第2話 謎の少年

 D組の教室から慶が出るのとほぼ同時に、B組の教室からも誰かが出た。背丈はおおよそ百七十センチメートルで、サラサラの黒髪に大きな丸眼鏡。


がく!?」


 慶は思わず大声を出した。そこには一年以上会っていなかった、友人の坂口さかぐちがくがいたのだ。まあ一応学年や学校全体で行われる行事で会ってはいたものの、こうして顔を合わせるのは本当に久しぶりである。


「……慶じゃん」


 慶の大声に思わず振り向いた岳だったが、それだけ言うと向き直ってスタスタと歩き始めた。


「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」


 慶は岳の隣まで走るが、着いた瞬間岳の左手で突き飛ばされてしまった。

 ──廊下に響く、衝突音。

 きちんと手を付けたおかげで幸い外傷はなかった慶だったが、無傷なのは外面だけである。友人だと思っていた人間に、唐突に突き飛ばされたのだ。心が傷つかぬはずもない。


「おい、何すんだよ!」


 さっきまでの驚いたような大声は、怒号に変化していた。怒りに満ちた大声が木霊する。しかしながら岳は振り返らず、


「何を、今更」


と言った後に小さな舌打ちをして去ってしまった。

 

「……何なんだよ」


 慶は、座り込んだまま動かない。いくら立ち上がろうと思っても立ち上がれない。いくら冷静になれと心の中で唱えても湧き起こる感情を排除できない。

 ただ、座り込むのみ。

 今はただ、このやり場のない怒りと悲しみに身体を支配されるしかない。

 どう頑張っても、涙を堪えるので精一杯だ。


(意味わかんねぇ)


 慶は心の中でそう呟く。何故自分は岳に素っ気ない態度を取られた挙句突き飛ばされたのか。何故彼は去り際に舌打ちをしたのか。彼はもとより、友人なんかではなかったのか。

 ──その考えが頭をよぎったとき、彼の中の防波堤が崩れた。


「あああああああっ!」


 今まで抑えていた分、勢い良く涙が流れ出す。

 そして涙だけでは飽き足らず、声まで流れ出す。


「ふざけんなよっ!何で……何でっ!!」


 何でそんなことするんだよ。一年の頃は仲良かったじゃないか。怒りに身を任せて叫ぶ彼だったが、いくら叫んでも岳は帰ってこない。

 その叫びが聞こえるところに、岳はいないのだ。




 そんな叫びを耳にして、ずっとぼーっとしていた夏南に意識が戻ってきた。


「慶……?どうしたんだろう?」


 そう呟きながら時計を見ると、既に長針が十二の場所に辿り着こうとしている。もう間もなく、午後四時だ。

 

「って、もうこんな時間か。私も帰らないと」


 廊下で慶が叫んでいるから、何があったのかも訊こう。そう考えながら教室の扉に手をかける──


「おっと、ストップストップ」

「えっ!?」


 謎の声に驚いて振り返ると、窓際に一人の少年が立っていた。特徴的な髪色や紅い瞳は、夏南の三年間の学校生活の中では初めて見るものだった。サラサラとなびく彼の髪はつやつやとしているが銀髪のような深みのある色ではなく、かといって年老いた人間の白髪しらがともまた違う。


「貴方──」

「貴方は誰?はぁ……野暮な質問だな」


 質問している夏南に向かって腕を伸ばし、「待った」と言わんばかりに手のひらを見せつける。


「まあ、別にいいんだけどね。僕はロゼ」

「ロゼ?聞いたことない名前。何──」

「何年生か?うーん……何年生でもあるし、何年生でもない。そんな感じかな」


 また「待った」のポーズをして、そう言うロゼ。


「……何それ、ふざけてるの?」


 意味ありげかつ意味不明なロゼの回答に、若干苛立つ夏南。


「こればっかりは説明が難しいな。まあいいじゃないか、そんなことはどうだって」


 ロゼは「はい、この質問はおしまい」と言いながら手を叩く。パン、といい音が響いた。


「何か他の質問、無い?」

「貴──」

「貴方は何をしに来たの、だって?」

「もうっ!」


 謎の質問先読みは夏南を尚更苛立たせた。彼女は机を勢い良く叩いて怒る。


「ふざけないで!」

「まあそう怒らないでよ。僕は君の願いを叶えに来てあげたんだから」

「はあ?願い?」

「そう。願い」


 白髪はくはつの少年が、手を差し出してくる。


「ほら、願いを言いたまえよ」

「誰があんたなんかに言うもんか!」


 ほんの少し肩を落とす。


「……あっそ」


 それだけ言って、彼は踵を返した。そしてそのままてくてくと教室の扉の前まで行き、扉を開ける。

 ──その瞬間、嫌な感じがした。

 「ここで行かせてはいけない」とか「ここで何もしなければ後々後悔する」のような予感と言える程の感覚ではなかった。本当にただ何となく、彼が扉に手をかけた瞬間に僅かな不快感を覚えた。それだけだ。

 しかし、それはそのときの夏南を突き動かすには十分過ぎる衝動であった。


「待って」


 ロゼは無視して片脚を教室の外に突き出す。


「やっぱり、願い事を言う!」


 脚が地面に付く直前に、ロゼは振り返る。


「その言葉、待ってました」


 さささっと夏南の目の前まで移動する。


「じゃあ改めて言うね」


 そして、手を差し出す。


「願い事、言ってみて?」

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