第2話「5年前の記憶」

 チキュウに来たとき、アルニラは12歳だった。出会ったツムギも、同じく12歳だった。


 ミラク星に戻ってから5年が経過し、アルニラは17歳になっていた。ツムギも同じ歳になったと思っていた。が。


「自転公転の違いか……」シェダルが呟く。


「ミラク星とチキュウでは、一日の長さも一年の長さも全然違うんだ。ミラク星の5年は、チキュウでは20年に当たるのか……」


 冷静な分析は全然頭に入ってこない。アルニラは膝を抱えて、ススキ畑に埋もれながらその場にしゃがみ込んでいた。傍に転がっているのは、渡すことのできなかった指輪だ。拾うこともできず、ぼんやりと見つめるしかできない。


 ツムギは、32歳になっていた。ずっと年上になったツムギは、今この場にいない。


「本当にごめんなさい。今、何を話せばいいのかわからない」


 と、声を上ずらせながら立ち去ってしまったからだ。目を合わせてもくれなかった。


 アルニラは重い頭を無理に上げて、夜空にぽっかりと浮かぶツキを眺めた。穏やかながらも明るく輝くツキの光は、あのとき見た光と全く変わっていないのに。


 ツキを見ながらアルニラは、アルニラにとっての5年前の日々を振り返っていた。


 あの日。ススキ畑でばったり出会ったツムギは、強く戸惑っていた。


「その髪は何?! 目も、耳も! そ、それに、後ろの乗り物って!」


 アルニラの容姿が奇抜に見えているらしかった。アルニラも、ツムギの容姿を珍しいなと思った。ミラク星人に黒髪の者はいないからだ。夜と同じ髪の色がツキの光に照らされて、ほのかに艶めいていた。黒ってこんなに綺麗な色なんだ、と思った。


「あ、怪しくないよ。僕は宇宙人なんだ。ミラク星って星から……」

「宇宙人!!!」


 腰を抜かしたツムギに、アルニラは首を傾げた。ミラク星では他の星との交流も盛んで、宇宙旅行も一般的だ。宇宙人など珍しいものではない。

 が、チキュウではそもそも宇宙人がいることがまだ判明していないのだと、後日知った。


 逃げ出そうとしたツムギに、慌てて待ってくれと叫んだ。どうか助けてほしい、と。自分も父も怪我をしてしまって、動けないのだと。


「こ……困ってるの?」


 ツムギは、立ち止まってくれた。ちょっと見せて、とアルニラの怪我を見てくれたのだ。


「捻っちゃってるね。痛そう……」


 ちょっと待ってて、とツムギは一度その場から離れた。戻ってきたとき、彼女は救急箱を手にしていた。その救急箱の道具を使って、アルニラの手当てを、慣れた調子で行った。


「これでいいよ。で、お父さんは……病院に連れて行ったほうがいいと思うけど、でも宇宙人を連れて行くって……」


 そのときだった。おーい、と宇宙船から呼び声がした。間違いなく父の声だった。どうやら一時的に気を失っていただけらしい。心底ほっとして体の力を抜けさせたアルニラに、ツムギは良かったね、と微笑んだ。


 その日、ツムギとはそこで別れた。


 父の目が覚めたことにより、アルニラも父も、宇宙船に備え付けてある救急キットを用いて怪我の手当てができた。軽い病気や怪我なら簡単な操作ですぐに処置ができるのだ。便利だがアルニラは、ツムギが手当てをしてくれた足だけは、キットを使わなかった。使いたくない、と思ったのだ。


 もう会えないだろうかと思っていたが、翌日、ツキが出る時間帯に彼女はまた現れた。宇宙船を見て呆然と、「夢じゃなかった……」と呟いていた。


 キットのおかげで処置はできたものの、数日安静にしている必要があった。宇宙船も壊れているため修理しないといけないが、その修理も満足にできないのだ。


 見知らぬ惑星の観光も冒険もできない退屈さを埋めてくれたのは、ツムギだった。


 二回目にツムギがやって来たとき、アルニラは頼んだのだ。チキュウの話を色々聞かせてほしいと。


「住んでいる建物や身につけているもの、食べているものとか! この星の文化、いっぱい教えてほしいんだ! 外に出て実際に見れないからさ!」

「わ、私じゃなくても、もっとそういうのが得意な人いると思うよ?」

「宇宙人が知られていない星で下手にチキュウ人と会って騒ぎになったら大変じゃないか! ツムギじゃないとできないんだ!」


 必死で頼み込むうち、ツムギは根負けして了承し、毎日やって来るようになった。


 ツムギが来たとき、父は気を遣ってくれたのか、ほとんど干渉せず二人にさせてくれた。


 ツムギのおかげで、アルニラはチキュウの様々なことを知った。ツムギは説明が上手で、実物を見なくてもどういうものかすぐ想像することができた。しかしそれを褒めると、ツムギはいつも「こんなの誰でもできるよ」と首を振るのだ。


