第42話 二人きりで

「……俺が行く」


 クロスは、リーゼの顔を見つめて、力強く答えた。彼女の顔を、目に焼き付けておこうと思った。この物静かだが威厳を感じる美しい顔を忘れないように。


「わかりました」


 クロスの目をしばらく見た後、リーゼはヴィルヘルムの方へ向き、

「今日はもう休みましょう」と言った。



 リーゼたちが談話室を去った後、一人残ったクロスは、目を閉じて小さくため息をついた。

 

 二つ目の覚悟は今、できた。向こうの世界へ帰る前に、あとひとつ……。


 クロスも自分の部屋に戻って、ベッドに入った。なかなか寝付けなかった。昼間に金細工店で買った二つのプラチナの指輪を眺めていた。宝石は付いていない指輪だが、クロスは静かに想いを込めた。


 *


 翌朝、リーゼ、ヴィルヘルムが王城へと向かう前に、クロスは声をかけた。リーゼに二人きりで話がしたいと伝えた。


「……わかりました。私も話がしたかったのです。それでは、夜に私の部屋へ来てください」


 クロスを見つめて、リーゼは真顔で応えた。最近のリーゼは静かな強さを纏っているように思えた。ミコトがいなくなってからだ。



 二人を見送った後、自分の部屋に戻った。


 クロスは借りていた四つの宝石にあらためて『眠れる宝石』を施した。リーゼたちを守る術としてだった。自分はこの世界からいなくなる。王家の翡翠は持っていくことになる。リーゼを守る力を少しでもと思ったゆえだった。


 そして、王家の翡翠を手に取った。まだまだ輝きは弱い。でも、これが希望だ。



 二人が夕方戻ってきた後、夕食の時に三人で今後の計画を相談した。クロスがミコトの彼を連れて戻ってきた後、どうするか。それを練った。想定されるケースを検討し、作戦を合意する。ミコトが欠けてしまっていたが、冒険の時を思い出す。


「もっとも困難なのは、向こうの世界からこちらへ再び転移してくることですね」

 リーゼはクロスの話を聴き、検討していた様だった。その点は、クロスも不安だった。


 なぜ、自分が異世界転移したのか、その原因や理由がわかればと思っていたが、アテはまったくなかった。可能性があるとしたら、バイカラー・トルマリンに再度、向こうで『眠れる宝石』を施して、輝かせることだろう。だが、その場合は、転移できるのは、きっと一人だけだ。


 しばらくして、使用人が来てリーゼの耳元で何かを囁いた。


 食事を終えていた彼女は、

「それでは、お先に。クロス、また後で」と告げ、席を立ち、去っていった。


 クロスは、ヴィルヘルムに声をかけた。

「俺はいなくなるけれど、リーゼを頼む」


「無論だ。リーゼ様の近衛騎士としての務めは果たす。ミコトを取り戻すことは我らの宿願だ。クロス殿こそ、よろしく頼む」

 そう言うと、ヴィルヘルムは頭を下げた。クロスも慌てて、頭を下げる。


 談話室へ移動すると、しばらく二人は冒険の日々をふり返った。ミコトがいなくなってしまった寂しさを感じることもあったが、四人での日々は楽しかったなと思い出す。


 突然、ヴィルヘルムが真顔になって言った。

「クロス殿は、あの時のあの言葉、意味はわかっておられるか?」


「……ああ。わかってる。あの時はああするしか思いつかなかったけれど……大事なことだよな。きちんと、けじめをつけるよ」


 それを聞いたヴィルヘルムは、満足そうな顔を浮かべた。


 中途半端なままでは、やはりいけない。


 談話室のドアがノックされ、使用人が入ってきた。風呂の案内だった。ヴィルヘルムは今晩はバーナー家に戻ると言い、帰っていった。

 

 広い湯船に浸かり、天井を仰ぐ。一瞬、向こうの世界での自室の天井と重なった気がした。あの頃を思い出す。


 そして、……自分の本当の気持ちに気づく。ここに居たい。何もなかった、あの世界になんて本当は戻りたくはない。

 

 風呂から出て着替え終わると、使用人から「リーゼ様がお部屋でお待ちです。お約束どおり、来てくださいとのことでございます」と伝えられた。


 クロスは一旦自分の部屋に戻り、準備を整えた。きちんと自分の気持ちを確かめ、伝えるべきことも確認した。


 リーゼの部屋のドアをノックする。少し待つと、リーゼがドアを開けてくれた。亜麻色の髪を下ろし、ゆったりとした紺色のワンピースを着ていて、白いカーディガンを羽織っている。


「待っていました。どうぞ」


 綺麗に整えられた広い部屋だった。天蓋付きの大きなベッド、その横には小さなテーブル、そして椅子が二脚用意されていた。テーブルにポットが一つとティーカップが二つ。他にも部屋には化粧台や衣裳ダンスなどが配置されていた。


 リーゼに促されて、椅子に腰掛けた。彼女ももう一つの椅子に座る。ふわっといい香りがした。少しだけ沈黙があった。


「あ、お茶をいれましょう」


 そういって、リーゼはポットのお茶を注いでくれた。湯気がゆらめく。ゆっくりと口に運び、一口飲んだ。


 クロスはとても緊張していた。若い女性の部屋で二人きり。どうしていいのか、わからない。けれど、伝えるべきことはわかっている。

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