第39話 叶わなかった願い
ミコトは、両手をかざしたまま、『符号反転』を完了させるために耐え忍んでいた。表情は辛そうだ。口元には血が滲む。リーゼはミコトの身体を維持するために回復魔法をかけ続ける。
「……もう、……私の魔力も」
リーゼの魔力も底をつきそうになっていた。クロスは、自分が持っていた宝石の魔力は全て解除してしまったことに気づいた。
「リーゼ、ヴィルヘルム、王家の翡翠も解除する」
「お願いします」「当然だ」
二人の同意を得るとすぐに、クロスはリーゼの胸元から翡翠のペンダントを取り出し、右手で触れた。
「リーゼ、勝手にごめん。でも膨大な魔力を一気に解除しても無駄になる。直接操作させてくれ」
翡翠にかけていたリーゼを守れという魔法も解除する。だが、一気に魔力の解放はしない。翡翠に込められている魔力は宝石の質が良く、想いを込めて寝かせていた時間も長い。リーゼの魔力の許容量を越えてしまっては、魔力が宙に四散して無駄になってしまう。
クロスは精密な操作で、リーゼに魔力を注いでいく。額から汗がにじむ。リーゼはミコトを回復し続ける。終わりが見えない気がした。
「大丈夫、リーゼならできる」
クロスは、右手でリーゼと一緒に翡翠を握りながら、左手で彼女を肩を抱く。リーゼが無言でうなづいた。
「ミコト、がんばれ」
ヴィルヘルムはその巨体と左腕でミコトを支える。右手には両手剣、周囲の警戒も怠らない。
ミコトは、うなづいた。声も出せないくらい辛い様子だった。
眼前の景色には、巨大な聖なる光の柱が立ち上り始めていた。だが、四人にとっては、絶望を象徴するものの様に見えた。
王家の翡翠の輝きも徐々に弱くなっていく。
クロスの表情が暗くなった。翡翠の魔力がなくなってきていることがわかるからだった。まだか、まだ『符号反転』は完了しないのか。焦り始めていた。
ついに、翡翠は輝きを失い、魔力もなくなってしまった。リーゼも魔力が流れ込んでこなくなったことに気づく。だが、回復魔法を止めるわけにはいかない。
「ミコト、ごめんなさい。……もう、魔力がなくなってしまう」
ミコトは両手をかざしたまま、リーゼの方に振り向くと、笑顔を作った。
丘の上から見える巨大な聖なる光の柱が、より一層強い光を放った。光が収まると、そこには、聖なる大樹がそびえ立っていた。
瑞々しい緑の葉を携えて、数々の枝は四方八方に大きく広がっている。幹は揺らぐことがないくらいに太く、そして高く伸びていた。辺り一面は聖なる力が充満していることが遠くからでもわかった。
「ああ、……やっと」
リーゼがその景色を見て、安心したような声を出した。
「……リーゼ、クロス君、ヴィルヘルム、……ありがとう。なんとか『符号反転』は完了できたよ」
それを聞いて、三人は安堵の声を上げ、表情がゆるむ。
だが、ミコトがだけは険しい表情が張り付いたままだった。
「……ごめん。私の力がちょっとだけ足りなかった」
そう言ったミコトの身体から、細かい泡のような光の粒子が浮き上がりはじめた。その光の粒子は目の前の見える大樹に吸い寄せられていく。光の粒子がミコトの身体から湧くにつれて、ミコトの身体が少しずつなくなっていく。
「……えっ、ミコト? どうして?」
「もう厄災は消滅したよ。安心して」
ミコトは、リーゼに優しく話しかけた。
「そうじゃなくて、ミコトの身体が……」
「私は、……リーゼ、あなたの国を守った。あなたの国を守ったんだよ」
リーゼはミコトの顔から目を逸らさない。悟ったリーゼは、辛い表情になり、泣きそうになりながら、うなづいた。
ミコトが微笑む。そして、クロスに話しかけた。
「クロス君、向こうへ帰る手段を用意してくれたのに、無駄になってしまって、ごめんね。良かったら、君が使って。……でも、君はこっちの世界に大事な人ができたから、要らないかな。……ありがとう、本当に嬉しかったよ」
クロスは涙が止まらなかった。ミコトには元いた世界で再会したい大切な人がいるんだ。どうして、俺じゃないんだ。彼女を持っていくな。
「ヴィルヘルム、リーゼを支えて、お願い」
黙ってうなづくヴィルヘルムを見て、ミコトは安心した表情を見せた。拳を握りしめ、彼の鎧が震えているのがわかる。
ミコトの身体からは、次々と泡のような光の粒子が生まれ、大樹へと吸い寄せられていく。
「もうお別れだね。みんな、……本当にありがとう」
「ミコト、お前は大切な恋人に会いたかったんじゃないのかよ! そのために向こうの世界に帰るって決めてたんだろ! なんでこんなことに」
クロスは叫んだ。
それを聞いて、ミコトの微笑んだ表情が、悲しみで崩れていく。
「……そうだよ。悔しいよ。……レン君に会いたいよ! 向こうの世界に帰りたい!」
その言葉を遺して、ミコトは光の粒子となって消えてしまった。その粒子は、次々と『符号反転』で出来上がった大樹に吸い込まれていく。
リーゼが、声をあげて泣いている。ミコトの名を何度も呼んでいる。
大切な人が泣き崩れている。
大事な恩人が消えてしまう。
クロスは涙が止まらない中、それを目の当たりにして、歯を食いしばり拳を握りしめた。
自分の中に、何かが湧いてくるのを感じた。
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