」


見惚れてしまう、引き込まれてしまう。

そんな錯覚、のような感覚を覚えた。


私はバッ、と距離を置いた。


「……なんじゃお前、忙しいやつじゃな……」

「魔眼の類いですか?……全然使えていないですけれど」


「話が急じゃな!……そうじゃよ。ま……この身体じゃ人を惚れさせることもできん……」

「ふーん。じゃ、吸血鬼ってのは本当……」

「だーかーらーあー!そー言っとるじゃろー!」


なんだかキレているらしいが、その主張している声の音量はなぜだか控えめである。


「もしかして、近所迷惑、気にしてるんですか?」

「…………また、話が急じゃなあ。そうじゃが?」


キッパリ言う。

ここで私は一番の疑問を口にする。


「吸血鬼が?」

「じゃ。五月蝿くすれば通報される警察呼ばれて逮捕される、の3拍子。抜け出すのにまる3日かかったぞ……戸籍なんてないしな」


……こんな吸血鬼、初めて見た。


吸血鬼であるというのは、なんとなく分かる。


吸血鬼特有の魔眼持ち。

人間で魔眼を持っている人間など、この平和国家日本に何人いるのか、くらいなものだし。


それに……なんというか……その……


「ぽんこ……いや…………まぬ……うーん……」

「言葉を選ぶなあはっきり言え!……どーせわしなんか……時代に取り残された老害ばばあですよーだ…………」


「ああ、拗ねちゃった」


拗ねた。

そりゃあもう、教科書に載るくらいはっきりと拗ねている。


まあ……この辺にしておこう。

仕事中の私は、最後の質問へと移ることにした。


***



「先程、貴女は危ない状態でした。私があの少年の吸血鬼を殺していなければ、貴女は死んでいたでしょう」


その女、というか少女は言う。


表情に抑揚が無く、つまり殆ど無表情。そこから感情は伺えない。その顔つきはかわいらしく、真顔であるのが勿体ないとつい思ってしまうほどだ。


黒く長い髪に日本人らしい真っ黒な眼。

その美しい髪は風になびかれ、夜のこの空間で踊っている。しかしその立ち姿は、精悍そのもの。


黒髪に赤黒い……軍服?のようなものを中に着ており、異常に丈の長い……コート?を上に着ている。右の腰には、小さな膨らみがあり、何かを仕込んでいることだけは分かる。


「――まさか、儂が目を瞑っている間……その数秒で、お前が少年の吸血鬼を倒したのか……」


儂が目を閉じていた間、その間にナイフは振り下ろされる筈だった。そうしてそれで終わりだった筈。


しかしその時、文字通りに風を断ったのではないかと疑う程の、そのくらいの大きな音がした。


少年のナイフは地面に、カタンと音を立てて落ちた。そして、この少女が儂がを見下ろしていた。


少年の吸血鬼は殺されたことにすら、気づいていなかった。少女の右の手には拳銃が握られていた。たった一発、正確無比に心臓の一点を撃ち抜いたから吸血鬼は声すら上げなかったのだろう。



その身体は、死ねば皆等しく吸血鬼は皆例外なくそうなるのだが――灰となって消えた。


「そうです。この少し前にもここに一匹いましたが、殺しておきましたので、残党にはご心配なさらず、どうぞ」


カラりと、なんでもない事のように少女は説明する。


「……強くない?」


そう言うと、少女はムフーと胸を張る。

その姿は――その。猫のようでかわいらしい。


「――私は、秋葉原綾。といいます。悪性吸血鬼の取締り実行役を任されています。」

「……組織があるのか?」


「そうです。日本では『吸血鬼殺し』と呼ばれていますね」


……到底組織の名前とは呼べないようなネーミングだが、ツッコむと話が進まなそうなので、控える。


「そして私が質問するのはひとつです。たったひとつ。」


少女は続ける。


「――貴女は、悪い吸血鬼ですか?」


そう、綾と名乗る少女は言った。


***



悪、とは何か。

人間にとっての悪。


例えば人に暴力を振るうこと。

例えば人に嘘をつくことか。


――例えば、人の血を吸うことか?


***



貴女は、悪い吸血鬼ですか?


