放課後、学生に夕化粧を

橘谷椎春

卒業と謎の少年

第1話 卒業間近、千切れた友情

 年末年始のころに比べれば大層暖かくなり、積もった雪もみな溶けたものの、制服だけでは少々冷える。そんな三月某日の放課後、日下部高等学校くさかべこうとうがっこうの三年D組では卒業式を四日後に控えた数名が、いつも通り駄弁っていた。


「いやぁ、全然実感湧かないな」


 ヘアワックスでガチガチに固まっている頭を掻きながら、広津ひろつけいは呟く。


「気持ち的にはまだ二年生なんだけどね」


 ため息混じりに、佐倉さくら夏南かなが言う。


「思い返せば、いろんなことがあったねえ……」


 グラウンドが映る窓を眺めながら、越前えちぜんももは思いを巡らせる。何となく、二人も窓を見た。グラウンドには誰一人としていなかったものの、三人の瞳には春に行った運動会の光景が映っていた。


「そういえば、あのときの百メートル走」


 夏南が言う。


「ああ、ももが派手に転んだやつ?」


 慶が続ける。


「なんでそんなこと覚えてるかなぁ」


 盛大なため息。それに続く、三人の安らかな笑い。三年間クラスがずっと同じだった三人にとって、それは三年間続くルーティンであった。一年の頃はあと二人いたのだが、クラス替えというものは無情である。


「ねえ」


 夏南が口を開いた。二人が「ん」と反応する。


「二人は、どこの大学受けるの?」

「俺は東京の大学。独り暮らしにはなるけど、自分で選んだ進路だし、やりたい研究ができるから」


 慶の声は覚悟と期待に満ち満ちている。


「私はまだ独り暮らししたくないから地元の大学。看護学部に入って看護師になるんだっ」


 ももの声は迫りくる将来への希望が感じさせる。


「……そっか」


 夏南は一人、孤独を感じながら呟いた。


「私は京都の大学に行こうと思ってる。みんな、バラバラになっちゃうね……」


 さっきまでの楽しそうな雰囲気は何処へやら、まるでお通夜でもやってるかのようなしみじみとした空気が漂っていた。その空気感に耐えきれなくなった三人は同時に教室の壁掛時計に目を向ける。

 ──午後三時五十分。


「あっやばい!あと五分で電車来ちゃう!」


 机をバンと叩いてももが立ち上がる。


「ごめん!やばい!バイバイ!」


 それだけいうと、彼女は教室から走り去って行った。小柄ながら稲妻のように駆ける彼女を見て、二人はまた運動会のことを思い出していた。


「……あいつ、転んだのに一等取ったんだった」


 慶と夏南、二人が同時にそう言った。

 台詞が被った二人は顔を見合わせ、互いにふふっと声を漏らす。


「さて、と。俺もそろそろ帰ろうかな。じゃ」


 慶はそう言ってにこりと笑い、スタスタと教室を去っていった。

 一人残される、佐倉夏南。

 二人の愛しい笑顔を見れるのも、あとほんの数日。足りない。あと何年もとら言わないから、せめてあともう少しだけでも。そう思って手を伸ばすが、人間の腕の長さなんてたかが知れている。とてもじゃないが、廊下の慶やもっと遠くのももには届かない。


「慶、もも……」


 伸ばした手は、力なく降ろされる。

 高校一年生の頃とは違うと実感した。

 今、彼女の手は、誰にも届かなかった。




 ももは今にも閉じそうな扉をなんとか抜けてバスに乗り込むことに成功した。自身が席につく前に発車したバスの運転手にほんの僅かな憤りを感じつつ、空いていた奥の方の席に座る。若干の段差があるおかげで奥の座席は外の景色がよく見えるので、ももはなんとなく外を眺めた。

 あ、あれはよくみんなで放課後に遊んだ公園。

 あ、あれは慶が一番くじでA賞を引いたコンビニ。

 あ、あれは……

 今まではなんとも思わなかった車窓に映る風景も、卒業間近ともなれば様々なものを感じさせる。そんなことを考えていると、思わず目が潤んだ。


『みんな、バラバラになっちゃうね』


 夏南の言葉が脳内で反復する。ああ、そうか。ずっと一緒ではないんだ。わかっていたはずの当たり前のことでさえ、目の前に迫ると理不尽に感じてしまう。

 慶とも、夏南とも、将来の道は重ならない。同じようなことを、二年のクラス替えのときも皆でぼやいた記憶がある。


『岳とも優奈とも別のクラスになるなんて、最悪!』


 泣きじゃくりながら夏南が吐き出したその言葉は、今でもよく覚えている。だって、私も慶も、あの二人も泣いたから。

 そんなことを考えていたももの隣で、ポスっと音がした。どうやら誰かが座ったらしい。誰が座ったのか気になってそちらに目をやる。


「……あ、もも」


 こういう状況のことを人は奇遇というのだろうか。隣に座ったのは、「あの二人」のうちの片方、親友の高松たかまつ優奈ゆうなだった。


「優奈──」


 ももは名前を口にした後、後悔した。なにせ、二年近い間を挟んでの再開なのである。あれだけ泣いた新クラス発表会の日は何だったのかという程に、すっかり関わらくなってしまっていたのだ。半年もせずに、である。そんなんだから、優奈は半年もせず交流を絶たれたことを「ハブられた」と思っていてもおかしくない。そんな状況で声をかけたらどんな反応をされるかなんて、目に見えている。


「ん?どした?」


 しかし、その心配は杞憂に終わった。優奈はあの頃と何ら変わらない穏やかで優しい声をももにかける。

 その声を聞いたとき、ももの目に溜まっていたものが大粒の涙になって溢れた。将来への不安、別れの寂しさ、友人との再開。それらで張り詰めた彼女の中の糸のような何かが、優奈の優しい声を聞いてぷつんと切れてしまったのだ。


「ええっ、何!?何で泣いてるの!?」


 堪えられず声を漏らしながら泣き出すももを見て優奈は焦る。彼女からすれば声をかけられたので反応したら泣かれたという状況なのだから、無理もない。


「ひっく、その、ひっく、うれしくて」


 泣きじゃくるもも。


「え、何が?」


 尚更混乱する優奈。


「優奈が、ひっく、前と同じく、ひっく、話して、くれたから」


 息継ぎもままならない中ももがなんとか口に出した言葉を聞いて、優奈は力が抜けたように笑う。


「……そりゃあ、前と同じだよ」


 その言葉に、ももの中の糸がもう一本切れる。


「おー、泣くな泣くな。ほーれ、よしよし、いい子いい子……って、これじゃあ育児みたいじゃん。ははっ。ほれ、いい子いい子」


 いつの間にやら他校の生徒も入ってきて騒がしかったバスの中で、二人は静かに友情を賛美した。

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