第26話 緊張と緩み。零れ落ちる過去の欠片
「オロロロロロッ!」
「ちょッ! ちょっと紅音大丈夫? ってゆうか離れて!」
紅音はグリルに抱きつかれたまま嘔吐していた。幸い、彼女が吐き出したものはグリルの体や服に付着することは無かった。しかし当然ながらグリルは自分の真後ろで彼女の
「う、うぇ……すまんグリル。能力使いすぎた所為か気持ち悪くてよ。二日酔いしたみてぇだ。そのまま背中さすってくれ」
グリルは彼女に言われた通りに背中をさすり始める。
「もう……本当に大丈夫なのそれ? でもありがとう紅音! 私の危機に駆けつけて助けてくれて」
グリルは彼女へ先程の巨大な魔物から身を呈すような形で自身を守ってくれたことに感謝の言葉を送るが、彼女はそれを当然の事だとあしらう。
「へっ、あたりめぇだろ? お前とアタシは一応……姉妹なんだから」
彼女は少し照れくさそうに言う。自分から始めた事とはいえ、改めて口にしてみるとどうにも思うところがあるようだ。
そんな彼女の言葉にグリルは元気良く返事をする。
「うん!」
「……ふぅ少し落ち着いてきたわ。ありがとうなもう良いぞ」
ある程度気が楽になった彼女はグリルと抱きついた状態から離れる。そして先程討ち取った魔物の後処理について考えるのだった。
「にしてもどうすっかなぁコレ」
彼女の能力によって串刺しになった魔物は最早ピクリとも動くことなく完全に静止していた。だがもし生命の一瞬のキラメキという奴でこちらを攻撃してくるなんてことがあれば、非常に困ると考えた彼女はそれを黄金にしてしまうことにした。
「多分死んでると思うが、一応全部金に変えておくか。最後の足掻きとかされたら堪ったもんじゃねぇし」
彼女としてもこれほどの魔物であれば体の一部でも良く売れそうだと感じるが、解体などという経験も道具も知識も何も持ち合わせない彼女はそれを諦める。そして魔物は全身隈なく黄金と成った。
「よし! それじゃあ降ろすか。このままじゃあ目立ちすぎるしな」
彼女の能力によって生み出した金をこのまま放置するのはまずいかもしれない。という別に何か根拠があるわけでもないのだが、何となくそう思った彼女は一応黄金に変えた魔物以外の金を元に戻した。
「さてと……幸運にも何とかなったし、帰るとするか!」
ようやく一難去ったという所で彼女は先の野営地へ戻ろうと思い立つも、重大な問題があることに気づく。
「あ、いや待てよ……。これヤバくねぇか?」
それは単純な話、この森にいた例の魔物を退治したとは言えないからだ。
彼女は頭を抱えながら頭の中で考え込み始める。
(もしこのまま帰ったら帰ったでこの森をすぐ通る事は出来ねぇし、アタシがキマイラを倒したとか言ったらこの世界異能を明かさにゃならんし、黙ってたら黙ってたでコイツより強い魔物が居るとかどうとかで、さらにこの先の街へ行けるまでにあの狭苦しいテントで何日も時間食いそうだよなぁ)
元々彼女があの街を出た理由は貴族関係のゴタゴタに意図せずして関わってしまったため、彼女に邪魔をされたと判断したであろう謎の反社会的組織に命を狙われたためだ。つまり未だ
(じゃあこのままもう勝手に行っちまうか? ああ駄目だ。あそこにロブスターと荷物置いて来ちまったんだった。……クソッ! 結局あそこへ帰るしか無いのか?)
