交叉路の因果
多角形の厚板のような自由郷政府・・・。その北には、堀のようなため池越しに、幾つもの長方形で区画された地区がある。
コンクリート塀に囲まれた長方形の中には、同じくコンクリート製の、二階建ての建物が見え、塀が途切れた門のところの標札には、“七十七兵舎”と書かれている。門の向こうでは、兵舎隣にある広場に人が集まっている様子で・・・、近づくと、
軍服姿の集団が、整地された土の上で整列している。皆、服は紺色で、腰辺りに幾つかの小物入れを付け、ズボンの裾をブーツに入れている格好だが・・・、
「遅いなぁ」その中の一人、濃い茶色の髪をした青年が口を開いた。ブラウンの瞳が大きい、純真な雰囲気の彼は、
「いつもならもう、朝礼終えて・・・」
「ランニング始めてる時間なのに・・・」と、門のほうを気にしている。
「昨晩・・・」と、その後ろから声を掛ける、
黒い短髪の青年。額が拓けて項も見えるほどに髪が短く、鋭く細い目の彼は、
「姫君が殺されたらしい」昨晩の事件を知っている・・・。そして、
「それで葬儀でもするだろうから・・・」
「その警備の打ち合わせで、遅れてんだろ」この先の展開もわかっているようだ・・・。そんな賢い兵隊へ、
「本当か?」と純真そうな兵隊が振り返り、
「ラ=ピテ様が亡くなられたというのは」顔に汗を垂らした、わかりやすい動揺を見せながら確認すると、
「ああ・・・」その細い目に小さくある瞳をそらした同僚は、答える。
「昨晩爆音を聞いて・・・」
「“政府”近くで野次馬に混ざっていたら・・・」
「そういうことらしい」と。どうやら情報源は、権力者の不幸を見に集まってきた人々・・・。彼らから噂話でも聞いたらしいが、それを聞いて、
「お労しや・・・」幼い瞳の青年兵士の眉尻は下がり、悲しそうな様子を見せる。そして、
「愛娘を失った総統様の心中・・・」
「如何なるものか・・・」遠い目で誰かを心配している様子であるが・・・。一方で、
その細い目をますます細めた同僚は、
(どうでもいいな・・・)
(あんな政府や独裁者なんぞ、幾ら不幸になろうが・・・)
(「ザマぁない」としか思わん)と対称的な心情である。そして、
(民衆どころか、国に飼われる
(なのにこの男は・・・)総統を思いやる同僚に呆れている。
(まるでしっぽを振る馬鹿犬のように・・・)ロクでもない主人を純粋に慕っている、この兵士に・・・。
そうしていると、間抜けな忠誠心の茶髪兵士の向こうから人影が近づいてくる。
(兵舎長・・・)と黒髪の不忠者が見た彼は、広場に集まった兵隊達同様の服装に、楕円形で同色の帽子を被った、少し上の位の軍人という感じだが、
「時間がない・・・」集まった青年達を前に、そう切り出す。
「駆けながら話す」
「とにかく、ついてこい!」問答無用で門を出て、何処かへ向かおうとする彼に、
青年兵士らも自然と急かされて、コンクリート塀沿いの歩道を駆ける兵舎長を追った。
「姫君がご逝去された・・・」上官は、塀にある縦の溝を次々と通り過ぎながら、急いでいる理由を説明する・・・。
「すぐにも、葬儀が執り行われる運びとなり・・・」
「自由郷にいる軍隊総出での、“国葬”で行うことになった・・・」聞いたようなこの話に、続く者達の中でも先頭を行く、大きな瞳の兵隊が反応する。そして続ける兵舎長、
「当然我々、国飼い歩兵隊も参列しなければならない。そして・・・」
「我々如きのためにこれを遅らせるわけがない。だから・・・」
「急げ!無茶な命だが・・・」振り向いて後ろに強く吐き捨てた、その顔からは焦りが見えている。
「遅れれば、どんな咎めを受けるかわからんぞ!」軍隊はそれほどに恐ろしく、その上目的地は、それほどまでに遠いようだ・・・。
なにしろ国葬が始まる噴水広場は、政府から見て兵舎地区とは反対側だ。ため池のせいで、政府を突っ切っていけない以上、兵舎長らは外周を回っていくしかない。そうして遠回りをしている内に・・・、
広場にはもう、都市にいる軍隊のほとんどが集まってきている。数千の歩兵に加えて数百の戦車という大群・・・。そんな数が置けるほどに広いそこは、噴水広場というよりも噴水の周りを迂回するO字形の道路ようで、それに面した白い政府のほうへは長い階段が続いている。幅広いそれを登ると、焦げ茶色の大扉が見え、光沢のあるそれがゆっくりと開いていく・・・。
中からは、大きなドーム状の物体が出てくる。四人の背広を着た男達に四方から支えられたそれは、黄色の炎に覆われたような半球体の中に、漆のような光沢の“黒い三日月”が入ったような造形で、その後ろに悄気た様子の総統夫妻が続いている。姫の葬儀が行われる場でそんな様子なのだから、おそらくこのドームは、ピテ姫の棺であろう。
そうして政府から出てきた棺と、夫妻・・・。少し進んでから幅広の階段を下りていく・・・。道中の総統はずっと、意気消沈の様子だが・・・、下りていく途中、何かに気づいた。
彼の眼前には、草花と滑らかな石、黄金に彩られた庭園が広がっている。
「おお、これは美しい!まるで・・・」
「天上の楽園を、そのまま持ってきたような様だ・・・」総統は、さっきのまで気落ちしていたのが嘘のように、庭園を見て感動している。そしてその後ろから、執事らしき男が、
「自由郷黄金期を代表する造園師、フウベルの作にございます」そう教えてくれると、総統、
「おお、あ奴か。いつもながら、すばらしい出来よ」庭園を眺めながら造園師を褒めて、
「あれは、天へと続く階段か。上には太陽を模した玉座・・・」作品の細かいところまで分析し始める。どうやらこんな“無能指導者”でも芸術面には明るいようだ。
「そこから降り注ぐ光線を表現した黄金の造形と、照らされし黒い月の棺・・・」そう楽しそうに芸術を眺めている横で、
(何よ・・・。これ・・・)夫人はどうしてか、青ざめている。
(これでは、まるで・・・、娘が殺されることを知ってかのような・・・)確かに彼女が昨晩死んだことを考えると、次の朝に葬儀用の作品がこうして出来ているのはおかしい。夫人からすれば不気味な話である。
身の危険を感じて気分が悪くなったのか・・・、階段を下りきった夫人は、その場に腰を落とす。後ろでのそんな様子に、
「ど、どうした!?」総統がそう驚くと、
「国葬が淡々と行われていく様子に・・・」
「あの娘が本当に死んだことを実感して・・・」彼女は俯き項垂れながら、説明する。そして、
「申し訳ありません・・・。これでは葬儀が遅れてしまいますよね・・・」
「先に行ってください。私に構わずに、始めてください」
「落ち着いてから合流しますので・・・。最悪、“陽沈陵”の墓所までには・・・」目元が陰になったまま、夫にそう促すと、
「そうか・・・」彼は残念そうな顔で、
「一人では寂しいが・・・」
「無理させるわけにはいかないからな」庭園のほうを、太陽の玉座に寄り添うように造られた、燃えているような形の座席を見る。
「執事長!」次に総統は凛々しい眉の執事を呼び止めると、
「はっ!」と女性のような声で返事する彼に、
「彼女を見てやってくれ・・・」夫人のことは任せて、
「それじゃあ、行ってくるよ」名残惜しそうに、見返りながら庭園のほうへ進む・・・。少し歩いたところで、
「そういえば・・・」思い出したかのように立ち止まった太った指導者、
「ルウペはどうした?」後ろで夫人に寄り添う執事長へ、振り返り尋ねる。
立ち上がる彼女を支えながら細身でスタイルの良い執事、
「あぁ、あの方からの伝言を忘れておりました・・・」あの少年から何か聞いている・・・。
「寝坊されたご様子で・・・、「後から戦車隊を連れて合流する」と・・・」後ろかそれが伝わると、そちらへ目を向けていた総統は、
「全く・・・」
「あんなのが、今や唯一の後継者とは・・・」息子のだらしなさに呆れながら、再び庭園のほうへ・・・。その前にスーと、
傾斜状の何かが下りてくる。階段だ。前にそびえる高台の上にまで続いているそれを、
総統が登っていくと・・・、その向かう先、高台の上には、先の楽園のような庭園が見え・・・、高台も含めたそれらは、太い車輪の付いた、巨大な車両の上に乗っている・・・。
一方、その緑豊かな高台が見えている、軍隊の端・・・、青年兵士達はやっとの事で着いた様子で、
「遅いぞ!七七兵舎!」そんな彼らに低くも響く、男の怒号が飛ぶ。
