第3話「宇宙部」
「婚約者がいるなんて……! ツムギーーーッ!!!」
ツキに叫んでも、答えてくれるはずもない。
宇宙船を新しく買うのに時間がかかったのがいけなかったのだろうか。アルニラは頭を抱えた。
あのとき乗っていた宇宙船は、今回の事故で心配になったからと手放すことが決まった。
父からは自家用宇宙船を買い換えるのでそれに乗って行けばいいと言われたが、断った。免許を取ってお金を貯めて宇宙船を買って。全て自力で成し遂げてチキュウに向かうからこそ意味があるのだと思ったからだ。
あの判断が間違いだったのか? では自分は、今まで何の為に頑張ってきたのか。
「……帰る、か?」
シェダルが静かに聞いてくる。
帰る。帰るのか、ここで。
「アルニラ?」
「……どんな奴なんだ」
座り込んでいた体勢から、一気に立ち上がる。
「どんな奴なんだ婚約者ってのはーーー!!!!!!」
ススキ畑に怒声が響き渡った。
「僕とツムギを引き裂いた間男め!!! そいつはツムギをずっと笑顔にできるのか?! 幸せにできるのか?! いやできない! そんな甲斐性は持ってない、そうだろう!」
「見てみないとなんとも」
「ツムギを笑顔にできるのは! この宇宙で! 僕以外にいないっ! ツムギだってそう、彼女も自分が笑顔にしたいと思うのは僕以外にいない! ってことでシェダル! 奪おう!!!」
アルニラは両方の拳をきつく固めた。
「ツムギの心を、もう一度僕に振り向かせる! どうせ相手は甲斐性無しのろくでなしなんだ、僕を選んだほうがいいって気づくはずさ!」
「な、何をする気だよ?」
「まずはツムギを追いかけて直談判だ! 説得を試みる!!」
シェダルが何か言う前に、ススキをかき分けながらアルニラは猛スピードで走り出した。
この5年で積み重ねてきた時間も。ツムギへの思いも。
そう思ったら、アルニラの体は、いつの間にか動いていた。心もろとも、全身が炎に包まれているようだった。
息に限界が来て、紬は走る足を止めた。肩を上下させながら、頭上を見る。幼い頃から何度も見上げてきた白く輝く月が、紬を見下ろしていた。
まさか再会するなんて。夢でも見ているのではないかと思った。しかし夢だと思うのは、あの文化祭のときからやめにしようと決めていた。
高校二年のときだ。友人に誘われて他校の文化祭に行った。友人はその学校に彼氏がおり、彼氏に会いに文化祭に行くから、良ければ紬もと誘われたのだ。
ちなみに友人は、彼氏のクラスがやっているカフェに彼氏といる。お邪魔しては悪いので、一人で校内を回っている。
彼氏か。心の中で紬は呟いた。羨ましいわけではない。ただこういう、一人でいるとき。ふとした拍子に、前触れもなく。紬には、思い出す人影がいる。
エメラルドグリーンの髪。明るくて、真っ直ぐな男の子。
自分は5年前、12歳のとき、宇宙人と会った。その宇宙人からプロポーズされている、など。誰かに話したことは一度もない。信じる人がいないのは目に見えているからだ。
それに紬自身も、あの出来事を心から信じられなくなっている。
当時はもちろん、現実の出来事だと思っていた。アルニラと出会ったことも、いつかまた地球に来るから待っていてほしいと言われたことも。
アルニラが故郷の星に戻ってから、紬は言われたとおり待ち続けた。星を見る度に、彼の故郷がどこにあるか探した。毎晩彼と初めて会ったススキ畑に訪れては、アルニラが現れないか期待した。昼間、星が見えていなくても、アルニラのことを思った。どんなに辛いことがあっても、アルニラとの日々を思って耐えた。毎日毎日、待った。
だが、いつ頃からか。「あれは夢だったのではないか?」と思うようになっていった。家が息苦しくて、逃げ出したい自分の脳が生み出した、都合のいい妄想だったのではないかと。
理由として、あらゆる場所で「宇宙人はいない」という意見を目にしてきたからだ。
知的生命体が生まれる環境の惑星ができる確率は極めて低いと。地球だけが特別なのだと。地球こそが奇跡の惑星で、奇跡はそう簡単に起こらないと。
