第3話 12月の首筋

 今度の土曜日のお昼しーちゃん達と我が屋でクリスマス会良かったら貴方も如何


「まーた句読点が行方不明」


「しーちゃん、って誰ですか?」


 スマホが震えた。日曜日の夜だった。母からのLINEに向かって呟いた僕に、隣に座っている玲央くんが聞いた。


「妹の子ども」


「姪っ子?」


「甥っ子。三歳で、NEXネックスが大好き」


「成田エクスプレス? いいセンスしてますね」


 そうして玲央くんは熱燗の入ったお猪口を口に運んだ。僕は母に行きますと返事をしたのち、もつ煮にふりかける七味に手を伸ばす。錦糸町で「サ活」を終えた僕たちは、カウンターだけの小さな飲み屋で一杯やっているのだ。


「いいなあ、クリスマス会」


 サウナと熱燗の効果で汗だくの玲央くんが、初めて見る空色のセーターを脱いだのち、言う。


「あー、俺のクリスマスはどこ行っちゃったんだろう」


 今年のクリスマスは、次の日曜日だ。玲央くんは「付き合って一発目のクリスマス」に、僕と「気合い入れた真剣デート」なるものをしたがったのだが、イブ前日の金曜日から月曜日にかけて、博多出張が入ってしまったのだった。


「月曜の夜にいっしょにご飯食べて、プレゼント交換するんだからいいじゃない」


 口の中のもつ煮をハイボールで流し込み、僕は言った。


「するけど、月曜だと街も店もクリスマス感はすっからかんじゃないですか」


「すっからかん」


「そうでしょう?」


「まあ、そうか」


「そうです」


「そういえば玲央くん、『気合い入れた真剣デート』って、どんなことするつもりだったの?」


「教えるわけないじゃないですか」


 両方の眉を持ち上げ、「何言ってんだこの人」という顔をして玲央くんは言った。


「なんで?」


「来年のお楽しみだからに決まってるでしょう」


「……」


「春人さん。来年のクリスマスは、絶対いっしょに過ごしますからね。出張とか全力拒否する所存なんで、俺」


「ああ、まあ、うん」


 僕は曖昧に頷いた。恋人と呼べる人は、何人かいた。クリスマスを一緒に過ごしたことも、ある。しかし、同じ恋人と二度目のクリスマスを迎えたことは、ただの一度もない。


「楽しみにしてるよ」


 ほとんど嘘をつくような心持ちで、僕は言った。


   *


 亀戸に住んでいるので、隣駅の平井の実家にはちょくちょく顔を出す。泊まりはしない。柴犬のペロがいた頃はそうすることもあったのだが、甘えん坊で食いしん坊な弟は、四年前に老衰で死んでしまった。


ネックシュ・・・・・がね、ここを走るの、じいじは、トンネルをやるよ」


「はい、わかりましたーっ」


 両親からしーちゃんへのクリスマスプレゼントは、パッケージに「大ボリューム‼」と書かれたプラレールのセットだった。坂道があり、レール分岐があり、駅や踏切や鉄橋がある。もちろんトンネルもあるのだが、持参したNEXにもっと大きいトンネルをくぐらせてあげたいしーちゃんは、「じいじ」にレールをまたぐよう指示し、しーちゃんが生まれる前は「孫にはじいじではなくおじいちゃんと呼ばせる」などとのたまっていた父が、びっくりするほど甲高い声を上げてそれに応じる。


「今の、誰の声?」


 トイレから帰ってきた妹の香菜かなが、ソファに座っている僕に聞き、


「お父さん」


 テーブルの上のピザやチキンの皿を片づけている母が、僕の代わりに答えた。


「あたしもお兄ちゃんも、お父さんのあんな声聞いたことないよね」


「そうだね」


 隣に座った香菜が言い、僕が言った。ふたりとも母の片づけは手伝わない。手伝おうものなら、「余計に手間だからやめてちょうだい」と叱られるに決まっているからだ。


「春人、これからケーキ出すけどコーヒーにする? まだビール?」


 母が僕に聞き、僕の返事を待たずに、


「もうケーキ出しちゃっていいわよね? しーちゃん、蝋燭に『ふー』するかしら? 一応もらってきたのよ」


 と、香菜に聞いた。


「まだビールで」


「出していいよ。うん、『ふー』する」


 僕と香菜が口々に答えると、


「あー、忙しい」


 母は弾むようにぼやきながらキッチンに引っ込んだ。


聡介そうすけさん、仕事だっけ? イブなのに来られなくて残念だったね」


 僕は香菜に言った。「聡介さん」は香菜の夫で、僕より二つ年上だ。


「嫁の実家なんて気詰まりだから、本人は来られなくてラッキーって思ってるんじゃない?」


 香菜は伸びをしながら言い、微笑んだ。五つ年下の妹の微笑みが、大人のそれであることに僕は驚く。僕と香菜が並んで座っていると、決まって身体をよじらせて間に入ってくるペロが、ここにいないことにも。


「ネックシュが通過しましたーっ」


 しーちゃんにそう叫んだガニ股の父のうしろでは、クリスマスツリーのライトが点滅をくり返している。しーちゃんのために、両親が新調したクリスマスツリーだ。


「あたしたちのクリスマスツリーは断捨離されちゃったね」


「うん」


 僕は頷いた。かつて、この家にはクリスマスツリーが二本あった。僕のクリスマスツリーと、香菜のクリスマスツリーだ。もちろん最初は一本しかなかったのだが、香菜が幼稚園児の時に涙と鼻水と、最後には鼻血まで出して両親に訴えたのだ。このクリスマスツリーはパパとママがお兄ちゃんに買ったものでしょう? だからこれはお兄ちゃんのクリスマスツリーでしょう? 香菜も、香菜だけのクリスマスツリーが欲しい。


 僕だけのクリスマスツリー。つまりそんなものが、かつてはあったのだ。この家に、たしかに。


(なんだか)


 と、僕は内心で呟く。なんだか、ずいぶん遠くに来ちゃったな。僕だけのクリスマスツリーを、僕はどんなふうに飾りつけたのだろう。うまく思い出せない。寂しい。うまく思い出せないことが寂しいのではなく、思い出せなくても寂しくないことが、ほんの少し。


「しーちゃんのクリスマスプレゼント、LINEで送っておいたから」


 僕はかぶりを振ったのち、香菜に言った。


「あ、まじで?」


「うん、アマギフ。好きなもの買ってあげて」


「ありがとうお兄ちゃん」


「どういたしまして」


 言いながら立ち上がり、足腰が限界を迎えそうな父とバトンタッチしてしーちゃんと遊ぶことにした。


「はるちゃん」


 と、しーちゃんがNEXを持っていないほうの手で僕を指さす。


「そう、はるちゃん」


 胡坐をかいた僕はしーちゃんを膝に乗せ、もちもちの頬をつついた。香菜の幼い頃にそっくりなしーちゃんは、さっきまでピザやポテトを食べていたのに、なぜかしら体臭が溶けた飴玉みたいに甘い。


「しーちゃん、プラレールすごいねえ」


「うん。しーちゃん、シャンタさん・・・・・・にもね、明日プレゼントもらうの」


「やったじゃん」


「はるちゃんは、シャンタさんに何もらう?」


「うーん。サンタさんはもう、はるちゃんのところには来てくれないかなあ」


「来てくれるよ」


 しーちゃんは言った。根拠はないが嘘もない、不意打ちの断定。それを僕は、いや僕の心は、からからのスポンジが水を吸い込むみたいに受け入れていた。


 来てくれるの?


 すんでのことでそう聞くところだった僕に、


「シャンタさんには、シンカリオンをもらえばいいよ」


 と、しーちゃんは続けた。


 次の瞬間、リビングの明かりが消えた。蝋燭の突き立てられたクリスマスケーキを、母親が赤鼻のトナカイを歌いながら運んでくる。


   *


「玲央くん、高校時代ブレザーだった?」


 唐突にそんなことを尋ねたのは、スマホ越しに聞くはいもしもしという恋人の声が、実際より高く薄く、今よりもっと若い頃の彼と通話しているような気分になったからだ。


「んー? 春人さん、酔ってます?」


 玲央くんが聞いた。スマホを押し当てていないほうの左耳がぼうぼう鳴っている。風の強い夕方で、僕はほどけかけた大判のストールを巻き直した。


「酔ってない」


 僕は答える。


「実家でビール飲んでケーキ食べたから、胸焼けはしてる」


「俺の高校は学ランでした。今何してるんですか?」


「胸焼け覚ましに電車乗らないで歩いてる。学ランかあ」


「春人さんはブレザーっぽいですよね。つうか、夜道で襲われないでくださいね」


「誰が襲うの、僕なんて。うん、ブレザーだった」


「俺なら襲います。お土産、買って行きますからね」


「うーん……シンカリオン」


「はい?」


「玲央くん、今何してるの」


「ホテルでまったりです。今から先輩と飲み行きます。シンカリオンってあの、ロボットになる新幹線?」


「お土産、明太子がいいな」


「激辛?」


「超激辛」


「了解」


「玲央くん、月曜さ」


「はい」


「僕の家でクリスマスしよう。料理つくって、待ってる」


「まじで?」


「まじで。だってほら、月曜じゃ街も店もクリスマス感すっからかんでしょ。家の中なら、自由自在だよ」


「自由自在」


 そう繰り返した玲央くんの声は、やっぱり高く軽い。


 僕は笑った。学ランを着た、十代の玲央くんに会うことはできない。しかし二十三歳の玲央くんと、クリスマスを行うことはできる。飾りつけをした部屋で、たこ糸で縛って煮込んだ肉とか、カラフルなサラダとか、超激辛の明太子なんかが並ぶテーブルを囲んで。


 僕たちだけのクリスマス。それを実行することは、玲央くんの恋人ではなくなった未来の自分を間違いなく傷つけるだろう。


 だとしても、だ。今現在の僕は玲央くんの恋人なのだ。恋人であるからには、恋人然としたアクションを起こしてもかまわないし、なんなら起こすべきなのだ。


 ああ、今、僕は無性に――。


「玲央くんに会いたい」


 酩酊しても言わないようなことを、うっかり僕は言っていた。玲央くんはほんの一瞬黙ったのち、


「ずっりぃ」


 と言った。


「普段、そういうこと全然言わないくせに」


 と。


「春人さん、今のもう一回言って」


「やだ」


「いいじゃん」


「絶対やだ」


「けーち」


「うるさい、馬鹿者めが」


「俺も、早く春人さんに会いたいよ」


「あっそ、じゃあね」


 限界だった。僕は逃げるように通話を切った。コートのポケットにしまったスマホがすぐに震え、玲央くんからの通話着信を知らせたが、無視した。


「あつい」


 独り言ち、ストールをほどいた。うっかり発言のせいで信じられないくらいの熱を放つ首筋を風にさらしながら、考える。クリスマスツリーって、いったいどこに売ってるんだろう。

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2024年12月27日 17:00

羽毛な恋 椿涼平 @uminemo0902

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