第6話 涙と独白
四人は声を揃えて「お邪魔します」と言って中に入る。中に入ると、二十と少しくらいであろう女性が立っていた。家の中なのもあり飾り気のないシンプルな服に身を包んだ彼女こそが岳の姉、坂口美波である。
「待たせちゃってごめんね」
扉の閉まりきるガチャンという音が鳴ったのを確認し、美波は微笑した。
「全然、大丈夫です」
ももが答え、それに他の三人も頷く。
「そう?……しっかし、岳にこんなに女友達がいたとはねぇ。女々しい奴ぁ女友達も多いのか」
ガハハと笑う。
「それとも、あいつ三股かけてる?」
「違います!!」
綺麗なまでに声が揃った。
「あっはは、冗談。とりあえずリビングにおいで」
手招きされて入った部屋は整頓されており、花や写真も綺麗に飾られている。
「はいこれ、お菓子とお茶」
「あー、いや、大丈夫で」
「まあいいじゃないの、お見舞いの前にちょっと位飲み食いしたって。どーせあいつは今寝てるしさ」
トン、と木製のトレーがテーブルに置かれた。上にはチョコチップクッキーが個包装された、人気のお菓子が八つ、湯気の立つ紅茶の入ったティーカップが四つ並べられていた。
「いただきます」
パチンと音を立てながら手を合わせ、そう唱える。日本人が動植物の命を喰らう免罪符として編み出した魔法の言葉だ。
黙々とクッキーを食べる。チョコチップ独特の食感が、クッキーのサクサク感を際立てている。そして一口食った後に紅茶を口に運ぶと、口当たりよく甘さを喉奥まで運んでいく。なるほど、甘くもない紅茶なんて何のためにあるのか今までわからなかったが、これはいい。などと四人は考えていた。
テレビからは暗闇と沈黙が放送され、閉め切られた窓からは外部の音は入ってこない。
ただバリ、ボリ、ゴクリという音だけが鳴る。
「──で」
口火を切ったのは美波だった。
「何故、学校を抜け出してきたのかな?」
ギクゥッと呟く慶。
「あっはは、図星みたいだねぇ」
美波は名探偵ぶったポーズを取る。右手を銃のようにして、親指と人差し指の間のところを顎につけるあれだ。
「何でそれを……?」
「だって、岳が休むって学校に連絡入れたの私だもん。岳が風邪だって連絡入れて休ませたのに、あいつのクラスメイトが涼しい顔して来るのはさぁ、はっきり言って異常でしょ」
盲点だったと四人は反省した。
「まあわざわざ岳に会いに来てくれたんだから、姉としては嬉しい限りなんだけどね」
肩で笑う美波。しかし、次の瞬間には真顔になる。
「でもごめん。岳は体調が悪くて今日ずっと寝てるんだ。だから、しれっと学校に戻って授業受けておいで。また明日、岳の風邪が治ったら会えるし。ね?」
「あいつの風邪は明日も続きますよ」
慶はばっさりと言い切った。
「明日だけじゃない。明後日も、明々後日も、ずっと岳の風邪は治りません」
「……は?何で、そう言い切れるの?」
慶は何も言わずスマホを取り出し、タップした。
静かな部屋に例の音声が流れる。
ドカッドカッっと、鈍い音。
続けて飛び出す、岳の悲痛な叫び。
「やめて!!!」
美波も悲痛な叫びを上げる。
慶はすぐに音声を止めた。
「……やっぱりか」
美波は力なく、切ない笑みを浮かべる。
「岳は汗っかきなのに、この夏は長袖しか着なかったんだ。私も思ってたよ、おかしいなって。だって、そういうのって大体は虐待受けてる子の特徴じゃん。でも私は手なんて上げてない。何かされてるのかなって、思うでしょ」
目が潤み始める。それでも尚、笑みを浮かべる。
「でも『姉さんには関係ないだろ!』って怒られちゃったんだ。岳があんなに怒ったの、私史上初めて」
目を潤ませた涙は、とうとう溢れ始めた。
それでも、なんとか笑う。
「今日だって全然咳してなかったし、頭痛って言う割には元気そうだったよ。体温もド平熱。顔色も、なんならいつもより少し良かった」
ポタ、ポタ、と、涙が机に音を立てて落ちる。
それでも美波は、無理矢理笑う。
「風邪じゃないことくらい医者じゃなくても、文系の私でも確信が持てるレベルで健康体だった。駄目だねあいつ、演技力ないよ」
だが、そんな虚勢も突如として終わりを迎える。
「だけど、だったら岳を無理矢理学校に行かせるの?ずっと我慢して、とうとう限界になっちゃったあの子を?そんなの無理だよ、私には」
泣き崩れる。声を出して泣く。
「母親代わりなのに駄目だよね、私ったら。私なんかに育てられたからイジメられちゃったのかなぁ……」
ちゃんとした母親がいればよかったのかなぁ。そういう直前にどうしても耐えられなくなり、大声で泣く美波。静かにそれを聞く四人は、暗い顔を浮かべる。
「ごめんお母さん、私はお母さんみたいにはなれないみたいだよ」
涙はどうやっても止まらない。
「岳は、お母さんみたいに、私のせいで」
幾度となくしゃくり上げながら、言葉を吐き出す。
岳の家は、美波と岳しか住んでいない。
母は数年前に交通事故で死に、父はその翌年に病死したのである。
──あの日私がお母さんに『お菓子を買ってきて欲しい』なんて言わなければ、お母さんはきっと車に轢かれることもなく、今も私と岳のご飯を作って、服を洗って、岳を支えてくれていたのに。私と違ってちゃんと岳の助けになっていたはずなのに。お母さんの未来も、岳の未来も私が奪ったんだ。
ずっと、美波はそう考えていた。
所詮は気の持ち様。そう言って思考停止することができれば、どれだけ楽だったか。
「それは違うでしょ」
通夜のような湿っぽい雰囲気の中、優奈は確かにそう言った。
「あ、ごめんなさい。初対面の人にこう言うのは良くないけど、美波さんの言ってることが全然わからないんですよね」
「ちょっと優奈」
「だってそうじゃない?美波さんのお母さんが事故にあったのも悪いのは美波さんじゃなくてお母さんを轢いた人だし、岳のイジメだって悪いのは岳をイジメた土生だし」
夏南の静止を無視して、優奈は話す。
「貴女は物語に出てくる悲劇のヒロインじゃない。現実の、ただの一個人にすぎないんですよ。私、間違ったこと言ってますか?」
優奈の目には、ただの一つとして光が無かった。
気迫。
「……そう、よね」
それを持ってして、遂に美波の涙は止まった。
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