そう、彼女達は単純にただの荷物運びの手伝いという認識でこの作戦に参加したのだ。故に自身の旅の荷物やロブスターはあの野営地のテント内にあるはずなのだ。
彼女があのテントに何を置いてきたかを思い出した時だった。彼女はとある違和感に気づく。
「ん? 待てよ。そう言えばだがよ、グリル」
「ん? 何紅音?」
「お前さ、もう一本メイス持ってるか?」
「え? うんあるけど」
彼女の質問にグリルは素直に答え、あの時のメイスのように腕の口からメイスをもう一本取り出したのだ。そう……取り出したのだ。置いてきたはずのものを……。
「何でだ?」
「え?」
彼女は問い詰めるもグリルはきょとんとした顔をするが、気にせず彼女は言う。今この場にあり得ないはずのものが何故出てくるのだと……。
「何で二本とも持ってんだって聞いてんだよアタシは!」
「うッ!」
彼女の問いかけに虚を突かれたグリルはビクッと体を跳ねさせて顔を引き面かせて、彼女から目を背け始める。
「グリル……お前まさか、あそこに置いてきた荷物全部その胃袋の中っつうか体ん中に入れて来たな? 正直に言えば怒らないぞ
彼女の言葉を聞き入れたグリルは歯に噛みながらも正直に答えた。
「うぅ……そのぉ……はい」
その言葉を聞いた彼女は大きく深呼吸をし始める。そして時は決する。
「テメェ!! アレほど胃なのか何なのか分からねぇが、変なもん入れんなって言っただろアタシはァ!!」
彼女は怒った。先程の約束など無かったかのように。無論先程の発言と矛盾している彼女の言動にグリルは猛抗議する。
「ちょっと何で怒るの! 怒らないって言ったじゃない!!」
「ああ言ったさ! だがそれは
そうあくまでも彼女は
勿論そんな
「何よそれ!! 紅音のインチキ! 詐欺師!!」
そう言われた彼女はさらにヒートアップする。そう言われるだけの事をしたと自覚はしているが……。
全てはその時の感情が優先されるものだ。彼女の怒りは止まらない。
「うっせぇッ!! 大体何でもかんでも所構わず口に入れてんじゃねーよオメェはよォ! テメェは赤ん坊か!!」
「別に良いでしょ! 今までそうやって生きてきたんだしーー!! 今まで病気になったことなんてありませーーんだ!!!」
確かにグリルは彼女に出会う前からそういう生活をしてきたのだから常人よりは遥かに頑丈なのであろう。
だがそんな事は最早関係ないのだ。なぜなら彼女を守らなければならないという気持ちが紅音の心の中で芽生え始めているからだった。
「万が一ってことあるでしょうがああ!!!」
と、叫んだ所で彼女は息切れを起こし始める。
どうやら大声で続けざまに喋っていたため、彼女の肺活量に限界が来たようだ。
「……ハァ……ハァ。もう無理、駄目。頭クラクラするわ……」
叫びすぎたせいで目眩さえ起き始める。呼吸を整えようと何度も深呼吸をする。そうして少し落ち着いたのか、ちょっとした酸欠で脳がキマった彼女は妙な事に気づく。
「……ちょっと待て。お前本当に全部持ってきたのか?」
「え? まぁ……うん」
当然のようにグリルは答える。そう……全部持ってきたと、そう
……今一度思い返して欲しい。彼女たちは一体何を野営地のテントに置いてきたのかを……。旅の荷物……そして
「ロブスター……どうした?」
彼女は半ば恐る恐る聞く。
その言葉を聞いたグリルは益々顔を引つらせて体もカチコチに強張り始める。そして今度はどうと答えることなくただ無言を貫く。
「……」
「おい」
もう全てを理解した彼女はグリルへ冷たい視線を送る。そしてこの気まずい空気と沈黙を貫くのが辛くなったのか、それに耐え切れなくなったグリルは……ただ一言だけ喋った。
「えへッ!」
彼女はとても可愛らしく笑顔でそう言ってのけた。その言葉に紅音もニコッとしながら……キレた。
「何が『えへッ!』だよ!! お前食っちまったのか! マジで食ったのか!?」
