第7話 過去と夜驚
美波の涙は止まった。
そしてもう、きっと今までのようには流れない。
「あー、泣いた泣いた」
濡れた目元を袖で拭う。
はっきりと四人の目に写った彼女の瞳には、優奈と同じようにただの一つも光が無かった。
「皆、ちょっと待ってて」
すっと立ち上がった美波は、それだけ言い残してどこかに行ってしまった。
残された四人は目を見合わせる。
「いやー、思った以上に効いたね」
自分でもびっくりという風な顔をして言う優奈の目は先程と異なり、いつものように光っていた。
「優奈、さっき、その」
ももはその違和感について訊こうとするが、上手く言葉が出てこない。
「さっきのアレ、何だったんだ?まるで別人みたいな顔つきしてさ」
ももの言いたいことを、代わりに慶が言う。
「アレは、うーん、何ていうか……思い出しちゃったんだよね。中学生の頃のこと」
そのときも、それからも「中学生の頃のこと」を優奈は語らなかったので、これは彼女の口からポロっと溢れたごく一部の経験談からのももの考察に過ぎないということを理解した上で、聞いてほしい。
恐らく彼女は中学生時代にイジメを経験している。
そして恐らくそのイジメに関する全てを、いや、中学生までの彼女の人生、人格などのすべてを過去のものとして封をしている。
つまり、今の彼女の優しさも頼りになるところも、全ては高校に入ってからのツクリモノなのだ。唯一県外から来た彼女だからこそなせる技だ。きっと、中学生の頃は内気で、弱気で、謙虚な人間だったのだろう。言葉の節々から、そんな彼女が垣間見える。
要するに、彼女は涙を流す美波とイジメられる岳から封印している過去の自分を感じ取ったのだ。それで何か壮絶なトラウマを掘り返してしまい、あんな目をしていたのだろう。
一種の防衛反応のようなものだ。
「そうだったんだ」
あの顔を、あの目を見た後に彼女の無礼を責めることも、彼女の過去を問うことも、慶にも、ももにも、夏南にもできなかった。
そうして黙っていると、上から怒声が響いてくる。
「もうそんな言葉聞きたくないよ!!」
「うわぁっ!?」
「ひぃぃっ!?」
ドタドタッと階段を駆け上がり、二階で一番最初に目につく部屋のドアノブに手をかける。
「岳、起きてるでしょ。開けるよ」
「えっ!?うわっ、入ってくるなよ!」
思春期男子の部屋だぜ!?フツー、ノックくらいするだろ!などと岳が喚くのを全て無視して、岳と目を合わせる。
「いいでしょ別に、風邪でも何でもないんだから」
「──は?」
藪から棒。青天の霹靂。そんな言葉では足りない程の衝撃が彼を貫いた。
「土生とか言うんだって?あんたをイジメてた奴」
「え、は、なんで」
隠していたのに。姉さんにだけはバレないようにと熱くて蒸れる長袖も着続けて、痣もきちんと隠していたのに。
誰かが、姉さんに話したのか?
岳の頭の中に、ある四人の顔が思い浮かぶ。
「……誰から聞いたんだよ。慶か?夏南か?ももか?優奈か?わかんねぇけど、それ、デマだから」
「録音までされてたのによく言うわよ」
「なっ……!?」
岳は、土生に腕を思い切り踏まれたときに、誰かがカメラを向けてきていたのを思い出す。
「ね、姉さんには関係ねぇだ」
「もうそんな言葉聞きたくないよ!!」
びくっと身震いする岳。
美波の顔は、今までの人生で見たことがないような表情を浮かべている。
「何が関係ないだよ。関係大ありなんだよ!!」
怒号。
「岳、あんた自分のこと全然わかってないよ。自覚あんのか知らないけどさ、毎晩毎晩あんたの泣き声が私の部屋まで聞こえてるんだよ?」
「は」
岳にとって、それはあまりに以外な言葉だった。
「そんな訳ないだろ。だって、家帰ったらすぐに寝てるし」
「だろうね」
「はあ?なんだよ『だろうね』って」
「うちの壁だって薄いって言ってもコピー用紙でできてる訳じゃないんだから、岳がそれなりの声量で泣かないと私の部屋までは聞こえてこないわよ?でも、人一倍プライドの高い岳は姉の私にだってそんな弱みは見せないわよね」
何が言いたいのかわからず、混乱する岳。
「それなのに、私の部屋まで聞こえてる。要するにね、岳は無意識のうちに夜中に起きて泣いてんのよ。夜驚症って言うらしいわ」
岳は、自分の心臓が何かで貫かれたような感覚を覚える。
「子供に多い、いわゆる『夜泣き』だとか、岳みたいなのとか、色々バリエーションはあるんだって。でも共通して言えるのは、ある程度の年になったら普通は無くなるってこと。大体幼稚園に入るような年には無くなってるらしいわよ」
心臓が素早く鼓動している。
「でも、勿論例外もある。ある状況下だと、社会人でも夜驚症に悩まされることだってあるのよ」
張り裂けそうな程早く鼓動する。
「強いストレス。心当たりあるでしょ?」
その言葉と同時に、心臓が強く鼓動する。
ドクンと言う鼓動音は部屋中に響くようにすら感じられた。
『おい岳、今日までに一万用意しろっつったよな』
『小遣いで足りないなら母親に頼めよ。あ、いねぇんだったっけ?あっはは、カワイソー』
忘れようとしても脳裏に焼き付いて離れなかった土生の声がフラッシュバックする。
『クラスメイトなんだから仲良くしてやってくれよ』
『それに、土生の家からは寄付金を受け取ってるんだ。お前の家と違って』
『どうせ、家族も大した仕事をしてないんだろ?』
『悪いが俺はお前の味方になる気は無いからな』
岳を冷たく突き放した悪徳教師の顔がフラッシュバックする。
「あああああっ」
なんとかそれらに封をしようと叫びながら頭を抱えてみるが、どうすることもできない。
ただ、泣き叫ぶことしかできない。
「姉さん、俺、やっぱり耐えられない」
遂に、岳は胸の内を吐き出す。
「…もっと早く頼ってくれれば良かったのに」
美波は泣き続ける岳の隣に座り直して、呟く。
「私は岳の味方だから。何されたのか、教えてくれる?」
岳は無言でコクリと頷いた。
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