第57話(Extra Episode 2) デート
夏季休暇を取って異世界へ。リーゼの戴冠式に出席するためだった。
クロスは、女神ヶ丘病院の病室のベッドで横になる。オプトシステムで予約された時間の十五分前だ。今は、九時四十五分。天井のLED照明が懐かしい。
数日前からこの日を待ち侘び、よく寝られなかった。それもあってか、すんなりと眠りに落ちる。
*
……クロスは目を開けた。
はじめて視界に入ったのは、大きな瞳をした白い肌の美しい女性だった。長い亜麻色の髪をおろしている。頬が少しずつ紅潮し、瞳も潤んでいくのがわかる。淡い水色のワンピースも似合っていた。
リーゼ。
これまで何度も思い浮かべた彼女よりも、ずっと綺麗だった。
「……おかえりなさい」
微笑んで、彼女は言った。
「ただいま」
クロスがそう返した瞬間、リーゼが抱きついてきた。背中に手をまわし、クロスにぴったりとくっつく。あの時と同じように、ふわっと良い香りがした。その彼女を優しく包むように背に左手をまわし、右手で亜麻色の髪を撫でた。
異世界転移する時刻に合わせて、待っていてくれたのだ。
ここは、レグナ王国の王都レグナレットにある転生・転移管理事務所。その魔法陣の上だった。
クロスが顔を上げると、魔法陣の外れに見慣れた壮年の男が立っていた。ヴィルヘルムだ。
二人きりでないとわかると、途端にクロスは恥ずかしくなった。だが、リーゼは離れようとしない。クロスは、伝えないといけないことを思い出す。耳元で囁く様に言った。
「リーゼ、王位継承、おめでとう。ごめんな。そばに居てあげられなくて……」
リーゼは抱きついたまま、首を横に振った。クロスはもう一度、彼女の髪を撫でる。彼女の気がすむまでと思った。
でも、本音はクロスもそうしていたかった。やっと会えたのだから。
二人は気持ちが落ち着くと、ヴィルヘルムのところへと歩いていった。
「ヴィルヘルム、長い間ありがとう。リーゼを支えてくれて」
「クロス殿こそ、よくぞミコトのこと、やり遂げてくれた。本当に感謝していますぞ」
クロスもヴィルヘルムも笑顔になると、固い握手をした。
「さて、クロス殿。わしは、今日は非番の予定でな。来て早々で恐縮なのだが、リーゼ様の護衛をお願いできないか?」
そう言って、ヴィルヘルムは片手剣をクロスに渡そうとした。預けていた剣だった。
「構わないけれど、リーゼの今日の予定はどうなっているんだ?」
まだ十時過ぎ。日も高い。
「今日は、公務については一切ない。リーゼ様にとっても久しぶりに自由な一日だぞ」
それを聞いて、クロスはリーゼの顔を見た。彼女はにっこりと微笑む。
「この日のために、時間を作ったのですからね。クロスには思いっきり付き合ってもらいますよ」
リーゼは嬉しそうに意気込んでいる。クロスは、二人の気遣いが本当に嬉しかった。
*
季節は夏であるが、王都は高地にあるため、比較的過ごしやすい。日本の東京であれば五月のような陽気であった。
あらかじめ日本円をこちらのお金に換金する手続きをしていた。なので、王都の転生・転移管理事務所で受け取る。
そして、ヴィルヘルムと別れた後、二人は城下町を散策していた。
リーゼはお忍びということで、冒険者の時の様に髪を一本に結えて、メガネをかけていた。少し変わった雰囲気の彼女に、クロスはつい見惚れてしまった。清楚な雰囲気に加えて知的な印象だ。
歩きながら今日の計画を立てる。正確には、すでにリーゼがいろいろと考えていた。ひとつだけ、クロスから要望を伝える。
「王位継承のお祝いを贈りたい。何がいいかな?」
それを聞いたリーゼの顔が、明るくなった。
「ふふっ。では、その買い物も楽しみましょう」
リーゼの計画では、まずは昼食でどこか気になるレストランに入るというもの。
いろいろ見て回ったが、結局、冒険者ギルドの横に併設している宿屋、その酒場に入った。
クロスは鳥の唐揚げとパン、スープを注文する。リーゼは、オムライス。とろとろのタイプで、シチューもかかっている。それにサラダ。飲み物は二人ともオレンジジュースにした。
いつもパーティの四人で、こういったところで食事をしていたのを思い出す。リーゼも同じ気持ちの様だった。かしこまった上品なレストランよりも気楽だ。
離れていた時間を取り戻す様に、いろいろな話をする。クロスはリーゼの話を聴き、その姿を眺めているだけで十分過ぎるほど楽しかった。
食べ終わった皿が下げられた後、リーゼは王家の翡翠を胸元から取り出して、綺麗になったテーブルの上に置いた。
「『眠れる宝石』をお願いできますか?」
リーゼが微笑んで、クロスを見つめる。
「初めて会った時の酒場……あの時みたいだ」
クロスは懐かしそうな顔をしてそう言うと、王家の翡翠に触れる。
そして、スキル『眠れる宝石』を使った。所有者であるクロスは、願いを書き換える。初めてスキルを使った時に知った、それと同じ願いにする。
──リーゼを守ってくれ。
自動で発動する様に設定し、最後に魔力を込める。気を失うことはない量を注ぎ込んだ。
王家の翡翠を返すよと口を開こうとした瞬間、少し身を乗り出したリーゼの人差し指がクロスの口を塞いだ。
「『宝石を返す』とは、絶対に言わないでくださいね。婚約破棄や離婚の意味になりますよ」
口元は笑っているが、リーゼの目は真剣だった。そして続けて言った。
「私も『返して』とは、決して言いませんから」
レグナ王国の風習のことだった。宝石に関わる隠し言葉。
「……え、えっと、翡翠を持っていてくれないか?」
「はい!」
クロスは安心した。万が一の事態になっても、王家の翡翠がリーゼを守ってくれる。あの時の様に。
昼食を終えた二人は、王都の城下町を歩く。目指すは、様々なお店が並ぶ通りだ。王位継承のお祝いを選びにいく。
リーゼに選んでほしいと伝えていたが、クロスは品物についてひとつだけお願いした。普段から身につける、または携帯するものを贈りたいと。
それを聞いて、リーゼはいろいろ悩んでいる様だった。
「今後は、誕生日とかお祝いする機会に、プレゼントは欠かさないから……」
クロスは静かに約束した。
離れていた月日。会えなかった時間。クロスは、少ししんみりとした気持ちになっていた。誕生日や新年など一緒にいたかった日があったからだ。
でも、リーゼはそうでなかった。その気持ちもあるけれど、今日は楽しむと決めた一日なのだ。
「決めました。魔法道具のお店にいきましょう」
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