「それより、アルニラくんの旅の話も聞かせてよ。私、地球以外の星の話、凄く知りたい!」


 何回目かに会ったとき、そう頼まれた。それ以来宇宙船で、ツムギはチキュウの話を、アルニラはミラク星や今まで旅行した他の星の話をするようになった。水の星や火の星、氷の星や砂の星、花の星など……。


 チキュウの話を聞くのも面白かったが、自分で星の話をするのも楽しかった。なぜかと言えば、ツムギが笑ってくれるからだ。面白そうに。楽しそうに。時にびっくりして。


 ツムギは、アルニラの話を聞きながら、たくさんの感情を見せてくれた。


 ツムギが一つ笑う度に、心の中に温かいものが小さく灯っていくようだった。こんなことは初めてだった。


「お、お菓子とか好き?!」

「うん、大好き! それがどうしたの?」


 もっと笑ってほしい。アルニラは、今回の旅行で立ち寄ってきた星で買ったお土産のうち、スイーツ類のものを開けた。本来は家族や友人達に渡すものだったが、躊躇いは湧かなかった。


 水の星のゼリーや氷の星のアイス、花の星のケーキや砂の星のクッキーなど、ツムギが来る度にご馳走した。ミラク星に伝わるパイも何度か作った。なんの変哲も無さそうなパイ生地に見えて、材料の性質上、一口食べるごとに味が変わる特徴があるのだ。


「美味しい! 当たり前だけど、こんなの初めて食べるよ! ああ、なくならないでほしいけどもっと食べたい……!」


 どんなお菓子もツムギは美味しそうに食べた。お菓子が大好きと言っていたが、その言葉以上にお菓子を愛しているようだった。心から幸せそうに笑うツムギを見る度に、アルニラは心地良い温もりに包まれた。


「なんか、胸がいっぱいだな。地球人が、宇宙のお菓子を食べることができるなんて。私、今凄く幸せだよ。全部アルニラくんのおかげだね!」

「も、もっと食べる?!」

「もうお腹いっぱいだよ!」


 この頃からツムギが帰った後、やけにニヤニヤしながら父が話しかけてくるようになった。


「いやーいいねえ!」

「な、なんだよ!」

「父さんは何も言わないからな。応援してるぞ! 頑張れよー!」

「何が言いたいんだってば!!」


 茶化されると誤魔化してしまうものの。それでもアルニラの中で、ツムギへの思いは日ごとに強くなっていった。

 もっとツムギの笑顔が見たい。ツムギに笑ってほしい、と。


 そんなある日、いつものようにやって来たツムギにお菓子を勧めると、ツムギは普段と違う曖昧な笑顔を浮かべて言った。


「ごめんね。今日はいらない。ちょっと……痩せようと思って」


 え、とアルニラはツムギの全身をさっと見た。どう見ても、ツムギはダイエットが必要な体型には見えなかった。


「昨日までそんなこと言わなかったじゃないか。何があったんだ?」

「……」

「……言いたくないなら、言わなくていいよ。けど僕は、ツムギが美味しそうにお菓子を食べている顔を見ていると、幸せになるんだ。お菓子を食べているときのツムギは幸せそうだから、僕もつられるんだ。それに、今日のツムギ元気がなさそうだ。体調が悪いならもちろん無理しなくていい。でもそれ以外の理由があるなら、話してほしいんだ」


 わかるんだ、とツムギは言った。「元気がないこと、わかるんだね……」


 数分の無言が続いた。何を話すか待っていると、その瞬間はふと拍子に訪れた。


「昨日夕食で、ごはんのおかわりを頼んだの。そしたら、そんなに食べて可愛くなくなっても知らないよ、最近太ったみたいだし、って……」

「……誰に言われたんだ?」

「お父さんとお母さん……」


 ツムギは打ち明けてくれた。妹がいること。その妹と比べ、両親から受ける待遇に明らかに差があることを。


 妹には小さなことでも褒めるのに、ツムギはろくに褒められた経験がない。妹は大きな失敗も許されるが、ツムギは小さな失敗も怒られる。怪我をしても病気をしても親は看てくれないので、自分でやるしかない。夕食のおかわりを断られたときも、妹は痩せてて綺麗なのにと言われたらしい。


