秘密の脱走
第5話 あの日の思い出
互いに顔を見合わせて笑い会う、慶と夏南。
そんな二人を、ももと優奈は遠くから見ていた。
「ありゃラブラブだな」
優奈が名探偵のようなポーズで自信満々に言う。
「なんやかんや言って、三年間ずっとああだよ」
ももは自分のことのように恥ずかしがり頭を掻く。
「あー、今行ったら邪魔だよなぁー……」
その台詞が二人の口から同時に出てきた。
顔を合わせて、笑う。
「そういえば、前も一回大遅刻したことあったよね、私達」
「え?前?」
「ほら、一年のとき皆で岳の家に行ったじゃん?」
優奈がそう言ってすぐ、ももは「あー!」と思い出す。
「あれは遅刻とはちょっと違うんじゃない?」
きっと永遠に忘れられない。
それ位彼女らにとって思い出深いものなのだ。
あれは、二年と半年程前のことだった。
その日は雲一つない快晴で、風もとても弱かった。しかしそんな折角のお出かけ日和に、岳は風邪を引いてしまったらしく、学校を欠席した。
「なあ」
そういえば、あの日の言い出しっぺも慶だった。
「今から岳のお見舞いに行こう」
言い出したのは、二限目終了時のチャイム直後。
「……は?」
ももが漏らした言葉を無視して、慶は自身のカバンに荷物を詰め込む。とはいっても筆箱と一、二冊のノートだけだが。
「授業、まだ沢山残ってるよ?」
「放課後行こうよ」
「駄目。今から」
当時から慶は破天荒ではあったものの、決して自分勝手な人間ではなかった。それなのに「今から」と言って聞かない。
「何で今から?」
「今からじゃないと、意味がないから」
慶は、ペラペラのカバンを机に叩きつけた。
「早く。学校出るよ」
半ば強制的に学校の外へ連れ出された三人は、始めはとても困惑していた。
「岳が心配なのはわかるけどさ、今じゃなくてもいいじゃん。私推薦狙ってるから、うちの学校のシステム的にサボりとかは避けたいんだけど」
夏南の声には苛立ちすらあった。
しかし、その声を全て無視して慶は進む。
「ねぇってば!」
「怒られんのがそんなに怖いか?」
キィッ、と自転車が急停止する。先頭が急停止すれば後ろの三台も止まらざるを得ないので、止まる。
「何なの!?」
夏南の声にあった若干の苛立ちは怒りに変わった。
「放課後でいいじゃん!帰ろうよ!」
「慶、今日何かおかしいよ!」
ももと、優奈も口調を強くする。
慶は動揺するわけでも怒り返すわけでもなく、ただはあとため息をついた。
「そうだよな。俺、今日何かおかしいよな」
彼女たちの方に振り返った慶の顔からは、明らかに運動によるものではない汗がボタボタ垂れ、歯は時折ガチガチと震えている。慶はもとより、こういう悪事は憧れても行動に移さない小心者だ。小心者が己の恐怖を乗り越えるには、相当な覚悟が必要である。
──しかし、彼はまだその覚悟ができていない。それがひと目でわかってしまう程、変な様子だった。
「何、え」
三人は怒りを忘れ、また困惑する。
「えーっと、どこから話すかな」
声の震えは、どんどんと強くなっていく。
「……まずは、これ聞いてくれ。昨日の夜中に橋本先輩から回って来たやつなんだけど」
彼女たちの前には、一台のスマートフォンが差し出された。そのスマートフォンでは、ある一つの音声ファイルが再生されていた。
『やめっ、やめてよ!』
『だぁれがやめるもんか!おらぁ!』
『痛いっ!』
『あ、また痛いって言ったからプラス十分な』
『ひどい……!』
『ひどいはプラス二十分って決めたよな?バカ!』
『……がっ』
会話と会話の間に挟まれる、鈍い音。それが暴力によるものだというのは創造に難くないだろう。理不尽な暴力、三人以上の声。それらからこの音声がイジメのものだと言うことも簡単に推理できる。
彼女らもそれはすぐにわかった。
わからなかったのは、たった一つ。
「何で、岳の声がするの……?」
「痛いっ!」と言ったあの声は、まず間違いなく彼のものだった。
「あいつ、頭はいいし優しいしで人気あるよな」
「うん」
「で、そう言うのが気に食わない奴がうちのクラスにいるよな」
「……土生?」
「そう。どうやら、目をつけられたらしい」
「じゃあ、何で私達に黙ってたの!?」
ももが声を荒らげる。
「……大方、心配かけたくなかったってとこだろ」
慶は、ぽつりと呟くように言った。
「でも、それと学校抜けだしになんの関係があるの?岳は今日風邪なんでしょ?」
「風邪ってことにして休んだんだよ。学校に来たくなかったんだろ、イジメられてるから」
彼の声が弱々しくなり、震え始めた。
「昨日、あいつ一人で公園にいてさ。声かけようと思って近づいたら、泣いてたんだ。『もう嫌だ』って言ってさ」
優奈はそっかと言って俯く。
「──まあ、あいつは俺らに心配かけたくなかったらしいけど、知っちまった以上俺らとしては心配で仕方がないよな?」
皆、首を縦に振る。
「だよな。じゃあ、もう一回訊くぞ。怒られんのが、そんなに怖いか?」
テストも宿題も推薦も、もう知ったものか。
皆、首を横に振った。慶がほっとして笑う。
「よかった。じゃあ、急ごう」
それから二分もかからずに、四人は岳の家に到着した。両親は共に仕事に出ているようで駐車スペースに車がなかったので、そこに自転車を並べる。
慶が、玄関の前に立った。
「……行くぞ」
皆が頷く。
ピンポーン、という無機質な音。平日の昼間だからなのか、辺りにその音だけが、嫌なほど響く。
『はい』
音質の悪いスピーカー特有のザラザラというノイズに混じり、若い女性の声が聞こえた。
「えっ、お母さんの声?」
「にしては、何か若々しすぎない?」
優奈も夏南も探偵や刑事なんかではないので断言はできないが、その声は恐らく二十代半ばから三十代半ば位の女性のものだろうと感じた。
「
慶は何も動揺せずに、そう訊く。
『そうだよ。もしかして慶くん?』
「え、美波さんって?」
ももが訊く。
「岳のお姉さんだよ」
「あ、お姉さんだったのね」
夏南と優奈がぽんと手を打つ。
「そうです、慶です」
『久しぶりだねぇ。それで、なんかしたの?』
「岳のお見舞いに来たんですよ」
『お見舞いに!そっかぁ、悪いんだけど……』
そこまで言うと、美波は閉口した。
まるで、何か都合の悪いことでも隠すかのように。
『ちょっと待ってて』
言葉に続けて足音が聞こえた。
「悪いけどって、もしかしてお見舞いどころじゃないのかな?そんなに体調悪いなら……」
「いや、違うでしょ」
「違うの?」
夏南はぽかんと口を開ける。
彼女に向け、ももが声を潜めて言う。
「イジメられてて学校に行きたく無くなったから休んだんだって、慶が言ってたじゃん」
「……そうだった」
続けて「ごめん」と呟く。
その間、インターフォンからは何も聞こえない。
「遅いね、美波さん」
優奈がそっと呟く。
すると間もなく、また足音が聞こえてきた。
『──いいわ、家に上がって』
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