大型の戦車上、蓋の開いた穴から上半身だけ出し、通信機らしきヘッドホンを付けた、偉そうな紺の軍服が、
「歩兵は戦車の両脇だ!急げ!」とそのほうを指さし命じると・・・、振り返り、
「司令!全部隊、集まりました」後ろでダラけている小太りの白い軍服に、そう報告する。座り心地のよいソファーが戦車内から迫り上がってきたようなそこに、肘をつき頬を支えた、リラックスした状態で座る、この士官風の男は、
「そうか・・・」とこれに応じると、
「“近衛”に知らせてやれ」左手を、斜め前にいる先の紺軍服のほうに向けて命じる。
「はっ!」彼が承ると・・・、
“楽園”を乗せた車両の側では・・・、
前に停まる別の大型車両、太陽とその衛星を現したような
「うむ・・・」と返事する。“司令”と呼ばれた小太り同様、肩章を付けて紺のネクタイを締めた軍服は、士官らしき風体だが、その灰色軍服の帽子や襟、袖に施された派手な刺繍を見るに、もっと高位な士官のようだ。そんな彼は外を移すモニター越しに、太陽の玉座に座る総統を確認しつつ、
手前で傾げながら伸びた、マイクへ向け、
「総統閣下、初めてよろしいでしょうか?」と尋ねる。すると、
「ああ・・・」モニターの向こうにいる総統閣下が返事をして、
「もう席に着いているぞ」と玉座前、透明な板に映し出された灰色軍服に、葬儀を始める許可を出す。その画面の向こうで、
「わかりました・・・」彼は肯いて・・・、
通信機を付けた紺色軍服の耳元へ、指示を飛ばす。
「今よりピテ様の国葬を始めるとのこと・・・。我々が、行進の先頭です。近衛殿は、先に行けと・・・」“近衛”からの指示を、後ろへ伝える彼。服の色は下っ端と変わらないが、士官たち同様、紺のネクタイを締め軍服に肩章まで付いた、それなりに偉そうな彼の伝言を受けて、視線の先で怠惰に座る司令は、
「指示通りに、やってくれ」気力もなく手を払う。その前で肯いた通信係、というよりは副官か補佐役っぽい軍人、
「サモン隊、進め!“仮参入の歩兵”もだ!歩調を合わせろ!」先の怒号と変わらぬほどに響く声を、ヘッドホンから伸びたマイクへ言い放った・・・。
そうして動き出したサモン司令率いる戦車部隊・・・。
それと連動して進み始める歩兵、その内の“遅れてきた”七七兵舎部隊から、
黒短髪の不忠者が脇を見ている・・・。
(色とりどりの戦車隊・・・)観察する戦車隊は、車両それぞれが赤や青、緑といった特異な色の金属でその外装を固めており、その色の多様さから
(これほどの色彩豊かなら、これはサモン隊だろうな)と、彼は自分が配属された部隊を察する。そして色々と知っている歩兵は、
(噂によれば・・・)と戦車隊中央辺りを探り、
(戦車それぞれの特色を生かした戦術を駆使する、優秀な指揮官らしい・・・)、
(命を預ける指揮官を選べない、下っ端の立場からすれば、勝てるそれであるのは、ありがたいことだが・・・)戦車の屋根の上で、クッション椅子に寛いでいる小太りの士官を見つけると、
(あの態度は不安になるな・・・)何とも言えない顔になってしまう。そんな彼へ前の列から、
「見ろよ。アルフ・・・」あの忠犬、濃い茶髪の同僚がそう促してくる。
彼が示したのはサモンの戦車隊・・・。どれも四つか三つの、球体状の“足”で移動しているが、装甲の色と胴体部の形状に違いが見え、同一の機種ごとに集まって進んでいる。
「砲撃の破壊力を重視した、破橙虎」橙色で砲門が大きいもの・・・。
「近場を素早く正確に狙える、赤筒獅子」赤く長細い砲身があるもの・・・。
そうして戦車に詳しい忠犬は、その種類ごとに一つ一つを紹介してくれるようだ・・・。
翡翠色で半円柱に囲われた車両・・・。何かを乗せるような台のある一般車両サイズの三足、トラック並みの四足・・・。それらも指し示して、
「歩兵を入れて保護しながら敵へ近づく籠城車両、牢翠亀。搭載兵器を替えて様々な用途に使える汎用軽車両、転蒼馬。重車両の転紫牛。そして・・・」と紹介し、最後に、
「それら全てを搭載して、修理や輸送ができる大型車両、礎翠象だ」最大級の、重車両の四倍はある、翡翠色のそれを紹介し終えると・・・、
「この部隊だけで、自由郷戦車の全機種が揃ってるみたいだぞ!」やたらと興奮した話し方で、そう閉めた。
(兵器オタクめ・・・)後ろに続くアルフは、呆れている。
(なんて顔してやがる)同僚のその顔は、純真な子供のように、楽しそうなのがよくわかる。そんなわかりやすい顔に、
(しかし、この場でのそれは・・・)アルフは他所を向いて、何かを心配している・・・。
「浮かれるな!サオス雑兵」兵舎長の怒鳴り声を、横から受けてビクつく忠犬。
「国葬の最中だぞ!そんなザマを、総統様に見られたり、誰かに告げ口されでもしたら、“連座”で、俺達まで罰されることになるんだぞ!」眉間に皺を寄せた怒りの形相が、青年兵サオスに向けられている。
「す、すみません・・・」咄嗟に謝る彼は、
それからは黙って、行進を続けた・・・。
噴水広場から始まった姫の国葬は、サモン隊を先頭にして、次に別隊、次に楽園を乗せた車両を取り囲む近衛隊、その後ろに二部隊ほど続くという、総統がいる車両を軍隊が前後から警護しつつ行進する形で行われていく。
葬儀の一団がまず、広場から繋がる大通りに入っていくと、その脇にある広い歩道に人々が集まっている。彼らは亡者のような悲嘆の声を上げ、大げさに見えるほどに泣き喚いているが、
(間抜けな行進だ・・・)そんな騒ぎの中に紛れた心の声・・・。声の主は、眼鏡でその恐ろしい目元を隠した扇動屋のようだが、紺の国民制服姿で同じ服装の群衆の中に紛れている。
そんな彼の目線は、前で行進する軍隊ではなく、その手元・・・、群衆の後ろに隠した端末を見ている。
(顔認証では99%でムゥア総統・・・)端末の画面には、玉座に座る総統が映り、その顔の周りを白線の丸で囲っている。その中には拡大した彼の顔があり、丸から延びた白線の先には“自由郷総統ムゥアと99%符合”と表示されているようだ。
そうして行進の中心にいるのが、ほぼ総統であることが確認され、
通り沿いに、向こうまで続いた群衆を確認すると、
(しかも・・・)と彼は目線を手元に戻す。
(通り沿いで、わざとらしく泣き喚く群衆を辿れば・・・)
(奴の通る道程も容易くわかる)大通りとその脇に建てられたビル群を見下ろす、上空からの画像。退いて遠くから広く見ると、通り沿いの群衆は途切れることなく続いている。
(これでは・・・)その様子に、眼鏡越しに片方だけ暗く陰った目が見えた男は、
(通り沿いの建物に潜んで狙撃でもすれば、簡単に目的は果たせそうだが・・・)ビルの上階にある窓を見ながら、自分が取り得る作戦を考えている。次の瞬間、
(さて・・・)もう人混みにいない彼は、
(我らが軍師はどう料理する?)路地の闇に消えていく・・・。
“ラ=クセノ”と書かれた古びた看板・・・。それが掲げられた、廃れた駅・・・。その改札口の前には、偉人らしき銅像と、幾つかの植木が設けられた広場が見える。植木の周りにはベンチがあり、駅が使われていた頃なら待ち合わせに使われていたであろう、そこに、
ルウペが座っている。その前では、扇動屋が行進の様子を報告したようで、
「そうか・・・」と少年はそれを受けると、
立ち上がり、
「みんな、こっちだ」そうこちらを振り返る。
促されるままに、背広と扇動屋がついて行くと、彼は中途半端に開いた改札口をすり抜け・・・、動かないエスカレーターを降っていき・・・、
「地下鉄?」と溢す荒蒼海らは、
線路との仕切りガラスが壊されている、荒廃したプラットホームまで連れて来られた・・・。
一方、国葬の行進・・・。その最前列が、今進んでいるこの大通りと同じ位の幅広い通りに差し掛かると、その拓けた交差点には、
通り沿いに、ガラス張りのビルが幾つかそびえ立っていて、
その屋上からは水が噴き出している。水は建物の側面を滝のように流れ落ちてから、側のため池に落ち、水路に導かれて大通り脇にある溝へ合流・・・。他にもビル間の青く茂る空き地や街路樹が設けられた歩道沿いを巡り、煌めく清らかな水が交差点全体を潤している。そんな風景を、
(“清水満つ交叉路”・・・とはよく言ったもの・・・)とアルフが横目に見ている。
国葬に付き従う歩兵隊の中にいる彼は、これでもかと水の豊富さを見せつけるその場所を前にして、