紅音としてもいつかはやると思っていた。彼女はいつもロブスターを食べたがっていたのだから。しかしだからとは言え、こんなに早く本当に食べてしまうなどと思いもよらず、紅音は少し引いてしまう。
だがそんな紅音の言葉を心外だと彼女は否定する。
「ちょっと紅音! 流石にそれは心外だよ! ちゃんとまだ生きてるから……ホラ!」
彼女の体の口からベトベトの赤いロブスターが出てきた。……その様子はとてもしなだれていて、ピンッといつも真っ直ぐ立っていた触覚はだだ下がり。完全に彼女の口から排出されても微動だにせず、なんだか複雑な心境でも抱えていそうだった。
確かに生きてはいるのだろう……だがこれはあまりにも酷たらしいと言わざるを得なかった。
「……めちゃくちゃ元気無いやん。……ロブスターなのに伝わってくるぞ。コイツの今の感情がアタシには」
二人はしばらくロブスターを見つめた後、互いの目を見つめ合う。そして紅音が口火を切る。
「グリル」
「な、何? 紅音?」
辿々しくもグリルは返事をした。どうやら彼女でも何か嫌な予感を感じているようだ。
そしてその予感は彼女にとって悲惨にも的中していたのだった。
「お前今日は飯抜き!」
紅音は彼女へ向けて指先をビシッと向けてそう言い放った。
そんな死の宣告に彼女はたじろぎ始める。
「えええええええ!! ちょっと紅音! それは勘弁して! お願いだから!! 反省! 反省するからぁぁあああ!!!」
彼女は紅音の足に即座にすがりついて今にも泣きそうな表情をしながら慈悲を乞う。だが紅音はそんな彼女の視線に目を完全に背けてただ黙りこくったのだった。
◆
そうして彼女たちは最早もう戻る理由がなくなったので、とっとと次の街へ進むことにした。
そして彼女たちがその場から去った時、木陰からとある人物が出て来はじめる。
「……それにしても賑やかな人達なもんだなぁ。あの嬢ちゃん達は」
それは彼女たちを置き去りにしてどこかへと逃げ去っていたペネトレイトだった。そう事の一部始終を見ていたであろう彼がようやく顔を出し始めたのだ。
そして彼は黄金と化した魔物に視線を移し独り言を喋り始める。
「融合魔獣ワンダーデザイア。……まさか倒しちまうとはなぁ。へっなんだよ、戦えないってのは嘘かい?」
彼女はあの時、彼に言っていた。自分は戦えない、と……。だが実際は他の冒険者が即座に逃げるか、無惨にも殺されてしまうほどの魔物をほぼ単独で倒してしまうという揺るぐことのないこの事実は何よりの矛盾の証。
彼女は一体何者なのか? そして見たこともないあの力。あれは魔法なのだろうか? 彼女に関して不明瞭な点は多いものの、取り敢えずそれについて考えることを彼はやめた。
そして彼は黄金と化した魔物に近づき、寂しそうに手を触れた。
「まぁいいさ。……ミケル、ラシェル。お前たちが俺より先に逝っちまうとはなぁ。寂しいじゃねぇかよ」
ミケルとラシェルはこのキマイラの強化に使われた魔物で、彼の顔見知りだ。だが彼らもそれを不服には決して思っていないはず、寧ろ喜んでキマイラを基盤とした融合素材となったと彼は確信していた。
「さぁて! この事をどう我が王に報告したもんかねぇ。そのうち、また会える日がいつか来そうだな……。なぁ? あんちゃん」
そう言い残して彼はその場から姿を消して冒険者の野営地へと戻って行ったのだった。
彼はCランク冒険者のペネトレイト。……擬態型の魔物である。
◆
そして時は経ち、彼女たちは次なる街へ向かうため森の中を進んでいたが、早々に日が暮れてきてしまったので、今日のところはこの森の中で一泊することになった。
その時紅音はグリルに何故置いてきた荷物全てを勝手に持ち出した理由を聞いていたのだった。
「……なるほどねぇ。放置してたら盗まれるかもしれない。そう考えた……と」
「はい……」
グリルは心底反省しているような面立ちでそう答えた。
