これからが大変かと思いますが、愛があればきっとなんとかできることでしょう。


「寂しかったら、身体で慰めてもらうのですか? 貴族令嬢が?」

「彼女を侮辱するなっ!?」

「ハッ、彼女を侮辱しているのはどちらだか?」


 顔を真っ赤にし、声を荒げる男を鼻で笑う。


「貴族令嬢が、純潔を失うということの意味を理解して言っているのか? 平民で商人の俺だとて、それが重大な意味を持つと知っている」

「そ、それはっ……」

「酷い話ではあるが、純潔でない貴族令嬢の価値は大幅に下がる。所謂傷物扱いだ。嫁ぎ先は限られて来るだろう。そして、彼女を傷物にしたのは、君だ」

「っ!?」

「責任は俺が取る!」


 顔色の青ざめた彼女を、安心させるように微笑んで背中を撫でる男。


「だから、なにも心配しなくていい」


 なにを言っているんだか? この根拠の無い自信はどこから来るのやら?


 所謂、恋は盲目というやつだろうか?


 まぁ、彼女のと、この男の魂胆は判った。


「いいだろう。婚約は解消しよう。慰謝料も不要だ」

「いいのですか?」


 不安げに、けれど嬉しさが彼女の顔に滲み出ている。


「ええ。但し、婚約時に結んだ契約にのっとり、君の家の領地はうちが頂くことになりますが」

「え?」

「は?」

「ど、どういうことでしょうかっ?」

「どういうもなにも、借金で首が回らなくなる前にと、俺と婚約を結ぶと決めたのは君の家の……お父上の伯爵の方だ。借金は、俺が婿入りすることで相殺予定だった」

「で、ですが、借金はもう返済し終えたとっ!?」

「ええ。俺が働いて、君の家の財政管理を徹底したお陰で、となりますが」

「それならどうしてっ?」


 これを本気で言っているとしたら、随分とおめでたい頭をしているものだ。それとも、貴族とは皆こういう考えをするものなのだろうか? 理解できん。


「まぁ、既に返済し終えた分の借金も返せとは言いませんよ。その程度は、君達への祝儀代わりにチャラにしてあげます。ただ、俺が君の家に婿入りするという話も無くなったので、担保にしていた土地を我が家が頂くというだけのこと」

「なんだとっ!?」

「そん、なっ……」

「では、俺はこれで失礼します」


 大方、俺と彼女とを先に話し合わせて、金銭関係のことを有耶無耶にしたかったのだろうが・・・生憎と、俺も商人のようだ。身内にはならないのだから、金の貸し借りはキッチリしないと。


 というか、婚約して数年間、ずっと態度が悪かった挙げ句に、不貞まで犯した女と、その女を寝取った男の二人に、俺が絆されるとでも思っているのだろうか?


 それとも、うちが貴族ではないからと舐められ過ぎているのだろうか?


「あ、あなたの実家が、わたくしの家の領地を買い戻してくださいますわよね?」


「え?」


 彼女の縋るような言葉に驚き、さっと顔を青くする男。


 成る程。そういうこと、か。


「ああ、幾つか忠告をしてあげましょう」

「忠、告?」


「ええ。その男は、確かに高位貴族を親に持ちますが、貴族の『令息』ではありませんよ」

「え? ど、どういう意味ですかっ?」


 そもそも、『令息』や『令嬢』、というのは大事にされている息子や娘のことを示す言葉だ。


「そのままの意味ですよ。その男は、高位貴族の愛人の息子です。彼の父親に、うちの商会で雇ってほしいと頼まれたので雇っていました。見返りもありましたからね。一応、愛人の子でも貴族と接することが多い環境にいたので、他の……少々気の荒いうちの護衛達よりは、あなたの側仕えが務まると思ったのですが、失敗でしたね」


 うちで使える護衛は、ムキムキで暑苦しくてむさ苦しいおっさん共が多いからな。しかも、堅苦しいのが苦手と来てる。


 更に言えば、平民や商人をあからさまに見下すような態度の彼女の家とは、かなり相性が悪い。一度連れて来て様子を見ようとしたが、玄関口でぶちギレ寸前だったので、早々に諦めた。


 そういう事情もあり、護衛騎士を奴にしたのだが・・・まぁ、ある意味結果オーライだったか。


「そういうワケですので、彼は高位貴族である父親を頼ることはできませんよ。なにせ、複数いる愛人のうちの一人の子ですからね。父親の家には、確りとした嫡男とそのご兄弟がおられます」


 正妻との間に兄弟が複数人。愛人も複数人いて、その愛人達との間にも子供が複数人。地位と経済力があって、好色な・・・色々とアレな人だ。


 故に、継承権やら財産分与辺りのことは、弁護士を入れて確り管理していた。彼を頼むと言われたとき、親父と一緒にその書類を見せられたからな。


の家に乗り込むと、きっとかたりとして憲兵を呼ばれて終わりだと思いますよ? 下手をすれば詐欺罪で逮捕でしょうか。既に手切れ金を貰い、の家とは無関係だという契約書にサインをしていたはずなので」


 俺の言葉に黙って俯く男を見て、彼女の顔が絶望に染まって行く。


「そんなっ、そんなの聞いてないっ……」

「貴族としての身分も無く、おそらくはきちんとした教育も施されてはいないであろう彼に、貴族家当主が務まるはずはないでしょうね」


 部屋に控えている執事も、段々と顔色が悪くなって行く。


 彼は、この家の古参の使用人。おそらく、成り上がりの商人の息子よりは貴族の息子の方が彼女に……いや、自分達が『仕えるに相応しい主』だとでも思っていたのだろう。


 彼の父親の財産やコネを期待していたのかもしれないが……実質、彼にはなにも無い。


 高位貴族である実の父親を頼ることはできず、教養も中途半端。剣は多少扱えるが、剣で生計を立てて行ける程の腕はない。


 これまでは貴族相手の、見せびらかす用の護衛(実力は然程さほど必要とされない)としては使えていたが……これからは、その仕事も無くなるだろう。


 うちは彼のくびを切る。


 もしその後、彼が護衛を続けたいと願ったとして、だ。


 誰が、護衛対象の貴族令嬢に手を出して孕ませるような、それも大した実力も無い顔だけの護衛を雇い入れるものか。


 まぁ、金や時間の余っているどこぞのマダムなら相手にしてくれるだろう。ヒモやツバメとしてだが。ある意味、肉体労働と言えるのかもしれない。


「では、これからが大変かと思いますが、愛があればきっとなんとかできることでしょう。式を挙げるなら、是非報せてください。ご祝儀くらいは用意しますよ」


 挙げられるものならな。


「ぁ……まっ、待ってくださいっ!?」


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