(しかし皮肉だ・・・)
(水がきれいで自然豊かなのはここだけで、都市を出れば相変わらず穢れた土地が広がっている・・・)
逆に、国土の悲惨さを思い出している。そんな一方で、
(そんなことも知らず・・・)と隣を見ると、
(またそうして、目を輝かせているのか?お前は・・・)同僚のサオスが、楽しげに交差点を見渡している。ただ彼の視線は、
(いや・・・)
(見てるのは、そっちか・・・)派手な看板や広告が所々に掲げられた、賑やかな街の様子に向いている。赤や金、あるいは電灯で嫌でも目立つ看板が、頭上のビル側面や歩道に所狭しと置かれ、水路周りの緑とは全く違う人工的な景色を見せる、この別種の美しさに、
(派手なだけで外商共の強欲さが表れたそんなものに、何の感動も覚えんが・・・)アルフは共感できないようだが・・・、それよりも、
(何にせよ。そんな顔をしてると・・・)警戒している事がある。
(また怒られるぞ)斜め前を行く、兵舎長のカミナリが恐ろしいようだ。そうして彼を気にしていると、
突然その足が止まる。
(なんだ?)と周りを見ると、行進そのものが停まっている様子だ。その進行方向には・・・、拓けた大通りに、ぽつんと・・・、
(老人!?)杖をついた、ボロい着物の白眉・・・。ヨボヨボで目を閉じ、自分の状況がわかっているのかも疑わしい・・・。それを確認した、耳元に通信機の司令補佐は、
「右脇の歩兵隊!あれを退かせろ」口元のマイクから、戦車隊脇に置かれている歩兵隊に指示を送る。
(幸いだな・・・)右脇ではないアルフは安心する。
(さすがに、ああいう汚れ仕事は御免だ・・・)右脇から出てきた歩兵達はガラが悪く、面倒臭そうで、老人がグズるようなら乱暴に退かしてしまいそうだ。
そんな彼らが威圧的な様子で、弱々しい白眉の前に立ち、
「ボケ爺が!面倒掛けやがって!」容赦もなく、力尽くで立ち退かそうと手を伸ばす・・・。が、次の瞬間、
乱暴な兵士達が、老人を中心に弾け飛ぶ。潮噴く鯨のように、脳天から血飛沫を上げた彼ら・・・。その前では片目を薄く開けた白眉が、硝煙上る拳銃を構えている。
「なんだ!この爺は!」何処からか上がった驚きの声と共に、撃たれた兵士達の身体が地に落ちると、その向こうでは老人が手放した杖が倒れ、奥にいる彼の目の辺りで何かが光を反射して光る・・・。
その透明な何かを見つけたアルフは、老人がボロ着の内にインナーらしきものを着込んでいるのに気づく。
(知ってるぞ!)そして彼の身体にぴっちりと密着するスーツに見覚えがあるようだ。
(海外の通販か何かで見た、介助アシストスーツだ)
(“着用者の、あらゆる動作による負担をゼロにして、人一人くらいなら軽々と、赤ん坊よりも楽に抱えられる”とかいう・・・)そんなAS(アシストスーツ)を着た白眉の老人は杖を着いていたのが嘘のように、しっかりとした足腰で立っている。
そうして、威圧的に仁王立つ老人の(強さの)正体に近づいた、ように思えたアルフであるが、
(それを軍事転用したということか・・・。いや・・・それだけで)腑に落ちていない。
(あの兵士達の頭を撃ち抜いた、素早く精密な動きはあり得ない・・・)老人の前に転がる兵士達の死体を見ながら、その強さの理由がわからない。
(まるで、一流の戦士が取り憑いたような・・・)そうして考えていると・・・、
老人を中心に、幾人かの貧民が集まってくる。脇の路地から大通りに現れた様子の彼らは、いずれも老人と同じASを着込み、これまた老人同様に達人のような雰囲気を漂わせている・・・。
その中の一人・・・、
「さぁ、人々よ・・・」
「革命の時だ!」貧民に扮した
(そんなのが、こんなにも・・・)対峙するアルフは、思わず身構えた。
囲む近衛の戦車隊と草花の楽園を見下ろす黄金の高台、そこに設けられた玉座に座る総統は、水の溢れ出すビルが周りに見える、例の交差点まで着てやっと、国葬が停まっている事に気づいたようだ。
少し間を置いた前方にある金の机から、細い木ような金の柱が二本生えた間へ、
「どうした?行進が止まってるようだが・・・」そこに映った近衛隊司令官へ、状況を確認する。
「どうやら前方で・・・」他所を向いている彼は、
「民衆とのいざこざがあったようでして・・・」最前列での事を把握しているようで・・・、車外を移すモニターの隅に表示された、簡単な立体で辺りの様子を表現したマップ、そこにある大通りに配置された凸型のサモン隊が赤く点滅しているのを見ながら、
「サモン隊がすぐにも排除・・・」
「いや、対処してくれるでしょうが・・・」日常茶飯事なのか、民衆の襲撃を軽く見越し、総統に安心させる言葉をかける。
「そうか・・・」返事した彼は交叉路を見渡して、
(それにしても・・・)鼻をクンクンさせる。
(何か臭う・・・)しばらく留まることになる、その場所の臭いが気になるようだ。どこからともなく漂う、得体の知れないそれについて、
(泥臭い・・・)という心中で、水路に流れる清水を見つめた・・・。
「噂に聞いた“AI×AS《アイアス》”か・・・」サモンがクッション椅子にもたれながら、前に見える何かに反応する。
「確か、アシストスーツに戦闘用の人工知能を搭載した代物でしたか・・・」とその前の定位置にいる補佐役も見ているそれは・・・、
アイアスを着た民兵達だ。今にも前に出した歩兵隊とぶつかりそうな彼らについて、補佐役は思うところがあるようで・・・、
「思うのですが・・・、AIが何かを操って戦わせるのなら、別に・・・」
「生身の人間でなくても良いのでは?」
「人間型のロボットにでもAIを付けて戦わせれば、わざわざ人命を危険にさらす必要もないでしょう?」戦闘経験など全くないような見窄らしい民兵達が、勇敢にも軍人達に立ち向かい、今まさにその身を危険にさらしている。
歩兵隊から放たれた無数の銃撃を・・・、その隙間を縫って、かわしながら近づいてくる
自動小銃や散弾銃による銃弾の嵐で、
呑気に見ているサモン隊指揮官。
「いや・・・」
「革命というのはな。誰が成したかが重要なんだよ」暴れる民兵達の後ろで戦闘に参加していない黒眼鏡の男、大国よりの使者、荒蒼海を確認して、
「どこぞのロボットが勝手に暴れて勝手に政府を倒しても何の意味もない。その土地の民衆が自らの意志で武器を取って立ち上がり、独裁者を打倒して自らの国家政府を打ち建てる。それでこそ正当な、誰もが納得する民主革命だ」なんとなく、貧民兵の後ろで糸引く存在を察しているようだ。上官の話に、背を向けて聞いていた補佐役は、
「国際的な世間体のために、あんなのを着せてるわけですか・・・」
「何にしても・・・」目の前の状況に動じている。
「厄介な代物のようですね・・・」歩兵隊の隊列が剔るように削られている様子に・・・。
「どうしましょう?」対応について後ろへ尋ねる補佐、
「まずは・・・」身体を起こしたサモンは、
「誘い入れる・・・」やっと最前線に目を向けた・・・。
「これは・・・」必死の顔で後ろへ退いた歩兵アルフ。無数の銃弾が次々とその身を掠めていく。
「どうにもならない!」眼前では、近くに迫ったアイアス貧民兵らが、至近距離での乱撃で他の歩兵達を吹き飛ばしている。
その殺戮を何とか逃れた黒髪の歩兵だが、退いた後ろで謎の壁に突き当たる。そこにまた、逃れようもない乱撃が襲い来ると・・・、
「アルフ!」横からの声とともに、翡翠色の壁に開いた穴の中から同僚サオスが手を伸ばしてきている。アルフはその手に引かれて・・・、
穴の中に引きずり込まれた。
「ここは・・・」尻を着いたその中は、意外と明るい。壁の裏にある画面のおかげだ。救ってくれた同僚の後ろに見えるそれが、今いる空間を照らしながら、敵民兵らが乱れ撃つ、外の様子を映している。そんな周りの様子から、
「牢翠亀の中か・・・」そこが翡翠色の戦車の中だと、アルフは気づく。さっきサオスが“籠城用”と紹介していたものだ。外側を取り巻く半円柱が特徴的で、その丸み帯びた側面には、仲間を引き入れた穴が見える。
「ああ」とそこから、火器を片手に外を覗き見るサオスは、
「ここで隠れて戦えば、あの勢いでも持ち堪えられる」翡翠色の金属に包まれた、このシェルターに立て籠りつつ、強敵に応戦する構えだ。アルフも、後ろにあると知っている自動小銃を取り、
