第4話 国家という概念の解体             La démolition du concept sur l'Etat.

 エレガンは、国家という概念自体に疑問を呈している。辞書によれば、国家には、国民、領土、統治権(主権)の三要素が必要であると言われている。ここでエレガンは逆に問う。国民にとって領土は必要であるか、統治権は必要であるのか、つまり国家は必要であるのか、と。実際問題として国民にとって大事なのは、一部の政治参画に積極的な人たちを除けば、自分たちの周りの身近な生活である。天下国家ではないのだ。人々の生活は、国際政治や外交とは別次元で動いている。実際、多国籍企業は国家の領土を跨いで経済活動をし、国家の概念を易々と乗り越えているではないか。

 それにもかかわらず、外交は相変わらず国家の概念を基礎に動いている。国益という言葉は、必ずしも国民の利益に合致しない。

 例えば国家の持つ軍事力は、何を守っているのだろうか。国家を守っているというのなら、本当に国民を守っているのだろうか。安全保障という言葉をよく聞く。これは実際には国民にとっての安全ではない、統治権を保持するため、領土を保全するための安全である。外交における国家の軍事力は、他国を威嚇するための道具として使われるだけである。

 エレガンは言う。国家という概念にはやはり問題がある、国家という概念を解体してしまえ、と。簡単なことである。例えば国境線を開いて、二国間の人の移動や移住、物資の移動を自由にしてしまうことだ。国境線を開くことによって領土の概念が解体する。国内と国外、自国と隣国、自国を守り他国を排除するという区別が無くなることになるのだ。しいては、軍事力が守るべき領土という概念が無くなることで、軍事力を持つこと自体の意味も無くなるはずなのである。当然、国境を開いた二国間の外交交渉における倫理性も改善する。

 ここで注意しなければならないのは、解体するのは国家ではないということだ。あくまで国家という概念である。エレガンは革命を望んではいない。

 国家を持たない最大の民族と言われているクルド人は、不幸であるのか。エレガンによれば、Nonである。EUに埋没したように見える我が国フランスは、不幸であるのか。エレガンによれば、Nonである。

 自国の領土にこだわり、紛争の絶えないイスラエルとパレスチナは不幸であるのか。エレガンは、Ouiと言う。

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