アルニラと出会ってから、宇宙について調べるようになった。宇宙人がいるかいないかを調べていると、こういう文言が必ず目につくのだ。最初はそんなわけないじゃない、と心の中で反論していた。だって私は宇宙人と会ったのだから、と。
しかし、時が経つにつれ。アルニラがやって来ない日が重なっていくにつれ。
宇宙人はいないのかもしれないというほうへ、天秤が傾いていった。
どんなに調べても、ミラク星という星は見つからない。星空を見つめても、宇宙船はやって来ない。どんなに待っても、宇宙人は見つからない。それでどうして、アルニラの存在が確かなものだと証明できるのか。
自信が弱まっていくに従い、アルニラを思い出す時間は減っていった。星を見ることも、宇宙について調べることも着実に減っていった。
ただ、ゼロにはならない。いっそ割り切ってしまえれば楽なのに、時々アルニラのことを思い出してしまう。脳内に現れるアルニラは、幻の人物と思うにはやけに鮮明で、その笑顔はいつだって眩しい。
賑わいを見せる文化祭は、どこも人でいっぱいで、喧噪に包まれている。それらの活気は、全て他人事だった。
黙々と歩き続け、やがて混みに疲れ始めたとき、ふと紬は足を止めた。全然客の来ていない出し物をしている部屋を見つけたからだ。「宇宙部」という飾り気のない看板が出ていた。
宇宙。紬は無意識のうちに、ドアを開けていた。
「あっ! い、いらっしゃいませ!」
入り口付近に、「受付」と紙に書かれた札と、今まで読んでいたのか、開かれた宇宙の図鑑の置かれた机があった。座っていた男子学生が、音を立てて立ち上がった。
「や、やってます?」
「やってます! でも全然人が来なかったから驚いて……! どうぞ好きなだけ見てって下さい! 宇宙部の研究報告が展示されてますよ!」
男子学生は同じ高二で、南雲 優陽と名乗った。宇宙部とは優陽いわく天文部に近く、その名の通り宇宙についてひたすら研究する部活だという。他の部員は皆幽霊部員で、部長の優陽だけが一人、活動に専念しているのだと。
部室には、ボードや壁にたくさん紙や数枚の星空の写真がたくさん貼られており、それ以外に飾り付けはされていなかった。
一番近くにあった「宇宙研究その①“ワープは実現するか?”」と書かれた紙を見て思わず、げ、と顔をしかめた。
びっしりと書かれた、専門用語に次ぐ専門用語。そこには、専門的な話が9割を占める極めて難解な、文字通りの研究書があった。
「あの、これは……」
「今日の文化祭のために気合いを入れて研究を纏めたものです! 徹夜までしましたよ!」
混じり気ない爽やかな笑顔で親指を立てられてしまえば、何も言えなくなる。
出し物にしては飾り気のないシンプルすぎる看板や内装に、真面目すぎる展示内容。客が来ないのも納得だった。
すぐ出て行くのも失礼な気がして、とりあえず「宇宙研究」と書かれた貼り紙を一つ一つ見ていく。が、自分の脳味噌では、書かれている内容の1%も理解することはできなかった。
紙に書かれた文字を追っていくしかできないが、それだけなのに段々と脳が疲れてきた。見たことない数字やら数式やら英単語やら用語やら理論やら。宇宙という分野はここまで難しいものなのかと改めて思った。
もはや機械的に貼り紙を見ていた紬は、ふと、ある貼り紙に目を奪われた。
『宇宙研究その⑧“宇宙人はいるか?” 長く議論されているこの話題ですが、僕個人の考えとしては、「間違いなくいる」と断言します。いないと考えるほうがおかしいとまで考えているほどです。宇宙人は、絶対にいます。言い切れます。その理由として、まず――』
「こっ、これ!」
紬が指さした貼り紙に、「それですか」と優陽は微笑んだ。
「その研究、他よりも量があるでしょう? 紙も6枚くらい使ってしまって。それくらい僕の中で、大きなテーマになってるんです」
確かに宇宙研究その⑧の貼り紙は、他の2枚から3枚くらいの宇宙研究と違い、枚数も書かれた字数も熱量が全然違っていた。
「あなたは、宇宙人はいるって……そう思ってるんですか?」
「はい、もちろんですよ」
地球は丸いんだと言うのと同じように至極当然といった調子で、あっさりと優陽は言った。