すぐさまシェルター出口の片脇へ、同僚のいる位置とは反対の所に着いたが、
「しかし・・・」
「時間の問題だ」隣にいる兵舎長は、心配な様子だ。
「“上”が何か手を打たねば・・・」と彼が話す中で、若い歩兵の二人は外の敵へ銃撃を始める・・・。
アイアスの恐るべき回避能力のおかげで攻撃は全く当たらないが、翡翠の壁を遮蔽物にして戦う歩兵達も、危なくなるとすぐに隠れて簡単には倒れない。快進撃の貧民兵達も立て籠もる敵には、どうしても攻めきれないようだ・・・。そうしている内に・・・、
(いや、待て!この・・・)アルフは気づく。
(誘い入れたような形は・・・)戦っている敵を取り囲んでいる牢翠亀・・・。あちこちでアイアスに押された歩兵達を収容し、彼らを籠城させて敵を阻んでいるようだが、
(サモン司令はこの新技術に、何か対応策があるのか?)賢い歩兵は、その状況から“策”の臭いを感じている・・・。そんなことを考えながら戦っていると、
敵が、貧民兵らが突然、何かに反応して飛び上がる。その後から、
横殴り雨のような砲撃が、彼らのいた地点に降り注いだ。
(サモン隊の援護か・・・)と遮蔽物に身を隠したアルフが察すると、
「「歩兵は“砲”に変えろ」シェルター内に、サモン司令の指示が響く。
「「眼鏡も付けておけ」」と続けたこれに、すぐさま反応した歩兵達は、敵が援護砲撃に足止めされているうちに、空間の奥にある武器スタンドへ手を伸ばす。
くびれの長い瓢箪のような太い砲身とそれを刳り抜いたような大きく開いた砲門を持つ、尻は拳銃のように小柄な、その火器のトリガーを握り、ついでに武器掛けの端に掛かった眼鏡を手に取って、それを掛けながらにシェルター出口の両脇へ戻った。
砲撃が降り止んで、余裕が出来た民兵達は改めて、シェルター入口へ攻め入ろうとするが、
また何かに反応。見上げるその向こうで、何かがビルの側面を垂直に昇っていく・・・。
車両らしきそれはビルの間を抜けて、砕けた石片を撒き散らしながら、屋上の上に跳び上がると、幾つかの人影が飛び散り、
「昇翠猿!」兵器オタクの同僚が声を上げて見上げた、向こうの屋上に、
“砲”を握り抱えた歩兵達が降り立つ。
「サオス!敵を見ろ!」アルフの声に、出口の脇から外を覗くサオスが、目線を下に戻すと、
屋上を見上げている民兵の一人、その頭上に、彼を指す赤い矢印が見える。
(司令からの砲撃命令・・・)と反応して青年歩兵は砲銃を抱えるように構え、
発砲!向かっていく砲撃は・・・、四方八方、頭上からも、無数のそれらがターゲットを襲い、
広範囲の爆炎が、彼を包んだ・・・。
この強襲に、
民兵側はアイアスが動じてるように、籠もる歩兵達はその成果を見守るように、両軍共に動きを止めている・・・。そんな中で、
(予め囲んだ形にした亀の中へ避難した俺達に・・・)と仕組まれた“包囲射撃”であることは、すでにわかっているアルフ。
(そこに屋上の連中を加えての・・・)上から砲撃に加わっていた様子の、屋上の歩兵らに目を向けて、それから、
(三次元集中砲火!)広がる爆炎に目を戻す。
(こんな広範囲攻撃をくらっては、たとえ猿のように動き回れようと・・・)
(逃げ場はないだろう・・・)と彼が見つめる、球体状のモクモクとした炎が無数に固まったようなそれが、灰色に変わっていく後ろで、
(こうも簡単に・・・)荒蒼海が動揺している。
(我らの新兵器が・・・)せっかく貧民のために用意したアイアスがあっさりと対応されてしまった様子に心揺れる、彼に応えるように、
「当然、聞いたことのある代物なら・・・」翡翠色の大型車両の上にあるクッション椅子に座る男、
「対応策くらいは考えてある」気の抜けた顔のサモン司令が右に深くもたれた。その前で、
「司令・・・」集中放火された敵を見ていた司令補佐が一声で、上官の視線を戦場へと促す。籠城戦車が取り巻いた球状の煙の中に・・・、
人影が立っている・・・。灰煙が薄くなってくると、
ボロ着が吹き飛びアイアススーツが露わになった、ボサボサ頭の男が現れる。彼は片手でグリップを握っていた自動小銃を、もう一方の手で抱え、再び臨戦態勢をとった。そんな様子に、
「当たらなかった?」補佐役は少々驚いているが、
「いや・・・」と同車両の後ろに座る司令官は、
「うまく受け身を取ったのだろ」顔色も変えずに、そう推察する。
「玄人戦士のAIならあんな爆撃の中でも、舞う木の葉のように衝撃を受け流すこともできそうではある」
「あるいは、中の肉人形はすでにミンチになっているのに、それでもAIが無理矢理動かして戦わせようとしているか・・・」そんなことを考えながら遠くの敵を、生き永らえたそれを観察していると、
スーツ着用者の四肢に沿った線があちこちで不規則な点滅を見せている。そして・・・、
「なんにせよ・・・」
「ダメージはある・・・」右の前腕と左の下腿から煙が吹き出ているようだ・・・。目に見える手応えに、
「なら・・・」司令は笑みを浮かべると・・・
「このまま続ければいい・・・」再びその敵を赤い矢印で指し示し、砲撃命令。
またも、“逃げ場のない集中砲火”に晒されて、爆炎の隣でたじろぐばかりの敵指揮官、荒蒼海を、
「いずれは倒れる・・・」と眺めるサモン。
だったが・・・、
いきなりガクッと、その視界が傾く感覚に襲われる。
「今のは!?」キョロキョロしている補佐役が右膝の向こうに見える。クッション椅子にめり込んだ様子から、身体は背もたれのほうへ引かれている。加えて横を向くと、
垂直に建てられたビル群が傾いて見えている。そんな周りの状況から、
「路面が後ろに傾いてる・・・」と判断した司令官は、
「前進させよ」と補佐に指示。そうしながら今度は後ろに目を向けて・・・、
(そうか・・・)自分たちが置かれている事態に気づいた。
(そっちが、本命か・・・)道路に亀裂が入り・・・、それはサモン隊の後ろの方向へ、アスファルトの上を走っていく・・・。後ろにあった戦車隊、近衛マークが付いたそれらの足元から、国葬車両の下まで瞬く間に過ぎていった亀裂は、
それらが乗る“交叉路”の地面、尽くを砕き、
歪な形の四角形に空いた大穴が、
総統を含めた、その場の全てを飲み込んだ。
(そ、そうだ・・・)と一方の荒蒼海。爆煙を隣に腰を抜かしながら、
(俺達は、足止めだ・・・)自分の役目を思い出した・・・。
戦闘が始まる前の・・・、廃れたラ=クセノ駅・・・。仕切りガラスが割れ、あちこちで電灯が点滅している地下鉄のホームに、
「この廃れた路線は・・・」ルウペの声が聞こえる・・・。
「今でも、都市の中心部に通じてる・・・」連れてきた扇動屋や荒蒼海らに、手前の溝に敷かれた線路について話しているようで・・・、彼らの後ろにある壁の路線図を見ると、確かにラ=クセノ駅から“清水満つ交叉路”まで路線が通っている・・・。
「中央線との合流地点には、隠すように壁が造られているが・・・」
「所詮はハリボテ。車両で突っ込めば簡単に破って・・・」
「現役の路線に合流できるだろう・・・」色々問題はあるようだが、とにかく路線を行けば交叉路地下までいけるらしい。そのことを聞いて、
「待て・・・」と
「だからなんだ?」両の手の平を上に向けて、少年の意図するものを理解できない。
「敵の軍隊は地上にいるんだぞ」と上を指さしている。そんな隣で、
「いや・・・」と顎を触る扇動屋・・・。
「奴らの行進は、都市の中心部を通る・・・」
「地下から近づいて、都市の路線が集中する、“清水満つ交叉路”辺りで・・・」
「奇襲するということか?」横を向く少年の後ろから、そう推測する。
「ちょっと違う・・・」と正面に向き直るルウペは、
「直接殺しに行くまでもない・・・」前の溝にある線路を見下げてから、
「どこかにあった・・・」顔を上げる。
「路面電車を持ってくれば・・・」貧民区に捨て置かれた、脱線車両・・・。
それが通りに敷かれた線路に戻され・・・、また走り始める。それは地下へと潜り込み・・・、プラットホームの前を通って・・・、中央線に通じているという暗闇へ・・・。コンクリートで造られた地下道を進んでいくと、木の板で造られた頼りないバリケードが路線を塞いでいる。
電車はお構いなしに、スピードを上げて・・・、乱雑に組み合わせた木の板をへし折って突き破り、木片を飛び散らせると・・・、中央線らしき路線に合流・・・。
