第4話 遅刻、珈琲、回想。

 ちなみに、彼らの通う日下部高等学校の始業時刻は午前八時五分である。

 夏南は三番目に曲がった路地でももと、五番目に曲がった路地で他の三人とはちあった。ここからあと十分も漕げば、学校に着くだろうか。遅刻を免れることはできなさそうである。


「やーい、遅刻集団。もう八時だぞ」


 と言ってはみたものの、慶自身もその遅刻集団の一員だ。


「馬鹿言ってないで急ぐよ!」


 夏南はそう言うが、ペダルは彼女の言葉に反しゆっくりと回っている。


「何してんの夏南、もっと速く漕がないと!」


 そういう優奈も、スピードは出ていない。


「ほらほら、急ぐんじゃねぇのか?」


 煽る慶が一番遅い。

 全員、ここまでの激チャリで疲れているのだ。高校三年生の卒業間近ともあれば、大抵の人間が部活を引退している。彼らもその一人…いや、五人。

 久しぶりの過度な運動に、体が悲鳴を上げていたのである。


「まあいいじゃん。どうせ遅刻するんだしゆっくり行こうよ」


 ももが言ったとき、四人の自転車が静止した。

 「もういいか」と四人続けて呟く。

 呑気に、町中で止まる慶と夏南とももと優奈。


「揃いも揃って……ふざけてる」


 岳は、ぽつりと呟いてスピードをあげる。

 止まった四人を置いて、先に行ってしまった。


「……あーあ、行っちゃった。体力あるねぇ」


 小さくなっていく岳の背中を眺めながら、夏南はそう言った。

 彼は以前からあんな風だっただろうか。いや、確か彼はもっと──

 ──あ、というか、今日は。


「今日、朝から全校集会あるでしょ!私らも行かなきゃやばいよね!?」

「でもまぁ、どーせ今更急いだって間に合わねぇし」


 慶はかなり楽観的に物事を捉えているらしい。自転車をゆっくり漕いでいた割には焦っている夏南を他所に、とうとう自転車から降りてしまった。


「高校受験と違って内申とかねぇから真面目にやる必要もねぇ訳だし。なぁ、ちょっと寄り道しねぇ?」


 三人は、迷わず首を縦に振った。




 若者とあれば誰しもが行きたがる人気のカフェチェーン。それはこの街にも一店舗だけ、三キロ程離れた市役所の隣にある。四人は通学路から大きく外れた所に位置するその店舗の中に入った。

 チリンと扉についた鐘が鳴ったが、それはすぐに店内の喧騒にかき消されてしまう。


(うっわ、平日の朝っぱらから混んでるなぁ)


 大学生が大半なのだろうか。空いている四人がけの席を探しながら、慶はそんなことを考えた。


「ホワイトモカ、Mで!」


 夏南は誰よりも早くカウンターの前に行き、目の前の女性に叫ぶ。


「ホットとアイスがありますが?」

「ホットで!」

「店内でお召し上がりになられますか?」

「なられます!」

「かしこまりましたー」


 女性がカタカタとレジスターに何かを打ち込むと、小さな画面に『560』の数字が現れた。


(相変わらず、高いなぁ)


 慶は後ろに並んでそれを見ながら頭を掻いた。自分から誘っておきながらこんなことを言うのは気が引けるが、俺は今かなり金欠だ。ナントカマキアートのグランデなんて買おうものなら所持金がマイナスになってしまう。ああ、いや、その前に捕まるか。


「商品は隣でお渡しいたしまーす。」

「はーい」


 そうこう考えていると夏南が隣に行ってしまった。


「いらっしゃいませー。ご注文は?」

「あー…」


メニュー表の値段とにらめっこをする。


「ドリップコーヒーのSで」

「ホットとアイスがありますが?」

「アイスで」

「店内でお召し上がりになりますか?」

「あー、はい」

「かしこまりましたー」


 レジスターには『350』の数字が映った。


(マジでそんなにすんのか)


 普段店でコーヒーを飲まない慶は驚愕する。自分で淹れればその半分も金がかからなくて済むのに、どうして人々はこのカフェに集まるのだろうか。コーヒーの味の違いなんてわからない慶には、まったくわからない。

 まあとりあえず注文しちゃったしと、財布に入った金を取り出す。

 見よ、これが慶の全財産にして、とっておきの。

 ──シン・五百円硬貨。


「五百円お預かりいたしまーす」


 彼のとっておきは店員にとってはただの五百円硬貨に過ぎない。ささっとトレーの上から拾いあげられて、次の瞬間には百円玉一枚と五十円玉一枚に化けてしまった。


「商品は隣でお渡しいたしまーす」


 店員にペコリと一礼して、隣に移動する。

 ちょうど、夏南が商品を受け取っているところだった。


「慶、何頼んだの?」


 夏南の問いに、「これ」とだけ言ってメニュー表のドリップコーヒーを指差す慶。


「えぇー、ここまで来てただのコーヒー?」


 彼女は顔をしかめる。


「……ま、慶らしいっちゃあ慶らしいか」


 ふふっと笑うと、彼女は適当な空き席に向かって歩いていった。

 ──ああ、そういえば、あとほんの数日で彼女たちとはお別れになるのか。


「お待たせしましたー」


 いつか無くなる当たり前であることは、入学当初から想像がついたことだったのに。


「ドリップコーヒーのSサイズのお客様ー」


 何故、今になってからこんなに苦しむのか。


「ドリップコーヒーのサイズSのお客様ー」


 というか


「ドリップコーヒーのSサイズのお客様ァァ!!」

「あっ、すみません。俺です」

「こちら商品になりまーす」

「ありがとうございます」

「ごゆっくりどうぞー」


 怒鳴った直後に、何事も無かったかのようにすんとテンションを戻した店員。こやつ、只者ではないな。

 などと考えつつ、慶は夏南が場所取りをしていた四人がけの席に向かい、夏南の隣に腰掛けた。


「え」

「何だよ。ももと優奈はいっつも隣に座るんだから、お前の隣しか空かないじゃんか」


 ほんの僅かに頬を赤らめ、一年生の頃の話を引き合いに出した慶。その様を見て、夏南はその頃の光景を思い出していた。


『慶は夏南の隣にでも座っててよ』

『私達は絶対に隣同士になるもんね!』

『ねー!』

『おい、岳はどうすんだよ』

『岳は……慶の膝の上』

『おいッ!』


「……ふふっ、そうだったね」

「何笑ってんだよ」

「いやぁ、別に?」


 互いに向かい合った瞬間、周りの音が消えた。

 ほんの一瞬、全員の動きが止まったのだ。ある者は持っていたカップをそっと置いて手を離し、他のある者らの会話も一瞬途切れた。

 偶然の産物。賑やかなカフェに訪れた奇跡の沈黙。


「ははっ」

「ふふっ」


 今度は、二人で笑った。

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