どうやら荷物盗難の防犯として体内に入れていたようだ。いくらなんでも他人のテントに勝手に入り込んで荷物を持ち去るなんてことはない。……そう言いたい彼女だったが、この世界の文明レベルやCランク未満の冒険者の社会的信用性等とあながちそういう事が起きないとは言い切れなかった。
「うーん……まぁそうか。だったら……ギリ許そう」
「ホント?! ……ふぅ。良かったぁ」
グリルは自身の胸に手を撫でおろして一安心する。
そんな彼女の様子を見て、紅音は彼女の外見に関する話題をふってみることにした。
「……そういやだけどよ。お前の外見に対してあんまりとやかく言われること無かったよな。……ほら、ペネトレイトのおっさんとかよ」
「うん。確かに……何か言われる事は無かったけど」
それに彼女も概ね賛同するも、何か思うところがあるようだ。紅音としては周りの彼女に対する目線というもので分かりやすいほど奇異な目で見ているようには見えなかった。
だがそれはあくまでも紅音から見たものでしかない。グリルはまだ子供で周りの大人から比べれば背も小さい。そういう部分で威圧感というものを感じたり、過去の経験による多少の被害妄想とでも言うべきだろうか、多少のことでも悪いふうに捉えがちなところもあるかもしれない。
そう想像を膨らませた紅音は彼女にあまり気負わないようにという旨を伝える。
「……まぁ、そうそう周りに対する印象は変わらねぇよな。これから少しづつ変わっていくさ」
初めてグリルと出会った時のあの様子からある程度は察せられる。だが彼女がこれまで具体的にどういう生活をしてきたのか、どこ出身なのか、誰が親なのか、年齢はいかほどか、紅音は何も知らない。
何も知らないが……それで良いのだ。知った所で彼女の過去は変わらない。知って同情したとして何も起きない。ならばこれからだ。これから彼女が受けたであろう辛い経験をひっくり返す程の良い経験、幸せな思い出で満たし尽くせればそれでいい。そうすればいずれは彼女も立派に自立出来るだろうと、紅音はそう考える。
グリルは人間ではないが人だ。人とは他人無くしては生きられないもの。だから他人を受け入れられてかつ、この先誰かに外見でどうこう言われようと奇異な目で見られようと素知らぬ顔が出来るくらい強く立派な心を育て上げれば何も問題ない……そう信じているのだ。
……それとは別に少し暗い雰囲気になってしまったので明るい話題へと切り替える。
「さて、それじゃ飯でも食うか!」
「うん!」
グリルは元気良く返事した。本当に食べることが好きなのだろうと改めて彼女は感じた。
「それじゃあ今日は何をどうしたものかねぇって、言っても食材限られてるから特にレパートリーとかはねぇんだけども」
そして二人は旅の荷物にある食料を用いて適当に食事を始めたのだった。
◆
さらに時は経ち、彼女たちは食事を終えてテント内で床に入っていた。
無論ここは森の中だが今日は流石に色々と疲れた彼女たちに見張りは出来なかったので、ロブスターに全てを任せることにした。何かあれば起こしてくれるはず。……きっと大丈夫さと、紅音はぶっちゃけ面倒くさいのでそう思う事にした。
そして紅音はさっさと寝てしまおうと瞼を閉じるも、グリルが話しかけてくる。
「ねぇ紅音? 少しいい?」
「ん? いいぞ。何だ?」
紅音はグリルの方を向く。横向きで彼女を見つめていたグリルと丁度目が合った。
「紅音のお話が聞きたいなって」
それを聞いた彼女は少し困惑する。お話とは昔話のような童謡を指しているのか、それとも彼女自身についてなのかどうかが分からなかったのだ。
「アタシの話? どういう意味だ?」
「その……紅音の過去っていうか、紅音について詳しく聞きたいなっていうか、知りたいなって思って。ほらだって私、紅音について聞いたことがないもん」
グリルは矢継ぎ早にそういった。それを受けて彼女も今までのことを思い返す。グリルの言う通り彼女は自身の身の上話について禄に話していなかったことに気づく。
「……まぁそういやそうだったな。ほぼ成り行きみたいな感じでこの一週間くらいか? 一緒に居たもんな」