都市中心部のしっかり整備されたプラットホームを通り過ぎて、そうして中央線の駅を次々と通過していき・・・、“清水満つ交叉路”と標札があるところで、停車する・・・。
荒廃した電車の扉が、線路に落ちないよう設けられた柵のゲートとともに開き、中からは、
布袋を担いだ扇動屋と、古びた作業服の男が出てきた・・・。
地下鉄のホームから、エスカレーターを昇り、改札口を抜けて・・・、拓けた地下通路を進み、ショッピングモールが前に見えるところで曲がって、外へ続くエスカレーターの直前辺りにある、立ち入り禁止の扉を開ける・・・。中には、
二つのパイプが別方向に伸びた、四つほどの大小のタンクが付いた装置・・・。
「この辺りを開いてくれ」と扇動屋が、
パイプの天井へ入り込む直前辺りを指さす。すると、
さっきの作業服の男はまず、近くの壁に張り付いた金属の箱を開き、中に幾つかあるスティック状のスイッチの一つを弄ってから、
装置へ、脚立を持って近づき、それに昇って、金属円柱の周りに付いたナットを工具で、次々に外していく・・・。四つほど外してから、円柱の側面に手を掛けてその辺りの金属板を引き剥がすと、
パイプ内が露わになった。中の壁は湿っていて、天井に入り込んでいる辺りで水平方向にパイプが曲がっている様子であるが、
曲がってすぐの部分、外からの光がギリギリ届く辺りに、
縁が酷く錆びた、大きな穴が見える。それを、
「やっぱりだ・・・」
「穴が開いてる」光が入ってくる長方形から、帽子を被った男が、そう覗き込んでいる。
「知ってたのか?」その後ろで背負っていた布袋を床に置いた、扇動屋が尋ねると、
「は、はい・・・」作業着と帽子、同じ薄い黄色で統一した男は、遠慮がちに頷いてから、
「私は、この浄化装置の点検をやっていたのですが・・・」四つのタンクがある装置を、まじまじと見つめる。
「ある時期から、濾過フィルターに、やたらと土や泥が引っかかるようになったので・・・」
「何処かでパイプが破損してるものと、思ってましたが・・・」
「その通りだったようで・・・」そう話しながら彼が、金属製のタンクの脇から引き出した、中を遮断していたフィルターには確かに、茶色い異物が引っかかっている。
「当然、上に報告したのだろ?」と置いた袋に座る扇動屋・・・。前で装置を点検していた男へ確認すると、
「はい・・・。ですが・・・」引き出したフィルターを手に持ったまま、元点検作業員は応える・・・。
「水は問題なくきれいなので、修繕は後回しに・・・」
「それで執拗にこの状況を報告してたら・・・」彼が自分の勤めをしっかりと果たしていたことが伝わると、
「職を失った訳か・・・」その古びた作業着から、聞き手は話の結末を察し、
「・・・はい」失業者は気マズそうに肯いた・・・。
「ザマァないな」他所を向きながら、扇動屋は微笑する。
「その言い方は、酷いんじゃ・・・」それに、元作業員が身体ごと振り返ると、
「あんたの事じゃない」目も合わせない横顔で応じる・・・。
「業者にそんな怠慢を許した、この国のことだ」彼が嘲笑っているのは、地上で行進する総統達のようだ・・・。
「そもそもあんたの上司に少しでも国のために働こうという気があれば・・・」
「この国や総統にそう思わせるほどの求心力があれば・・・」
「こんなことにはならない」真面目な作業員が視線を戻したフィルターには確かに、上司らのやる気のなさと、国家への不忠が、貯まった泥という形で如実に顕れている・・・。
「“墓穴”を掘るようなことにはな」続ける扇動屋・・・。彼が出した単語に、ハッとさせた点検者が、
「墓穴?」とそちらに目を向けると、
「文字通り、それだ・・・」目元に陰のできた男は“先”を見ている。
「しばらくすると・・・」
「この上を国葬の大部隊が通る・・・」
「彼らが踏み締める、その足元は」
「大規模に崩れ去り・・・」
「奴らの墓穴となるだろう・・・」清水満交叉路の路面が砕け露わとなった奈落へと、総統とそれを護る軍隊が飲み込まれる
「ど、どういう・・・?」
「なぜパイプ破損で、そんなことに?」フィルターを押し戻した作業員は、話に困惑している・・・。
そんな彼が隣に近づいてくると、扇動屋は、
「都市部には、よくあることだそうだ・・・」
「“道路陥没”というのは・・・」先に墓穴と呼んだ、それについて説明してくれる・・・。
「水道管の穴から漏れ出した水が、地中で空洞を広げて、支えを失った地上が・・・」
「“ドボンッ”、という仕掛けでな」それが、パイプに出来た穴から道路陥没に至る流れだ・・・。
そして続ける彼によれば、
「それで、我らが“軍師”は・・・」
「上で敵を足止めしようと、アイアスの部隊を差し向けたわけだが・・・」ルウペもそれが起こると踏んで、作戦を展開しているらしいが・・・、
「妙ですね・・・」作業員は顎を触り首を傾げる。
「その作戦だと、その陥没する罠に敵を足止めしておけばいい・・・」
「それだけで軍隊の重みで、自然と罠が発動するはずで・・・」と疑問を抱いていると、
「「俺達がこんなところまで来て・・・」」扇動屋が口を挟む・・・。
「「何か、工作するような事はない」か・・・」同行者の思うところを先読みした彼は、
布袋から腰を上げ、
「これが、理由なのだろう・・・」足裏にある袋を見下ろす。
「軍師に持って行くよう言われたが・・・」袋は立ち上がった勢いで傾き・・・、倒れると、
中から、プロペラだかスクリューだかの大きな羽の付いた、ミニチュアサイズの小さな乗り物が大量に、流れ出てくる・・・。扇動屋が、
「ところで・・・」
「何だ?これは・・・」と、それについて尋ねると、
「確か・・・」
「風呂で遊ぶ玩具・・・」作業員は知っている・・・。
「幼児の指を吹き飛ばしたとかいう・・・」聞かされた物騒な話に
「なんだ、そりゃ?」と髑髏顔の聞き手は楽しそうだ・・・。
それへ、知ってる風な男は、
「しかし、これは知りません」玩具のほうを指さして、
「CMで見かけたときは、こんなタンクはなかったはずですが・・・」と続ける。彼の話すとおり、宇宙船のようなそれの船体に、プラスチックらしき透明な容器がへばり付き、その中には得体の知れないビーズ状の球体が無数に敷き詰められている。
彼の口籠もった様子に、もう情報を得られないと見たのか・・・、
「何にせよ・・・」詮索を止めた扇動屋。足元に転がる、溢れ出た玩具の一つを拾って、
「軍師に言われたとおりに・・・」それを、パイプ側面に開いた口へ放り込んだ・・・。
清水満つ交叉路に開いた大穴・・・。
土壁や地下施設の断面を見せるそれの深いところには泥水が貯まり、近衛の戦車部隊がそれに浸かっている・・・。その中の横たわる一つの中で・・・、
「何が・・・」
「起こった?」近衛隊司令官が、動揺して座っている。これに、
「どうやら、足元の道路が崩れ落ちた模様で・・・」その前でレーダー機器を前に座る軍服が応える・・・。司令官同様に襟と袖に金の刺繍を付けた彼が、天井から周囲にかけて車外の様子を映した画面を、
「我らも諸共に、出来た穴へ落ちて・・・」そう見上げると、
「今は穴底に・・・」そこには反り立つ土の壁と、その上に青空が見えている。
(高い?!)同じくそれを見上げていた司令官・・・。
(あんな所から落ちて・・・)
(
「駄目です・・・」外を映すモニターの、縮小したような画面を前に、T字形のレバーを前に倒した金刺繍の袖の一人・・・、
「周りの水のせいか、車が動きません」司令官の前にある、操縦席らしきそこに座る近衛服の彼が、椅子を回転させて振り返り、そう報告する。その横から、
「そもそもこの深さでは・・・」同じく車内の別の機器に向い座っている近衛隊兵士、
「車両での脱出は不可能では・・・」司令官から見て左の席にいる彼が、そう上司へ振り向いて進言する。これを聞いて、
「だったら、さっさと・・・」俯き肩を震わせた上司は、
「救護を呼べ!」と、進言した部下を指さし怒鳴りつけながら、席を離れる・・・。
「は、はっ!」マイクが伸びた機器の前にいるその彼がすぐさま、
「救援要請!救援要請!こちら、交叉路の本陣・・・」と連絡するが、それを他所にこの司令官は、司令官席後ろにある自動扉から出て行ってしまった・・・。
我先に、近衛車両の側面にある扉から出てきた、近衛司令官・・・、