「ほ、本当のことなんだけどね。妹のほうが可愛いし頭も運動神経もいいし友達多いし。私なんか全部が駄目な子で、可愛がられる要素が一つもないっていうか」

「僕は」


 考えるより先に、口が動いていた。


「この宇宙旅行で手に入った一番の宝物は、ツムギと過ごした時間だ。今まで生きてきた中で、これから生きていく中で、何物にも代えられないものになった。この星で君の笑顔を見られたことは、僕の人生で、一番を飾る宝物だ」


 なぜ毎晩ツキを見に来るのか。なぜ毎日のように宇宙船に来られるのか。それはツムギの家に居場所がないからだとわかった瞬間。アルニラの心から、言葉が溢れて止まらなくなった。


「他の人じゃ駄目だ。代わりなんてごめんだ。君だから、いいんだ」


 真正面から、相手の目を見据えて、はっきり伝える。


「僕は、ツムギの笑顔が! その存在も全部含めて、大好きだ!」


 ツムギは、大きく目を見開いた。見開かれた目から、透明な雫が流れてきた。

 アルニラは慌てた。泣かせてしまった。笑ってほしかったのに。


 するとツムギは、涙を拭って、言った。


「ありがとう」


 そのときのツムギは、確かに笑顔だった。胸が苦しくなるほど、綺麗な笑顔をしていた。


「私も、アルニラくんの元気いっぱいで強いところ、大好きだよ」


 ただその日以降、特に変化はなかった。ツムギは表面上いつも通りだったし、アルニラも、自分がどうしたいのかわからなかったのだ。


 チキュウに来てから、一ヶ月以上経ったある日のこと。父から、宇宙船が直ったので明日にでもチキュウを出発すると言われた。


 父は、真面目な顔でアルニラの肩を軽く叩いた。


「父さんは母さんと初めて会ったとき、この人が運命の人だと直感したんだ。……アルニラも、悔いのないようにな」


 全部見透かされていたらしい。

 いよいよチキュウを発つと聞いたとき。改めてアルニラは考えたのだ。


 この星にいる限り、ツムギが笑顔でいられることはできないのではないか、と。


 その瞬間自分の中で、急速に決意と覚悟が固まっていくのがわかった。


 その夜ススキ畑で、ツムギに「明日帰ることになった」と伝えた。


「ずっと修理してた宇宙船が直ったんだ。もうミラク星に戻らないといけない」

「そっか……。そう、だよね……」


 ツムギは声を震わせながら下を向いた。

 だから、とアルニラは右手を伸ばした。


「ツムギも一緒に行こう」

「えっ?」

「ミラク星に行こう。ミラク星でなら、きっと君はもっと笑顔でいられる。僕が君を、笑顔にさせる! ツムギ、僕と一緒に来てほしいんだ!」


 ツムギは唖然としていた。彼女の右手が微かに動く。宙に浮き、さ迷った右手は、しかしアルニラの手を掴むことなく、ツムギの胸の前で固められた。


「……ごめんなさい」


 ぽとり、ぽとり。彼女の目から出てきた涙が、地面に落ちていく。


「私みたいな子は、どこに行っても、何もできない……!」


 予想していた答えだった。アルニラは右手を下ろした。

 彼女はチキュウ人だ。いきなり宇宙に来いと言われても、すぐ受け入れられはしないだろう。


「だったら僕が来てもいい?」


 一度下ろした右手を、また差し伸べる。


「必ず、絶対に、またチキュウへ来るから。そうしたら、僕がツムギを、その先の人生一生、笑顔にしていいか?」

「それって……」


 そう、と頷く。アルニラはこの日、チキュウ人の女の子にプロポーズした。

 ツキが輝き、星が瞬く夜空の下で。「うん」とツムギは頷いてくれた。アルニラの差し出した手を、握ってくれた。


「こんな幸せなことが、私にやって来るなんてね」


 そのときのツムギも泣いていた。なのに幸せそうだった。旅の話を聞いているときよりも、お菓子を食べているときよりも、ずっと。


 そうして、ツムギとは一旦別れたのだ。それから5年、アルニラがツムギを忘れた瞬間は一度もなかったのだ。

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