第二話「次の日」
「お疲れ様でした。」
後輩の1人がそう言い、花束を渡してきた。
「先輩のおかげで私たちはここまで活動することができたと思います。」
また別の後輩が言う。
「本当に、ありがとうございました。」
その他大勢の後輩が私に頭を下げた。
「これからも頑張ってください。」
私はそう言って、廊下を歩いた。振り返るともうそこに後輩はいなかった。
次の日、また私は先生の元で指導を受けていた。気温14度、高揚した私の体に反して気温は未だ肌寒かった。日は20度に傾いている。いつものように夕日に照らされている先生は私のルーズリーフをじっくりと見ている。
今までに触ったことのなかった現代文学に触れて挑んだ今回の補修。彼女が相談に乗ってくれたのだ。私の文章はどちらかといえば少し昔、あるいは行き過ぎた未来のようである、と、確かに現在の中学生を描いているならば現代の中学生を知らなければいけない。前回の欠点は中学生らしくないことだった。知らなければ当然だろう。読むところによると中学生という生き物は流れるように生きるものらしい。区切りがなく、全てが流動的であり、それが中学生の自然体というものらしい。今回意識したのは連続的な会話、会話文だけを見ても、その様子が目の前にあると錯覚出来る様に表した。
「まだマシになったな。」
先生はルーズリーフを今までにないぐらいに優しい眼差しで見て、そして静かにルーズリーフを机に置いた。今日も同じ時間帯の補修、何度も何度も同じ光景、同じ椅子、変わりない先生、それら全てがなぜか今日は酷く_なんだろうか。
「ありがとうございます。」
そして先生は私をしっかりと見て言った。
「会話文だけを見れば、お話として成り立っている。」
それはそうである、というかそうでなくては困る。文学の範囲は彼女の得意分野であるし、それを教えられた私が出来ないようでは、彼女はきっと私に謝ってくるに違いない。それだけは避けたいのだ。
「そうですか。」
ただ私はこの表現を知っている。確か、譲歩、その後に逆説の意味を唱える場合に使われる表現だ。
「でも、この形式のような物言い。」
久々に見た先生の鋭い眼差しはルーズリーフを刺しているように見えて、どこかむず痒いような感覚に襲われる。
「はい。」
先生は首を傾げて、なんだろうな、と唸りながらルーズリーフを見た。
「後、感情が感じ取られない。」
私はそれを聞いてすかさず答えた。
「ここには感情がないのです。」
先生は私を眉毛を少し吊り上げた。暫く見つめあった後、先生はルーズリーフを持った手を膝の上に落とし、またいつものため息をついた。
「君、中学生には感情があるものだよ。」
「感情。」
口の中で繰り返される響きは何度も言われてきたであろう単語。何度言ったか分からないこの課題は、私の舌の上ではコロコロと転がるが、私の手のひらにはまるで収まっていないようである。
「そう、心揺さぶる何かが。」
「はい。」
心が揺さぶられないシーンではないらしい。てっきりこの小説の「引退」が、形骸化した形式的儀式と認識していた。
「よく考えてみなさい。この私、には何かしら頑張ってきたものがある、そう思わないか。」
この学校には寮がある。大抵は2人で一部屋を使うことになっており、その学年によって使う寮の部屋の種類も変わってくる。いや、「学年」というよりは、正しく表記するならば「級数・段数」というようなものと言った方が正しいだろう。一定以上の成績を修めれば上に行くことができる。一般に「飛び級」というらしい。逆に言えば、もし一定以上の成績を修められなければずっと同じ「学年」にいることになる。これは「留年」というそうだ。そう、私はこの最高学年でずっと「留年」しているのだ。
私が滞在している部屋は扉から向かいの窓までを軸にして線対称であり、手前からベットとデスクが両方の壁側に置かれていて、中央には小さなちゃぶ台が置かれている。お手洗いなどは全て共用ルームに集約されており、この「成績優秀者が泊まる部屋」が数ある部屋の中で最も近い位置に存在している。「成績優秀者が泊まる部屋」と言っても、常に成績優秀な私が毎年留年するため結局この部屋に人が入ってくることは滅多になかった。
「感情のマニュアル?」
「はい。」
そんな中、彼女は飛び級によって部屋を転々としている彼女にとって、一番最後の引っ越しをしていた。成績優秀者である彼女が私と相部屋になったのだ。ちゃぶ台やベットの上に置かれた段ボールを開けながら私をじっと見つめて、あー、と納得したように頷くと、また再び自分の荷物に手をかけ始める。そこから彼女は自分の「思い出の品」であろうもの、熊のぬいぐるみを手に取り、ちゃぶ台の私と反対側に座ってしばらくそれを見つめていた。
「え、ちょっとまって、どう言うことよ。」
彼女は手中にあるクマのぬいぐるみから目を離して、私の目を怪訝そうに伺いながら問いかける。
「先日、自分の本当の気持ち、というものを聞かれました。」
彼女はゆっくりとそのぬいぐるみを机に置き、その黒い目を向って左上へと運ぶと、彼女は手をひと拍叩いた。
「あぁ、あの時。」
「ではマニュアルがあれば良いのでは、と思いました。」
「え。」
彼女はそのひと拍叩いた後の手をそのままにして、私を再度怪訝そうに伺った。
