第3話「こたつ談話」

 田中の家は、黒い瓦屋根や縁側があるような、和風の平屋住宅だった。彼の性格から勝手に、その自宅もギラギラのイルミネーションでぐるぐる巻きにされているような目に優しくない家だと思っていただけに、静かで落ち着いたノスタルジーな雰囲気の家だったことが意外だった。


 引き戸の玄関を田中は当然のようにすり抜けて入っていった。残された神原が立ったままでいると、田中の上半身だけ扉からにゅっと現れた。


「あ、鍵かかってるから入れないよな! 俺は鍵に触れないから……その盆栽の下、見てくれ!」


 庭には盆栽棚と、その上にいくつかの盆栽が飾られていた。松の盆栽を持ち上げると、下に鍵があった。合い鍵だというそれを使って中に入ると、鼻が古い木の匂いを感じた。初めて上がる家ゆえに、「お邪魔します」と小声で呟いてしまった。それを聞いた田中が吹き出した。


「さっきも言ったけど、この時間帯は家族は留守にしてるから緊張しなくて大丈夫だって! 幽霊になった後も一応家で過ごしてるんだけどさ、最近の家族、毎日決まった時間に留守にするの見てるから。安心しなって!」

「そう言われても、つい……」

「ほら、こっち!」


 ぎしぎしと鳴る廊下を進んで通された居間は畳の床の仏間で、部屋の中央にこたつとカゴに入ったみかんが置かれていた。冬以外は、こたつがちゃぶ台になるという。好きに使っていいと言われたので、電源を入れてこたつに入った。時間が経つにつれ暖まっていくこたつが、長く外出していたせいで凍えた体を解きほぐしていく。


「さて神原! 今回色々付き合ってくれた礼に、俺の持ってるものの中で好きなのをやるぞ! どれがいい? 部屋に見に行くか?」

「ああ……。ここまで来てなんだけど、いらない。外で断る断らないのやり取りするのが億劫だったからついてきただけだ」

「え?!」


 神原は台の上に顎を乗せながら答えた。芯から惜しみなく温まっていく体に、脳味噌も心地よくとろけていくようで、半分夢見心地になっていた。今はとにかく、絶対にここから出たくなかった。


「強いて言うなら、このこたつが欲しい……」

「これは家のものだからやれないぞ?! ……でも気持ちはわかるな! 最高だもんな、この中!」


 半透明なせいでこたつの布団を捲れない田中は、直接布団に両足を突っ込んだ。温度もわからなくなっているはずだが、「温かいなあ! 温かい気がするなあ!」と、本当にぬくぬくした心地を味わっている表情をした。


「にしても、お礼ができないのは想定外だったな……。なんか俺にできることないか?!」

「特に……」

「ああもう! 神原はクールすぎるんだよ! もっとこう、なんだ、血湧き肉躍れよ!」

「ダンスは興味無い」

「踊るってそういう意味じゃないぞ!」

「知ってるよ」


 神原は丸まった姿勢をもとに戻した。


「真面目な話、気持ちで充分だ。田中の持ち物は、いわば形見だ。そういう大事なものはもっと親しい友達や家族にやるべきだ。お前、友達いっぱいいるだろ」

「ま、まあ、そうなんだけどな……」


 田中はくぐもった声を返した。


「……それに、お礼を言うべきはむしろこっちっていうか」

「へ?」

「さっきの幽霊への態度見て思った。凄いな、って」


 今日神社のすぐ近くで出会った、女性の幽霊。自分は通り過ぎようとしたその幽霊の彼女に声をかけ、諫め、励まし、成仏への背中を押したのは、正面にいるクラスメートだった。


「す、凄いか? 悪い人じゃなさそうだったし、なんか凄く悲しそうだったから放っておけなかっただけで……」

「実際、悪い人ではない。悪霊じゃなかった。だから神社の近くにいても平気だったんだろう。それはそれとして、本当、なんだか凄い奴って思ったから。素直に聞いてくれ。俺にはまずできないことをやっちゃったんだからな」


 何の躊躇いも無く、それが当たり前であるかのように幽霊へ距離を詰めた田中を見て、透けているはずのクラスメートが、それまでよりもはっきり見えるような感覚がした。


 今日もそうだったし初めて遭遇した日もそうだったが、田中の傍を、人は素知らぬ顔でどんどん通り過ぎていくのだ。どんなに元気でどんなに存在感に溢れていても、死んでしまえば誰もその笑顔に気づかない。

 なのに田中は、それが当然とばかりに、分け隔てない笑顔をこれまでずっと浮かべ続けていた。生きている人だけでなく、死んでいる人相手でもそうだった。彼にはこういう部分があったのか、と思ったのだ。


「俺今までお前のこと、楽しければそれでいい主義で生きているというか、完全に毎日ノリで生きているというか、何かについて深く考えたことなんて今まで一度もありません何それ美味しいのみたいな性格している奴かと思ってたんだけど」

「ひど!」

「違ったんだなって。だって何も考えてなかったら、今日の幽霊、あんなに素直に笑えていなかったと思うから」

「そ、そうかあ……?」


 田中は頬を掻いた。その笑顔は太陽のような主張のあるものではなく、こっそりとした、照れ笑いだった。


「けどなあ、考えてるっていったら神原のほうが絶対色々考えてるって! いつも冷静だし! 冷静すぎてもっと感情剥き出しにしてほしい! って思うことあるけど!」

「そうだな、確かに俺は感情に振り回されづらい性格をしている。でも、それが良いとは限らない。もし今日田中がいなかったら、俺はそのまま見て見ぬ振りをしていた。あの女の人は成仏できなかった。……幽霊を見つけたら、知らないふりして離れるのが一番なんだ。でないとついてくる。対処法を知らなかった頃は、何度も何度に霊に取り憑かれてきた」


 生まれつき、神原は霊感があり、幼少の頃から他の人には見えないものを見つけることが多かった。あそこに何かいる、あの人は何と同い年の子や大人に聞いては、気味悪がられて距離を置かれた。家族以外誰も信じてくれなかった。人から笑われ拒絶され怖がられる度に、部屋の隅や布団の中など、暗くて静かで一人になれる場所で泣いた。神原君はおかしいというレッテルを貼られ孤立してきた影響で、人付き合いが苦手になった。


 生きている人間に対しても死んでいる人間に対しても、付き合い方が不器用だった。

 つい見つけてしまう幽霊は最初怖かったが、慣れてくると恐怖よりも憐れみのほうが強くなっていった。特に幼い子供や、目を覆いたくなるような悲惨な姿の人を見ると、つい話しかけてしまった。大丈夫ですか、自分にできることはありますかと。


 そうすると必ず取り憑かれ、身の回りで異常現象が度重なった。それだけならともかく、家族や自分の身に危険が及んだことも少なくない。死の淵をさ迷ったこともある。

 何度も幽霊関係で嫌な目に遭ってきて、最終的に見て見ぬ振りという方法を覚えた。これでいいのかといつの間にか疑問に思わなくなった自分を、霊より冷たい心の持ち主だと思ったのも、既に遠い過去のことだ。思い出したのは、今日の田中の姿を見たからだった。


「もう家族に迷惑かけたくなかったしな。けど人として、やっぱりそれが免罪符になるわけじゃないとも思うっていうか……」

「いやいや、それは仕方ないだろ! 取り憑かれるとか大変すぎるじゃないか……! 神原が無事で良かったよ! もし何かあったら、今こうして話すこともできなくなってたわけだしな!」


 ところが田中はいとも簡単に、あっさりと言い切った。眉もひそめなかったし、取り繕った素振りでもなかった。神原は顔を伏せた。本心からの台詞であることがどうしてもわかってしまうからだ。


「お前んとこの家族は霊感のこと知ってるんだな! いいじゃないか!」

「うん……。お祓いとかにも必ず付き添ってくれたし、家も、盛り塩とかお札とかあるし……。色々、俺が幽霊について悩まないようにって、いつも厄除けについて考えてくれてるんだ。だからこそ、迷惑かけたくないんだよ。まあ、厄除けもやり過ぎなときがあるけどな」

「やり過ぎ?」

「外出時は必ず火打ち石かちかち鳴らしたりとか。霊に襲われたら投げつけなさいって、お札大量に持たせたりとか。あと今年一年霊に襲われませんようにって、正月の夜に魔除け鍋食べたりとか」

「なんだその鍋、想像つかないな!」

「厄除けの効果を持つと言われる食材をとにかく入れた鍋だ。しょうがやにんにくを丸ごとに、よもぎや小豆を大量投入、唐辛子をひたすらぶち込んで、桃をそのまま入れる。そして塩。ふんだんに入れる。舌が麻痺するほど入れる」

