バンダースナッチ機関

亜未田久志

永遠の少女


 不老不死は人類の悲願である。その内の不老を叶えんとするのがバンダースナッチ機関だった。

 人は死ぬ、事故だったり病気だったり理由は問わない。それらを避ける事は出来ない。しかし寿命を半永久的に伸ばす事ならば出来る。そう考えた愚かな人間がいた。名前をルイス=クロスラインと言った。彼は人間のDNAの損傷を無くし全ての細胞を正常に新陳代謝させる事を目標とする研究をしていた。

 ルイスはバンダースナッチ機関の全面協力を受け、ルイスは見事、マウスの寿命を倍以上に延ばす事に成功した。

 そして実験を繰り返す内、次は人間による臨床試験の段階にまで至った。しかし、そこで問題が発生する。今、生きている人間ではどう足掻いても寿命を延ばす事が出来ても、不老にまでは至らないという事が判明したのだ。無論、ルイス自身の寿命もある。それが一番、彼の危惧している点だった。

 彼は研究の全てをつまびらかにし、尚且つ人工知能にラーニングまでさせていた。それでも不安は拭えなかった。そこでルイスが五十歳を越えた頃、バンダースナッチ機関にある提案をした。

「受精卵に処置を施したい」

 バンダースナッチ機関はそれを一旦、保留にした。新たな命を摘む事を危惧したからだ。

 そしてルイスが六十になる頃、それは許可された。提供された受精卵に彼は処置をした。そして、見事その受精卵が赤子に成った頃、彼は実験の成功を確信した。

「この子のDNAのテロメアーゼは完璧だ。私の理想に最も近い。実験は成功した。ここに人類種の不老が成された事を表明しよう」

 そう宣言したのはルイスが六十五歳の時だった。

 被験体にはアリスという名前が付けられた。彼女が九歳になる頃。ルイスは足を悪くして車椅子での生活を余儀なくされた。アリスの成長を見る専門医として彼女を見ていたルイス。ある日の事。