「だって宇宙って、僕達が思うより遥かに広いんですから」
「でもよく言うじゃないですか、宇宙人はいないって。地球だけが奇跡の星だって。生命の生まれる確率は凄く低いからって……」
「まあ言う人もいますね……。でも僕はそもそも、いないって思いたくても思えないんですよ」
それ見て下さい、と優陽は貼り紙の隣を指さした。
一枚の写真があった。ぼんやりしていて、小さいが。真っ黒な背景に、たった一つ、光る渦が写っている。星でもなく、月でもない天体。
「それ、僕が撮影したアンドロメダ銀河なんですけど。アンドロメダ銀河って、恒星、いわば太陽が1兆個あるって言われてるんです。僕らの銀河の天の川銀河は、数千億あると言われてます。惑星じゃなくて恒星ですからね、太陽だけに絞ってこの数ですよ? こんな銀河系が、宇宙には数千億あるって言われてるんです。それら全ての銀河系にある恒星の数を数えて合計したら、2千億の1兆倍存在するって言う研究結果が出てるんです。2の後に0が23個つく数です。で、恒星の周りにはいくつもの惑星が回っているので、それらを足そうものなら……」
「ちょ、ちょっと待って!」
無我夢中で紬は制止した。本気の目眩がする。スケールの大きすぎる数字を次から次に出されて、理解など追いつくはずがない。
「そう、とんでもない数になるんですよね」
優陽は得意げに笑った。
「しかもこの数字、まだまだ増える可能性があるんですよ。研究する度に星の数が増えてくって話なので。これだけ星がいて宇宙人がいないって考えるほうが無理があるなって、僕は思ってます。確かに生命が生まれるのは奇跡かもしれませんが、ここまで母数が多いと、“奇跡”も割と頻繁に起きていてもおかしくないかなって」
「でも……。会いに来ませんよね。宇宙人って」
ぽつりと、紬は言った。会うことはできたが、二度目がない宇宙人の姿を思い出しながら。
「待ってても……来ないですよね……?」
優陽は腕を組み、神妙な顔をした。
「宇宙は広いですから……。星の数以上に、ずっと。でも、いるのは確実です。会えないとしたらそれは単純に、遠すぎるからですよ。宇宙人も、宇宙に自分達以外の宇宙人がいることを知らないかもしれないし、逆に宇宙人と交流しまくっていて、宇宙は生命に溢れているって知っているかもしれない。どっちにせよ、地球人が宇宙人と会えるのは遠い未来になるかもしれないけど……。でも僕は、必ずその日が来るって信じてます。誰になんと言われようと。信じてる」
「なんで、そこまで強く思えるんです?」
「えっと、実はそこまで大層じゃない理由で……」
優陽は照れ臭そうにした。
「面白いじゃないですか。宇宙人はいないって考えるより、いるって考えるほうが。面白い。だから君も宇宙人はいるって思ってるなら、遠慮なく、胸を張って、そう思い続けていいと思います。それだけで君は宇宙を数倍楽しめていると思いますよ、僕は」
紬はもう一度、アンドロメダの銀河の写真を見た。
この銀河の、ずっと向こうに。目では見えないずっと先に。アルニラの生まれた、ミラク星がある。そこでアルニラが、生きている。
「いやはや、こんなに宇宙の話ができるなんて文化祭に出るって決めて本当によか……き、君、大丈夫?!」
優陽の大層慌てた声が降ってくる。しかし止まらない。紬はその場でしゃがみ込んで、顔を手で覆って泣いた。涙がとめどなく溢れてくる。嗚咽が止まらないほど、はっきり泣いている。でも止まらないのだ。
宇宙人はいると面と向かって断言され、頬を打たれたような衝撃が走った。
アルニラとの日々は、夢ではなかった。アルニラと過ごした時間は、幻ではなかった。アルニラは、確かにいた。アルニラに救われたことは紛れもない事実で、嘘なんかでは決してなかった。待っていた自分も、間違いではなかった。むしろなぜ、わからなくなっていたのか。
けれど、では。なぜアルニラは来ないのだろうか。自分はアルニラのおかげで今まで生きてこられたのに、なぜ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます