第三章

第45話 受け継がれる想い

 事務所の窓の外はすっかり暗くなってしまった。定時のチャイムもずいぶん前に鳴った気がする。


 長い物語、そして切なくて、まだ結末にたどり着いていない物語。それをカタリナとレンは聴いた。


「……長い話を聞いてくれて、ありがとう」とクロスは言った。


 レンは黙っている。カタリナも何を話していいのか、分からなかった。壮大な話だった。クロスたちの想いを聴き、何かしら力になれたらと思う。


 おもむろにレンは翡翠を取り出した。それは虹色に煌めく。レンは静かに見つめている。


「話の中に出てきたとおり、王家の翡翠は魔力と想いが充分に蓄えられた。次は、レン、君をミュートロギアの神樹に連れていく。そこに囚われているミコトの魂に呼びかけて欲しいんだ」


「……クロスさん、ありがとうございます」とレンは深々と頭を下げた。そして続ける。


「異世界でのミコトのこと、いろいろと知ることができました。ぼくも早く彼女に会いたい。クロスさんたちが準備してくれたこと、決して無駄にしません。ぼくの願いでもあるから」


 クロスは微笑んでうなづいた。

 

「今日の仕事は終わりにしよう。すっかり遅くなってしまった。申し訳ないけれど、明日も業務が片付いたら、出張の段取りについて打ち合わせたい」


「はい。わかりました」と二人は揃って応える。



 カタリナは、帰り道でふと思った。


 どうして異世界への出張はレン君と私なのだろう? 


 クロスさんは異世界にいるリーゼさんの元へ帰りたいはずだ。出張中、事務所の営業として留守番は必要だけれど、それは私が担ってもいいはずだ。


 それに異世界の案内なら、私でもクロスさんでもどちらでもいいと思う。何か考えがあるのだろうか? 明日確認してみよう。


 *


 翌日、異世界転生の申請業務対応を、カタリナはいつものようにこなした。レンと分担することで予定よりも早く終わった。クロスも手伝ってくれた。


 三人は昨日と同じように会議室に集合した。クロスが三人分のコーヒーを淹れてきた。良い香りが会議室に漂よう。


 最初に口を開いたのはレンだった。

「クロスさん、さっきメッセージを入れておいたのですが、確認してくれましたか?」


「ああ、見たけど。本気? カタリナさんもだよね?」

 クロスは二人の顔を確認する。レンから昼休みに相談されたことだったが、カタリナも賛成だった。


「お願いします。出張まで時間ないと思いますが」


「わかったよ。大丈夫。まとめてあるから、後で送っておく」とクロス。


 カタリナとレンは、頼んだことが承諾されたのが嬉しくてコーヒーマグで乾杯をした。このホットコーヒーの苦さは、ビールに負けていない。


「じゃ、出張の段取りを説明する」と、クロスが打ち合わせの開始を告げる。


「オプトシステムを介して出張の設定と各所への連絡はAIがしてくれた。今度の月曜日に出発だ。時間は十一時ジャストだ」


「異世界に転移するんですよね、どこに行けばいいのですか?」とレンが聞く。


「女神ヶ丘病院。そこのベッドが二台予約済みだ」

 レンは少し複雑な顔をした。ミコトが入院している病院だと言った。


「当日の十一時前にベッドに横になってもらって、起きたら異世界さ。レグナ王国の首都レグナレットの転生・転移管理事務所に敷設されている魔法陣に召喚される形になる。出張期間は三週間に設定。この期間であれば、王都からミュートロギアの神樹まで行って帰ってくるのに十分なはずだ。大体馬車で片道五日程度だよ」

 レンが軽く手を上げた。


「召喚された後は、どこへ向かえばいいですか?」


「王都レグナレットに転移したら、王城へまずは行ってほしい。そこで、クロス・マサトの名を告げて、この印章を見せれば取り次いでくれる手筈になっている」

 そう言って、クロスは紋章が彫り込まれたバッジのようなものを見せてくれた。


「誰に取り次いでくれるのですか? って聞くのも野暮ですね。きっと、リーゼさんとヴィルヘルムさんにですよね」

 レンはすぐに気づいた様だ。クロスはうなづく。


「ミュートロギアの神樹への道案内は、二人が同行してくれる」


 聞いたところによると、この印章はレグナ王国の魔法の紋章で、王城に施されている結界の魔力に反応して色を示すのだそうだ。その色で持ち主の身分を保証する仕組みだ。第三王女リーゼのだと、淡く緑色に光るらしい。これを持っている人は、リーゼのお客だと証明できるわけだ。


 ここで、カタリナは昨晩思った疑問をぶつける。


「クロスさんは、どうしてレグナ王国へ行かないのですか? リーゼさんに会いたいのでは?」


 クロスの心が一瞬喜びの黄色になったが、すぐに落ち着いた青色に戻った。


「こちらでやることがある。もちろん、転生・転移管理の事務仕事だけじゃない」


 そう言うと、レンが持つ王家の翡翠を指差して続けた。


「ミコトの魂を王家の翡翠に取り戻す。でも長い間、そこに留めておくわけにはいかない」


「どういうことですか?」とレンが口を挟む。


「ミコトの魂が王家の翡翠に定着してしまう可能性がある。異世界転生の物語だと、剣に魂が宿ってしまう話などあるからね。強大な力を持つ魔剣や宝珠などはその危険がある。無論、王家の翡翠も。実際、ミュートロギアの神樹からバラバラの粒子になったミコトの魂を集めて形作るんだ。王家の翡翠で魂を復元した後が危険だと思う」


「でも、その危険とクロスさんがこっちに残ることはどういう関係なんですか?」


 カタリナは関係がわからなかったので聞いた。

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