「何だ?この様は・・・」泥水に囲われた周りの様子に・・・、
「くっ!とにかく・・・」ますます機嫌が悪くなり、
「梯子でも何でも、早く寄こせ!」地上の味方へ怒号を上げた。
そうして穴深くで騒いでいる彼を・・・、地上に近い・・・、エスカレーター前フロア、その断面から・・・、
「生きていたとはな・・・」扇動屋が見下ろしている・・・。その手元から、
「「これが・・・」」その手に持った携帯端末から、ルウペの声が聞こえる。
「「自由郷製戦車の保護性能・・・」」続けるそれを、端末を腰ほどまで持ってきて、耳を傾けて聞いていると、
「「たとえビルの上から落とされようが、コックピット内には全く衝撃はない・・・」」
「「だから・・・」」
「「近衛隊には、何の被害も出てないはずだ・・・」」その車両についてよく知っているようだ。だとすると・・・、恐い顔の男には、
(それをわかっていながら・・・)
(この穴に落とした?)そういう疑問が湧いてくる・・・。深く大きい穴をじっと見下ろしながら、
(人死を最小限に敵を無力化する、不殺の慈悲?いや、そんなはずはない)彼がそう思案している間にも、
各々の車両からゾロゾロと、兵士達が出てきているが・・・、
(“銀乙女リタ”に限って、こんな生温いはずは・・・)銀兜はネット友達の思惑のほうが気に掛かる・・・。
一方、籠城戦車に囲まれたアイアス民兵達、
「引き上げるぞ!」とそれを率いていた黒眼鏡の荒蒼海は、
「こっちの役目は終わりだ」そう吐き捨てて、一人だけで行ってしまう。その背を、
「待ってください!」と呼び止める味方のアイアス兵、
「倒れた仲間は?」そう振り向くと、集中砲火を受けていた味方が、硝煙を上げて膝を付いている・・・。
仕方なくこれを抱えて、逃げる民兵達・・・。そんな隙だらけの敵にも・・・、囲んだ牢翠亀は追撃する様子も、何の反応も見せない。中の歩兵達は、
「「・・・突如、足元が崩れ落ち・・・」」近衛隊からの救援要請を聞いている。彼らが籠もるシェルター内に響いているそれによれば、
「「深い穴の中に落ちて出られない状態にある。至急・・・」」総統のいる本陣が只ならぬ状況にあるらしい。それを聞いて、
(近衛隊が!)動じるサオス、
(つまり、総統様も・・・)心配そうに遠くを見る・・・。
一方、逃げる貧民兵と囲む形の牢翠亀が見える、司令官用の大型車両の上で、
「了解」と、車内から上半身だけ出した司令補佐、
「こちらからも救護を・・・」同様の急報を受けた様子で、すぐさまこれに応じようとする・・・。が、
「サモン隊、全速前進・・・」後ろで小型の無線機を手にするサモン司令は、助けを求める味方とは反対の方向へと、自部隊を進ませようとしている。これに、
「待ってください!」補佐役は振り返り、彼へ掌を向けて制止する様子を見せてから、
前方に見える、逃げていく民兵を指さして、
「あのような敗走兵を追ってる場合では・・・」と、上司がそれらを追撃せんとしていると考えて、それを止めさせようとする。加えて、
「穴に落ちた味方を救わねば!」と今やるべき事に、司令官を誘導しようとするが・・・、
「やってる場合か・・・」焦った顔の彼によれば、他にもっと急を要する事があるらしい・・・。
「俺が敵なら、この程度では済まさない・・・」後ろで起きた事態のことだろう・・・。この司令官はその大穴が敵の罠だと、とっくに察していて、
「本当に革命を目論むなら、国の軍隊も、俺達も徹底して潰そうとするはずだ」その魔手は、自分たちにまで及ぶと考えているようだ。聞いて不安になる部下に続けて、
「そして今の状況・・・」自分たちのある状況に目を向けさせる。ビル群に挟まれた大通りにあって、後ろが寸断されたこの状況のことだ。
「市街地故に進行方向を制約された挙げ句・・・」
「大穴で、退路も塞がれてしまった・・・」とその三方が塞がれた状況を、司令官は憂えている。
「この上、穴の連中に構ってる間に前方まで抑えられたら・・・」
「将に“袋の鼠”になる・・・」彼が恐れているのは、敵の足止め部隊が消えて静かになった通りの先から、
再び敵が現れること・・・。そして案の定・・・、
「ほれ、言ってる間に・・・」
「来たぞ・・・」大通りを塞ぐように犇めく、車両の軍団が現れた。
反り返った壁を前面に押し立てた、区画整備に使われていたそれらが・・・。
一方大穴の底では・・・、やっと梯子が降ろされる。小さい丸太と紐で作られた、ロール状に巻き付けてしまえるようなそれを、確認した近衛隊司令官は、
「ノロマ共が・・・」と嫌そうな顔をしながら、泥水に足を突っ込み、
腰くらいまで浸かるその中を、水底の泥に足を取られながらゆっくりと進んで、梯子のほうへと向かっていく・・・。
その道中、後ろから・・・、
何かが激突してきて、その衝撃でまるで蹴り上げたように、彼の片足が水中から飛びだす。当って来た物体のせいか、血を吹き出しているその足・・・、宙を蹴るそれの勢いに引っ張られて、体勢を崩して転んだ彼は、
背中から水面へ、バシャリと水飛沫を上げて倒れ落ちた。
泥水の中の司令官は、必死に藻掻いてそこから出ようとするが、そこに、
またも何かがぶつかってくる。スクリューだかプロペラだかが付いたそれは、当たる度に彼の身体を切り裂き・・・そんな凶器が・・・、次から次に激突してくる。
彼は、血飛沫と水飛沫を上げながら揉みくちゃにされ・・・、彼を中心に、泥水の中に黒い物が滲み広がっている・・・。
水面に掌を出して、力なく沈んでいく彼・・・。その様子を、
「何か・・・、いるぞ!?」と、近衛隊の兵士達が怯えて見ている・・・。濁った水に囲まれた、横倒しの車両の上に立ち並ぶ彼らは・・・、
危険が潜む泥水を恐れ、そこに入って降ろされた梯子へ向かうことが出来ない・・・。他の車両から出てきていた仲間達も同じような有様で・・・、車両の島々の上で呆然と立ち尽くしている。そうして為す術もなく時を無駄にしていると・・・、
近衛兵達は、その身体が下に引っ張られたような感覚に襲われる・・・。
水辺にいた一人が、近づいた水面に足先が浸かっているのを見て、
跳び上がって驚くと、隣の仲間はその様子から、
「し、沈んでるぞ!?」と気づいた。彼らの足場である車両が、泥池の中に飲み込まれつつあるようだ・・・。
しばらく後・・・、車両の島はすっかり小さくなっている。変わらず近衛兵達は、そこから出られないようで、
狭い足場を巡り、押し合いへし合いの醜い争いを繰り広げている・・・。そうしている内に、
一人が島から押し出されて、泥水の中に落ちると、
妙に浅い。座った状態なのに、腰ほどまでしか水に浸かっていない・・・。それに驚いている間に、
やはり、危険なスクリューが迫ってきている。近くでよく見るとそれは、
元作業員に“風呂場の玩具”と呼ばれたものだ。それが、怯える彼の身体を切り裂かんと肉迫する・・・。が、
スクリューの回転が次第に重くなり、彼の腰近くまで来たところでギリギリ停まる・・・。粘土状になった泥水がその羽根に絡まって、回転を詰まらせているようだ・・・。そうして難を逃れた彼・・・、
浸かった泥水の中から出ようとするが、
身体が重い。全く起き上がることが出来ない。それどころか、
動けば動くほどに、身体は深く沈み・・・、
「何だ!?こ・れ・・・」と残して、彼の頭がその粘土質の泥の中へ消えていった・・・。足場から弾き出された他の兵士達も同じような有様で、藻掻く彼らは次々にその泥沼に飲まれていく・・・。それを恐怖しながら見ている足場に残った者達も、車両が沈み続けている以上は、同じ運命を辿ることになるだろう・・・。そんな死に満ちた様子を、
(まるで・・・)と見ていた扇動屋の心中・・・、
(底無し沼だな)地下フロアの断面から見下ろす彼は、その惨状をそう表現する。そして、
「これが、あのタンクの中にあった薬か・・・」それを見据えたまま、そう何処かへ尋ねる。おそらく腰辺りに持っている携帯端末越しに、この罠を企てた少年に話しかけているのだろう。
「あれを地下に貯まっていた泥水と混ぜ合わせて・・・」
「この罠を作ったのだろ?」どうやら例の危険な玩具に付いていた容器、その中の物が、泥池をこんな底無し沼に変えた原因と、考えているようだ。
「「そうだな・・・」」電話越しのルウペによればその通りらしく、