「……こ、こ、個性的な鍋だな……」

「それとは別に、鯛の鍋を食べるんだ。これは本当に美味しい。家にある鍋は少し小さいから、いつも足りないなって思っちゃうんだけどな。正月だけの特別料理で、一番好きなんだ」

「ええ! 食いたい! 神原がそこまで言うなんて、美味しいに決まってるな!」

「言っとくけど、すっっっごく美味しいぞ」

「おお! 気になりすぎる!」

「宇宙一美味しい料理だ」


 神原はぐっと片手を握り拳にしながら、ふと壁の時計を見た。


「今日その鍋が出る日だからな。食べ損ねたら絶対嫌だし、そろそろ帰るわ」

「あっ、待ってくれ! いいお礼を思いついたんだ! うちの土鍋、持って行ってくれ! ちょうど大きめのやつで、使ってないのが小屋にあるんだ!」


 いいと言うのに、田中は強引だった。押し問答も面倒だったので、受け取ることを決めた。物置の鍵がある場所に案内してもらい、庭の物置に入る。中は結構乱雑していて、奥の隅のほうには大きな布が二重にかかった物体があった。どうやら箱か何かが積まれているらしい。ここあまり入ったことないんだよな、と田中が物置を見回しながら言った。


「暗いし静かすぎるしで苦手なんだよなあ。まあすっごく嫌いってわけじゃないけど」

「そうか。で、土鍋はどこだ?」

「その棚の上のはずだ!」


 言われた場所を見てみると、確かに奥の棚の上に、土鍋の絵が描かれた大きな箱が置かれていた。

 腕を伸ばしてぎりぎり取れる高さにあった。取った瞬間、少しバランスを崩して、近くにあった布の端のほうを踏んでしまった。足を滑らせ、尻餅をついてしまう。ばたばたとものが倒れる音が重なった。布が取れてわかったが、その下にあったのは綺麗にラッピングされた小さめの箱や袋だった。


「だ、大丈夫か神原?!」

「平気だし、土鍋も無事だ」


 慌てて駆け寄ってきた田中が、ほっと安堵する。そして、視線が倒れた箱に移動する。田中の顔が、氷に包まれたように、固まった。


「……どうした?」


 女性の幽霊と別れたときも、こんな風になった。その時と違うのは、彼が固まったまま、ずっと動かなかったということだ。何度話しかけても、反応を返さない。


 永遠に思える時が流れた。少し埃っぽい冷たい空気が、時間を凍らせたようだった。こたつで暖まった体が、いつの間にか芯から冷えていた。


「神原」


 田中が言った。びく、と体が強張った。


「もう、いいよ」


 彼の声には、

 明るくもなく、暗くもなく。温かくもなく、寒くもなく。


「もう、未練なんてない」


 何の心も感じられない声で、田中は言った。


 一気に背を翻し、どこかへ走り去っていく。表情は見えなかった。けれど、笑っていなかったのは、確かだ。


 何が起こったのか、神原は散らばっている箱や袋を見た。それらは全て未開封だった。箱と一緒に、束になっている手紙も見つけた。便箋に書かれた差出人を見て、目を見張った。それは田中の名前だった。あまり上手いとは言えない、彼の直筆の字。落ちている箱や袋も確認した。全て、田中が送り主となっていた。


 神原は手紙のうち一通を抜き取った。手紙も全て未開封だった。封を切り、折り畳まれた手紙を読む。


『母さんへ 毎日暑いけど元気ですか! 俺はゆでだこみたいになってますが元気です!(嘘じゃないよ!)熱中症とか怖いから、水分補給と塩分補給を忘れないように。俺はこの前水を飲み忘れて意識遠のきかけたからね! 貴史さんと俊くんも元気ですか? 皆が健康に、元気で過ごせていることが俺の望みです。そういえばもうすぐ俊くんの誕生日だけど、どんなものを贈ろうかな? 何かこれが欲しいとか言ってたら教えて下さい――』


 他にも、何通か中身を読んでみた。宛先は全て同じ住所だった。贈り物とみられる箱や袋もそうだった。


 神原は外に飛び出した。辺りを見回したが、田中の姿はどこにもなかった。本当に透明になってしまったように、影も形も見えなかった。

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