別に彼女は自身のことについてあまり触れたくなかったわけではない。ただ単にそういう機会がなかっただけだ。だからこそ彼女はこれを機に話すの良いと思うがあまり良い話でもないため、一応確認を取ることにした。
「……まぁ別に良いけど、そんなに面白い話じゃねぇぞ?」
「うんうん、いいの。そういうのが欲しいわけじゃないから」
グリルは彼女について少しでも知りたいようだ。それを受けて彼女もならばと、改めて話すことにした。
「あっそう? じゃあ話すか」
彼女はグリルから目線を外し、テントの天井というよりかは空を見るかのように上を見つめた。
そのまま彼女は自身の何を話すかについて考え始める。
「……そうだなぁ。アタシの出生からっつう部分は省くとして……。そうだな、ここに来るまで何してたかぐらいでいいか」
何を話すか決めた彼女は一息置いて語り始める。
「……アタシは元々ここに来るまでは普通に働いてた。コンビニの夜勤バイトだったり、工場で働いたりとな」
彼女は大学を自主退学した後、元々バイトはしていたが手に職つけるが如くさらに様々なアルバイトに手を出していた。
「だがそれよりも前は大学っつう場所に通ってたんだ。だがな、大学に通うだけの金をあいつらは馬鹿みてぇな額まで釣り上げやがったんだ。それは親の世帯収入で勝ち組と言われるような部類にしか到底払えねぇ額だった」
彼女が通っていた大学のみならず、様々な教育機関の教育費は著しく急上昇したのだ。それはとある権威による陰謀という策略だったのだ。
「そもそもアタシの国は少し前までは何の影響も受けてなかったんだが、数年前から如実にその影響が出始めたんだ」
突然彼女が言った『何かの影響』という言葉が理解できなかったグリルは質問する。
「何の影響なの?」
急な質問に彼女は一瞬戸惑うものの、それについての説明をしていなかった事に気づく。
「え? あぁすまんな。それは……アタシも詳しくは知らねぇがアタシの居た場所には世界的な大企業による企業別連合体っていう企業連による権力が国家と同等。もしくはそれ以上かもしれねぇくらいになったんだ」
彼女の居た二千百年代の世界では加速する環境汚染に食糧問題といった部分に企業同士の戦争といった事柄が横行し始めていたものの、それはまだ始まりに過ぎなかったために彼女が住んでいた国ではその影響はほとんど無かったが、彼女がこの世界に来る前の数年前からそれが出始めたのだ。
「何でそんな事になったのかは分からん。聞くところによれば、やれ環境汚染だ、資本主義の肥大化だとか、クーデターを起こして政治不信を起こしたのだの何だの色々言われているが、最早情報とかも一部統制されて来ているみたいでな。真偽は不確かなのさ」
彼女自身そこまで熱心に世界の情勢やらといった部分にさほど興味は持てなかったのだ。その理由は単純な話、現実感の無さ、自分とはそれらの関係性が遠く感じる。例えば他国の情勢がどれほど悪化しようともその現地住民もしくはそこへ赴いた者でなければ、その現状の悲惨さというものはあまり実感しにくいというものと同じだからだ。
「そんで、アタシが元居た国もその影響が出始めたみたいでな。企業に属するやつとかは優遇されているが、それ以外の奴は一生馬鹿でいろみたいなぞんざいな扱い。そして怪しげな企業の下部組織による工場で日銭を稼いだりするしかなくなって来ていたんだよ」
企業が建設、または買収した数多の工場施設。低賃金長時間労働といった使い捨て前提の最悪な職場環境。……しかし彼女のような人物またはこれから生まれてくるであろう人たちが向かうべき、当たり前の職場となる。つまり、ベルトコンベアに載せられた物品のように働き手である人もまた流れてくるのだ。
そしてそれらが一体何を作っているのか……知り得ることはない。
「アタシだってクソみてぇな家庭環境の中で腐らず頑張ってきたんだぜ? これでもな。そして大学行ったら行ったで今度は良く分かんねぇ企業の横槍たぁ……もう萎えるしか無かったんだわ」