「スクリュー付きの玩具も混ぜるのに使った訳か・・・」泥の中にあるあの玩具がさっきまで泥水の中を暴れ回っていたのも、扇動屋の考えでは罠を作るための準備段階でしかないという。
「「ああ」」という携帯からの返事で、そのことについても確認できた彼は、企てが成された大穴を前に、改めて思い知る・・・。
(さすがに・・・)
(抜かりがない・・・)と“銀乙女”の深慮を・・・。
(穴に落ちても生き残ると踏んで、この“必殺”の罠を、事前に俺達に張らせた・・・)という先見性を・・・。
(そして何よりも・・・)と彼が嬉しいのは・・・、
「冷たいな・・・」通話相手にも聞こえるように口にした、そのこと・・・。彼が見下ろす・・・、
底無し沼では、もう高台のある国葬車の庭園くらいしか見えておらず・・・、足場を失った近衛兵達が声の嗄れるほどに助けを請い、目を見開き所々に汗を浮かべた必死の形相で重い液体の中を藻掻く・・・、鬼気迫る様子が見えているのだが・・・、
「こんな阿鼻叫喚の大殺戮を企て、こうなるとわかっていながら淡々と実行し、こうして情け容赦なくやってのけてしまった・・・」と、
そのような酷い状況を、サイコパスと期待した少年が創り上げたことに、彼は笑みを浮かべているようだ・・・。
「ゲームや仮想空間の話ではない、生きた“リアル”な人間相手に・・・」と付け加えると・・・、
「「褒めるのは、早いんじゃないか?」」通話越しのルウペは、そう返してくる。
(別に褒めてないが・・・)扇動屋が呆れている、電話の向こうで・・・、
「事態は・・・」と話す少年は、
「まだまだ悪くなるぞ・・・」大型車両内の拓けた操縦室、その中央にある指揮官用の席に座りながら、
まだ何か仕掛けるつもりでいる・・・。
その車外、彼が乗っているのは、“反り立つ大盾”を押し立てた車両・・・。四足の球形車輪を持つその軍団を率いて、
サモン戦車隊へ迫る・・・。
それを戦車上から上半身だけ出して確認した司令補佐・・・、
「まだ・・・」
「活路はあります!」と振り返り、後ろのサモンへ、
「前方を塞いでいる敵を突破すれば・・・」そう進言するが、
「よく見ろ・・・」司令官は前方の車群を指さして、
迫り来るそれらを、
「あれは、“破転”の紫牛だ」と指摘する。それを聞いて部下が、
「ということは・・・」
「味方ではないのですか?」と前を確認してから、顔を戻すと、
「皆・・・」司令官は手元の無線機から指示を出す・・・。
「小型車両に乗り換え・・・」
「路地へ逃げろ・・・」と・・・。
「歩兵も死にたくないなら、先に行け」そう続けているところに、
「司令・・・?」補佐役が、物申したげに声をかけるが、
「説明してる暇はない・・・」と手元の機器を弄った上司は、
スーと、座る椅子ごと下へ、車両の中へ下りていく。そうしながら、
「お前も早く、小車両に向かえ」そう部下を指さして、
「デカいのは、捨て・・・」と言い残して、車内へ消えた・・・。
一方未だ囲む陣形の牢翠亀・・・、
保護された空間からの出口の縁に手をかけた七七兵舎長、
「聞いただろ・・・」
「俺達もすぐに向かうぞ」そう部下達を外へと促す・・・。
黙って進み出ようとするアルフの隣で、
「はい・・・」と返事したサオス・・・。
籠城車両から出たところで・・・、
急に駆けだし、
「お、おい!」
「どこに行く!」と制止する上官の声にも耳を貸さず、
サモン隊の方向、大穴のあるほうへと、車両の間を通って向かっていく・・・。
(総統様!)という一心で・・・。
その向かう先・・・、戦車隊中央にある、司令官用の大型車両の上には、もう人影は見えない・・・。その車内で・・・、中央にサモンの座っていたクッション椅子がある操縦室から、最後に出て行こうとしている司令補佐、
(転紫牛で、あの隊形・・・。確か・・・)と、迫ってきていた謎の軍団について、思い返している・・・。
(貧民区を整地する時のそれだ。ビルだろうと何だろうと阻む物は全て、あの大盾で破壊しながら押しやっていくという・・・)その兵器の用途をよく知っているようで・・・、そのことを踏まえて、
(つまりあの部隊は、我々も同様に押しやって・・・)
(後ろの大穴へ突き落とすつもりなのか!)そう敵らしきそれらの意図を察する。それでやっと上司の命令に合点がいき、
(そういうことなら・・・)
(逃げる他ないか・・・)と納得したところで、小型車両が幾つも並べて置かれた、広い車庫に着いた・・・。
「俺を待つな!」サモン司令がそう指さし、指示している。
「出れる奴から出していけ!」そう続けている内に、車両前方の昇降扉が開いていき・・・、
人がしゃがんでやっと潜れるほどの高さまで上がると、その隙間から人影が入ってくる。人影は、瑠璃色の装甲をした車両に近づいたサモンの元まで来て・・・、
「サモン司令!」現れた歩兵サオスが進言する・・・。
「どうか・・・」
「“
「総統様救援のために!」そんな彼の懇願を聞き終えると・・・、
(この急いでる時に・・・)と苛ついた心中の補佐役が、司令官の後ろから出てきて、
「何のつもりだ!貴様!」一兵卒に拳銃を突きつける。それを、
「待て・・・」と司令官はその手で制止すると、
「国飼いの歩兵だな」小物入れを腰に下げズボンの裾をブーツに入れている青年の身なりから、そう確認・・・。
「はい!」元気良く返事をする彼は、
「七七兵舎隊のサオス雑兵であります」と自らの所属まで教えてくれる。これを聞いて、
「歩兵が、戦車を動かせるのか?」そんな疑問を持ったサモンにも、
「もちろんです!我々国に飼われてる者は・・・」
「いつでも御国のため“玉砕”できるように、大抵の乗り物は操れるように訓練しています」度を超した忠誠心を示しながら、何の問題もないことを伝える・・・。
「なら・・・」とそこまで聞いて、司令官・・・、
「任そうか・・・」と彼へ、カードキーらしき物を手渡す。
「え!?」それと同時に補佐役が驚き、
「ありがとうございます!」とすぐさま瑠璃猿側面に降ろされた階段へと駆けていく一兵卒を、
「どうして!」と指さして、
「あのような下っ端に!」サモン司令に詰め寄ると・・・、
「いいから・・・」と向きを変えた上司は、
「こちらは、さっさと逃げるぞ」そう部下に背を向けて、先を急ぐ・・・。用意しておいた予備の小車両に向かっているのであろう彼は、
(十分に可能性はある・・・)そう考えている。歩兵に任せた車両を背中に意識しながら、
(あの
(例え誰が操縦しようと、下っ端だろうと関係ない)とサオスを信頼しての判断ではないようだ。
当の青年兵士は、目の前のタッチパネルを操作して、
瑠璃猿を発進させ、
開かれた昇降扉から、次々と出て行く他の小車両達に紛れて出て行く・・・。それにも目もくれずに、サモンは、
(あれの持つ、特別な性能があれば・・・)そんな心内で車両に乗り込んだ・・・。
背丈を均一に揃えられた、明らかに人工的な草むら・・・、
その上に、太った紺制服の男が倒れている。穴に落ちる前は、その頭が向いている黄金の太陽を模した台地の上で座っていたはずの、ムゥア総統だ。どうやら交叉路陥没の衝撃で玉座から落ちてきたようだが・・・、
その顔面にカメムシが這うと、その鼻がピクりと動き・・・、
彼が飛び起きる。
(生きてたのか・・・)穴の上からその様子を見ていた扇動屋・・・、
(芝生が巧い具合にクッションなったか・・・)総統が足を伸ばして座る、柔らかそうな緑の絨毯から、そう考察・・・。そこから視点を引いて、
彼の周りを広く見ると・・・、
(何にしても・・・)
(死ぬのには、変わりはない)底無し沼の水面が上がり、そこに唯一残された、彼のいる車両の孤島が、今にも貪食なそれに飲まれようとしている。置かれた状況に気づいた様子の彼は、
太った身体で必死に駆けて、後ろにあった黄金太陽を模した高台へ・・・、地上へ広がって注ぐ光線を表現した階段を上って・・・、玉座まで戻ってくる・・・。
その頃には、さっきまでいた庭園も、すっかり沼に沈んでいて、そうして着実に迫る水面に、
玉座の背もたれを掴んだ総統は、為す術もなく怯えている・・・。そんな彼が、
何かを察し、頭上を見上げると、
(何!)その視線の先にある物に、驚く扇動屋・・・。
四足球輪で、特殊金属装甲の小型車両が、大穴に飛び込んだ様子で・・・、“