「ですから、私には感情が足りない、しかしそれを生み出すのは一朝一夕では行かない。ただ私はすぐにそれを身に付けなければならない。では状況と表現を結びつけられれば。」
途端に、彼女は身を乗り出し、片方の手をちゃぶ台の上にやりやがら、私の口に手を当てひっそりとつぶやくように、そして唸るように言った。
「感情なんてなくていい、って言っているのかしら。」
その手を払い、私は彼女を見つめて答える。
「はい。」
彼女は、ため息をついて再び荷物整理に移る。
「それは、駄目よ。」
「それは、なぜ。」
彼女は熊のぬいぐるみを再び手にとり、私の方へ向き合ったかと思うと、そのぬいぐるみの両手を指で挟み、上下に動かしたり、その両手をその口に当てたりしながら答える。
「マニュアルがあったとしても、それは、それはあなたではないのよ。」
そしてそのぬいぐるみは最後に、私の方へ手を差した。なぜこんなことをするのか、私にはよくわからない。
「私は感情がないのです。それが私であるがゆえ、私が私であることを表現したのがあれなのです。」
熊から目を離し、彼女の目を見て訴える。
「しかしそれを否定されては。」
「そんなことって。」
私はその後に続く残酷な言葉をなぜか耳に入れたくないと、強く願った。
「私には出来ないです。」
少し食い込むように音量を上げて言ってしまった言葉は彼女を突き放してしまっただろうか。そんなことを今更思って、恐る恐る彼女の顔を伺う。しかし彼女は少し頬を緩ませている。どうしてかはわからないが、それに私は安堵した。
「…わかったわ。」
まさか、承諾してくれるとは思っておらず、私は少し意外に思った。
「私から先生の方に言っておくから、少しだけ、休暇をとらない。」
その言葉も意外だった。飛び級をし続ける彼女であるからこそ、それまでの努力は凄まじい物であったとこが窺える。だからこそ、その彼女の表情や行動からは読み取れない、基盤にある真面目さが彼女をそうさせたのも、これまでの様子を見ていた私であれば、簡単に予測できた。
「でもそれでは。」
だからこそ、彼女の努力を踏み躙ってはいけない。だってこれは彼女を傷つけるから。
「あなたは優秀なんでしょ。もしこれだけが欠点だとしたらあなたを連れ出す理由としては十分だわ。」
ただ彼女はまっすぐと私を見つめて、しばらくすると微笑んで、再び引っ越しの作業に移った。
外出許可を言い渡され、私は彼女に言われるがままについてきた。近くの駅まで約1時間、そこから約2時間、電車に揺られ、着いた駅から、徒歩30分。たどり着いたのは周りを森林に囲まれた小高い丘だった。
「ここは。」
「あなたが生まれた場所、でしょ。」
彼女に言われて、自分の記憶を随分と遠くまで飛ばしてみる。なるほど。
「はい、確かにそうです。」
「何か、何か感じないかしら。」
そう言われて再び丘を見つめてみる。
「わかりません。」
「_そう。」
彼女は少し肩を下げ、ため息をついた。何かないかと私は少し考えてみた。
「ただの風景。私の私の思い出が詰まったただの風景です。」
「ただの風景、ね。」
もう少し何か言わないといけないようだったので、私は再び考えてみた。
「はい、ここで、私は笑顔で走りました。とても、とても楽しかったのを覚えています。」
「それよ!」
彼女は途端に目を輝かせる。
「なんで最初に言ってくれなかったの。」
「は。」
どこがどのように良かったのかが全くわからない。
「今のよ。」
彼女は私を指さして言う。
「今のその、楽しい、楽しかった。それが感情よ。」
「はい、楽しい、そういう状況でした。」
え、と彼女は突然笑顔を失った。理解できていないことは明白だった。
「本で読みました。この、笑顔で走る私は楽しいのだ。と。」
図書館にあった本、あそこに書かれてたのは笑顔で庭に挨拶をするある少女の話で、彼女は確か「なんて素晴らしいのかしら。」と言っていたはずだ。なら笑顔の私はきっと楽しかったのだろう。自分の記憶と書物に書いてある情報を元に割り出した感情。この「楽しい」を現実世界に結びつけるなんて、大きな進歩ではないか。
「あー、これじゃあ振り出しじゃない。」
「振り出し。」
「ええ、そうよ。」
想定外の言葉に私は困惑する。振り出し、とは大抵何かが進んでいたものが最初の状態に戻ることを意味する。つまりこれは元々できていたのにも関わらずできなくなったということだ。確実に進歩していると思っていた矢先にそれを言われて、途端に、なぜ、と聞き返す。
「これでは、その楽しいもあなたの心から出ているということではないじゃない。」
「心とはなんですか。」
すると彼女は再びため息をつき、あぁ、と力無く呟くと私から体を背けてそのまま数歩小走りした後に両腕を広げて叫んだ。
「何も伝わらないわ!」
そしてそのままこちら側を向いて、そして私の表情を一瞥した後、彼女は吹き出す。
「でも、そのぎこちない表情。私、嫌いじゃない。」
そう言って彼女は再び私の元に駆け寄り、私の右手腕を掴んでそのまま進んでいこうとする。
「どこに行くのですか。」
彼女はこちらを振り返らない。
「分からないなら分かるまで。」
そして来た道を、両者無言のまま、帰って行った。
おめでとうございます 普遍物人 @huhenmonohito
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