 アリスの定期健診にルイスが来た時の事だった。

「アリス、おいで」

「ルイスおじさま、ごきげんよう」

「ああ、ごきげんよう。今日は何をしていのかな」

「今日はうさぎさんと遊んでいたわ」

 研究所ではアニマルセラピーとして動物を飼っている。その内の一匹と遊んでいたらしい。アリスはそこで小首を傾げてルイスに問うた。

「どうしておじさまはその不思議な乗り物に乗っているの?」

 車椅子の事だろう。アリスはまだ外の世界を知らない子供だ。問われた彼はそっと説明をする。

「私は足を悪くしてね。ああ、上手く動かせないんだ。だから代わりにこの乗り物が足になってくれているんだよ」

 するとアリスは目を輝かせて。

「すごいわ! おじさまってば頭がいいのね!」

 どうやら車椅子自体をルイスの発明だと思われてしまったらしい。やれやれと彼は首を振るが、特に否定する事もないだろうと思い、そのまま定期健診を終えた。

 彼女は不老ではあるが、精神は成長する。後々学べばいい事だ。その時、ルイスは、いや彼は死ぬ時でさえ、それが如何に残酷な事かを考えなかった。

 時はさらに五年が経った。しかしアリスの見た目は九歳から変化していない。実験は成功といえた……が。

 バンダースナッチ機関からは不満の声が出ていた。

「成長が止まるのが早すぎるのではないか?」

「まだ成功被検体は一人だけだ。もっと成功例を出せ」

 などなど。

 しかしルイスはアリス一人の経過観察に拘った。

「もしもしチャールズか? ああ私だ。そろそろアリスの定期健診をお前に任せようかと思ってな。ああ頼んだぞ」

 彼が電話をかけているとアリスが顔を出す。彼女は研究所内を好き勝手に闊歩していた。その権限が与えられていた。

「こらアリス、滅多に部屋から出るもんじゃない。怪我をしたら危ないだろう」

 研究所内はアリスに最大限の配慮をしていたものの、ルイスはこと過保護だった。

「今、誰とおでんわしていたの?」

「ん? ああ息子だ。これからアリスの定期健診は息子が担当する事になるだろう」

「おじさまは? おじさまはどこに行くの?」

 どこに行くか、そう聞かれてルイスは戸惑った。死ぬとは言えなかった。なにせアリスには外的要因以外で死の概念が無いのだから、死を理解させる事は難しい。時間が経てば理解する――ルイスは最期までそう思っていた――のだから今ははぐらかしておこう、そう思いこう答えた。

「ここではない、どこか。だろうな」

「そう……寂しくなるわ」

「寂しくなったその時は、そうだな、うさぎでも撫でているといい」

「……うん」

 彼女は研究所で飼っていたうさぎが動かなくなったことを彼に黙っていた。それが死だとまだ理解していなかったから。

 アリスは俯きながら答えた。ルイスはその頭をそっと撫でた。アリスは嬉しそうな、悲しそうな顔をしてその手を受け入れた。

 

 ルイスの葬儀が行われた。彼は偉大な研究者としてバンダースナッチ機関に名前を連ねた。葬列にアリスの姿はなかった。


 彼女の前に現れたのは四十歳くらいの男性だった。

「やあアリス、僕の名前はチャールズ。父さんから話は聞いてるかな?」

「ええ、聞いてるわ」

「それなら話は早いね、早速、定期健診を始めようか」

「その前に一つ質問をしてもいい?」

 チャールズは目を丸くした後、首肯する。

「あなたはどれくらい私と一緒にいてくれる?」

 彼は質問の意図を汲めなかった。

「さあ、分からないけれど、とりあえず生きている内はこの職に就いているつもりだよ」

「そう」

 とだけ答えるとアリスは定期健診を受け入れた。チャールズは疑問を残したまま、彼女のバイタルチェックをした。

 チャールズはルイスの息子であり弟子であった。研究者としての側面が強く、アリスのDNAの形を測定するや興奮気味にレポートを記した。

 しかしチャールズにはバンダースナッチ機関からプレッシャーもかかっていた。第二のアリス。不老個体を生み出す事をせっつかれていたからだ。

 彼は確かにルイスの弟子ではあった。彼の研究の全てを引き継いだ。しかし、彼はルイスほど聡明ではなかった。その事でひどく落ち込み、酒に溺れる日もあった。そしてそのまま浴びるように酒を飲むと眠りに就いた。

 その日の夜中の事、チャールズの家に電話がかかる。

「父さん? 研究所から電話よ。アリスが風邪をひいたって」

「なんだって……ああ……今向かうよ……」

「大丈夫? お酒抜けてないんじゃない? 私が代わりに行こうか?」

「平気だ、リリー……後を頼む……」

 