彼女はこれまで努力を怠ったことは無かった。恵まれぬ環境の中、日々努力をし続けた。そうして何とかこじつけた大学でさえ、企業によって社会によって全てを奪われたのだ。
そこから吹っ切れた彼女の後の生活などというものは実に退廃的だった。娯楽というものに彼女以外の多くの人間も逃げていたのと同じ用にすべからく自暴自棄で退廃的。
最早それこそが比較的真面目に生きた者の社会や企業に唯一できる中指を立てた反発的な行いだった。それさえ、奴らの思う壺だったと言うのにも気づかず。
「やってらんねぇ。ただそれだけがアタシの心を鷲掴んだ。もうどうでもいい。なるだけなれ。みたいな感じでどんどん自暴自棄になる一方だった。未来もクソもねぇ生活の不満を流してくれんのは酒とタバコにギャンブル。そんなもんだったよ」
そう言った彼女は少し黙りこくる。そして元いた世界で過ごしてきたあの生活を今一度思い返す。そうしてその景色を思い浮かべた所で彼女は再び話し出す。
「……まぁそれが染み付いちまったからにはもうそれを今更やめる気にはなんねぇ。……なんねぇが、それはアタシだけの話だ。今はお前がいる。グリル」
「元々ここに来た時だってただの夢か、拉致られて何かの企業共が開発でもしている仮想世界だとかと思ったもんだよ。そんな摩訶不思議過ぎる世界だからか、ここに来た初めは向こう見ずで突発的な行動ばかりしてきたな。ハハッ!」
彼女は乾いた声で笑う。その瞳は少し虚ろでもあった。そして続けて話す。
「……ま、アイツにボコボコにされてからはここが紛れもない現実なんだと、理由は分からねぇがこんな世界に来ちまったんだと……気付かされたわ」
彼女はナット・ガインとの戦いで酷い重傷を負って命の危機が差し迫った所でようやく気づいたのだ。ここは仮想世界という偽物の世界でも彼女のヤニとアルコールで溶けた脳みそが生み出した空想の世界でもない。
紛うとなき現実。そう現実なのだと……。
「噂で聞く電脳だとか、その運用実験とかじゃない現実。紛れもない現実なんだとな」
「……まぁそうならそうで仕方ねぇが、どうにもここの飯や酒はあんまし上手くねぇんだよな……薄味っつうかなんつーか」
この世界は元いた世界と比べれば文明レベルが低いが故に衣食住は基本的に彼女の元々の生活水準とは合わない。合わないからこそ、そこに不満を抱いてしまう。だからこそ、元いた世界の衣食住や娯楽を求めてしまう。
「まぁそういうわけだ。正直元の場所に帰りてぇなって思うのはそういう娯楽の部分が一番かな。それに命が狙われる危険までは……ないかもしれねぇし」
そう彼女の居た世界は確実に弱者を作り、強者がそれによる甘い汁をすすろうという仕組みを敷き始めてはいる。だが、反社会的組織に命を狙われるということまではない。だが、徐々に命を削られるというもののほうが余程辛いかもしれないが……。
「はぁ……どうしてこうなったんだか。わけ分かんねぇが、今のアタシにはお前が居るからな。だから……」
そう言いながら彼女はグリルの方へ顔を向けた所で彼女は黙ってしまう。なぜならグリルは既に寝息を立てて眠っていたからだ。
「って、もう寝てるじゃねぇかよ! 全くしょうがねぇな」
そうして彼女はグリルの体に掛かっている掛け布に手を伸ばして、グリルの肩までしっかりと引っ張り掛け直した。
「……さぁて、アタシももう寝るか。おやすみ」
そう呟いた彼女はそのままゆっくりと瞼を閉じて、明日のために夢の世界へと旅立ったのだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
*あとがきに記載されている情報は読者向けであり、本作品に登場するキャラクター達は一切見れません。
よろしければ応援や感想等よろしくお願いします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます