第2話
ジョセフと別れたあと、二人は森の南側に広がる花畑へと向かった。
ルネたちが花畑に着いた時。
頭の真上を過ぎた太陽は、日暮れに向けてやや下り気味で。
木陰に設置した巣箱では、蜂たちが忙しそうに出入りしていた。
手庇をしたシモンが、花畑を見渡す。
ここではラベンダー咲き乱れているが、半月もすればヒースの原っぱに移動させる時期がくる。
先週、そんな話をシモンがしていたことをルネが思い出していると、他よりも体の大きな蜂が十数匹、こちらへと近づいてきたのが見えた。
思わず一歩、後退りをしてしまったルネの背後から、さらに一匹が耳元を掠めるように飛んできた。
予想してなかった接近に悲鳴をあげた彼を揶揄うように、低い羽音が頭の上で旋回する。
「ジャマよ、ジャ〜マ」
再び耳元に降りてきたリーダー蜂に囁かれて、ルネの顔がクシャリと歪んだ。
そんなルネをさらに馬鹿にしたように、リーダ蜂は彼の鼻先に一瞬、止まって。
何事もなかったかのように、シオンの方に飛んで行った。
「さて、ラベンダーが終わったあとの予定だが……」
各巣箱のリーダー蜂が揃ったのを確認して、シオンが話始めると、蜂たちは彼の肩口や腕に止まった。
ルネもシオンの斜め後ろへ、そっと近づく。
「次の花畑は、ヒース原のグループとポーチュラカの畑、二つのグループに巣箱を分けることになるかもしれん」
川の向こうにあるというポーチュラカ畑に、ルネはまだ行ったことがない。
このラベンダー畑やヒース原は街の共有地だが、ポーチュラカ畑には持ち主が居る。
怖い人じゃないと良いけど……と、思っていると
「私はポーチュラカ、好きだけど。どうしたのかしら? 急に」
いつのまにか、あの苦手なリーダー蜂がルネの肩に止まっていた。
「急、なの?」
「ええ。いつもとは、順番が違うわね」
リーダー蜂はそれだけ言うと、再びシオンの背中に飛んで行った。
リーダー蜂たちが、シオンの広い背中に集まって、相談を始める。どの巣箱がどちらの花畑に行くか、決めるのだ。
「あの……親方」
「ん?」
蜂たちを驚かさないように、シモンが首だけを動かす。
「次のポーチュラカ畑って……」
「まだ本決まりじゃぁないぞ?」
そう言って、シモンが視線でルネを隣に招く。
「今の時期に行く場所じゃないの?」
「うん?」
「あ……その……ニンナが……そんなことを
」
名前を出されたあのリーダー蜂が、シオンの肩口から顔を出した。複眼に睨まれたような気がしたのは、ルネの気のせいだろうけど。
またいじわるをされたら嫌だな……と、ルネの気持ちは沈んでいく。
ヒトであるシオンには、蜂たちの言葉は伝わらない。今も忙しく働いている蜂たちには、シオンの言葉は理解できない。
しかし、特殊な育ち方をしたリーダー蜂たちだけは、ヒトの言葉を理解する。ヒトの言葉を話すことはできないが。
そして、蜂の獣人であるルネは、どちらの言葉も話せるので、通訳をするにはうってつけなのだけれども。
どうやらそれが、ニンナたちリーダー蜂には面白くないらしい。
「まあ、ポーチュラカ畑には、受粉の手伝いは要らんからな。ほら、春にはリンゴ園に行っただろ?」
「あ、はい」
「あれは、リンゴ園からの依頼で、受粉の手伝いに行ったわけだ。だから、うちからは巣箱五つだったかな。ピーターの所からも来てたし」
シモンが口にした同業者の名前に、ルネは初仕事の日を思い出して。
あの時、ニンナに齧られた首筋にそっと手をやる。
ルネの襟足には、一筋の硬い棘が生えている。
金と黒が斑らに混じった髪とあわせて、蜂であることの証みたいなもので、触られるととても不快に感じる部分なのだが、よりによってニンナは、その根本近くを齧ったのだ。
その時の痛みを思い出して、苦い顔になったルネに気づかず、シモンは話を続ける。
「逆に、ポーチュラカ畑には、こっちから頼んで蜂たちの冬支度に行かせてもらうんだ。なにしろ、ポーチュラカは葉や茎だけで増やせるし、一つの実には数えきれないほどの種を抱えてる」
蜂の助けがなくても、畑としては困らないらしい。
「そのせいか、花粉もたんまりと抱えているからな。蜂たちが冬を越すための保存食になるのさ」
「それを、いつもより早く準備する……?」
ついさっき、旅鳥ジョセフは『木枯らしが遅くなる』と言ってなかっただろうか?
リーダー蜂たちの話し合いが終わったらしく、シモンがそれぞれの巣箱に次の行き先を書き込んでいく。
話せないリーダー蜂相手に、シモンは上手に意思の疎通を図っている。
会話ができるルネよりも、もしかしたらスムーズかもしれない。
大人になっても、蜂たちとの関係がこのままだったらどうしよう、と、ルネは事あるごとに不安になる。
自分が
それは、独身のシモンが獣人の子供を一人で育てていることが、非常に珍しいケースだったから。
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