その自称伝説の吸血鬼は、私がそう質問すると、動揺しはじめた。


「……そんなことないぞお、わしはいいきゅうけつきじゃぞお」

「……………………」


泳ぐ目、棒読みの声、そして彼女は口笛を吹き始めた。


「……………………」

私は彼女が背中に隠したペットボトルを奪い取った。


「あ――っ!な、何するんじゃーつ!」

「……これ、人間の血ですか?」


そのペットボトルは赤く染まっている。

ボトルの口は固まって赤黒くなっていた。


肩をすくめて吸血鬼がこちらを見る。


「ト、トマトジュース……じゃ……」

「………………」


私が拳銃を隠しておいた右の腰に手を当てると、彼女はいきなり喋り出した。


「わーつ!分かったよ!それは人間の血じゃよー!!!」

「………………?私は手帳を取り出そ……」

「あーもー!!吸血鬼が人間の血を吸わずに生きられるとでも思ってんのかこんにゃろー!!!豚の血でも啜ってろってか!?あーどうせ私は家畜以下の化け物で…………」

「落ちついて下さいビンタ」

「ぐべつ」


彼女は落ち着いた。


一秒後、真顔。

二秒後、口が震え、

そして三秒後、泣きだす。


全然落ち着いてなかった。


「…………あーもー殺すなら殺せえ……う……うぅ……そら吸血鬼なんじゃから血は吸うだろ……何を当たり前のことを聞くんじゃ――!!」


…………もしかして、何か勘違いをしているのだろうか?


「………………?人間から血を吸っただけですよね?」

「………………………………は?」


私がそう聞くと、彼女は泣きながら返答する。


「殺さないのお…………?」


こちらを振り向く。

なんかこう、悪事がバレた犬みたいで、……可愛かった。


「殺しません殺しません。私達が取り締まるのは、吸血鬼同士の殺害事件だとか、暴行事件だとか……つまり、人間がどうこうされて動く組織じゃないです」

「……………………よかっ……たあ…………」


彼女はその場にへたり込む。


……とりあえず、持っていたハンカチを渡しておいた。


「……情けない……我が人生…………二回分くらいの不覚…………」


「………………なんで、こんなに弱いんですか?私が知る限りの吸血鬼の中で一番弱いんですけど」


「……精神のことか?戦闘能力のことか?身長のことかあ……?」

「全部です、諸々脆すぎて弱いです」

「……ぜんぶかあ……ははは」


私は彼女の腕を掴む。


「…………!?」

「細い…………これ、やっぱり飢えてる吸血鬼の症状ですよね。もっと人間から吸わないと駄目ですよ?」


「人間のお前さんが言うのか……まあ、最低限しか吸ってないからな……」

「……なんで最低限しか吸ってないんです?」


そう言うと、こんな答えが。


「……血を吸っていいって、そう言う人間が全然おらなんだ……やっと今日、ひとりだけ見つけたが……まあ、殺してもいけないだろう、ちょびっとしか吸えてない……な。貯蓄もボトル一杯分もないし……」


「は?吸血鬼が人間に血を吸っていいかわざわざ聞いてるんですか?それに人の命まで気にしてるんですか……?」

「……まあ、わしのぽりしーの様なものじゃ。気にするな。」


「………………」

「……どうした?」


「…………あげます。私の血を少しだけ。」


と言うと、彼女はバッと振り向いた。


「あ、直接吸われるのはヤですよ。ほら、舐めて下さい」


私は手持ちのナイフで、慎重に、少しだけ腕にキズを付けた。


「私の血はどうも吸血鬼には絶品らしいんですよ。魔力が入ってるからだなんとか。」

「…………いいのか?」


「早くしないと全部流れますよ」


彼女はそれを――私の……腕の血を、舐める。

顔が近づき、ゆっくりと、その小さな舌で、血を舐めた。


……なんか、恥ずかしい。

彼女は、いやに艶っぽかった。


「………ひと舐めで魔力がほとんど回復したぞ……魔力を帯びているな……」


その吸血鬼の顔色が、少しだけ良くなったような気がする。

ならまあ、良かったけれど。


「そんなこと言われてもあんまりいい気分はしませんけどね、私は」


「…………お前、優しいやつじゃなあ」


そんなことを彼女は言うので、私はこう返した。


「…………貴女は、優し過ぎますよ」


……そしたら、なんか、顔がわかりやすく真っ赤になって――



「……そんなことないもーん!しょ……そんなことないもーん!!」


と、何故か走り出した。



と、そしたらなぜか一旦止まり。



「……あ、あと!ありがとうな――!!」


私は。


「ちょ……今度は気をつけて下さいね――!」


……そんなことを言って、彼女は東京の夜の街の闇へ消えていった。


金の髪が――ゆらゆらと、揺れていた。

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