 その後、チャールズは交通事故で死んだ。運転中、トラックと正面衝突したのだった。


 土地が無くなりつつある今も残る土葬の文化、事故で無惨になったチャールズの遺体は静かに埋葬される。そしてまたそこにアリスの姿は無かった。


 次にアリスの担当医に選ばれたのはチャールズの娘のリリーだった。彼女はシングルマザーで娘のローズを一緒に研究所に連れて来ていた。

 アリスはローズの事をひどく気に入り一緒に遊んでいた。

「私ね、自分より幼い存在に出会うのは初めてなの」

「そうだったの? それは……寂しいかったでしょうね」

「寂しいって感情すら最初は分からなかった。みんなそうなのかしら」

「人は学んでいく生き物よアリス。貴女が聡明であるのがその証」

 見た目が九歳のまま、精神年齢が成人に近づいている彼女は今、どういう気持ちなのだろうとリリーは思った。

 ローズと共に遊ぶ姿は子供にしか見えない。しかしその中では様々な感情が渦巻いているはずだった。

 いつかの定期健診の時の事。

「ねぇリリー。私、外の世界が見たいわ」

 アリスは外的要因による死を避けるため、研究所からの外出を原則禁止にされていた。

「……そうね、バンダースナッチ機関に掛け合ってみる。今度ローズも連れてピクニックでも行きましょうか」

 それを聞くとアリスは柔らかく微笑んだ。

「目一杯オシャレしたいわ」

「いつも手術衣だものね」

「ええ、フリルがたくさんついたドレスとかどうかしら?」

「きっと似合うわ、アリスは可愛いもの」

 年相応に――といっても見た目の話だが――喜ぶアリスを見てリリーは安心する。彼女とは良好な関係を築けそうだ、と。

 バンダースナッチ機関に掛け合うとすぐに許可が出た。アリスのDNAデータから既に研究成果は出ており、第二のアリスを生み出す実験は別の研究所で行われていたからだ。つまり機関はもうアリスに価値を見出してはいないという事だった。

 ピクニック当日、アリスは要望通りのフリルがたくさん付いたドレスに着替え、研究所近くの小高い丘に来ていた。

 そこからは都市が一望出来た。まあ研究所の窓からも都市の姿は見られるのだが。

「すごい景色、これが人類が作った文明なのね」

「ふふっ、アリスったらまるで宇宙人ね」

「本当は原始人って言いたいんじゃなくって?」

「ごめんなさい、そんなつもりはなかったの」

 アリスは笑うと辺りを駆け回った。

「気にしてないわ! だって風がこんなにも気持ちいいから!」

 一緒に来ていたローズもアリスの真似をして駆け回る。リリーは二人が転ばないか心配しながら微笑ましい光景を見るように眺めていた。

 息を切らして戻ってくる二人の少女。

「リリー、私、死って何かわからないの」

「それはあなたが不老の存在だから」

「そうじゃないわ、最期までルイスは死について教えてくれなかった。だから」

「ルイス、ああ、お祖父ちゃんの事。私、お祖父ちゃんには会った事なくて」

 アリスは悲し気に言う。

「そうやって段々とみんなの記憶からルイスは消えていくわ」

「……そうね、でも――」

「私は覚えている? そう、私だけが覚えている。この先もずっと永遠に。そんなの残酷な事だと思わない?」

 リリーは言葉に詰まった。だってその通りだと思ったから。

 自分が一番大事な人の事を周りは忘れていき、そもそも周りの人間が変わっていき、そして自分だけが永遠に、そう文字通り永遠にその事を覚えている。変わらぬ姿のまま。それが如何に残酷な事か! リリーはひどくアリスに同情した。だからだろうか、こう提案をしてしまったのは。

「貴女には選ぶ権利があるわ、アリス、このまま研究所に帰るか、それとも逃げるかよ」

 逃避の先に未来があるとは思っていなかった。だけど研究所にいても悲しみが増すだけなのも確かだった。リリーは持っていたドル札を全てアリスに渡す。

「逃げるなら、これで行けるところまで行きなさい。帰るなら私が連れていく」

「一緒に逃げてはくれないの?」

「ごめんなさい、私にはローズがいるの」

 アリスは受け取ったドル札をポケットにしまうと歩きだした。リリーから離れるように。

「もう会う事もないでしょうね、ありがとうリリー。ローズと元気で」

「アリス、どうか、どうか幸せに、そして、無責任な私を許せとは言わない。ただルイスお祖父ちゃんの事は覚えていてあげて」

「ええ、ええ」

 涙を流し、二人は別れる。

 ローズが母に問うた。

「アリスお姉ちゃん行っちゃったよ?」

「ええ、いいのこれで」

 そっと娘の頭を撫でる。

 こうして歴史の影に一人の少女が消えた。

 そして人々に永遠が享受されるのが当たり前になった時代のおとぎ話。とある少女はその知恵を活かして人々を助けるのだという。その聡明な少女の名はアリス、アリス=クロスラインと名乗ったそうだ。

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