巧い具合に、高台に残る限られた足場に、しかも二足だけで落下の衝撃を和らげたかように静かに降り立つ・・・。
等間隔に四角に並んだ球輪の丁度真ん中にある箱形、それに付いた扉が開いて・・・、
中から現れたサオスが、手を差し伸べてくる。
「お早く!」と彼の急かす様子に、総統がその手を掴むと、
忠兵は力んだ顔でこの肥満男を引き上げて、操縦席内へ・・・。
それを少し高い位置にある後部座席に置いた彼は、
「すぐにも、この場を離れます。ベルトを・・・」と後ろへ確認してから、身体を正面に、
外を映した全天周囲モニターのほうへ戻し、外を見つめる。外には、
遠くに大穴の件でできた土壁が見えるが・・・、それを見てから、
モニター下の切れ目のまた下にあるディスプレイへ、
(この球輪へ溜まった、反発力を使えば・・・)と、そこに表示されたメーターを確認した彼は、
(ジャンプで向こうの壁まで、ギリギリ届くはずだ・・・)再び遠い土壁を見つめた・・・。
(後は・・・)
(総統様を担いで、壁を登れば・・・)という目算で手元にある球形を転がし、瑠璃猿を動かそうとするが、
外の景色は変わらず車が動かないどころか、例のディスプレイに、
「このルートでの生存率、0.004%・・・。危険行為に付き、承認出来ません・・・」と表示される。これに、
(瑠璃猿が止めてる!?)と驚いたサオス・・・。そして、すぐさま察する・・・。
(これが・・・)
(サモン司令が、俺なんかに任せた理由・・・)この戦車に隠された性能を・・・、
(車両に内蔵された、運転アシスト機能が助けようとしてくれている?)ということを・・・。
(でも・・・)
(他に手段はあるのか?)彼は尋ねるように、情報や警告が表される画面を見つめる・・・。
(瑠璃猿は安全なルートを探してくれてるようだけど・・・)
(此奴が認めるような、何の危険もない道なんてあり得るのか?)その画面には、危険行為を禁止して以降ずっと、
「安全ルート、検索中・・・」と表示されているようで・・・、
(在りもしないそれに拘って・・・)
(延々と探し続けるだけなんじゃ・・・)サオスにはこの機能が、的外れな思考を続けているように思えてならない・・・。
(だとすると、俺達は・・・)周りを不安そうに見渡す彼・・・、その視線の先、モニターの向こうでは、
瑠璃猿が二輪で立つ足場が、見る見るうちに沼の中に飲まれており・・・、
(車の性能に縛られて、何も出来ぬままに・・・)彼の頭には、最悪の結末が過ぎった・・・。
「上だ!」その後ろから総統の声・・・。言われるままに見上げると、
頭上から来る物に、サオスは驚愕する・・・。
色とりどりのサモン戦車隊が交叉路に開いた大穴へ、大盾付きの車両部隊に押される形で放り出されている・・・。そうして重量級の車体が、大量に滝のように落ちてくるのを、
寸断された地下フロアから扇動屋が見ている。
(あのサイコパスめ・・・)という思いの彼・・・。
(落ち損ねた連中も、諸共に底無し沼に沈めるつもりのようだ)目を向ける、滝の向こうの大穴を挟んだ向かい側でも、別部隊が“牛の群れ”に大穴へ押し出されているのが見える。近衛隊の後ろに続いていた、国葬警備の後衛部隊のようだ。前の隊のように道路陥没に巻き込まれはしなかったようだが、
結局は同じ運命を辿ることに・・・。そんな様子を見て、
髑髏顔は、敵の置かれた絶望的状況について語る・・・。
(これで都の守備隊はほぼ壊滅・・・。総統もあの様子では・・・)
(沼に沈むのを待つまでもなく・・・)瑠璃猿のほうへ眼を戻すと、その頭上から無数の金属塊が滝の如く、降り注がんと迫っている・・・。そんな状況に来て、
考えてくれていた、モニター下の画面から通知音がして、サオスが目を向けると、
「脱出ルートを発見しました・・・」そう表示されている。
「すぐさま実行に移します・・・」問答無用で動き出そうとする瑠璃猿・・・。
(こんなタイミングで!?しかも・・・)勝手なアシストに戸惑うばかりの操縦者が見つめる画面には、
落ちてくるサモン戦車隊を蹴って昇っていくという脱出ルートが示されている。戦車とも思えぬ身軽な動きに、
(このルートは!)驚いた心中の彼は、
(やれるのか?自動運転で・・・)また問いかけるように画面を見る・・・。そんな彼を他所に、
動き出した瑠璃猿・・・。外を映したモニター全体が沈み、
外では、足場に付いた二足の球輪が萎んでいる。反発するエネルギーを押さえ込むように、ブルブルと震えているそれが・・・、
爆発したような勢いで膨み、バネが弾んだような音を立てながら足元を弾くと、金属質な車体は、その見た目からは想像できないほど高く、勢い良く跳び上がった。
(壁を蹴って登れるという瑠璃猿だ。これくらいは・・・)そんな自機の跳躍力をモニター越しに感じても、兵器オタクは当然の性能と見るだけ・・・、
自動運転を信用する材料にはならない。
(しかし・・・)と不安げに見上げると、
すでに車両の雨は身に降り注がんばかりに迫っている。これらを足場にして昇っていくのが、AI付きの運転アシストが示した脱出ルートだが・・・、
(こんな落ちてくる瓦礫の中を登っていくとなると・・・)
(神業のような操縦技術がなければ・・・)機械にそんなテクニックあるとは、操縦者にはとても思えない。
そう心配する彼を乗せた瑠璃猿・・・。球輪で弾んだ勢いのまま・・・、
近くまで落ちてきていた戦車へ突っ込む。それによって瑠璃猿の片前輪が落下物に押し付けられて萎み、またも生じた反発力で車体が弾かれる。
それは上を目指す自動運転が意図してやったように、高く放物線を描いて跳び上がり、弾き跳んだ先には、
都合良く落ちてきた別の戦車・・・。
これもまた、蹴るように球輪で弾いて跳び上がり、また次の車両へ・・・。
という感じで、次々と落ちてくるサモン隊車両を蹴りながら、瑠璃猿は、それに内蔵された自動運転システムはその滝のなかを昇っていく・・・。思わぬその高性能に、
「すごいぞ。此奴は・・・」不安げだったサオスは賞賛とともに笑みまで溢している。そんな彼の一喜一憂など元からどうでも良いように・・・、
高性能機は淡々と、自らが示した“脱出ルート”を辿り続ける。落下車両の間を跳び回り、時にはそれらの表面を走ったりもして・・・、
大盾持ちの車両隊が、サモン隊車両を尽く崖へと押し出したタイミングに・・・、
登ってきた瑠璃猿は、最後のサモン隊を蹴り、
大盾持ちの頭上を飛び越えた・・・。
「行ったあぁぁぁ!」思わず声を上げたサオス。
道路に小さく弾みながら着地したそれを、モニター越しに背中に感じて、
「マジかよ・・・」ルウペは顔を歪めた。
破転紫牛の後ろ、後輪間の地面に近いところには、この戦車の搭乗口があるが、
そこからルウペが降りてくる・・・。それに、
「AI技術が流れてたようだな・・・」扇動屋が声をかける。
「みたいだな・・・」他所を向いて返事をした少年が、
「明らかにどこぞの大国が得意な分野だし」そう付け加えると、
「で、どうする?」対峙する男は続けて尋ねる。
「総統は逃がしたが、都市守備の部隊はほぼ壊滅・・・」
「この機に乗じて、政府まで攻め上るか?」彼は掌を差し出して、そう提案するが、
「やっぱり・・・」
「父上を追おう・・・」ルウペは意にも介さず、瑠璃猿が逃げていった道路の先を見つめている。そしてその心は・・・、
「あれだけ拘って錬った作戦が、ああやって悪運だけで台無しにされたのは、何かムカつく」という非合理な理由で・・・、
(拘るな・・・)これを聞いた扇動屋も、
(そういうのは、危険に感じるんだが・・・)さすがに心配な表情を見せる。
「まぁ、付き合おう・・・」そんな内心を最後に溢した彼、
「追うとなれば、急いだほうがいいぞ・・・」軍師の意向を踏まえてアドバイスする。
「捕らえるにしても殺すにしても、
「面倒になる・・・」ということだが、
「いやあの人は・・・」それを受けてもルウペは、焦る様子もない。
「軍隊とは合流しない・・・」と総統の行動パターンを読んでいるようで、
「後・・・」
「行き先も知ってる・・・」そう彼が逃げていった道路の先を見つめた・・・。
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