山姥の娘(1)

 山姥の住まいは粗末な山小屋で、かつては猟師が建てたものだろう、小さいながらも囲炉裏がある。

 凍える季節にはまだ早いが、山道に人影はない。食べるものを探し、ここ数日、女は足場の悪い山道を歩いた。山も人が踏み荒らさないところまで進めば、かろうじて木の実がある。それを求めてくる小さな動物たちを捕り、いくらか蓄えをすれば、ひと冬は越せそうであった。


 娘よ、私はすこし外へ出てくるが、誰か来ても戸は開けぬよう。

 ぼそぼそと低い声でそう言うと、その日も女は長い髪を振り乱し、足音も立てずに山を降りて行った。

 娘は無言でうなずくと、正座したままじっと外の気配に耳を傾ける。夕刻になり、囲炉裏の火は消した。外の光はほぼ届かぬ中、枯れ草を踏む音がして、不意に戸を開けて男が入ってきた。

 開けぬよう、と女は言ったが、戸は自ら開けたのでは無く不意のことで、娘はそのまま男が小屋へ入ってくるのを黙って見ていた。

 娘が男を見て、熊か、と最初に思ったのも無理はなく、男は動物の毛を剥いで着物の上から羽織っていた。娘が名を聞かれ、無い、と答えると男は小さく笑った。娘はその顔を、蛇のようだと思った。男が言うには、ふもとの人間を妖怪が拐い、山へ逃げ込んだ。拐われた者の家族は猟師に捜索を頼んだと言う。はて、と娘は首を捻り、男はおおげさにかぶりを振り言った。

 かわいそうに。

 山姥にさらわれた恐怖で、自分のことなども覚えていないのだな。幸いなことに自分は娘が山姥に食われる前に見つけられた。さあさ、このような山中にいたらば、凍えて死んでしまう。

 娘は男に聞いた。

 山姥とは、何のことだ。

 男は、それは恐ろしい妖怪だと答えた。山道を行く人を食らう。この寒さで旅人が捕まらず、村へおりて娘をさらったのだろう。

 ならば、なぜ私を食わないかのう。娘は首をかしげた。

 ううむ、と猟師はおおげさにため息をついた。ふもとの川はいつもの年より水量を増し、田畑を潤すと人々が喜んだのもつかの間、夏にはごうごうと音をたてて草花をなぎ倒し、稲は腐り疫病が蔓延したのだ。山はこれから、草木も育たぬ季節になる。おまえのことも、ゆっくり食うのではないか。男は表情を変えずに言った。15ならば、食いでがありそうだからなあ。

 その時、怒声がした。山小屋へ戻った女は持っていた空の籠を猟師目掛けて放った。しかしやすやすと弾き飛ばされ、今度は腰から鉈を抜いて男に斬りかかるが、これも手斧で叩き落とされた。

 猟師は言う。山姥よ、堪忍せえ。村はずっと水害に悩まされとる。今からでも娘を沈めたら、川の気性も鎮まる。

 さあ、15の娘よ、お前は人柱じゃ。村のために、荒れ狂う川へ捧げられる供物じゃ。さあ。


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